第99話 ドッグファイト
隊長がアトロポスとのドッグファイトに突入したのを横目に見ながら、私は目の前のラケシスと連続して大G旋回を繰り返し、なんとか相手の後方に回り込めないものかと操縦桿を動かしていた。
「へぇ、いい機体じゃないか。パッと見じゃ前とそう変わんないのかと思ったけど、このあたしが追い付けないなんて…ね!」
ということは、それが現時点でのラケシスの最小旋回半径か。オルトリンデのコンピュータは敵の機動から性能を細かくメモリーしていく。大G旋回を繰り返しながらでも決して音をあげることの無い数多のセンサーは以前バンシー隊が取得したハッツティオールシューネのデータを基にどこが改善されたかをひとつひとつ暴いていく。
「システムリンク構築、ファイアーウォールキャンセラー起動、オンライン接続を確認、データ転送開始…」
右手で操縦桿を操作しつつ左手をスロットルから離してキーボードを操る。これでラケシスのシステム周り、機体構造、詳細な性能はもちろんデータと呼べるデータはすべて採取出来る。もう少し…。私は自動でリンクを構築して情報収集をするプログラムを起動して、キーボードは膝の上に乗せたまま左手をスロットルに戻す。
「ちぃ! まだ捕まえられないのか、ハッツティオールシューネがこんなにのろく感じるなんて!」
それまで一方向への旋回を繰り返していたのを、急に切り返して右旋回に切り替える。だがこの程度で振り切れるようなパイロットじゃない。私の目的はあの機体の情報収集とデータ解析、撃墜ではない。
「ちょろちょろちょろちょろ! うざったいんだよ!」
随分と感情的なパイロットだ。以前…そう、チサトを殺した時もそうだった。胸にふつふつと湧き上がる激情を、私は懸命に押し殺して操縦桿に意識を集中する。ラケシスは後方をずっとついてくる。だがロックオンされるほどゼルエルも私も落ちぶれてはいない。ファイアーウォールに引っ掛かることも無いのでハッキングを悟られる心配も無い。現にラケシスのパイロットは気付いていないようだ。
「オルトリンデよりゲルヒルデ、私は大丈夫です。それよりもヴァルトラオテとシュヴェルトライテのカバーをお願いします」
「ん? いや、しかしそれでは隊長の指示と…」
「下へ降りた二機はクロートーを捕らえ切れていません。突破されることは無いと思いますが、万にひとつも地上の友軍をやらせるわけにはいきません。行ってください、私の組んだオリジナルツールを使えば、ラケシスとも互角に渡り合えるはずですから」
イーグレット中尉はしばらく沈黙した後で、「ECMの指向性を下げる。ラケシスへの妨害電波の効力は下がるけど、頑張ってね」と言い残して降下を始めた。
「畜生、ちゃんと追いなさいよ! このFCSバグってんじゃないの!?」
あら、ご明察。ハッキングと同時に私が自分で組んだ簡単なウィルスも同時に送るようにしておいたので、普段より若干ミサイルシーカーの追尾感度が悪いはず。加えてゲルヒルデのECMも影響しているだろう。電子音が私を呼び、ディスプレイをちらと見るとラケシスのデータ取得が完了したことを知らせている。今はクロートー、アトロポスのデータ採取を行っている。
「さて、もうひと頑張りですか…。きゃ!」
ミサイル攻撃を諦めたラケシスはGUNモードに切り替えた。それをシステムリンクのおかげでいち早く知ることが出来、敵機の射撃を待たずして回避へ移行することが出来た。それでも翼のすぐ先を弾丸が通過していった。FCSへのウィルスはガンサイトにも若干影響を及ぼすはず。今の銃撃が翼を掠めたのは多分まぐれ…もしくはパイロットの感性か。とにかく採取した情報を無傷で持ち帰る…今はそれに徹しよう。
さすがは運命の三女神、三女とはいえゼルエル二機で仕掛けても捕らえ切れない。辛うじて地上の友軍に近づかせないという最低限のことは出来ているが、これでは埒が明かない。
「シュヴェルトライテ! 私が援護する、仕掛けて!」
「あいよ!」
私はとにかく敵の横から前方やや下へ弾丸を撃ちこんで降下させないようにし続ける。クロートーが地上攻撃担当だということは既に知っている。あのウェポンベイには爆弾が収められているのだろう。
「嗚呼、フィリル様に追いかけられるのなら気分も高まるというものですのに…お姉さまの方へ行かれるなんて」
このパイロットには調子が狂わされる。なんなのだろう、このおちょくられたような気分は! しかもこちらの攻撃はことごとく回避されるのでますます腹が立つ。
「シュヴァルトライテ、何やってるの!?」
「んなこと言ったってこいつ、回避機動が掴みづらいんだよ!」
「ふふ、女とは藤花の如く優美でしなやかであるべきと教わりませんでした?」
一々癇に障る! このどこか間の抜けたような声、嫌に丁寧な口調、そしてひとつひとつの言葉が私に向けられているようで被害妄想と言われればそれまでかも知れなくても無性に腹立たしい!
