第144話 比翼ノ鳥

「本当に、すまない。オレは君の気持ちに…応えられない」


 隊長は外壁に空いた穴から吹き込む風にかき消されてしまいそうな声で、そう告げた。その言葉を自分自身もどこかで予想していたのか、不思議と驚きはしなかった。


「……そう、ですか」


 一度深呼吸して、そう答える。隊長の顔を見ると心から申し訳なさそうな顔で私を見つめている。


「君には本当に、あらゆる面で助けてもらった。それについては心から感謝してる。そんな君から想いを告げられた時は嬉しかった。その場で二つ返事をしてしまいそうだったくらいに…」


 ふっと口元を緩め微笑んで見せても、その表情はどこか悲しげで…胸に刺さる。


「だけど…」


「有難う御座います、隊長。熟慮の果ての御返事であること、私には解ります。結果は残念ですが…受け入れるしかありません。ですからどうか、そんな顔をしないでください。隊長は私との約束をちゃんと守ってくれて、私の想いに…真剣に…向き合ってくれた。それだけで…充分です、有難う御座います」


 笑顔を作ろうとして、上手く作れずひきつった笑顔になっていると自分で解ってしまった。ああ、やっぱり私…ショック受けてるんだな。隊長に頭を下げ、そのまま背を向けて歩き出そうとして…。訊かなければいいのに、口から言葉が勝手に…未練が零れ出る。


「隊長…もし、もしも私がもっと早い時期に…それこそお互いに幼い頃から出逢えていたなら、結果は変わったでしょうか?」


 振り返らず、言葉だけを背後に投げる。しばらくの沈黙、風と波の音だけが隊長と私の間を行き交う。


「…過去にifを求めるのはあまり好きじゃないが、その可能性はきっと…充分あっただろうと思う」


 確かに、これを聞いたからどうなるわけでも無い。そこに救いがあるわけでは無く余計に悔しくなるだけだ。もう一度だけ「有難う御座います」と感謝を告げて、その場を離れる。歩きながら、胸を押さえる。胸が痛い、痛くて…泣きたくも無いのに勝手に涙が溢れて頬を伝う。




 フィー君の口からファルちゃんとのやり取りについての顛末を聞き、何故か私まで泣きたくなってくる。


「そんな、えっと…。意外だな、フィー君はファルちゃんのこと好きなんだって思ってた」


「…いや、実際好きなんだと思う。だから完全に切り捨てることも突き放すことも出来なくて…あんな中途半端な断り方しか出来なくて、必要以上に傷付けることになっちまったような気がする。それがどうにも、許せなくてな」


 話しているうちに幾分落ち着いてきたのか、声色は普段のものに近づいてきている。


「停戦命令後にアトラクナクアとの戦闘に入る前、必ず帰るから待っててくれって約束した辺りまでは…ファルの気持ちに応えてやりたいって本気で思ってたんだ」


「ふぇ? それじゃ、なんで…」


 本気でそう思っていたのなら、と反射的に質問を投げかけると、ほんの一瞬私を横目に見て、それから自分を落ち着けようとしてるのかひとつ大きな溜息を吐いた。


「アトラクナクアとの戦いが終わってここに帰ってくるまでに色々考えたんだ。やっと戦争が終わるんだなって思ったら、これまでのこととか…。その中でさ…お前、あの時言ったろ。オレはお前で、オレがいるからお前もお前でいられるんだって」


 ああ、前に医務室で気持ちが暴走しちゃった時に言ったアレか。肯定の意味を込めて頷き、話の続きを促す。


「正直あの時は意味が解らなかったが…今なら、解る気がする。というか、多分オレもそうなんだ。お前といるから、敵や味方をどれだけ殺して殺された後でも…オレらしくいられてるんだ。もしお前がオレを追いかけて軍に入っていなかったら、パイロットになっていなかったら、ケルベロス隊に配属されていなかったら、オレがまだ『アイスエッジ』のままだったら…多分オレはとっくにどっかでくたばってただろう。連携も取らずにすぐ孤立するような奴が生き残れるほど、戦場は甘くないからな」


 思えばケルベロス隊に配属されてフィー君と再会し、いきなりフィー君の僚機に任命された時には先任たちが憐れむような視線を浴びせてきたのを憶えている。あいつの僚機は生き残れない、着任早々ご愁傷様だな…とかなんとか。だけど初陣で私が敵機に追われた時、フィー君はすぐに助けに来てくれた。だから私も生きて、今こうしてフィー君の隣にいられてる。


「振り返ってみたらさ、なんで今まで気付かなかったんだって情けなくなった。ガキの頃から変わらない態度で接してくれるお前がいてくれたから、いつの間にかオレは『アイスエッジ』じゃなくなった。周りが見えるようになったし、仲間って意識が持てるようになった」


 今まで背けてた顔をこっちに向けると、「今更過ぎるが…本当に、ありがとな」なんて恥ずかしそうに言う。


「お、お礼を言われるようなことじゃないって…もう、水臭いなぁ」


 笑って誤魔化そうにもまさかそんなことを言われるとは予想外で、こっちまで照れ臭くて顔が熱くなった。


「お前にも約束してたな、戦いが終わったらオレがお前をどう思ってるか聞かせろって。その答えとして適切な表現かは解らないが…」


 そこで一呼吸置き、改めて私の目を真っ直ぐ見据えてくる。ついさっきは覗き込んでも合わせようとしなかったのが嘘みたいに…。


「お前はオレにとって、『比翼のつがい』…だな」


 ヒヨクノツガイ? 上手く脳内変換が出来ず、言葉の意味が解らないでいると察してくれたようで補足説明を付けてくれた。


「比翼ってのはな…元々は二羽の鳥が翼を並べることを意味する言葉だが、眼と翼の片方ずつを雌雄がそれぞれ持っていて単独では飛ぶことの出来ない空想上の生き物だ。一羽ではひどく不完全で、雌雄揃って初めて羽ばたくことの出来る鳥。お前はオレの足りない翼を、眼を…補ってくれる番だ」


 さっき熱くなった顔が、更に熱を帯びていくような気がする。だってこれって、ほとんど告白…。


「だからティクス、お前には…戦争が終わってからもオレと一緒にいて欲しい。これからも、オレの一番近くにいて欲しい。お前が隣にいない日常ってのは、想像出来ないんだ。だから…」


「フィー君…」


 足りないものを補う番、戦争が終わってからも一緒に、一番近くにいて…とか、さっきから嬉し過ぎる台詞がぽんぽん飛び出てくるもんだから頭が処理落ちしてフリーズしそう。いや、フリーズっていうか熱暴走? 次の言葉を待っていると、ちょっと何かを考えた後で意を決したように…顔を真っ赤にしながら……。


「……お前が好きだ、ティクス。これからもずっと、傍にいてくれ」


 思考が、完全に停止する。既に処理落ちしかけてた頭を強引に働かせる。まばたきも呼吸も忘れて、たった今聞いた言葉を必死に理解し受け止める。何か…何か言わなきゃ、フィー君が返事を待ってる。何か言わなきゃ、何か…何か? いや、返事なんてもう決まってる。


「…うん、ずっと一緒だよ」


 思考回路はとっくにパンク状態だけど、なんとか絞り出した言葉。


「ん、その…ありがとな」


「ううん、ありがとうは私の台詞だよ…」


 ダメだ、言葉が続かない。顔が熱い。頭が沸騰しそう。心臓がバクバクして苦しいぐらい。いろんな感情がぐっちゃぐちゃに溢れ返って涙が出そう。意識してゆっくり呼吸を繰り返そうにも全然上手く行かない。

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