第29話 夜が明けて

 翌朝、ティニが目を覚ますともうお兄ちゃんもお姉ちゃんもヴァイス・フォーゲルを出た後だった。ベッドに空いたスペース…手を伸ばしてみると微かに温かかった。


「もうちょっと、ゆっくりしていってくれてもよかったのにな…」


 感傷に浸りながら、ふと時間が気になって時計に目をやる。六時半、ぐらいか。…六時半!? 昨日の記憶をたどると、昨日の朝はもうちょっと早く起きて一階に下りたら既にエリィさんとサガラスさんはもう開店準備を終わらせているような状態だったような気がする。


 …てことは? 寝坊?


「やばい!」


 布団を蹴り飛ばし、慌ててパジャマから昨日買ってもらった服に着替えて部屋を飛び出す。階段を下りて喫茶フロアに入ったところでエリィさんに会った。


「あら、おはようティニ」


「おはよう! ごめん、寝坊しちゃっ…んぐ!?」


 エリィさんが持ってたお皿の上に積まれてたトーストの一枚を、「あ」の発音で開けた口の中に差し込まれ言葉が遮られる。


「昨日は初日だから見逃した。今朝はとっても幸せそうに寝てたから見逃した。次からは叩き起こすから、覚悟しときなさいね」


 ウィンクまでしてみせるエリィさんの言葉選びは強めだけど、口調はまるで楽しんでいるような印象を受ける。とりあえず口に物を差し込まれた状態ではまともにしゃべれないので、それを受け取ってから首を縦に動かす。


「よろしい! じゃあ今日も一日頑張りましょうか」


「うん!」


 トーストをかじりながらテーブルの上に上げられていた椅子を下ろし、ふきんでテーブルやカウンターの上を水拭きしていく。準備事態はなんとか開店時間までに終えることが出来た。…でも当たり前か。元々二人でやってたんだから、ティニがいなくたって時間までに終えられるスケジュールになってるんだ。でもティニの役目はそんな二人の仕事のいくらかでも手伝って楽にしてあげることだ。それがティニの仕事、ここにいる理由…。


 一日が始まる。昨日はお昼前後に買い物に出たけど、今日はそれが無い分昨日より仕事の量は多くなるはず。忙しい一日…だけどそれもいい。ここにはティニが「生きる理由」がある。必要としてくれる人がいて、こんな自分でも役に立てる人がやってくる。素晴らしいことだ。


 そんな風に考えていたら、エリィさんがドアにかけてあった木製の札をひっくり返し、「OPEN」と書かれた面を表から見えるようにするとその直後にカウベルが鳴った。


「いらっしゃいませ!」


 お兄ちゃん、お姉ちゃん。ティニはここで頑張るから、二人も頑張って絶対に帰ってきてよね。




 朝一でヴァイス・フォーゲルを出てケルツァーク基地に帰ってくるとすぐに事務方にエンブレムの原案を提出。すると司令室へ向かうように言われた。何かあったのだろうか。


「フィリル・F・マグナード中尉、ティユルィックス・パロナール少尉両名、入ります!」


 司令室の前で名乗るとロックが解除され、ドアが開く。部屋に一歩足を踏み入れて敬礼。


「おはよう。エンブレムは決まったのかな?」


「おはよう御座います。はい、今しがた事務方に提出して参りました」


 そうか、とノヴァ司令は口元を数瞬緩めた…が、その後でその表情に影が差す。


「何か、あったのですか?」


「今朝未明、空軍の第64大隊及び第78大隊所属部隊によるインヴィディア軍港への奇襲作戦が敢行された。だが作戦は失敗。南側より侵入した第64大隊所属のガンコナー隊、ピアリフール隊はエンヴィオーネ基地より飛来した敵迎撃部隊を突破出来ずに押し戻された。彼我の戦力差は七対二と倍以上、おそらく敵はエンヴィオーネの死守に躍起になっているのだろう」


