第143話 告げた答え

「自己嫌悪…って、なんで? 何かあったの?」


 そう訊いてみても「いいんだ、個人的な問題だ」って余計に顔を曇らせて答えてくれない。


「よくないよ、フィー君がそんなに暗い顔するなんて…何か悩み事?」


 俯いてる顔を下から覗き込んで強引に視線を合わせさせる。そうすると顔を背けられるが右なら右へ、左なら左へ移動して更に覗き込む。


「あ~もう、ほっとけ!」


「い・や・だ・ね! 悩みがあるなら話して欲しいし、嫌なことがあったんなら…やっぱり話して欲しい。一人で考えても答えが出ないなら、一緒に考えてあげるよ? それにほら、他人に聞いてもらうだけで楽になることもあるって思うな」


 それからしばらくの沈黙。私はじっとフィー君の眼を見つめ続ける。怯え・悲しみ・困惑…そんな眼。やがて手で目元を覆って溜息をひとつ吐いた後、また歩き出す。


「フィー君…」


 絶対に何かあったんだ。その背中を追いかけ、後ろをついて歩く。「ついてくんな」とは言ってこない…ということは単に場所を変えたかっただけなのかも知れない。歩いている間、何人かとすれ違っても特に反応を見せず会話らしい会話も無い。格納庫フロアを抜け、階段を上がり居住ブロックに入る。そのままついていくと…あれ、フィー君にあてがわれた部屋? ドアを開けて一瞬ちらりと私を見ると部屋の中へ入っていく。ドアは閉められたけど、鍵はかけられなかった。


「お、お邪魔しま~す」


 部屋に入るとフィー君はベッドに腰掛けていて、視線は足元に落ちている。ノックも許可も無しで部屋に入ってきた私に対しても反応らしい反応は無い。…う~ん、まぁ入ってヨシってことなんだろう。ドアの前で立ち尽くしていても変化が無い。見ればベッドにはもう一人くらい座れそうなスペースが空いている。立ったままも疲れるし居心地が悪い。そろりそろりとベッドに近づいてそっと彼の隣に腰を下ろす。


「……えっと、話したくないなら…無理には聞かない、けど」


 数十秒間の沈黙に耐え切れずこっちから声を掛けてみる。それからも黙ったまま身動きひとつしないフィー君。はてさてどうしたものか、と考えているとようやく彼が口を開いた。


「さっきな、ファルに例の答えを伝えてきたんだ」


 頭の中で想像していたケースのひとつではあった。停戦命令から六日目、ようやくと言えばようやく来たその時…来てしまったその時。私は…決して心地よいものではない鼓動に胸が震えるのを感じた。


「そ、そうなんだ…。えっと…ちゃんと、伝えられた?」


 フィー君が無言のまま頷く。これは…もしかして私、自分で地雷を踏んじゃった?


「だけど…ああ、くそ。いっそ今すぐ消えてなくなりてぇ」


 頭を抱えそんなことを口走る。フィー君がここまでネガティヴモードになるなんて、なんだかエンヴィオーネで撃墜された時の自分を見ているようだ。一瞬もしやファルちゃんに嫌われたのかと思ったけど、あそこまで好き好きオーラ全開だったファルちゃんに限ってそんなことも無いだろうし…。でも、仮にそうだとすれば…?


「今まで散々世話になってきた、地上でも空でも助けられて…ファルがいなきゃ今日を迎えるまでに何回死んだことか」


 ファルちゃんがいなくても私がいるよ、とか言って茶化せる雰囲気ではないな。うん、よく我慢したぞ私。


「なのにオレは…彼女の気持ちに、夢に応えてやれない。これまでの恩を考えれば、オレの身ひとつくれてやったうえに特典が付いてもよさそうなものを…あぁぁあああ、くそ!」


 …うん、なんとなく言いたいことは解るけどそこまで自分を過小評価することも無いんじゃないかな。とりあえず苦笑いを浮かべるしか出来ないでいると、ふとした違和感を覚えた。今の言葉を反芻してみると、違和感の所在はすぐにピンときた。


「……ん? 『応えてやれない』…って、それじゃフィー君。ファルちゃんの気持ち…断った、の?」




「まったくあいつ、こっちの気も知らないで」


 アトゥレイの口に林檎を力任せに捻じ込んで失神させた騒ぎで医務室からつまみ出され、手持無沙汰で自室へ戻る。

 撃墜され負傷して気落ちしてるんじゃないか、ベッドから動けず退屈してるんじゃないか、本当はどこか痛むところとかあるのでは…そう思えばこそ顔を出してやっていたというのに、こっちの心配を知ってか知らずかあんな私の怒りを買うような物言いをするなんて。長い付き合いだというのに学習能力というものが無いのかあのバカは。心の苛立ちを押さえつけようにもさっきの言葉が耳に残って余計に増幅される。いけない、クールダウンクールダウン…。自分自身に言い聞かせるように目を閉じて数歩歩いていた時だった。ドン、と誰かにぶつかってしまった。


「! ごめんなさい、ちょっと考え事を…」


 慌てて床に膝をついて倒れていた相手を引き起こすと…あれ? 見知った相手だった。


「いえ、こちらこそ失礼致しました」


「シルヴィ、どうかしたの? ひどい顔してるわよ?」


 目の周りを赤く腫らした姿は、かつて自分や彼女が所属していた部隊のエンブレムに描かれていた妖精の姿と重なる。


「あ、いえ…お気になさらず。私は部屋に戻ります。では」


「ちょ、ちょっと待ちなさい!」


 敬礼して踵を返すシルヴィの腕を掴んではみたものの、どうしていいかを考えていなかった。だけどなんだか辛そうなこの子を放っておけなかった。とりあえずここで立ち話…というわけにもいかない。ひとまず私の部屋まで連れて行き、ベッドに座らせる。


「えっと…あの、私は大丈夫ですから」


「大丈夫そうに見えないから連れ込んでんの。今度は何があったのよ?」


 椅子に座って腕と脚を組む。これは話すまで逃がさないという意思表示なのだけど、シルヴィは相変わらず伏し目がちに「本当に大丈夫です」と元気の無い声で繰り返す。本当に大丈夫だと言い張るならまずその声を大丈夫そうにして欲しいものだ。

 数分待ってみても話そうとしない。ただこの状況で私から逃げられるとは思っていないようで、逃げ出そうという素振りもない。まったくもう、まどろっこしい。私は椅子から立ち上がり、ベッドに座らせたシルヴィの頭を両腕で抱き寄せる。


「あ、あの…大尉?」


「何があったか、言いたくないならそれでもいい。でもね、戦争が終わってこれからやっと平和になるんだって時にそんな辛気臭い顔は見たくないわ。チサト少佐だって、そう言うでしょうよ」


 きっとこんな顔したこの子を見たらチサト少佐ならこうするか…いや、あの人ならこんな真似せずともこの子の胸の内を上手く聞き出したに違いない。しばらくしてシルヴィが胸の中でもがき出す。


「…あの、大尉。お気持ちは大変有り難いのですが、そろそろ放して…くれませんか?」


 残念だけど腕力なら私に分がある。シルヴィの細腕では私の拘束を解くことは出来ず、そのうち必死に声を殺した嗚咽が聞こえてきた。彼女の背中に左手を添え、右手で頭を撫でてやる。

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