第159話 英雄たちの今

「貴様ぁ! 誰が腕を下げていいと言った!?」


 ビフレスト基地のグラウンドに怒号が響く。まだ入隊したての若い兵士たちが頭上に自動小銃を掲げ、スクワットをさせられている前で、顔右半分に火傷痕が刻まれた教官が檄を飛ばしていた。


「貴様は銃を下げていいと許可をもらったか? 休んでいいとでも言われたのか!?」


「いえ、教官殿!」


「だったらさっさと腕を上げろクソ虫!!!」


 フォーリアンロザリオ空軍で基地警備隊などの装備として正式採用されているアサルトライフルは弾倉を外した状態でも4kg強の重量がある。基礎体力をつける訓練などでも使用するため、それを持ち上げること自体はそれほど苦ではないはずだが、それをずっと頭上に掲げた姿勢を続けていれば自ずと両腕の血流は悪くなり、力が入らなくなってくる。最初は頭上にあったライフルは徐々に下がり、それを見付けては檄を飛ばして強引に上げさせる。


「いいことを教えてやろう、こんなこと戦闘機の操縦技術にはこれっぽっちも関係ねぇ! 軍なんてそんな場所だ、理不尽のオンパレードだ! だが、この程度で音を上げるような奴に一機120億の機体を託せると思うか? 俺ならお断りだ、軍はそんな甘ったれたガキに高価な玩具を配る慈善団体じゃねぇ!」


 スクワットの回数は既に400を超え、新兵たちは一様に苦悶の表情を浮かべている。見回してみるが、肘が肩より上にある奴は誰もいない。


「世界は軍縮に向かい、世間は不景気に苦しんでいるってぇのに貴様らは軍に入って国民の血税で飯を喰おうとしてやがる…性根の腐ったウジ虫共が!」


 空はさっきから重苦しい雲が立ち込め、もうしばらくしたら雨が降るかも知れない。


「そんな貴様らでも国に貢献出来る道が二つも用意されている、選べるって幸せだなぁオイ! ひとつはどんな訓練にも耐え抜き、屈強な兵士として生まれ変わるか。もうひとつは今すぐここから逃げ出して民間で生きる道を探し、無駄な人件費を浮かせて国庫を助けるかだ! どうだ嬉しいか!?」


 膝がガクガク震え始めた奴もいる。見ていて限界が見えた兵士の足を蹴り飛ばし転倒させる。元々限界だった体をいきなり地面に倒されて、すぐには起き上がれずもがく新兵に更に罵声を浴びせる。


「どうした、立てクソ虫! 貴様の覚悟はその程度か!? 軍にはピクニック気分で来たのか!? 地べたを這いずるクソ虫め、そんな根性も無く操縦桿を握れると思うな! 孤独な空を飛び、120億の機体と責任を一身に背負うのがパイロットだ。貴様らにその資格があるか、もう一度その胸に聞いてみろ!」


 よろよろと地面に転がったアサルトライフルを握り、ふらつく足でなんとか立ち上がろうとする新兵。へぇ、意外と根性があるらしい。スクワットの回数は間もなく命じた500を迎える。そして500回目を終えると同時にライフルを下ろし、ハンドガード部分を持ってストックを地面に付けると気を付けの姿勢を取る。


「……ブレイズ…教官殿! …スク、ワット…500、終わりました!」


 ぜぇぜぇと息も絶え絶えといった感じに報告をする新兵に、「よし」と答えて解散を命じる。ライフルを抱えて宿舎に戻っていく姿は、なんとか背筋を伸ばして歩こうとしているものの…さながらゾンビの群れだ。その後姿を見送り、ふともう一度空を見上げる。


「…雨が降り出す前に終えられたか、まぁ合格点かね」


 本当はスクワット終えた後にライフルをスリングベルトで背中に背負わせ、その状態で腕立てでもさせようかと考えていたけど…まだ雨ん中でそこまでさせる段階じゃ無かろう。体壊させちまったら後でメルルにどんだけどやされるか解ったもんじゃない。


「さて、俺も戻ってスケジュール組むとするかなっと」


「アトゥレイ、ちょっといいかしら?」


 背後から浴びせられた声に思わず背筋が凍りつく。恐る恐る振り返ると、案の定メルルがこちらを睨みつけていた。


「よ、よぅメルル。なんだ?」


「あんたね、また新兵たちに大した意味も無い体罰まがいの訓練やらせてたわね? あれをこうも頻繁にやられると座学受け持つこっちの仕事に支障が出るって話は何度もしたと思うんだけど?」