 三倍以上の戦闘機との交戦とは…第64大隊所属機の連中は生きた心地がしなかったに違いない。


「だが問題はそこではない」


 司令は机の脇に積み上げられていた書類の山から数枚の紙の束を取り出し、机中央に放る。よくは見えないがガンカメラの記録映像を現像したものらしき写真が見える。


「深刻なのは東側より侵攻を試みた第78大隊所属のブロラハン隊、シーフラ隊だ。二個中隊で出撃した同部隊所属機はものの数分で一個小隊にまで数を減らされた状態で作戦を放棄、空中給油機との合流ポイントを経由して本国のティルナノーグ基地へと帰還した」


「二個中隊が一個小隊…二十機がものの数分で!?」


 隣でティクスが驚きの声を上げる。だが第64大隊の方にもあれだけの戦力が投入されたのなら、第78大隊の方にだって相当の迎撃機部隊が…。


「この部隊にルシフェランザが送り込んだ迎撃機は…三機だそうだ」


 その言葉を聞いた時には、さすがに耳を疑った。三機? たった三機の戦闘機が、たった数分で二十機を撃墜したというのか? しかし記憶をたどると、三機編成で戦場を駆ける敵のエース部隊の噂を思い出した。


「君たちもパイロットなら、敵のエース部隊の噂ぐらい聞いたことはあるだろう?」


「まさか、『運命の三女神』…ですか?」


 司令の「ああ」という短い返答が、嫌な予感の的中を告げる。


「ブロラハン、シーフラ両隊の甚大な被害と作戦放棄の報を受け、作戦司令部は作戦続行を断念し、全部隊へ正式な撤退命令が出された。もっとも、どの部隊も満身創痍で辛うじて全滅を免れた…といった状態だったがな」


 運命の三女神隊…ルシフェランザ空軍が誇る世界最強の最新鋭戦闘機「ハッツティオールシューネ」三機のみで構成される虎の子部隊。


 ヴァーチャーⅡではまるで歯が立たず、ケルベロス隊の隊長は「もし戦場であいつらと遭遇したら、死にたくなければ逃げることだ」と言っていたのを思い出す。だがまさか、本当にここまで圧倒的なワンサイドゲームになるなんて…。


「彼女たちは本来、首都近郊のケリオシア基地所属のはずだが、我が軍の動きに合わせ南下してきたのだろう。だがこれは諸君らにとっては好機とも言える」


 そこまで言うと司令は席から立ち上がり、第一線を退いても尚衰えない軍人の眼をしてオレたち二人を見る。


「新設される部隊とそこに配備されるミカエルの最終目標はこの運命の三女神だからな」


「女神の…撃墜、ですか?」

 心の中では「そんなのいくらなんでも無理だろ」とか思いつつ、恐る恐る訊いてみる。司令は「無論、それが叶えばベストだがな」と苦笑いを浮かべた。


「さすがに上層部もそこまで課すのは過酷過ぎると理解しているようだ。現在の技術で作り出せる最高のスペックをコスト度外視で追求したミカエルの開発目的は、彼女らの操るハッツティオールシューネの詳細なデータを収集して無事に持ち帰ること。つまり君たちの任務は三女神と交戦し、可能な限り情報収集活動を実施した後に帰還することだ」


 女神と戦い、生きて帰れ…か。それもそれでなかなか難しい気がするが、司令の言葉でミカエルのオーバースペックにも納得がいった。対運命の三女神部隊、それがオレたち新設部隊の設立目的だったのか。


「了解しました。成功すればこの戦争の行く末を左右させる重要な任務、必ずや完遂してみせます」


「うむ、頼むぞ。それから新設部隊、第144特殊偵察飛行隊の発足をもって君たちはそれぞれ昇格することが決まっている。おめでとう、マグナード大尉、パロナール中尉」


 お偉方は階級上げておけば危険な任務にも嬉々として臨んでくれるとでも考えてんのかね? やれやれ、と心の中で苦笑しつつも「有り難う御座います!」と声を張り上げる。


「それとこれも渡しておこう。君たちが指揮する部隊のメンバーについてのデータだ、目を通しておくといい。また軍令部は今朝の一件でここの戦力配備を急ぐようだ。今日の午後には第一陣が到着する予定になっている」


 司令からリストを受け取る。こういう時は小隊規模であることに感謝する瞬間だな、覚える顔と名前が少なくて済む。


「話は以上だ、退室してよし」

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