第82話 空への帰還

 事前に許可は出ていたのか、整備兵たちは私たちの新しい愛機に群がると同時に燃料の給油やエンジンの調子や最低限の武装をハードポイントに取り付けたりの作業に入ってくれた。エンジンユニット脇に増槽を一個ずつ、ウェポンベイにヨハネ二発とルカ二発を搭載した状態でコクピットへのラダーを登る。

 当然ながらゼルエルのコクピットに座るのは初めてだ。計器のレイアウトはミカエルとほとんど変わらない。試作機だった時はミカエル以上に複雑な計器が並んでたけど、これならそれほど混乱せずに済みそう。整備兵から簡単なレクチャーを受けていても、そんなに疑問符が並ぶことも無くすんなりインプット出来た。海軍機の後席にはあまり見かけない操縦桿とスロットルレバーがあるのは、開発時は空軍機だった名残なんだろう。情報収集ユニットも独立したユニットへと変更されており、いざという時には分離出来る仕組みになっているらしい。

 準備が整い、整備兵が機体から離れたことを確認してからフィー君がエンジンを始動させる。機体がゆっくり前進し始めると自動で油圧調整が働いてキャノピーが閉まる。


「この新型ヘルメット、機能が追加された割には軽いね」


「部品のほとんどがカーボン繊維だしな。しかし…HUD無くして最新型のHMDヘルメット装着型ディスプレイか、便利なのは解るが慣れるまでは目が疲れそうだ」

 従来のHUDは計器に視線を落とすことなく高度や速度などの最低限必要な情報を確認出来るシステムとして普及したが、その究極の姿がHMDと呼ばれるヘルメットのバイザーに情報を投影するシステムだ。二基のイルミネーターから投影される情報はそれまでHUDに表示させていたものと同じだが、上下左右に首を動かしても常に情報を確認出来る。この機能と進化した新型レーダーを併用すれば、例えば自機前方ではなく真横の敵機にもロックオンが可能だ。無論そんなポジションから攻撃してもミサイルのホーミング性能が追いつかないので現実的ではないが、敵機から視線を外さない限りロックオン状態を維持したままでの空中格闘戦が可能で、敵機を自機の前方に捕らえてからロックオンするといった手間が省略出来る。


「ブリュンヒルデ、こちらパルスクートコントロール。滑走路進入を許可する。現在気圧、風向き、離陸進路に問題は無い。進入後はそのまま滑走を開始、離陸して貴官らの任務を遂行せよ」


「ブリュンヒルデ、了解。さて、久々の空だな。テイクオフ、アフターバーナー!」


 滑走路上に出てフィー君がスロットルレバーを最前位置まで押し出した途端、体がシートに押し付けられる。物凄い勢いで景色が後方へと流れ、ガタガタ揺れながら滑走路を駆け抜けていく。やがてふわっと機体が地面を離れたかと思うと、ギアを格納して60度ぐらいの急角度で一気に高度を上げていく。


「パルスクートコントロールよりブリュンヒルデ、貴機の爆音で周辺住民から殺到するだろう苦情にはこちらで対応する。既に第三艦隊は洋上にて作戦行動中だ、現在地は秘匿されているが、機体性能を活かして合流を果たせ。幸運を祈る。オーバー」


「サンクス、パルスクートコントロール」


 空に浮かぶ雲を突き抜け、視界の右端に投影されている高度計の数字がどんどん増えていってあっという間に2万フィートまで上昇してから機体を水平に戻す。これがゼルエルのために開発された新型エンジンの性能…。過去にifを求めてもしょうがないけど…これがエンヴィオーネに間に合っていれば、とふと考えてしまう。


「ば、バケモンだな。なんだよ、この加速性…」


「びっくりだよね、ハッツティオールシューネを撃墜するための機体ってのは伊達じゃないね」


 それにしても合流したい第三艦隊は既に作戦行動中なら、軍令部さえ正確な現在位置は知らないはずだ。もちろん私たちも知らされていないし、どこに向かっているのか…どういう作戦に参加しているのかすら不明ときたもんだ。そんな私たちはどこへ向かえばいいのか、とそう考えているとロックオンアラートに似た電子音がコクピットに響く。


