第九十九話:地下牢にて
「だから、俺は伊賀を抜けてきたんだって! 伊賀になんぞ未練はこれっぽっちもないね。でも抜け忍は殺されちまうだろ? だからこの里でかくまってくれよ! な、兄貴!」
「…………俺はお前の兄になんぞなった覚えは無い」
月の里の地下牢にて、捕縛された伊賀の忍びの石川五右衛門が、拘束されながら怪我の治療を医療班から行われている。
紫月とさやは五右衛門が暴れないよう臨戦態勢で監視している。五右衛門の首には術式の書かれた首輪が付けられており、少しでも怪しい動きをすれば紫月の合図で全身に電流が走り無力化できる。
医療班員は怯えながら五右衛門の傷の手当てをしている。大事な情報源を死なせるわけにはいかないので、上からの命令で医療班が懸命に処置を施す。
紫月に潰された五右衛門の左腕はすっぱりと切断されていた。筋肉も骨もぐちゃぐちゃだったので治療は不可、放って置いたら壊死して腐り落ちる。なので二の腕の途中まで切断された。おかしな菌に感染されては困るので、こうして医療班員が切断面をこまめに洗浄・消毒している。
他にも右手首は骨折、右足の甲にクナイを刺され、棒手裏剣の刺さった痕が複数。結構な重体だが、医療班の的確な処置と本人の頑丈な肉体のおかげで、五右衛門は人事不省に陥ることも無く怪我はどんどんと回復していった。
「……尋問は?」
さやがそっと紫月に耳打ちする。
伊賀忍である五右衛門は、今回の騒動についてだけではなく、伊賀の機密も知っているはずだ。当然、最低限の治療を終えたあと、
記憶潜入の術は、深く潜れば潜るほど対象に多大な負荷がかかる。そのせいで廃人になることも決して珍しくない。
「もちろん、とっくに尋問班が記憶潜入を済ませました。記憶野のかなり深いところまで担当忍が潜入したのですが、機密の保管されている深部に鍵がかかっていて、これは本人の意思ではどうしようもなく、恐らく伊賀側が機密漏洩防止のために外部から鍵をかけたのでしょう」
忍びの尋問・拷問とは、肉体ではなく精神に傷をつけるのが主流だ。忍びが捕縛された際は、精神の争いに発展する。
なので忍びには意識を混濁させる術や薬があり、記憶に鍵をかける術なども存在する。拷問により機密を奪われる前に自死する方法も教わった。里や雇い主に害を及ぼさないことが忍びとしての第一の心得なのだ。
尋問担当忍はかなり深く五右衛門の記憶に潜ったが、抽出できたのは、五右衛門が女郎と戯れている記憶や、鉄火場で賭博をしている記憶、旅の途中での何気ない風景や紫月に一方的に蹂躙された記憶だけだった。
伊賀にまつわる記憶には厳重に鍵がかかって、無理矢理外そうとすれば五右衛門が死んでしまう。貴重な情報源に死なれては困る。
記憶に潜入されさらに映像を抽出されるときの、そのときの感情を増幅されあらゆる神経をでたらめにかき回されるような不快な感覚は、さやは朔の記憶潜入のときに本人の代わりに大部分を受けていたからよく分かる。あれは我慢できる類いのものではない。現にさやは一日以上昏睡してしまったのだから。
しかし、あのとき以上に荒々しく記憶を探られた五右衛門は、意識を失わずあくびを噛みしめ、「腹減ったな……」などと呟いている。最低限の食事も与えられているが、五右衛門は食欲旺盛で、毎回おかわりを頼んで監視の忍びに怒られていると聞いた。
(伊賀の忍びは皆こうなの? それとも石川五右衛門が飛び抜けて頑丈なの?)