「…~っ! シュヴェルトライテ! 全力でクロートーを叩き落すわよ、ついてらっしゃい!」
「お、おう…」
「もう少し冷静になりなよ、君らしくもない」
突然耳元で声がする。イーグレットか。
「ゲルヒルデ!? あんた、オルトリンデの援護についてたんじゃ…」
「彼女なら大丈夫そうだ。機動に迷いも無いし、ラケシスに引けを取らない。それより今は激昂してる君の方が危なっかしいよ。クロートーに爆弾を吐き出させるわけにはいかない」
アフターバーナーを輝かせながら最大加速でクロートーへ喰って掛かるゲルヒルデ。それ以上高度を下げるなと言わんばかりに、クロートーの腹を掠めるように弾丸を撃ち込んでいく。ひとつ深呼吸をして気持ちを切り替える。確かに、少し熱くなり過ぎた。落ち着け、私…。
「そうね。行くわよ、シュヴァルトライテ!」
「何度も同じこと言わせんな、行こうぜ相棒!」
隊長とシルヴィは女神の長女と次女に一騎打ちで戦っているのだ。私たちが早くクロートーを片付けて、地上の兵たちと隊長たちを安心させてあげなくてはならない。電子戦闘機も加わったし、撃墜は出来ずとも戦闘不能にして後退させるぐらいにはしてみせる。
二機の戦闘機が描く機動はさながらメビウスの輪のような形で、真正面から飛んでくる弾丸を紙一重で回避してすれ違う…それを交互に繰り返していた。
「埒が明かないわね、それなら…!」
数えて六度目の交差時、こちらとすれ違った途端クルビットと呼ばれる特殊機動を始めるアトロポス。更にその途中でひねり回転を加え、失速しながら機首の向きを変えたかと思うと再加速して背後に迫ってきた。
「後ろを取られた、ブレイク用意!」
「まったく、相変わらず無茶苦茶な機動を見せ付けてくれるぜ…」
本当にあれにもオレらと同じ人間が乗ってるのか疑いたくなってくる。相手はあのアトロポスだ、後ろを取られて振り切れる自信なんか微塵も無い。だが限界飛行を続けてきたのはこっちだけじゃないはず。向こうだって少なからず疲れても来ているだろう。
「さぁてと、ぎりぎりの鬼ごっこと行こうかね。ティクス、アトロポスから目を離すな。距離を詰めるぞ」
「ええ!? フィー君、どうい…った~い!!!」
操縦桿を思い切り手前に引いて急上昇した瞬間、思わず体がびくっと反応してしまうほどの絶叫がマイクを通して聴覚に突き刺さる。
「ひ、ひあ! ひあはんふぁ~っ!」
ああ、舌噛んだのね。後席で悶え苦しむ相棒の姿が確認せずとも容易に想像出来た。この役立たずが…。
「ち、肝心な時に…! アラクネ、アトロポスの射線に入らないようにナビゲートを頼む!」
すぐさまヘルメットのバイザーに投影されているHMDに<Copy.>と文字が明滅する。先程ゲルヒルデがカイラス・アトゥレイ組の援護に向かったし、クロートーは爆撃体勢をとれないように動きを止めておいてくれればそれでいい。横目でオルトリンデを見る。向こうもこっちと似たような状況らしいが、一方的に不利…というわけでも無さそうだ。現にラケシスはオルトリンデを捕らえ切れていない。放たれる弾丸は近くを掠めはしても、回避するファルに危なげな雰囲気は無い。
<ATROPOS is approaching. Check 6!>
アラクネが後方のアトロポスを警戒せよと警告を発する。よし、そろそろか。オレは操縦桿をきり、機体に急旋回を命じた。
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