第38話 ミカエル

 日が暮れる前にヴァイス・フォーゲルを出発して基地に戻るとみんな一目散に格納庫へ向かう。バンシー隊のために開発された新型機、ミカエルが届いているはずだ。夕焼けの紅い陽光が差し込む格納庫の中を覗き込むと、ヴァーチャーⅡよりも一回りほど大きく見慣れない戦闘機が四機…静かにその翼を休めていた。


「これが…ミカエル」


 隣に立つフィー君が呆気にとられた様子で、そう言葉を零す。無理もない、ヴァーチャーⅡに見慣れている人間を圧倒する力強さがそこにあった。


 主翼は可変後退翼と呼ばれるスタイルが採用され、低速時は翼を広げることで揚力を確保し、高速時には逆に翼をたたむことで空気抵抗を減らす仕組みになっている。水平尾翼もヴァーチャーⅡよりも大型化され、主翼をたたんだ状態でも旋回能力の低下は抑えられる設計になっている。


 兵装はすべて機体中央と左右の吸気口脇に設けられた大小計三ヶ所のウェポンベイに格納され、高いステルス性を確保している。吸気口脇の小さなウェポンベイには短射程空対空ミサイル「ヨハネ」が一発ずつ格納可能で、機体下部中央に配置されたメインウェポンベイは前半分程度を偵察ユニットが占めているが、後ろ半分だけでも対空・対地・対艦各種ミサイルまたは小型爆弾を選択し、サイズにもよるけど最大六発格納出来る。


 機体後方に突き出るように長く伸びたエンジンユニット…ミカエルのために開発された大型エンジン「テンペスト‐ⅩⅣ」。いち早く戦場に駆けつけ、そして敵機を振り切って離脱するために必要な推力をミカエルに与えてくれる、戦闘機の脚。当初は従来機と同じサイズまで小型化してから制式採用されるはずだったけど、どうやらそれを待たずに無理矢理実戦配備されたらしい。


 外側に15度傾斜した垂直尾翼、そこにあのエンブレムが描かれていた。


「様になってるね、バンシー」


 青白い肌に泣き腫らした赤い目、その視線はエンブレムを見つめる者すべてに向けられ、こちらへ向けられた人差し指と共に無言で何かを訴えてくる。ボロボロの布を身に纏った少女の胸像を囲む円には「Forian Rosario Royal Air Forceフォーリアンロザリオ王国空軍 144th Special RECON Flight第144特殊偵察小隊」の文字が書かれている。厳密には「飛行隊」だけど、小隊規模だから間違ってはいない。


「ああ、これがオレたちの新しい翼だ」


 感慨深そうに呟く声が聞こえ、機体に近づこうと足を踏み出した直後、私たちを追い抜いてアトゥレイ中尉が一目散に二番機へ駆け寄っていく。


「うおぉぉおおおおおっ! こいつぁすげぇ、すご過ぎるぜ! ヴァーチャーⅡがちゃちく思える。なんかこうオーラが違うよなぁ!」


 はしゃぎまくる彼に、相方のカイラス中尉が頭を抱える。


「子供じゃあるまいし、恥ずかしいったらありゃしない。それはあんたの玩具じゃないのよ?」


「何言ってんだ? こいつはまさしく新しい玩具だぜ、俺たちのな!」


 右手で機首を撫でながらアトゥレイ中尉は笑って反論した。その目はキラキラと輝き、まるで子供みたい…と言ったらフィー君に笑われるだろうか。


「アトゥレイ、気持ちは解るが…生憎そいつぁ玩具じゃあないわな。玩具にしちゃ高価過ぎるし、何よりそれは遊んで壊しちゃいましたじゃ済まされない滅茶苦茶貴重な代物だ。人殺しの道具であり、オレたちが命を預ける大切な相棒だ。その意識を体の芯に叩き込んでやれ、カイラス」


