第106話 慟哭

 グリーダース地方への攻撃前に補給艦と合流してた時だから、かれこれ二週間以上前の話か…。格納庫近くの通路で倒れていたティクスをイーグレットが見つけ、医務室に連れて行ってくれたんだったな。


「血の気の引いた顔で倒れてたから心配したけど、何かの病気ってわけじゃないってメディックは言ってたよ」


「…ああ、まぁこうなった原因についてはおおよその見当はついてる。すまなかったな、苦労をかけた」


「このくらいお安い御用さ。…さて、じゃあ大尉のことは隊長にお願いしてもいいかな?」


 ベッドの傍らから身を引くイーグレットに「ああ」と短く肯定の意を伝えると、時折見せる笑顔なんだか憂い顔なんだかよく解らない表情をして医務室から出て行った。その背中を見送って、もう一度ベッドの上に眠るティクスへ視線を戻す。確かに顔色が悪い。悪夢でも見ているのか、さっきから時折うなされている。


「ここんとこ、落ち着いてたはずなんだが…」


 相変わらず常人と比べて睡眠時間は不規則なうえ長めだが、それでも自発的な仮眠時はこんな辛そうな顔はしない。こんな状態の彼女を見たのはいつ以来だろうか。初陣から帰ってきた時だったか? あの時もかなり辛そうだったな。それ以降も度々あった気がするが…。ふと、かつて妹にしてやっていたようにそっと彼女の頭を撫でてやる。


「……んぅ」


 小さく呻いた後、うっすらと瞼が開いた。


「あ、起こしちまったか?」


「…フィー、くん」


 眩しそうに細めた瞼の奥で瞳が左右へ動いたかと思えば、すぐオレを見つけて止まった。その声も弱々しく、普段のこいつらしくない。


「落ち着いたらでいいから、イーグレットに礼を言っとけよ? 通路で寝てたお前をここまで運んで来てくれたんだからな」


「…通路で? ……ああ、そっか。私、また…」


 そう呟きながらまた視線を左右へ走らせ、ここが医務室であることを認識したようだ。左手を額に当て、顔の上半分を隠す。


「痛むのか?」


「ううん、そういうんじゃない…」


 いつもの元気が無いのは寝起きだから、というわけではなさそうだ。


「そっか、ならいい。大分辛そうだったからな」


 …返事が無い。しばらく待ってみても耐え難いくらいに重たい空気が体に纏わりついてくるだけで、どうしたものかと考えているとティクスがか細い声でオレを呼んだ。


「なんだ? 水でももらってくるか?」


「フィー君はさ、私のこと…どう思ってる?」


 ただでさえ重たかった空気に、今度は張り詰めた緊張感が加わった。なんだこりゃ、許されるなら今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。しかし体中に纏わりついた空気がまるで質量を得たみたいにオレをこの場に留まらせようと押さえつけているらしい。


「なんだよ、改まってそんなこと。しかも、どう…ってどういう意味だ? 漠然とし過ぎてて、答えようが無い」


「思ってること、そのまま言葉にしてくれればいいよ。別に短くまとめて、とかでなくていいから…」


 さて困った。常日頃一緒に生活してる幼馴染をどう表現したものか。「思いをそのまま言葉にする」とこいつは簡単に言ってくれたが、普段意識していない…言わば深層心理的なものを言葉にしろと言っている。それがどんだけ難しいか…。少なくともオレは苦手な分野だ。どういう言い回しでどう表現したものかと頭を抱えていると、ティクスが唐突に口を開いた。


「私にとってのフィー君は…『私』なの」


 幼馴染の紡ぎ出した言葉の意味が解らず、「は?」と間の抜けた声が口から零れ出た。


「初めて会った頃のこと、憶えてる? 私がまだ五歳で、フィー君が七歳だった…」


「憶えちゃいるが…あんまし昔のことを思い出そうとするな。また頭痛くなるぞ」


 いいから休んでろ、と言おうとしてもティクスは話を続けようとする。


「あの頃…フィー君ともまだ仲良くなる前は、毎日がつまらなくて、不安で、ずっとお母さんに買ってもらったぬいぐるみと部屋の中で遊んだりしてて…そこだけが、私にとっての『世界』だったの」


「…『世界』」


「そう、『世界』。一歩外に出てしまえば、家族でも無い、信用していいのか解らない人たちで溢れてて…。何を考えてるのか解らない人たち…その中に飛び込んでいく勇気は、あの頃の私には無かった。…でもね、そんな風に自分自身が作った籠から私を引っ張り出してくれたのがフィー君なんだよ」


 確かに会って間もない頃のこいつはどこへ行くにもぬいぐるみを抱えて、あまり他人と接することが得意じゃなかった。隣の家に引っ越してきたからって、半ば強制的に仲良くするように親から言われた時には正直「面倒くせぇ」と思ったんだったな。


