第165話 発芽
それから時間を見付け、白衣連中の目を盗んでは何度もイーグレットの部屋へ通った。別に何を話すでも無い、実験で壊されかけた心に溜め込んだ感情をここで吐き出させてもらう。それだけで少しだけ、本当に少しだけ気持ちが楽になる気がしていた。イーグレットは泣きじゃくる私の隣で何も言わず、ただじっと黙ってそこに居続けてくれた。温かい言葉をくれるわけではなかったけど、ただ隣にいてくれるだけで有り難かった。
ある時、耐え切れず自分が連日受けていた実験の内容を彼に話したら、私は人工的・後天的に能力者を作り出す実験に参加させられているのだろうと話してくれた。随分前から試みられているそうだけど、未だに成功例はゼロ。どうやらイーグレットは私より随分長くここで暮らしているらしく、私の知らないことも色々と知っていた。
「それなのにここの連中は諦めない。まぁそんなことが本当に実現可能で、政界に安定して能力者を送り出せれば国の統治も安定するんだろうけどさ」
「成功例も無いのに、なんでそんなことを…」
「御国のため…連中はそう言うだろうね。ぼくもそう言われ続けた、暗示みたいに何度も何度も…」
反吐が出る、私やイーグレット…この施設に閉じ込められている全員この国に生きる国民の一人だ。こんな仕打ちを強いておいて御国のためなんてどの口が言えるんだ?
「ここはみんな狂ってる、どいつもこいつも…」
最近、絶望とは違う感情が心を占めるようになってきた。それは、唯々純粋なる憎悪。もはや身も心も蹂躙し尽くされ、さっき鏡に映った自分の姿はまるで生ける屍だった。もう自分の現状を嘆くことも無ければ、何故自分なのかと問うこともやめた。でも自分をこんな風にした連中が憎くてたまらない。どうにかして殺してやりたいけど、ただ殺すなんて生温い。奴等自身がどれだけのことをしてきたのかを徹底的に思い知らせてやらねば気が済まない。
これまで受けてきた精神的・身体的苦痛を伴う実験の数々はすべて記憶している…というか、私の全身全霊に刻み付けられている。ありとあらゆる恐怖と苦痛を与えられ、私は連日寝る前にそれらの実験を私に実施した白衣の連中にやり返している自分の姿を想像していた。そうだとも、これだけのことをしたんだ。昔の法典にもあったじゃないか、私が受けたのと同じ苦しみを味わい尽くしてから死ねばいい。
そんなことを考えていた時、不意に部屋のドアが開けられた。白衣を着た連中が二人、無遠慮に入ってくる。私はそれまでの嗜虐的な思考回路から一転、反射的な恐怖に体を硬直させながらイーグレットの背後に身を隠す。
「やれやれ、モニターさせてもらってたが…埒が明かんな。イーグレット、どういうつもりだ?」
「お前に指示を出してから、一体何日経ったと思ってる。言われたことは言われた通りやれ」
白衣の二人は私たちをジロリと見てから、そう溜息を吐いた。
…え? イーグレットに、指示を…って?