 フィー君の言葉の最後はきっと冗談半分だったんだろうけど、カイラス中尉は「了解しました。さて…覚悟なさい、アトゥレイ?」と指をパキパキと鳴らしながらアトゥレイ中尉へと歩み寄っていく。


「な!? ちょ、まぁ待てって! 落ち着け、早まるな!」


「あら、私は落ち着いているわ? 動揺しているのはむしろあんたの方じゃないかしら?」


 確かに落ち着いた声色だ。しかしだからこそ余計に怖い。思わず一歩下がってフィー君の後ろに隠れたくなるくらいだ。真正面から受け止めなくてはならないアトゥレイ中尉の気分はどんなものか…想像したくもない。


「そんな殺気撒き散らしながら近寄ってくる人間前にして落ち着いてられる人間なんざいねぇって! 解った、俺が悪かった。考え無しに軽々しいこと言ってマジで…っ!?」


 そこまで言ったところで、カイラス中尉の左手が襟首を掴んだために言葉が途切れる。


「『マジで』…の次は何かしら?」


「スミマセンでした」


 エンブレムのバンシーと同じくらい青白い顔のアトゥレイ中尉が謝罪の言葉を搾り出すと、「よろしい」とカイラス中尉が微笑む。だが全身から垂れ流される殺気は消えていない。


「二度と同じ過ちを犯さないように、体に叩き込んであげるわ。感謝なさい」


 笑顔のまま振り上げられる右手。


「一体それのどこに感謝しろっでぶぎょあぁぁあああっ!!!」


 カイラス中尉の右手が振り下ろされると同時に潰されたカエルを連想させるような断末魔を残し、肉と肉とがぶつかり合う音が聞こえた直後に格納庫中に響き渡る轟音。音の発生源へ視線をスライドさせるとそこには頭を下にした格好で格納庫の壁に張り付いたアトゥレイ中尉の姿があった。

 糸の切れた操り人形のようにピクリとも動かない。おかしいな、ただのビンタに見えたんだけど…。


「は、派手に吹っ飛んでっちゃったけど…生きてる?」


「問題ありません。放っておけばそのうち起きます」


 カイラス中尉はパンパンと手を払うと改めてミカエルに視線を向ける。


「あはは~、ようやくお待ちかねの新型機が届いたってのに…まったく血生臭いなぁ」


 チサト中尉が苦笑いを浮かべながら三番機へ歩いていき、その後ろをファル少尉もついていく。いつの間にかイーグレット少尉とメルル少尉も既に四番機の傍に行っていた。


「てめぇらがこいつらのパイロットか?」


 突然聞き慣れない声が聞こえ、振り向くと水色の作業服と同じ色の帽子を目深にかぶった中年の男が、タバコを咥えながら立っていた。その身なりから整備班の人間だということが判る。


「そんじょそこらの機体とはわけが違うんだからな、壊すんじゃねぇぞ?」


「そのための訓練はして来てるから、そう簡単には壊さないよ」


 私がそう答えてみせたら、ハッと鼻で笑われた。


「新型機を預けるパイロットが、こんな年端もいかねぇガキんちょとは…軍の人手不足も深刻らしいな」


 咥えていたタバコの火を手でくしゃっと握りつぶして消すと、こちらに歩み寄ってくる。


「力を司る火の天使、ミカエルの名前を与えられたこいつを乗りこなす自信はあるか?」


「当然だ、そのためにここにいる」


 目深にかぶった帽子で表情が見えないこの整備兵の問いかけに、フィー君が即答する。


「それに年齢で判断して欲しくないね。歳ばっか喰って威張り散らすことしか知らないクズも何人か知ってる」


「言うじゃねぇか。まぁそのくらい大口が叩けるようじゃなきゃ、こっちとしても不安が残るってもんだがな」


 そこで初めて帽子のつばを持ち上げ、こちらと視線を合わせる。


「整備班の班長、ゼニアスだ。よろしく頼むぜ、坊主に嬢ちゃん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る