「ウェルトゥと一緒になって散々連れまわしたからな。人混みの中でパニクって泣き出した時にゃどうしたもんかと思ったもんだ」


「そんなこともあったね…。だけどそれのおかげで…フィー君とウェルトゥちゃんのおかげで私も変われたって思うの。三人でいろんなとこに行って、いろんな経験をして…いっぱい泣いて、いっぱい笑って、そしたらいつの間にか他人と接することに抵抗が無くなってた。知らないからって臆病になることなんて無いんだって、知らなければ知ろうとすればいいんだって…解ったから」


 心に大きな傷を背負っているこいつにとってウェルトゥや既に死んだ人間に関わる話題は極力避けた方がいいんだが、今のところ発作も起きないみたいだし喋りたいなら喋らせてみようか…。


「それで…その思い出話がどう発展して『オレがお前』って答えに辿り着くんだ?」


「うん、それなんだけど…そのことに気付いたのは、意外と最近なんだ。戦争が始まって、家族が…みんな死んじゃって、それから…うぐぅ!」


 ティクスが短い呻きと同時に両手で頭を抱え、苦しみ出す。あ~もうくそ、ちょっと油断したら早速かよ!


「お、おい! 大丈夫か? もうこの話は止そう、話したいってんならまた今度付き合って…」


 衛生兵を呼ぼうとベッドから離れようとしたら腕を掴まれて引き戻された。乱れた呼吸でおそらく脳裏に浮かんでいるであろう悪夢のようなあの日の記憶に苦しみながらも、オレの腕を掴む力は驚くほど強かった。


「病院のベッドに寝かされて、戦場へ行こうとするフィー君を…引き留めることが、出来なかったあの日から…無力で、何をしようにも臆病で、誰も信じようとしない『あの頃の私』が、戻ってこようとするの。真っ暗で、抗おうとする気さえ飲み込む黒い何かが…口を開けてる!!」


 大声で泣き叫ぶティクスの瞳は、まるで死人のそれのように深い闇に包まれているようで…視線が合った瞬間ぞっと悪寒が走った。


「大丈夫ですか!?」


 声に気付いた衛生兵が駆け寄ってきてティクスを宥めようと肩に手を伸ばすが、彼女はその手を払いのける。


「私はもう『あの頃の私』じゃない! 私はフィー君の『ティクス』なの!!!」


 悪霊に憑りつかれたみたいにバタバタとベッドの上で暴れ出し、同じく医務室にいた連中からの視線が痛い。衛生兵がそれを察してか、各ベッドを区切るためのカーテンを引いて外からの視線を遮ってくれた。


「私が…私が『ティクス』でいるためには、フィー君がいてくれなきゃダメなの! フィー君がいるから、私は『ティクス』でいられるの!!」


「ティクス、落ち着け!」


 バタつかせる手足を避けながら彼女の両肩を掴むとベッドに押し付け、衛生兵に足を押さえるよう指示する。


「嫌、フィー君を連れて行かないで! 私を壊さないで!! 私を『ティクス』でいさせてぇっ!!!」


「ティクス!!!」


 医務室中に響かせるような大声で相棒の名を呼びながら、右手で彼女の後頭部を掴んで抱き寄せる。


「大丈夫だ、オレはここにいる。お前を壊すような奴もいない。だから、大丈夫だ。安心しろ」


「うぅうぅぅうう…! うぅぅうぅう…、うぅ…。フィー、く…」


 ティクスは呻きながら少し体をバタつかせた後、再び意識を失ったらしく全身から力が抜けた。抱き寄せた相棒の上半身をベッドの上に寝かせ、こっちも盛大に脱力する。


「はぁ、やれやれだぜ…」


「大尉が以前入院されていた本国の病院から資料はもらっていましたが、これほどとは。普段はあんなに…」


 結局またひどい顔で苦しそうに眠るティクスを見つめて、衛生兵がぼそっと呟く。


「ああ、普段はなんとも無いんだがな…。すまん、こいつが起きたら『オレは部屋にいる』って伝えてくれ」


「了解しました」


 ふらふらと医務室を後にし、自室へと戻った。夜になってティクスはオレの部屋に来るなり土下座しそうな勢いで平謝りしてたが、その謝罪の言葉はオレではなく運悪くあの場に居合わせた連中にこそ向けるべきだろう。


「本当にごめん、私…」


「だからもういいって、気にすんな。あまり引き摺ると今後の作戦に支障をきたす。グリーダース戦は陽動だが基地ひとつ落とそうってんだ、不安材料はなるべく消しとけよ?」


 そうは言ってみたものの、そんな短時間でどうこう出来るのなら苦労しないってことはオレも理解していた。ティクスは頷いて部屋を出て行ったが、案の定その後の戦闘では周囲への反応が遅れてファルの援護に頼るシーンが増えた。

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