第67話 運命の輪
眼前に広がる炎…だがそれが私の身を焼くことは無い。キャノピーの向こうを朱に染めているだけだ。
「どうして…」
ミサイルアラートは確かに鳴り響いていた。追われていたのは私、逃げ切れなかったのも私…。なのに、それなのに…。今自分の両目が映している光景に理解が追いつかない。何故ミサイルがこのゼルエルに届かずに爆発したのか…いや、その理由は理解しているのだ。ただそれを、認めたくないだけで…。
「ば、バンシー3…」
ティクス中尉の震えた声、それを聞いてようやく現実を受け止める。ミサイルが咲かせた炎から這い出ても尚全身を炎に包まれ、左主翼を根元から失ったミカエル…それがバンシー3、チサトの機体だと認識する。
「バンシー1よりバンシー3、その機体はもうダメだ。機体の放棄を許可する、ベイルアウトしろ! 脱出するんだ、チサト中尉!」
隊長の叫びが無線回線に響く。バンシー3は辛うじて空中分解を免れているが、主翼を失っては戦闘どころか飛行すら出来ない。そうなっては…ただ地上へ墜ちていくだけの鉄の棺桶だ。
「こ…こちらバンシー3。ダメです、被弾の衝撃でフレームが歪んで…電気系統にも断線が…キャノピーが飛びません!」
チサトの悲鳴に近い声が聞こえる。コクピット周辺のフレームが歪んで断線が発生し、炸薬に点火出来ない…それはつまり、脱出装置が作動しない状況だということを示していた。フォーリアンロザリオ軍の戦闘機は脱出レバーを引くとキャノピーを切り離す炸薬に点火信号が送られ、キャノピーが分離すると射出座席のロックが解除される設計になっていた。キャノピーが外れない以上、射出座席も作動しない。私はゼルエルをバンシー3のコクピットが見える位置へと移動させる。
「ダメです、諦めないでください! 脱出を、早くベイルアウトを…チサトっ!」
眼の奥が熱くなって、上手く言葉が出てこなくなる。間もなく訪れる最悪の瞬間を予感しているから…。
「ファル!? ダメ、離れ…あ、あぁああぁ!!!」
バンシー3のキャノピーの内側に炎が見え、あっという間にチサトの姿を赤く塗り潰す。
「チサトぉ!」
バンシー3の機体中央で爆発が起き、バラバラに四散する。飛んできた破片で機体のあちらこちらに軽度の損傷…だがそんなことよりも、目の前で起きたことに思考が停止する。
「バンシー3、シグナルロスト…」
ティクス中尉の沈んだ声。先程から感じていた眼の奥の熱が急激に増幅し、視界が歪む。ここは戦場…何も考えられず、ただ呆然と空に浮かんでいるだけではいい的だと解っていても…体が動かない。
「バンシー1よりバンシー5! これが最後だ、離脱しろ。三女神はこちらで引き受ける!」
隊長の声にも何も返事が出来ない。口から出るのは意思の疎通とは関係の無い嗚咽ばかり。
「デイジー1よりバンシー1、バンシー5はもうダメよ。操縦出来る精神状態じゃなくなってる!」
「くそ、バンシー5! 応答しろ、バンシー5!!」
「もういい、私がやる!」
突然多目的ディスプレイの表示が切り替わる。これは、オートパイロット? 操縦桿が私の意志とは無関係に動き、機首を南へと向ける。
「おい、何やったんだ?」
「ミカエルには元々接近した機体のコンピュータに侵入して情報を抜き取るシステムが搭載されている。それを利用すれば、遠隔で簡単な操作ぐらい出来るよ」
「そんなことが出来るなら、なんで今まで…!」
「そんな余裕も無ければ、こんなことまでしなくちゃならない状況になるなんて思わなかったんだよ!」
勝手にスロットルレバーが押し込まれ、アフターバーナー全開で南下する。訓練の時にも感じたシートに押し付けられるGに歯を食いしばり、私はただ自分の非力さを呪い続けた。
バンシー3を失ったショックは決して小さくないが、それでも目の前の脅威が温情をくれるわけはない。ラケシスはそのまま後退したようだが、まだアトロポスが追撃してくる。デイジー1の追尾を振り切りながら巧みに低空へと追い込まれ、エンヴィオーネを南北に縦断するメインストリートへと降下していく。
「やっと一機…私たちがここまでてこずるなんて、ホントに今後が楽しみな部隊。だけど残念ね、あなたたちに未来は無い」
完全に喰いつかれ、上下左右どこへ逃げても振り切れない。こっちの真後ろやや上方に陣取り譲らない。
「くそ、バンシー1までやらせるか! デイジー6、カバーしろ!」
「了解!」
デイジーの二機がアトロポスの後方へと回り込む。しかしいくらミサイルを撃とうが必要最小限の機動で避け続け、回避機動の最中であってもこちらへの攻撃ポジションを大きく離れることは無い。
「なんであんな機動が出来るんだ? 畜生、それなら…!」
デイジー4が加速してアトロポスに迫る。バルカン砲で近接戦闘を仕掛けるつもりらしい。
「バンシー1よりデイジー4、ヴァーチャーⅡで三女神にドッグファイトは無茶だ。離れろ!」
「そんなことは言われなくとも解っている! だがたとえ一瞬だろうと貴機へのロックオンを解除してみせる、その隙に逃げてくれ。バンシー直掩部隊の意地を見せてやる!」
デイジー4がアトロポスへ突進をかけ、右主翼付け根の砲口から弾丸を吐き出す。それを受けてアトロポスも機首を跳ね上げ、上昇して逃げるのかと思われた…だが、跳ね上がった機首はそのまま後方へと向いていく。
「あれは、『クルビット』!?」
三女神の得意とする特殊機動の三つ目、クルビット。初期動作はコブラと変わらないが、急減速を目的とするコブラと違いクルビットはそれほど速度が落ちることは無い。速度も進行方向もほとんどそのままに、機体だけクルッと後方宙返りのような形で回転する。彼女たちはこの機動にバルカン砲を付け加えることで新しい攻撃手段を生み出した。本来戦闘機の死角であるはずの後方への攻撃、「
「バカ、な…」
ぐらっと機体が傾き、よろめくように緩やかな弧を描くデイジー4。あんな攻撃で機体に致命傷を受けたとは考えにくい。コクピットを撃ち抜かれたのか?
「デイジー1よりデイジー4、脱出しなさい! ベイルアウトを、早く!」
その叫びも虚しく、デイジー4は地上から聳えるビルのひとつに激突して爆発の中に消える。
「もうこれ以上時間はかけてられない…。クロートー、クラスター投弾用意!」
「フィー君、真正面からクロートー!」
アトロポスの銃撃を回避しようとするとどうしても高度を下げざるを得なかったが、左右の視界をビルに遮られるぐらいに低空を飛んでいると、ビルの陰から突如クロートーが姿を現す。後退したとも思っていなかったが姿が見えないと思ってたらいやがったよコイツ。本気でげんなりしながら、FCSにヨハネの発射準備を指示してはみるものの、相対速度と位置関係から言っておそらく撃っても当たらない。
「さぁ、フィリル様。わたくしから貴方様に捧ぐ、この連邦への片道切符ですわ。受け取ってくださいまし」
なんだか知らんがそれがなんであれお前からの贈り物なんてお断りだ。背筋を走る寒気に耐えながら目を凝らすと、クロートーのウェポンベイから通常の爆弾よりも大きい爆弾が吐き出されてこちらに迫る。そう言えばさっきアトロポスが何か言っていたような…。
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