第139話 運命を切り拓く力

 ヴァルキューレの隊長機、ブリュンヒルデとか言ったか。初めて空戦した時にはそれほど脅威とも感じなかったが、今戦ってみるとなかなか手強い。如何にアトラクナクアが手負いと言えど、この私が苦戦するなどあり得ないと思っていた。なのに…このアトラクナクアと互角に渡り合っている。その事実が苦々しくてたまらない。


「何故だ、何故なのだ。貴様等如きが、どれほどのものを背負っていると言うのだ? この世に生を受け、唯々ファリエル様の御為にすべてを捧げてきた私と、同等の覚悟があると言うのか? 同等の犠牲を払ってきたとでも言うのか!?」


 認めない、認められるものか。脳裏に甦る、初めて自らが仕える主君と謁見した日の記憶。そうとも、あの日あの時から私は文字通りすべてを捧げてあの方の御傍に仕えるためと自らを鍛え、知識を蓄え、ありとあらゆる努力と犠牲の果てに得た地位とアトラクナクアだ。それなのに…何故こいつを圧倒出来ない!?


「さっきからなんだってんだてめぇは。覚悟だの犠牲だのと…!」


「運命とは払った犠牲を対価とし、神より与えられるもの。貴様等のその力とて、数多犠牲の果てに得たものだろうに!」


 時にコークスクリューのようにお互いの機動が並行し、かと思えばお互いに別々のループを描いた後に交差し、その度に弾丸が翼を掠める。開戦当初は私も空に幾度と無く出撃したが、これほど追い詰められたことなど無い。もはや何度目か解らない交差、互いの放った弾丸は着実にそれぞれの機体にダメージを与えていく。どちらも片肺飛行に切り替えており、主翼や尾翼も被弾してボロボロだ。こいつにはどれほどの覚悟があると言うのか…。


「なるほど、それがお前の信じる宗教か。それでここまで力を得たお前はこれまであらゆる犠牲を払い、時に他人すら犠牲にしてきた…だから運命に選ばれる権利者だと? それならなんだ? 生きて今日を迎えられなかった連中は、努力や覚悟が足らなかったのか? 神への供物が足らなかったから死んだって言うのか? それは違う、未来は誰かから与えられるようなもんじゃない! 運命とか未来とか言われるものは、逆境と逆風の中で尚諦めず伸ばし続けた自分の手で掴み取るもんだ! 誰だって生きていたくて、目指す未来があって…思い付く限りの努力をしてもわずかに届かなくて死んでいったんだ」


 右主翼は歪み、左カナード翼は脱落、左主翼・左垂直尾翼は被弾して穴が開き、左エンジンは停止している…そんな満身創痍の戦闘機から放たれる威圧感が強くなる。ふとスロットルレバーを握る左手が汗ばみ、わずかに震えていることに気付く。ロックオンアラート、また正面から突進してくる敵機。

 その姿を肉眼で捕らえた瞬間、確かに感じた。敵機が纏う、そこに在るはずの無い「何か」を…。それは薄らぼんやりと靄のようで不確かな…それでいてはっきり認識出来る存在感があり、二人の少女のように見えた。その鋭い眼光が私を射抜く。


「他人の覚悟や積み上げた努力、背負ってきたもんを勝手に値踏みしてんじゃねぇ! そのどれもが掛け替えの無いもので、尊いものであることを…てめぇ如きに否定されてたまるか!!」


 ハッと我に返った時には既に攻撃のタイミングを逸していた。敵の撃った弾丸が既に死んでいる右エンジンのエアインテーク付近に突き刺さり、下部カナード翼を吹き飛ばす。ディスプレイにはこれ以上の戦闘は危険だと告げる警告が明滅していた。この私が…気圧されたと言うのか? スロットルレバーと操縦桿を握り直す。


「…認めんぞ、唯一つの願いのためにすべてを捧げてきた私が敗れるはずが無い。ファリエル様の聖堂騎士である私が、ファリエル様のための戦で敗れるなど許されぬ。私は最強だ! 最強を義務付けられた、ファリエル様を御守りするためだけに存在する一振りの刃…貴様が何者であろうと、私に打倒出来ぬ道理は無い!」




 ディーシェント・メルグの言葉は…私の胸に突き刺さった。運命を切り拓くには努力とか滅私の精神が必要で、払ってきた犠牲の果てに拓かれる道の先にこそ自分の目指す未来がある。なんだかその姿勢が、ファルちゃんのそれと重なる。

 ファルちゃんもそうだ。フィー君に振り向いて欲しくて、自分を見て欲しい、自分を必要として欲しい…そう思えばこそ自分の時間を削ってでもフィー君の補佐に徹し、常にフィー君のことを考えて積極的に行動することを自らに課してきた。

 その思いの強さ、行動力、犠牲を厭わない覚悟…思い返してみても私なんかよりきっとずっと努力してきたと思う。ファルちゃんから見れば、私なんか何もしてこなかったに等しいんだろう。でも…。


『運命とか未来とか言われるものは、逆境と逆風の中で尚諦めず伸ばし続けた自分の手で掴み取るもんだ!』


 目指す未来なら、私にだってある。そしてそれに対する願いも思いも、誰にも負けないって思う。


「ねぇ、フィー君」


 呼びかけると戦闘中ということもあって面倒くさそうに「なんだ!?」と荒々しく返される。


「私もまだ、夢を追いかけられる…かな?」


「はぁ? こんな状況で何を…いや、お前に夢があるんなら追いかければいいだろう。生きてる限り、スタート切るのに躊躇う必要なんか無い!」


 力強く、そう言い切る。うん、フィー君ならそう言ってくれると…根拠は無いけど、なんとなくそうじゃないかって思ってた。前回倒れた時からずっと引っ掛かってた胸の中の何かが取れたような、清々しい気持ちになる。


