第140話 決着

 私に考えがある。そう言った相棒の指示通りにクルビットを開始した直後、鳴り響くミサイルアラートとリアクティヴ・アーマーを切り離した時のような振動と音。何が起こったかを理解するよりも、損傷した機体で特殊機動中の姿勢制御に神経を研ぎ澄ませる。一瞬後、爆発音。ただしそれはミサイルの直撃を喰らったようなものではなかった。


「レディ・ガン…ファイア!」


 再び飛んできた背後からの指示。反射的にトリガーを引くと、回転中の機体が真下を向いたと同時に視界には黒い影が滑り込んできた。撃ち出された弾丸が吸い込まれるように命中していく。クルビットを終え、再度エンジン出力を上げて推進力を確保しながら旋回すると、アトラクナクアの背面に噴き出す炎が見えた。


「浅かったかな…」


「いや、残弾20…ありったけ撃ち込んでとどめを刺す!」


 家族の、妹の仇だ。ここでオレの戦争にも終止符を打つ。もはや力なく降下していくアトラクナクアを追いかけ、バルカン砲の射程に捕らえようとしたところで後席の相棒から「避けてブレイク!」という叫びが聞こえた。反射的に機体をロールさせた直後、嫌な衝撃に機体が揺れる。右エンジンが損傷、どうやらバルカン砲の弾丸が数発掠ったらしい。損傷自体は軽微なものだが、さっきまでの限界機動も祟ってか出力が安定しない。


「ごめんなさいね、こんな人でも死なれちゃ困るのよ」


 ぞっと背筋に凍てつくような寒気を感じて後方を振り返る。そこには今の今まで完全に意識から消え失せていた真紅の機体がこちらに照準を定めて浮かんでいた。


「アトロポス…!」


「撃たずに帰ってくれるなら、私もこれ以上あなたたちを撃たないし誰にも撃たせないと誓うわ。これは全軍に徹底する。あなたたちの撤退をルシフェランザ軍は絶対に阻害しない。だから…こっちから先に手を出しておいてこんなこと言うのはかっこ悪いんだけど、ここは退いてちょうだい」


 完全にロックオンされ、逃げ場はない。既に武装はほぼ使い切り、機体もボロボロ…空中戦なんて不可能だ。選択肢は無いらしい。


「……オーライ、解ったよ」


「有難う、あなたたちとは落ち着いたら会って話してみたいわ。それとこの件は正式に謝罪するよう掛け合ってみる。本当に…ごめんなさい」


 アトロポスはそう言いながら緩やかに加速し、こちらと並走する。コクピットを見ればキャノピーの向こうでこちらに敬礼を送るパイロット、レイシャス・ウィンスレット。こちらも敬礼で返し、ティクスに右エンジンの調子を注視するよう指示を出しつつ操縦桿を動かすと、機首を東へと向けた。




 つい先程まで激戦が繰り広げられていたのが嘘のように静まり返った空を、私は空母アレクトの飛行甲板の上から見つめていた。作戦終了が言い渡され、海軍航空隊所属機は全機作戦開始前の元々の母艦に帰っていった。随分久々に感じるが、アレクトの格納庫にも残存するゼルエルが並んでその翼を休めている。

 沈没したフォルトゥナやロリヤックの艦載機は第三艦隊の空母三隻に分散して着艦したが、消耗が激しかったこともあって格納庫はいささかの寂しさを醸し出す。


「…隊長」


 今回の戦闘、終わってみればイージス艦七隻、護衛巡洋艦二十九隻、空母・軽空母各一隻が撃沈、更に軽空母一隻が中破。無傷な艦は一隻もいない。航空戦力や地上戦力の消耗など聞くのも嫌になるほどだ。どちらも半数以上がこの三十時間の中で消え失せた。基地湾内に強行突入したルー・ネレイスは第二・第三主砲が使用不能になった他、無数のミサイルを受けて文字通り満身創痍となったが、自走可能な状態で艦隊への合流を果たしている。不沈艦の異名は伊達では無いらしい。


「……帰って来ますよね?」


 生き残った大部分の戦闘機・攻撃機が帰投しても、ブリュンヒルデ1との交信は途絶したまま…。まだ戦っているのだろうか。残存艦艇の艦載ヘリを総動員して、燃料切れや損傷が激しく母艦へ辿り着けなかった機のパイロット捜索にあたっている。