「なんだ?」


「解んない…あ、ちょっと待って」


 目の前に並ぶ表示装置の中で一番でかい中央の多目的ディスプレイの表示が切り替わる。八つの赤い点が浮かび上がったかと思えば、中央に「A.R.A.C.H.N.E-System ONLINE」と表示される。アラクネ? ああ、赤い点は蜘蛛の眼を表しているのか。


「アラクネシステム? こいつが例の戦闘補助AIってヤツか?」


「あ、そっちにも表示されてる?」


 起動画面が消えた途端「I found it.」と文字が明滅する。見つけた…って、何をだろう? そしてふと視界の左下に投影されているレーダー画面に変化があることに気付く。北西に向かって一直線にラインが引かれている。


「レーダーを見て。これってもしかして、第三艦隊の位置を示してるのかな?」


「そんなまさか…」


 半信半疑のままでいると、更に表示が切り替わって「Come on, I will guide you to 3rd fleet.」と急かしてきた。


「他にアテがあるわけじゃないんだし、騙されたと思ってこの線を辿ってみない?」


「そうだな、燃料は豊富にある。増槽二個抱えててもマッハ2強出せるらしいし、合流までにこいつの性能をあらかた体感させてもらおうぜ」


 嬉しそうな弾んだ声に反論する気も失せた。まったく、変わらないんだから…。機体はやや右へ旋回した後、再びアフターバーナー全開で空を疾走する。




 空軍と陸軍が南方より攻撃している中、陽動としてルシフェランザ軍北方の拠点であるルストレチャリィ基地攻撃のために北の海を目指す第三艦隊。南方戦線は敵から奪ったエンヴィオーネを拠点に侵攻作戦を繰り返しているが、一進一退の膠着状態が続いている。国民の支持を取り付けるためにも戦果が欲しい軍令部の判断で決定した作戦だが、果たして本当に北が手薄なのかは根拠が曖昧で不安要素は拭い切れない。

 空母三隻にイージス艦四隻、護衛巡洋艦八隻から成る第三艦隊に白羽の矢が立ったのは第二艦隊が空母ノルニルを失ったために一度に運用可能な航空戦力に不安が残ったこと、空軍を寄越すには空中給油機を複数機配置する必要などからリスクが高過ぎるといった消去法によるものだった。

 その代わりに艦載機はすべて最新鋭のローレライとセイレーンⅡで構成されたが、それすら新型の実戦テストという側面を持っていることは誰が見ても明らかだった。南方戦線でも順次実戦投入が進められ、配備した前線からも特別文句も出ていない傑作機とのことでパイロットたちの士気は上がっているが…。

 艦隊進行方向に対して十二時・三時・六時・九時方向にイージス艦、その間に護衛巡洋艦を二隻ずつ配置した円の中心に三隻の空母が浮かぶ円型防御陣形で海を進んでいると、後方を警戒していたイージス艦からデータリンクで情報が飛んでくる。


「メルクリウスより入電、レーダーに感あり。距離800km、数一。すごい速さです、マッハ2.5で急速接近中」


「数一? 敵か?」


「IFF確認、友軍機です。FR‐163D、ゼルエル…ブリュンヒルデです」


 そうか、ようやくのお出ましか。海軍と空軍の新型航空戦力の基盤となったデータを持ち帰ったバンシー隊のトップエース、そしてこの艦に乗艦している部隊の欠けていた最後のピースが…。


「着艦を求めてきたら応じてやれ、彼らはこのアレクトの艦載部隊の隊長機だ。機体は格納庫に、パイロットは航海ブリッジに通してくれ。准尉、彼らの案内を頼む」


「はっ、お任せください」


 敬礼する下士官に返礼し、CDC戦闘指揮センターを出て上へと続く階段を上る。航海ブリッジはCDCと違い、戦闘用の大型ディスプレイやコンソールの代わりに強化ガラスの窓と艦を操舵するための設備が所狭しと並べられている。暗いCDCからここに来ると急に差し込む陽光に視界がホワイトアウトするが、ここにある椅子に腰掛けている時が一番「海に生きる者」という気分になれるので気に入っている。窓ガラスを区切る格子の向こう、青く広がる大海の更に向こうには地獄のような戦場がある。…次港へ帰る時には、何人連れて帰れるだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る