 呆れや怒りと言った感情を隠そうともせず棘のある口調で発せられる言葉が耳に刺さる。


「いやでもよ、やっぱああいう連中には今のうちに体と魂に刻み込んでやらねぇといかんと思うわけさ。それにこの程度で音を上げるような連中が…」


 そこまで言い掛けた時だった。右足にゴスッという異音と衝撃、そして一瞬遅れて迸る激痛。メルルが軍用ブーツの爪先で脛に蹴りをくれたんだと気付いた。


「い……ってぇぇえええ!!! いきなり何しやがる!?」


「あら、この程度で音を上げるような人間が一機120億の機体を国から託されてるの? 彼らに範を示すべき者がそんな無様な姿を晒していいと思ってるのかしら?」


 …こいつ、カイラスからなんか入れ知恵されやがったな? 言葉選びや態度、視線までカイラスそっくりだ。強いて言えばあのバカみたいな威力の鉄拳が飛んでこないだけマシってとこだろうが…いやでも右足がまだ痺れてる。


「改めて言わせてもらうけど、こっちにまで影響が出ない範囲でやってよね。次に同僚から苦情が出たり、私の講義に影響を感じたらカイラス少佐に報告させてもらうからそのつもりで」


「りょ、了解…」


 ふん、と鼻を鳴らして踵を返すメルルを追い掛ける形で、痛む右足を引き摺りながらなんとか宿舎に戻る。




 王国の西海岸に面したネツァク地方、ヴァリアンテ基地。ここの格納庫にも一機、ゼルエルが翼を休めていた。その垂直尾翼にはかつて描かれていたヴァルキューレの代わりに、三つの頭に双頭の蛇を尻尾に持つ犬のエンブレム。


「ソフィ大尉!」


 コクピットで機体のコンディションチェックをしているところへ、外から声を掛けられる。左側の機首下へ視線を向けると、部下のエミリア・ザッカリアス中尉がこちらに視線を向けていた。


「エミリア、機体のチェックは終わりましたか?」


「バッチリです。整備班長のお墨付きですよ」


 そう言って親指を立てながら微笑む彼女は、あのプラウディア戦を生き延びた、元々ケルベロス隊だったメンバーの一人。空軍内で部隊再編が行われた際、ケルベロス隊には彼女と同様、プラウディア戦を生き抜いたパイロットが優先的に集められた。どうせ存続させるのならヴァルキューレ隊のように精鋭を集中配置し、その中で切磋琢磨させることでより能力を向上させる…そして軍の切り札的なポジションに据えることで全体の士気高揚にも貢献させようという狙いだそうだ。


「今年は飛ぶんですよね、終戦記念日の式典」


「この前正式にオファーが来ました。五周年記念で飛んで、飛ばなかった去年は不評だったらしいです」


「やっぱゼルエル…ていうか、ヴァルキューレがいると華やかさが違いますもん。それに今じゃケルベロス隊は空軍の精鋭部隊として名前が知られてますしね」


 ヴァルキューレ隊解散に伴い、海軍も第三艦隊所属だったアレクト、メガエラ、ティスホーンの空母三隻を分散させて三つの主力艦隊を再編したが、その中で海軍航空隊のエース部隊として担ぎ上げられたのは新生第一艦隊の旗艦・空母アレクトに搭載されているオリオン隊。こちらも海軍航空隊でプラウディアを生き延びた精鋭を集めて再編されたと聞いている。彼らも今回から式典当日、飛行展示を行う予定になっている。


「国の護りを担う空軍と海軍両方の精鋭部隊が、式典の空に集まってしまっていいのかしら…とは思いますが」


「ルシフェランザとの同盟関係も今のところ順調みたいですし、西の護りを固める意味も薄いってことじゃないですか? それより今は東のイクスリオテ公国とか、あの辺がキナ臭いですよ」


 彼女の言うように、遠方の小国が同盟からの脱退を表明したのはまだしも、王国とも国境を接しているイクスリオテ公国にまで反王室の声が強まっているのは見過ごせない状況だ。あそこは第二次天地戦争でも軽空母を二隻、王国に提供している。しかしプラウディアでの戦闘で一隻は轟沈、もう一隻も中破した状態で帰ってきて…その両方の犠牲者は700名を超えていた。ルシフェランザとの摩擦を避けた判断はルシフェランザとの同盟関係を生むことには成功したものの、その発表がされた直後からイクスリオテでは遺族会を中心に反王室の声が強まったのは…無理からぬことかも知れない。


「でもま、戦争なんかにはなりませんよね。いくら王国が弱体化したとは言っても、あそこと比べれば国力の差は明白ですし」


「…そう願いたいですね」


 確かに現実だけを見ればその通りだ。だがそうは言っても王国はまだ戦後復興で慌ただしく、疲弊し切った経済で国民の間には不満が渦巻いている。こんな状況で紛争なんて起きたらたまったものじゃない。一介の軍人である以上、あまり政治的な部分に対してとやかく言うべきではないと思ってはいるけど…政府には慎重な対応を願いたいものだ。

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