第100話 切っ先よ、届け
コクピットに電子音が鳴り、ディスプレイを見ると私がラケシスを経由して三女神全機に送り込んだプログラムがすべてのデータを採り終えたことを教えてくれた。構築していたシステムリンクを遮断、キーボードを膝の上から片付ける。
「まったく、新型に乗り換えても逃げの一手かい!? 随分なチキン野郎だね!」
「……『野郎』とは本来男性にのみ適用される言葉ですよ?」
「今度は揚げ足取り? 嫌味な奴、あたしの一番嫌いなタイプさね!」
攻撃パターンが段々読めてきた。リンクを繋いでいない今でも余裕で避けられる。
「それは奇遇ですね。私もあなたが大嫌いです。あなたに私は…大切な親友を殺されたのですから!」
急加速から急減速をかけてラケシスにこちらを追い抜かせようとしたが、上手くいかない。しかももう少しで被弾しそうになった。
「親友? ああ! もしかしてあんた、あの時あたしの邪魔をしやがった奴とは友達なのか。てこたぁあの時は友達に庇ってもらっちゃったってことかい!? あははは、あいつも浮かばれないねぇ。せっかく代わりにおっ死んだのに、それも今日ここで無駄になるんだ!」
射撃の精度が上がってきている? どうやらもうFCSなんてあてにせず、自分の感覚だけで撃ってるのかも知れない。すごい感性…。でも、負けられない。チサトのためにも…。
「そんなことさせるかよ!」
「…まさか!? ラケシス、隊長機がそっちへ向かうわ。注意して!」
ちょっと驚きながら反射的に左舷下方を見ると、隊長のゼルエルがこちらに向かって上昇してきている。私が情報収集の時間稼ぎのために逃げていたのと同様、隊長もただ逃げ回っていたわけではなかった。
「な、姉さんが抜かれたっての!?」
「抜かれたわけじゃない。闇雲に逃げ回ってたんじゃなかった、最初からこれを狙って…?」
ブリュンヒルデのウェポンベイから二発のミサイルが切り離される。
「ちぃ! けどそんなもん、このあたしに当たるわけないでしょ!」
ラケシスは急加速と急旋回で攻撃ポジションを放棄、回避機動へと移行した。私はすぐさまスロットルレバーを押し込みラケシスの後を追う。ブリュンヒルデのミサイルが距離にして十数m、文字通り目と鼻の先を通過していったが、隊長だって私が追撃することくらい予測して近接信管を切って発射している。ミサイルシーカーオープン、敵機ロックオン。
「…あなたには、負けられないんです!」
機体中央のウェポンベイからミサイルが二発放出され、前方のラケシスに向けて飛んでいく。一発目は僅かに逸れたが、二発目は辛うじて右主翼を捕らえた。
「きゃああぁあああぁぁあああっ!!!」
「ミレット!」
「お姉さま!?」
右主翼の三分の一ほどを失ったラケシスはバランスを失い、きりもみ状態で高度を落としていく。
「ラケシス、主翼の端を飛ばされただけよ! 炎は見えない、機体を立て直しなさい。高度はあるわ、あなたなら出来るわね!?」
「ち、畜生!」
驚いた。被弾の衝撃できりもみ状態に陥ったというのに、片方の主翼にダメージがある中でバランスを立て直してみせた。せっかくここまで追い詰めたのに、チサトの仇を討てないまま終わるの? そう思っていた丁度その時、左前方を一機のゼルエルが通過していく。
「何をやっている、オルトリンデ! 援護してやる、とどめを刺せ!」
「隊長…?」
普段なら「功を焦ることは無い。深追いしてやられたら元も子もない」とか言いそうだと思っていたのに…。でも、隊長がそう言うのなら!