「そいつがお前に懐いてるようだからお前が適任と判断したんだぞ? 期待を裏切ってくれるな」
「おいイーグレット、答えろ。何故指示通り動かない?」
私が恐る恐るイーグレットの顔を覗き込むと、彼は眼球だけを動かし私の顔を見た後でいつもの無表情のまま「ぼくには出来ない」と小さく答えた。すると白衣二人のうち一人がずかずかとイーグレットに近寄り、首を掴んで引き寄せる。
「まさか情でも移ったか? お前が? こいつは驚いた、お前にまだ感情ってのが残っていたとは…」
「それにお前がどう思っていようが知ったことではない。今からでも構わん、ヤレ」
「…断る」
直後イーグレットの左頬に拳がめり込み、壁まで弾き飛ばされる。体を派手に打ち付けて床に転がる彼の姿を、ベッドの上から見つめ、耳を両手で塞ぎながら震えることしか出来ない私…。
「聞こえなかったか? お前の意思などどうでもいい。いいから今すぐそいつを犯せと言っている!」
一瞬、耳を疑った。こいつらは一体、何を言っているんだ? イーグレットが緩慢な動きで床から立ち上がると、ペッと口から血を吐き出す。
「おい、それ言ったらあいつに心の準備が出来ちまうだろ。それじゃ実験が不成立になる。信頼している相手から突然性の対象として襲われる恐怖ってのを作るのが目的だったんだから」
「あ…くそ、あ~だったらもういい。それならそれでもうひとつを試すとしよう」
そう言うと懐から黒光りする拳銃を取り出し、イーグレットに突き付けながら横目で私を見る。
「よく見ておけ」
短い言葉の後で響く銃声。放たれた銃弾はイーグレットの右目から後頭部へ抜け、真っ白な部屋があっという間に鮮血に染め上げられる。飛び散った血は…私の顔も濡らした。あまりに展開が早過ぎて理解が追い付かず、呆然と目の前で繰り広げられた出来事を理解しようと試みる。床に倒れ、血だまりを作っていくイーグレット。
「い……ゃ……」
家族を目の前で失ったあの時と同じような痛みに似た感覚が全身を駆け巡る。
「いゃ…嫌! いやぁあぁああぁああああぁぁあああぁぁぁあぁっぁああぁあぁぁああっぁぁあああ!!!」
絶叫しながらベッドから転がり落ち、床に倒れたままのイーグレットに四つん這いで近寄る。飛び散った真っ赤な肉片、ところどころに転がった白い頭蓋骨の欠片、灰桃色の脳…見ること自体初めてではないものだったが、それがイーグレットの物だと思うだけで別物に見えた。
激しい嘔吐感が胃を収縮させ、食道を逆流してきた勢いそのままに床へ吐き出す。涙と鼻水と唾液に胃液…およそ顔から出せるすべてなんじゃないかという体液を垂れ流しぐしゃぐしゃになった顔を拭おうとも思わず、イーグレットの体を抱き寄せる。温かい、まだ温かいのに…ピクピクと痙攣するその動きに彼の意思は感じられない。
「あ、あぁあ…あぁぁああああぁああぁあぁ…」
「なんだ? 結構長いこと一緒にいたと思ったが、こいつのこと聞いてないのか?」
「何言ってんだ、それを話してないって確認してたからこの実験が成り立つんだろうが」
白衣連中の会話も耳で聞いてはいてもとても理解出来る精神状態じゃない。でもその声が、私の中にある何かのスイッチを切り替えた。絶望は怒りに、悲しみは憎悪に変換され…彼をこんな姿にした二人を睨みつける。よくも…よくもよくも! よくもよくもよくも!! 許さない許さない許さない許さない許さない許さない!!!
失神しそうなくらい憤怒と憎悪で感情が満たされたその瞬間、何かが見えた気がした。目の前の二人に重なって薄らぼんやりと…見えたというよりは感じた、と言った方が正確かも知れない。あ、右側のこいつは虫が嫌いなのか。左は蛇? そしてそれを知って、私は自分がどうすればいいのかも…本能的に理解しているようだった。
「…ん? なん、だ…!?」
突然右側に立っていた男が自分の右腕を見る。そこには本来、何も無いはずだった。だが男は急に青褪めた表情になって右腕を必死にこすり始める。
「ひ、ひぃ!? ムカデ!? な、なんでこんな大きな…ど、どこから!?」
「お、おいどうした!? ムカデなんてどこにもいないぞ!?」
その時、私の脳裏にはハッキリとイメージ出来ていた。かつて暗い部屋の中で無数の虫たちに体中を這われたあのおぞましさが…。やがて右腕だけでなく、服の中を無数のムカデや蜘蛛などが這いずりまわる感覚に襲われているらしい男は悲鳴を上げながら部屋から逃げ出していった。
さて、次はこいつか…。
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