第八十五話:もしも伴侶を選べるなら

 その後も、さやと紫月は木村八郎と名乗った伊賀の忍びが訪れた見世を回り、情報収集を行った。


 大きな熊のような男は嫌でも目立つ。目撃情報はすぐに集まり、紫月は男の相手をした女郎から話を聞いていった。

 女郎からの情報をまとめると、木村なにがしという男は、床入りの際必ず青磁の雅な香炉で謎の香を焚いていたという。その香を嗅ぐと、女郎は前後不覚に陥り数日は体調が優れなかったという。まるでかのように。


「とても甘くていい匂いだったけど、意識がすう、と遠くなってね。あちきは体力に自信がありんしたが、あの木村様は化け物ですよ。何度も気をやってしまうなんて初めてのことでございんした」


 とある見世の女郎の部屋。しとねの上で、裸の女郎はぴったりと紫月の身体にくっついている。紫月も全裸で、すでに交えたあとだった。


「他に何か気づいた点は?」


 紫月が女郎の黒髪をいじりながら問う。なかなかいい女だ。容色はもちろん床の上の技術も申し分ない。肉付きもよく、特に尻がいい形だ。


「そういえば、あの香炉……香を焚いた時、不思議な音がしんした」

「不思議な音?」

「あい。なんというか、鳥が鳴いているような、ちりり、ちりりという音が聞こえんした。もしかしたら聞き間違いかもしれんせんが」


 謎の音が鳴る青磁の香炉。そしてその香炉でこれまた謎の香を焚き、女郎達を疲弊させている木村八郎という伊賀の男。

 目的はなんだ? さくを傀儡の術で操り、白い忍びの肖像と映像を消させただけでなく、ここ七日町でなにをしようとしている?


「旦那さん、怖い顔でありんすな」


 言いながら、女郎は紫月の股間にまで手をやる。交わったばかりで固さはまだ戻っていない。しかし女郎はそこと胸板をゆっくりといじり始める。紫月はくすぐったくなり、女郎の手を掴む。


「お勤めも大事ですが、ここは女郎屋。床の上でくらい何もかも忘れましょ」


 つまり、ということか。だいぶ体力も回復してきたし、ここまで誘われて断るのはこの女郎に恥をかかせてしまう。

 紫月はまだ月が低いのを確かめ、あと一戦くらいは出来るだろうと考え、枕元の酒を飲んだ。濁りの少ない質の良い清酒を飲むと、酒精が体中の血の巡りを良くしてくれて、紫月のも元気になってくる。


(さや様はちゃんと待っていられるだろうか?)


 おかしな男や見世の女郎に誘われて、変な場所に行ってないだろうか、男装がばれたりしないだろうか、などと考えたが、女郎が上に跨がり愛撫を開始すると、紫月は今夜二度目の快楽に大人しく飲まれていった。


 ※

 ※

 ※


 さやは一階の部屋にて、茶を飲みながら紫月を待っていた。


(今日はずいぶん長引いているな)


 耳をすませば、あちこちの座敷から女の嬌声と男の笑い声が聞こえる。中には睦み合いのくぐもった声も聞こえたりしたが、それを聞いてもさやは興奮することはなかった。


 これだけ長いということは、紫月は床入りを果たしたのだろう。


 別にそれがどうとは思わない。ここは女郎屋。なにをする場所かなんてさやには分かっているし、男女のまぐわい方は、月の里でも房術の授業で習っていた。現にここで待っている間、何人かの女郎が男装したさやを誘惑しにきたが、あいにく自分はではない。

 女郎達を適当にあしらうと、年端もいかない禿かむろと部屋に二人だけになった。その禿も眠気に負けて寝てしまったので、さやは羽織をかけてやり、部屋にあった『源氏物語』を読んでいる。

