第八十六話:飛縁魔
さやと紫月が各見世を周って伊賀の忍びについて情報収集している間、月の里が運営している月華楼で女郎として潜入したお千代は、どんどん花街で名が知られていった。
理由はお千代の美貌と教養の高さもあるが、一番は
「最近入った月華楼のお千代とかいう女郎、すげえらしいな」
「姿形も良し、琴も琵琶も踊りも三絃も一流、さらに話し上手。床入りすれば客は極楽へ行けるらしいぜ」
「なんだい? 極楽って?」
「どんな不能でもお千代の絶技の前では必ず絶頂できるらしい。今まで経験したことのないすげえ技だそうだ」
「そんな奴、湯女や売れっ妓女郎にはそれなりにいるじゃねえか」
「いやいや、凄いのはここから。お千代という女郎は、一晩で何度もまぐわうらしい。どんな腎張りでも朝がくると悲鳴をあげて堪忍してくれと叫ぶそうだぜ」
「その時のお千代と来たら、全くの疲れ知らずで、客とやればやるほど美しさに磨きがかかってやがる。ありゃあ男の精を搾り取って生きてるんじゃねえか?」
「そりゃあまるで
飛縁魔は、見た目は菩薩のように美しい女性だが夜叉のように恐ろしく、魅入られた男は心を迷わせてしまい、家や命を失うという。
中国では夏王朝の
(お千代さんてば……)
茶屋で男たちの噂話を聞きながら、さやはこっそり赤面する。
あの紫月の妻にふさわしく、お千代も尋常ではない体力と身体の持ち主であった。
その体力は主に房事方面に生かされ、床の上では男相手に負け知らず。月の里一かもしれない房術で男を骨抜きにし篭絡させる。そのせいか房術の授業もお千代が担当していた。
さやも床の上での魅力的な振る舞い方や、張り型と実寸代の人形を使ってお千代から房術を教えられたが、それを実践したことはない。一応三鶴に居た頃に、姫の修行で春画を教本として閨の心得などを乳母から習ったが、それは教養としてであって、今まで誰かと床入りしたことなどない。なので習った技も使うことはなく男女のあれこれには疎いが、お千代の性欲と性技がものすごいことは、さやにも今の会話を聞けばわかる。
他にも月華楼のお千代は九尾の狐の化身であるとか、遠い異国の
その噂が噂を呼び、お千代は瞬く間に街で一、二位を争う売れっ妓女郎に上り詰めた。毎日客が押し寄せ、俺こそがお千代を負かせてやると意気こんだ男達は、全員返り討ちにされた。
歩くのも覚束なく、見世の者に支えられながらふらふらと帰っていく客を見送るお千代の肌は、朝焼けに照らされ光り輝いていたとか。
「姐さんね……ほんと凄いよ……聞いているこっちが参りそう」
見世の男衆に変装したさやは、阿国からお千代の様子を聞いた。
なので嫌でもまぐわいの様子を聞いたり見たりしなければいけないのだが、阿国はひどくげっそりとしている。阿国は客を取っていないのに、なにをそんなに疲れているのだろう?
「なんでそんなにやつれているのよ」
さやが問うと、阿国が皮肉そうに笑いながら「あんたはまだおぼこいから分かんないか」とさやを馬鹿にした。おぼこいのは阿国も同じだろうに。
「最初は姐さんと客の喘ぎ声を聞いていると、腰巻きが濡れちゃうくらい興奮したけどね、それが毎晩となるとさすがに疲れちゃうよ。おまけに姐さんはすごいから、途中から客が悲鳴をあげてもまだやめないしね」
「す、すごいって……どんな風に?」
さやは男たちが噂していた、お千代のすごさというのを具体的に知りたくなり質問した。そんなさやを笑いながら、阿国はさやの耳元で囁く。
「ごにょごにょごにょ……」
「ええ!? そんなの、どうやって!?」
「そりゃあもちろん、ごにょごにょごにょ、で、アレをごにょごにょ……して、それからごにょごにょごにょ……」
さやは阿国の語るお千代のすごさを聞いて耳まで真っ赤になる。殿方のアレをアレして、さらにお千代さんがあんなことやそんなことを……。
そんなの、授業で習ってないよ! ていうかどうやったらアレをアレ出来るんだ?
さやは想像しようとしたが、あまりにすごすぎるので頭の中に浮かばなかった。そんなことされて男は平気なの!?