「えへへ、そうだよね! フィー君、私も戦う。コントロールを借りるよ、I have control!!」


「な、おま、何しやが…うぉおっ!?」


 ゼルエルは元々空軍仕様に作られた機体、後席にも操縦桿とスロットルレバーが備え付けられている。前方の視界は前席に遮られていて確保出来ないが、それでも縦横無尽に駆け回る敵機が正面にいる時間の方が短いし、正面だけならガンカメラの映像で確認出来る。先程から機体コンディションを見ていて、損傷している現状でも急制動に耐える強度は保てていると感じていた。

 手元のコンソールを操作してエンジンのリミッターを強制解除、前席よりわずかだけど重心に近い後席の方がGの影響を受けにくく、加えて小柄な私の方が心臓と脳の距離が短い分レッドアウト・ブラックアウトのリスクが低い。私は愛機の限界性能を引き出してアトラクナクアを追う。


「たったひとつの願いを叶えるために他のすべてを犠牲にすることも厭わない覚悟は立派だけど…あんたみたいに善意の押し売りみたいなやり方しか出来ない人を私は認めない!」


 さっきからこのパイロットは口を開けば「ファリエル様」、「ファリエル様」と繰り返す。それだけ大切な人なんだろう、それこそすべてを捧げてきたって言うのもあながち間違いじゃ無いんだろうけど…だからなんなんだ。それは本当に相手が望んだことなの? それはもしかしたら独善かも知れない。独り善がりな行動を積み重ね、それを努力だ、犠牲だ、対価だなんて声高に訴えたところで、その価値は誰が決めるの?

 アトラクナクアの動きを先読みし、操縦桿をあっちこっちに動かしながらせわしなくフットペダルを操作する。


「私にだって大切な人がいて、護りたい人がいる…」


 傍にいたくて、待ち続けるのが嫌で、同じ苦しみを分かち合いたくて…私は軍に入った。任官してケルベロス隊に配属されたその日にブリーフィングルームで再会したフィー君には思い切り怒られたけど、それは私に戦場に来て欲しくないという彼の優しさからだと気付いていた。


「私にだって目指す未来があって、叶えたい夢がある…」


 心に決めた人と結ばれて、幸せな家庭を築きたい。ファルちゃんと同じ夢を持ち、同じ人を愛してる。今まで積み重ねてきた行動には差があるかも知れない。それでも…気持ちを比べるなんて出来ないけど、誰にも負けないって胸を張れるぐらい強く彼を想ってる。


「私たちが前を向いて歩いていくには、あんたが邪魔なの! とっくに夜も明けたよ、消えろ心の痕ナイトメア!!!」


 ついにアトラクナクアの背後を奪い、ロックオン。残っていたミサイルを次々に撃ち出す。直撃させようなんて最初から考えていない。回避されても自爆コードを入力して最接近点で遠隔起爆、無数の破片を浴びせてやる。


「……いいだろう、認めようヴァルキューレ。貴様等の覚悟を侮っていたようだ」


 漆黒の機体のあちこちから白い雲が引かれ、もはや飛んでいるのがやっとというような満身創痍っぷり。でもそれはこちらも似たようなものか…。片肺飛行でリミッターを解除したせいで右エンジンがオーバーロード寸前だし燃料消費も凄まじい。アトラクナクアが緩やかに弧を描き、こちらと同高度で機首をこちらに向けてくる。どうやら決着をつける気らしい。


「フィー君ありがと、コントロール返すね。あとごめん、燃料を使い過ぎた。さすがに向こうも息切れだろうけど、帰りを考えたら次が最後の攻撃になる。ミサイルも使い切っちゃったし…」


「ああ、でもその代わりあっちにも相当ダメージを与えられた。お前にコントロール奪われた時は焦ったが、やるじゃんか。上々の結果だろ」


 バルカン砲の残弾も100発を切っていて、これではトリガーを引いて一秒も経たないで空になってしまう。


「フィー君、クルビット用意しておいて。私に考えがある」


「クルビット? 女神の十八番でもやるのか?」


 回転しながらの銃撃…それでもいいかも知れないけど、弾薬が少ない今は無駄弾を使う余裕は無い。再びコンソールを操作して非常用プログラムを起動する。


「それは内緒ってことで…。敵機正面、来るよ! 最大加速、突っ走れ!」


「オーケー、行くぜ!」


 右エンジンが悲鳴にも近い咆哮を上げ、速度計がぐんぐんその数値を上げていく。レーダーの指向性を上げ、アトラクナクアとの距離と相対速度を正確に計測してタイミングを計る。失敗なんて絶対に許されない。今までの人生で一番集中力が高まっているような気もする。ロックオン警報、最後の補給を受けた時にフル装備しているならアトラクナクアはまだ一発ミサイルを残しているはず。


「クルビット…ナウ!」


 合図と共に急制動をかけ、機首が跳ね上がって体が下へと押し付けられる。ミサイルアラートが聞こえ、私は脳内で何度もシミュレートした完璧なタイミングでコマンド実行ボタンを押し込んだ。

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