「……」


 私はその場に座り込んで、自分の膝を抱えた。不安が私の目を伏せさせ、嫌な結果ばかりを想像してしまう。もしこのままあの人が帰ってこなかったら…。隊長の帰艦は信じて疑わない、疑いたくない。でも心が不安に勝てない。そんな時、甲板上のスピーカーを通じて無線の会話らしき声が聞こえた。


「お、おい! あれを見ろ!」


「大分損傷してはいるが…あれは、ヴァルキューレじゃないか!?」


 一瞬耳を疑った。立ち上がって目を凝らし、西の空を睨む。薄く空を覆う雲の向こう、太陽の光に照らされた機影が見えたような気がした。


「こちらHQ! 確認しろ、それはゼルエルなのか!?」


 オペレーターがやや興奮した声で言い、少し間を置いて相手が答えた。


「こちらカリテス! エンブレムを確認した。間違いない! ブリュンヒルデ1だ!」


「かなり損傷しているが、ちゃんと飛んでるぞ!」


「…こちらブリュンヒルデ1! アレクト、聞こえるか!?」


 隊長の声だ。その声に、先程まで胸に立ち込めていた不安が嘘のように消えていくのを感じていた。


「こちらアレクト! ああ、よく聞こえる! もう帰ってきていないのは君たちくらいなもので心配したぞ。早く帰ってきてくれ!」


「そうしたいのは山々なんだがな。左エンジンは完全に死んでるうえに右エンジンも半壊状態、右主翼もダメージを負って抵抗が重い。他もあちこち壊れて使い物にならん。意地でも辿り着いてみせるが、上手く着艦出来るか自信が無い。エンジンがこれじゃボルダーも出来そうに無い。バリケードを用意しておいてくれ!」


「了解だ、ブリュンヒルデ1! 準備万端で出迎えてやるから絶対に墜ちるんじゃないぞ!? 飛行甲板要員はただちに緊急着艦の用意をしろ! 最後のヴァルキューレがお帰りだ!」


 飛行甲板の上が慌ただしくなる。ボルダーとは着艦時に上手くアレスティングフックがワイヤーを掴めなかったり、もしくはワイヤーが切れてしまったりした時に急加速して再発艦、着艦をやり直すことだ。片肺飛行の…しかも生きてるエンジンでさえ半壊しているらしいブリュンヒルデ1にそれは出来ない。満身創痍の機体を操り、一度で着艦を成功させる必要がある。甲板では多少スピードがついていても無理矢理止められるように特殊なナイロンを幾重にも編み込んだ丈夫なネットが張られ、ブリュンヒルデ1の到着を待つ。


「見えた、あれじゃないか!?」


 甲板要員の一人が艦の後方を指差す。その方向を見ると機体のあちこちから細い白煙を吐き出し、ふらつきながら飛ぶゼルエルが見えた。


「隊長! ここです、こっちです!」


 そんなこと言わなくても向こうだってこっちを捕らえているのは解っているのに、体は勝手に動いていた。甲板上で両手を大きく振り続ける。


「ブリュンヒルデ1、コースはいいが速度が速い! 減速しろ!」


「無理言うな! こちとら壊れかけのエンジンで辛うじて飛んでるような状態なんだぞ!? 少しでも減速すれば確実に失速する! どうせ分の悪い賭けだ。このまま着艦する!」


「わ、解った! 甲板を空けろ、突っ込んでくるぞ!」


 ブリュンヒルデ1は通常よりも大分速い速度で着艦用甲板アングルドデッキに進入し、それでもどうにか二本目のアレスティングワイヤーにフックを掛けることに成功した。ワイヤーはフックが引っ掛かった瞬間、油圧によって50tもの力で機体を後ろへ牽引する。


「駄目だ、切れるぞ!」


 自重が30tもあるゼルエル、それに速度が加わった運動エネルギーの合計は作戦中幾度となく艦載機を受け止めてきたワイヤーの限界を超えていたらしく、ブリュンヒルデ1を完全に止めることは出来なかった。しかしかなり減速させることは出来ていたため、ナイロンバリケードネットに機首を突き刺してブリュンヒルデ1は停止した。

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