「あらあ、さやさんじゃない? 阿国と仲良くやってるみたいね」
さやたちがひそひそと話していると、噂のお千代が部屋へとやってきた。湯屋の帰りのようで、頬がほんのりと上気していた。
七日町には、この時代に珍しく湯屋があった。女郎は一晩のお勤めを終えると汗をたくさんかく。悪臭で客を不愉快にさせないため、湯屋で身体を洗い、客の体液なども落とす。
湯上がりのお千代が着ている単衣は、山吹色に青い蝶が舞っている派手なものだったが、不思議とお千代には合っていた。
「さやさん、今日はひのえ……紫月と一緒じゃないの?」
阿国に水桶を用意させ、椿油をつけて髪を
「紫月は、まだ聞き込みに行ってます。今日は色子茶屋に寄るって」
「……ああ。まっこと木村という男は見境がないねえ」
七日町の花街は、大半が女郎屋で、ほかは湯屋や茶屋がある。そのうちのいくつかの茶屋はなぜか子どもが給仕をしていて、そして寄る客は剃髪した坊主が多かった。
坊主が女を買うのか? とさやが眉を寄せると、あそこは色子茶屋といって、男を買う見世だと紫月が教えてくれた。
男色が珍しくないこの時代、女郎以外にも色子という男娼、後の世でいう陰間が身を売る見世も花街には存在していた。
客は武士や僧侶などが大半で、僧侶の場合、医者だと言って見世に来る。医者は現役か元僧侶が多い。還俗していれば女を買うのも罪にはならない。だが男色が盛んな寺社で育った僧侶は男を買うことの方が多い。仏教では女犯は重罪だが、男色はむしろ
さやは、目元を隠しながら天恵眼で茶屋の子供たちを見る。どう見ても十二から十六歳くらいの少女にしか見えない子供は、天恵眼で見ると少年であることが分かった。来ている着物や髪型、仕草から女にしか見えないのに。
木村八郎という男は、どうやら色子茶屋にも寄っていたことが分かり、紫月がその茶屋に潜入しにいった。さやは月華楼で待っているように言われたが、恐らく女の身であるさやの貞操を心配しての言葉だろう。
(紫月は男も買うのだろうか?)
里の男が、男色についても習っていることはさやも知っていた。だが女である自分には具体的にどうするのか想像がつかない。男狂いなものも里にはおり、女の間でも男色について夢中に話しているのを見かけたが、牛若丸と弁慶なら牛若丸が
男色には後ろの不浄の穴を使うが、下準備が大変だというのは聞いたことがある。紫月は大丈夫だろうか?
「紫月……男相手にちゃんと出来るのかな?」
「ああ、心配いりんせん。ひのえは男にもモテるし、やり方もちゃんと知ってるよ。ひのえを密かに慕っている男も里にはいるくらいだしねえ」
「でも、男色って不浄の穴を使うんでしょ? 腰湯で中のものを掻き出したり潤滑油で濡らして広げたりするって……紫月、痛くなったりしないだろうか」
真剣に悩んでいるさやの言葉を聞いて、お千代と阿国はぽかんと口を開ける。この噛み合っていない会話は、お千代とさやの前提が違っていることが原因だ。
お千代は紫月が念者……つまり攻める方だとして話している。紫月のような大柄で色黒な男はどう見ても念者側だ。しかしさやは、紫月が若衆……つまり受ける方だと思っている。若衆の場合は確かに下準備に時間がかかり、そして身体的にも相当な負担がかかる。それをさやは心配しているのだ。
ぷ、とお千代が吹き出し、阿国も下を向いて笑っている。目を白黒させているさやに対し、「いやはや、さやさんは純粋でありんすな」とお千代が笑いながら言う。気さくに笑うお千代は、女郎のときの妖艶さは見えず、気っ風の良い親しみやすさを醸し出している。
「純粋ていうか、さやはおぼこいんだよ姐さん」
阿国が意地悪そうにお千代に告げる。またおぼこいて言われた。初花もまだの子供のくせに。
「さやさんもそのうち色々わかるよ」
可笑しそうに笑うお千代と阿国を見て、私はなにか変なことを言ったかな、とさやは首を傾げるが、結局なにがおかしいのか最後まで分からずじまいであった。
※
※
※
その日の夜。月華楼に灯りが灯されてそいつはやってきた。
見世の入り口より高い背、筋肉隆々な大柄な男は、暖簾をくぐり、見世番の男に向かってお千代を指名した。
「お客様、月華楼は初めてですね? お名前を頂いてもよろしいでしょうか?」
「
とうとう目的の男がやってきた――見世番は楼主に告げ、お千代と阿国へと告げる。潜入して七日。やっと釣り餌に魚が食らいついてくれた。
「姐さん……」
阿国が心配そうにお千代の顔を見るが、当のお千代は顔を引き締め、「阿国。部屋は片付いているね?」と問いかけた。
あい、と阿国が頷くと、お千代は男衆に、支度をするからその男を座敷にあげとくれと指示する。
これからが本当の任務だ――お千代は化粧を直して紅を塗りながら、紫月とさやは一体どこへ行ったのかと思った。
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