第160話 お誕生日会

 ウェルティコーヴェン共和国の外縁地域、ヴァイス・フォーゲル。第二次天地戦争終結後、スプリガン基地に配属が決まった時から、以前民宿だった二階の部屋を借りる形でシャロン夫妻とはひとつ屋根の下で暮らすことになった。前々から計画していたとはいえ、娘の誕生日に便乗した当日限定特別メニューを振る舞うと常連に告知していたおかげでその夜店内は大賑わいだった。


「んじゃウェルフィー・マグナードちゃん、五歳の誕生日…」


「「お~めでとぉぉおおおおおおっ!!!」」


 ティクスとエリィ姉がノリノリでクラッカーを打ち鳴らし、周りの常連共も歓声と共にビールジョッキを高々と掲げる。商売根性がたくましいのは結構だが、身内だけでやるつもりだったオレとしては複雑な気分だ。まぁ、エリィ姉の性格上この手のイベント事をやると決めたら誰にどう言われようがやり抜くタイプだから阻止は最初から諦めていた。

 終戦から程無くしてオルクス海も平常化し、国家間の往来もある程度自由になったこともあってヴァイス・フォーゲルは知る人ぞ知る有名スポットとなっていた。色褪せを防ぐべくご丁寧にラミネート加工したエンヴィオーネ侵攻前のバンシー隊の写真や、オレとティクスの結婚式の時に撮ったヴァルキューレ隊やデイジー隊の集合写真まで店先に飾ってりゃそうなる。


「なぁエリィ姉、今日ここに集まってる常連からはいくらとってんだ?」


 興味本位でそっと聞いてみると天使みたいな笑顔を浮かべながら「ヒ・ミ・ツ」とか…漫画なら語尾に音符かハートマークでも付きそうな声色ではぐらかされた。この人ぜってぇ盛ってやがる。だがまぁ、見知らぬ人に囲まれるこの状況にウェルフィーも慣れたのか、ストレスを感じてる風ではないように見える。日中は基本的にエリィ姉に世話を頼んでるせいかも知れない。もしやと思ってティニの時のように店で働かせてないだろうな、と確認した時は「さすがにまだ無理でしょ」と笑い飛ばされた。とりあえず、「まだ」こき使われてるということは無さそうだ。…五年後には解らないが。


「ちょ、ちょっとウェルフィー? さすがにそのケーキはフリッツまだ食べれないよ」


「え~? 美味しいのに…」


 見ればウェルフィーがホイップクリームのごってり乗ったケーキの欠片をフォークで突き刺し、それを弟の口元に押し付けていた。まだ乳幼児のフリッツは自分が何をされているのかも解っていないようで、目を白黒させているうちに口元には見事な白髭が蓄えられている。ティクスがそれをナプキンで拭き取ろうとしたら、ウェルフィーがすかさず「もったいないよ!」と間に割って入り、フリッツの口元についたクリームを舐め取り始める。


「ふぇ!? ちょっとウェルフィー!」


「はぅ~、フリッツ可愛いよぅ」


 舐められてる側は嫌なのか必死に両手をばたつかせて抵抗を試みるが、そんなことお構いなしに息子の頭を両手で抑え込んで顔を舐め回す我が娘…。ティクスが制止しようとしてもやめない。う~ん、まぁ今日は無礼講ってことで許しておこうか? あいつが今日の主役なわけだし…。


「しかしここからティニがいなくなって…もう一年ぐらい、か?」


「そ~ねぇ、やっとそれなりに女らしくなってきて看板娘として華咲く頃だったのに…」


 心底残念そうに眉を顰めながら白ワインの入ったグラスを煽るエリィ姉。ティニは約一年前、ルシフェランザへ帰って行った。オレとティクスはその場にいなかったが、なんでもあの連邦最高評議会の議長であるファリエル・セレスティア本人がこの店にやってきて頭を下げたんだそうだ。「ルシフェランザのため、そして世界のために貴女の力が必要なのです。力を貸してください」とかなんとか…。

 ティニはサガラスさんが勉強を見てくれていたおかげで晴れて近くの高校入学と卒業を果たし、本格的にヴァイス・フォーゲルで働き始めていこうとしていた時期だったこともあって散々悩み、オレやティクスにも相談が来たが…最終的にはあいつ自身の意思で帰国を決めた。


「元気にやってんなら、いいんだが…」


 ふと入り口付近の壁に掛けられた写真に目を向ける。バンシー隊の写真…思えばこの頃はまだティニもここで世話になり始めて数ヶ月経ったぐらいだったな。まだ十歳のあどけない表情がそこには切り取られていた。もうここで暮らすようになってから何度と無く眺めている写真だが、この写真だけは何度見ても感慨深いものがある。


「ねぇ、フィー君からも言ってあげてよ。このままじゃフリッツが食べられちゃう」


 写真を眺めて物思いに耽っていたらティクスが助けを求めてきた。少し目を離しているうちにフリッツの顔からはクリームが綺麗に消え失せたが、ウェルフィーに抱き締められながら頬擦りされて窮屈そうに顔をしかめている。仲睦まじい…いや、今んとこウェルフィーからの一方的な溺愛と言ったところか。子供が犬猫に心奪われるのと同類なものだと思うが、正直なかなか過度なスキンシップだとはオレも感じる。