 三鶴城にいた頃、嗜みとして古典は色々読んできたが、源氏物語だけは乳母から読むのを禁じられていた。

 理由は内容が卑猥すぎるとのことだった。なのでさやは今初めて源氏物語を読む。


 長過ぎるので全部は読めていないが、玉鬘たまかずらまで読んで、ああ、確かに乳母が自分に読ませなかったのも納得だな、と思った。

 簡単に源氏物語の内容を言えば、主人公の光源氏が理想の女性を求めて、幼女や人妻、さらには美少年にまで手を出していく物語だ。

 剛毅な父と寡黙な母に育てられたさやからすると、光源氏はあまりにも浮ついているように感じた。あっちへふらふら、こっちへふらふら、女を(時には男も)口説いて手を出して……。さやが一番苦手なタイプだ。そういえば芦澤正道も男女構わず手を付け、しかも光源氏と同じく派手好きだったな、と思い出す。


 別に殿方が複数の女性と関係を持つのは珍しくない。さやの父だって側室は二人いたし、色小姓もついていたはずだ。

 でもやはり、男は一本筋の通った実直な者が好ましい。光源氏のように色に狂うのはみっともない。

 そもそも惚れた腫れたという恋愛などは、農民や町民の嗜みだ。武士は伴侶を自分で選ぶことなど出来ない。姫であればなおのこと、恋愛などという浮ついた感情を持つのははしたないことであると教えられていた。


 父はきっと、一人娘である私の嫁ぎ先をどうするか頭を悩ませていただろう。どこの家に嫁がせるか、それは戦の駆け引きと同じで、大きな家に嫁がせれば強力な後ろ盾となって坂ノ上家の敵を排除してくれる。三鶴のように周囲を敵に囲まれた小国なら、相手の家の規模は輿入れ先を選ぶ上で最重要項目であった。輿入れ先の家候補には、あの芦澤家も含まれていたかもしれない。


 さやは、この花街に潜入してから見てきた女郎達の灯りに浮かんだ白い顔を思い浮かべて、私が男なら、この中から誰を選ぶだろうと考えた。白粉で塗られた顔はどれも同じに見えてしまって、違いがよく分からない。


 武家の子女は伴侶を選ぶことなど出来ないが、もし選べるとしたら、私は強い男がいい。

 武芸の強さはもちろん、心根も浮ついていない、何にも屈することのない強靭な相手がいい。坂ノ上家を再興してくれる、私よりも強い男が。


 月の里では、初花を迎え、ちょうど十五、六ほどになると、女児は殿方と初夜を済ませることが多い。

 初夜の相手は所属する党首が決め、大体は床上手な温和な中年の男が選ばれる。理由は初体験で下手な相手を選んで身体に傷を付けられたりするのを防ぐためと、若くて血気盛んな男だと、若さに任せて相手を粗野に扱って、女に男性と性行為への恐怖を植え付けてしまう恐れがあるからだ。

 男も同じように、指南役となる経験豊富な女性で筆下ろしを済ませ、時には男色も経験するらしい。


 そうして破瓜を経験すると、あとは床の上での実践とを経て、一人前の女忍びとして活躍する。中には子を設け、十代で母になるのも決して珍しくない。

 だがさやの場合は、元・大名の姫という出自もさることながら、父である坂ノ上清宗が、さやを次代の子が生まれるまで守り抜けと紫月に命じていたので、十六になった今でも、紫月と党首の意向で初夜は経験せず生娘のままだった。


 お家の再興のためには誰かと夫婦にならなくてはいけない。それも武家の男と。そしてさやが子を産まなければ坂ノ上の血が途絶えてしまう。

 でも自分が誰かに嫁いで床入りするのが想像できない。授業で習ってはいても、男女の睦み合いなど実感が沸かない。


 強い男がいい、と言っても、具体的な誰かなど思いつかなかった。さやの周りで一番強い男は紫月だが――


「いやいやいや! あり得ない!」


 頭をぶんぶん振って、さやはその考えを振り払う。紫月は私の従者で忍びの師だ。それにお千代さんの夫でもある。尊敬こそすれど、恋愛感情など抱くわけがない。


「……ん、お侍さん、どうしなんした?」


 眠っていた禿がさやの大声で起きてしまう。


「なんでもない! 寝てなよ」


 さやは赤くなった顔を冊子で隠しながら言った。じっと見つめてくる禿の視線を感じながら、源氏物語の続きを読む。

 光源氏が空蝉を口説いて、更にその弟の小君にまで手を出すところを読んで、少なくとも光源氏のような男だけは相手にしたくないな、と思ったのだった。

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