「オルトリンデ、了解!」
私はアフターバーナーを点火してラケシス追撃に向かう。片翼を失ったラケシスはふらつきながら一応飛んでいるけど、持ち前の化け物じみた機動性は失われている。追いつくのは容易かった。
「クロートー! ラケシスの後退を援護しなさい!」
「ダメです、こちらも三機に囲まれて…援護は間に合いませんわ!」
「くっ、なら私だけでも…」
「行かせねぇよ!」
後方に転位したアトロポスに、更に後方からブリュンヒルデが攻撃を加える。私は安心して目の前の敵を追う。敵機捕捉、ミサイルシーカーが再び敵機を囲む。ロックオン。ミサイルは残弾一、だけど今の敵機に回避出来るだけの機動力は無い。それに…もう、迷いも無い。
「畜生、なんであたしが…!」
「オルトリンデ、フォックス2!」
ウェポンベイから最後のミサイルが放たれ、よろめきながらも飛行を続けるラケシスへと迫る。
「脱出しなさい!」
「仕方ない、か。くそ! ラケシス、脱出する!」
ミサイルが命中する直前、ハッツティオールシューネのキャノピーが吹き飛び、イジェクションシートがパイロットを機外へ弾き出す。ラケシスのエンジンにミサイルが突き刺さった直後、機体は爆発して空中に四散した。
「Good Kill, Ortlinde!! ブリュンヒルデより全機、オルトリンデが三女神の次女を撃墜した! あともう一息だ、制空権を奪うぞ!」
隊長のその言葉が、空を翔る友軍機パイロットだけでなく地上で戦うすべてのフォーリアンロザリオ軍兵士の士気をも爆発的に高めた。無線が友軍兵士の歓声で溢れかえる。
「オルトリンデ、ついにやったな」
視線を横にスライドさせるとブリュンヒルデがこちらと平行に飛んでいた。キャノピーの向こう側に隊長がヘルメットのバイザーを上げて私に手を振っている。
「あ、他の二機は…?」
「あそこにいるよ。十時方向」
言われた方向を見ると、地上に広がる森の緑…その上を二つの真紅が白く細い雲を引きながら北へと後退していった。その後ろをルシフェランザの複座型VTOL戦闘機、レッドコームが一機一目散に戦闘空域外へ飛んでいく。
「追わなくては!」
「残念だが、さっきの戦闘でこっちはあれを追いかけて戦闘出来るほど燃料が残ってない。そっちも似たようなもんじゃないか?」
ハッとして燃料計に目をやる。既にCAUTIONランプが点滅していた。
「一度帰艦しよう。ミサイルも使い果たしたし、補給が必要だ。ブリュンヒルデよりヴァルキューレ各機、とりあえずは落ち着いた。全機一度帰投し、補給しておく」
「「「了解」」」
みんなと合流して母艦への帰投コースに機首を向ける。私はその途中で、胸ポケットに手を重ねた。
仇は討ちましたよ、チサト。おそらくあのレッドコームはラケシスのパイロットを乗せて後退したのでしょうし、ハッツティオールシューネにも予備機はあるでしょう。でも…。私は心が誇らしい気持ちで満ちていくのを感じ、この歓びをくれた隊長に感謝した。
母艦が見えてきた頃、グラトーニア基地陥落の一報がアレクトに届く。運命の三女神が敗れるという事態は敵味方双方に多大な影響を与えた。ルシフェランザ側の制空権は彼女たちの撤退後間もなく完全に我が軍のものとなり、地上の各部隊も次々と防衛線を突破して基地内へと雪崩れ込んで一気に制圧したらしい。
グラトーニア陥落の三日後、追い討ちするかのように第二艦隊と陸軍第四降下兵団を主軸とする部隊がルストレチャリィを完全制圧。更に王国兵器廠が開発し、試作四機が完成したばかりの超高高度大型戦略爆撃機「エデン」の実戦投入試験の一環として、一発が小型戦闘機とほぼ同サイズの大型空対地クラスターミサイル「グングニル」を装備してルシフェランザ北東地域防衛の要、ヴラトフへの攻撃を敢行。
ゼルエルの四倍近くある巨体に三発までしか搭載出来ない巨大なミサイルは空中で無数の対地ミサイルを分離し、地上へと降り注いだ。成層圏ぎりぎりを飛行するエデンに対し、ルシフェランザ軍には高高度迎撃用地対空ミサイル「ドゥルジ」以外に有効な迎撃手段を持たなかった。ヴラトフ基地にもこのミサイルは配備されていたが、機体各所にチャフとフレア、更には近接防御用バルカン砲まで装備したエデンに命中させることは叶わず、辺り一帯は焼け野原となり、駐留していた迎撃部隊や地上構造物のほぼすべてを破壊し尽くした。
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