「あ~、まぁホントにどうにもならなさそうなら止めるさ。一応今日はウェルフィーが主賓だし、もうしばらくは見守ることにしてる」


「今でも充分どうにもなってない気がするんだけどな。あ…」


 そこでティクスもオレが何を見ていたのかを察し、疲れた顔から穏やかな表情でバンシー隊の写真を見つめる。


「この写真…そっか、もうこの頃からだと九年も経つんだね」


 そっとオレに寄り掛かり、二人で写真を眺める。


「今の世界、チサトも喜んでくれてるかな? フォーリアンロザリオとルシフェランザが同盟を結んで仲良くなれたんだって知ったら…きっと、喜んでくれるよね?」


「当然だろう」


 二つの国の血を身に宿し、フォーリアンロザリオ軍の兵士として戦った彼女なら…きっと喜んでくれているはずだ。終戦後、一度だけ彼女の家族に面会したことがあった。やはり戦時中は肩身の狭い思いをしていたそうだが、凱旋したオレたち元バンシー隊メンバーが取材の度に口を揃えてチサトのことを話したことで周りからの視線も変わってきたと話してくれた。彼女はもう帰ってこない…でも、彼女の遺したものが沢山あるから、これからもこの国で生きていく。そう、笑ってくれた。


「…ねぇ、フィー君?」


 オレの名前を呼びながら、ティクスが視線を写真からどんちゃん騒ぎになってる店内へ向ける。


「大切にしたいね、こういう時間…」


 家族がいて、騒がしくも楽しい時間。思えば結婚してから、ティクスは日中に眠らなくなった。朝も早く起きれるようになったし、たまに昔のことを話していても頭痛や眩暈に悩まされている様子も無い。


「…そうだな」


 一度はすべてを失ったからこそ、身に染みる。人ってのはいつも反対のもの…特に負の感情を呼び起こすような出来事に直面してから、初めてそれと対を成す出来事の価値を知る。当たり前に家族と過ごしていた頃は家族の有難味なんか感じていなかったし、軍の養成所に入ってからだってたまの休みに帰れば会えていたのでそれほど意識はしていなかったように思う。今や妻となったこの幼馴染を除いてすべてをあの戦争で失ったからこそ、家族がいることの幸せを痛感出来ているんだろう。


「えっと…明日は訓練の予定って無かったよね?」


 突然話題が切り替わり、咄嗟に脳内スケジュール帳をひっくり返して明日の予定を思い出す。


「ん? ああ、今日テストしたエンジンの報告書は提出したから…次の新型センサーのテストスケジュールの調整とか、地上の仕事だな」


「じゃあさ…」


 ティクスがオレの方を向き直ると、その顔と右手がそっとオレの耳元に寄せられる。なんか嫌な予感…。


「そろそろ、三人目も欲しいな…なんて」


 我が子の誕生日を祝う席でいきなり何を言い出すのか、この脳内お花畑は。頬を染めながら上目使いなんてそろそろ許されなくなってくる年齢だろうに…。


「……えっと、ペース早くないか? まだしばらくフリッツも手が掛かると思うんだが…」


「大丈夫、なんとかなるよ」


「その根拠に乏しい自信はどっから来るんだ?」


 オレの素朴な疑問に母は強しって言うじゃない、とかって胸を張る。とりあえず育児に関してはオレも協力は惜しまないつもりではいるが…。キラキラした視線をオレの右目に放り込んでくる妻の姿に不安にも似たよく解らない心の引っ掛かりを感じつつ、盛大に諦めの溜息を吐く。


「…そういや最初に三人は欲しいとかって言ってたもんな、お前」


 その意図を瞬時に察して一段と表情を明るくする。あ~もう畜生、その顔は卑怯だ。


「やった! えへへ、頑張ろうね…って、ウェルフィー! フリッツにクリーム塗りたくっちゃダメぇ!」


 さっきまで綺麗だったはずの息子の顔面が今度は白塗りに変えられているのを見てティクスが慌てて駆け寄っていく。まるでアレだ、ジョークグッズのクリームパイを顔面に喰らった人みたいな感じになってる。ケーキの方を見ると、甘いものが苦手な人なら食欲を失くすレベルでスポンジ生地をコーティングしていたはずのクリームの大部分が失われている。やれやれ、さすがにこれ以上は息子のトラウマになりかねんな…。そう思って娘を制止するティクスを手伝おうと足を踏み出した直後だ。


「娘の誕生日を祝う席でこそこそ子作りの相談とは…あんたら元気ねぇ」


 まったく気配を感じなかった背後からぬぅっと現れ、耳元で呆れたような声を垂れ流すエリィ姉に心臓が止まりそうになる。ついさっきグラスに注がれた白ワイン飲み干した後、常連と談笑してたように見えたんだが…。


「幼い子供にあんまりディープな大人の世界見せちゃうのは賛同致しかねるわ~」


「んなこたしねぇよ」


「せめてウェルフィーが熟睡してからにしなさいよ? あたしと旦那は…まぁ知らんぷりしてあげるから」


 人のことを茶化しからかい楽しむこの人の悪癖には付き合い切れん。短く「お気遣いどうも」とだけ吐き捨て、ティクスが先行して実施しているフリッツ救出作戦に合流することにした。

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