さやは顔を顰めながら握り飯を与えられている五右衛門を見る。左腕が無く、右手も骨折しているので、若い医療班員が嫌々握り飯を五右衛門の口に近づけると、五右衛門はそのままかぶりつく。もうこれで三個目だ。怪我の回復のためとはいえ、どんだけ食べるつもりなのだ。
もぐもぐと口を動かしている五右衛門とさやの目があった。五右衛門が少し目を細めると、握り飯を頬張ったまま「おい、そこの柿色の着物の坊主と代えてくれねえか」と紫月に問いかける。さやは思わず後ずさった。
「寝言は寝て言え」
紫月はきっぱりと断る。だが五右衛門はにやにやと笑いながら続ける。
「その坊やに食べさせて貰ったら、俺の口も軽くなるかもしれないなあ。忘れていることも思い出せるかもしれねえ」
挑発ともとれるその軽口に、紫月の眉が顰められ、こめかみに青筋が浮いている。
拳をきつく握って五右衛門を殴ろうと一歩前へ踏み出す紫月を、さやは手で止めた。
「……いいよ。私がやる」
「さや様!?」
さやはにやついている五右衛門をき、と睨むと、五右衛門の側まで近づく。後ろで紫月が警戒しているのが伝わる。
オロオロと混乱している医療班員の肩を叩き、「代わります」とさやは言って、彼の手から握り飯をとって、五右衛門の口に押しつける。
「ふごっ!?」
「ほら、食べなって」
気遣いもへったくれもなく、さやは五右衛門の顎をつかんで口を開かせ、握り飯をねじ込む。
もごもごと何か言っている五右衛門の顎を上下させ、無理矢理咀嚼させる。なんとか喉が動き飲み込んだのを確認すると、今度は茶の入った水筒の先を無理矢理口に突っ込み、茶を流し込む。
「ほら、全部飲んで」
「ん、んごぉ!」
水筒をほぼ直角に傾けているので、中の茶はすごい勢いで五右衛門の口内に流し込まれる。相手のペースなど一切考慮していないその行為に、とうとう五右衛門は耐えきれなくなり茶と食いかけの握り飯を吹き出してしまう。
「げほ! げほげほ……」
むせている五右衛門を睨みながら、吹き出した米粒や茶をもろに浴びたさやは紫月から渡された手拭いで顔を拭く。
咳が治まった五右衛門は、さやの顔と体をじろじろと眺めながら、「……やっぱり、お前、女だったか」と口角をいやらしく上げながら言う。
さやは少しだけ目を大きくしたが、「だったらなんなのよ?」と精一杯強がりながら答える。
大丈夫だ。五右衛門には首輪がついているし、両手も使えない。すぐ側には紫月もいるし、おかしな真似はできないはずだ。
「おっしいなあ。もうちょっと肉付きがよければ可愛がってやるのになあ」
背後の紫月から怒気を感じたさやは、顔を後ろに向け、大丈夫、という風に頷いて見せた。
「年は十五、六ってところか? 生まれたときからここにいるのか?」
「……なんで、そんなことを聞くの?」
さやは警戒しながら答える。これではまるでこっちが尋問されているようだ。
五右衛門は再びさやをじっと凝視する。体の奥を見透かそうとするような強い視線に、さやは少しだけ気圧されてしまう。
「お前、もしかしたらその目で遠くを見られて透視できるんじゃないか?」
「!?」
さやは思わず絶句する。それで五右衛門は当たりと思ったらしく、「やっぱりか」と鼻で笑って見せた。
「お前さんは気づいてなかったかもだが、そっちの色黒の兄さんを羽交い締めにしてたとき、瞳が光ってたぜ。あの白子野郎の言っていたとおり、発眼者は奥州出羽にいたか」
白子野郎――火の一族の屋敷の中庭で暴れていたときもその単語を口にしていた。
白子……白い子……まさか!
「おい、石川五右衛門。お前は伊賀の白い忍びのことを知っているな」
さやの隣にやってきた紫月が険しい声で詰問する。骨折し副え木をまかれた右手首を顎に当て、五右衛門はにやりと笑う。
「おう、俺をこの里にかくまって安全を保証してくれるなら話してもいいぜ。どうせならあんたの弟子にしてくれよ。な、兄貴」
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