第七十八話:嫌な夢
「……はっ!?」
いつも通り宝刀を胸に抱き、掻い巻きにくるまりながら壁にもたれかかって寝ていたさやは、なにかに気づいたように目覚める。
汗で寝間着が肌にくっついている。呼吸が早い。心臓が早鐘を打っている。
嫌な夢を見た。白い蛇が私の身体に巻き付いて締め付けてくる。息がまともにできない私は、濃い霧の中で、朔が目を光らせながらふらふらと歩いているのを見た。
足の怪我はまだ治っていないはずなのに、朔は誰かに手を引かれ、まっすぐと医療班の管轄の実験室へと向かっていく。
朔を導いているものが、濃い霧の向こうで笑った。
私の天恵眼は、霧の膜の向こうのそいつを捉える。
朔を操っているそいつを、私は知っている。三鶴城で「過去」を象徴する梅の花が象られた宝刀を奪い、私の目に禁術をかけた、伊賀の白い忍び!
「朔!」
さやは屋敷の部屋から飛び出し、外の実験室へと向かう。
寝間着のまま、さやは草履をつっかけて走る。季節は夏だが、夜風は冷たい。しかし夜風を頬に浴びながら、さやは脇目も振らず走る。嫌な予感を振り払うように。
そうして実験室に近づくと、周りが騒がしい。医療班員や里の結界を張っている見張りの忍び達が、実験室の外で険しい顔をしながら話し合っている。
「あ、あの! なにかあったんですか!?」
さやが問いかけると、忍び達は一斉にこちらを見て驚愕したようにさやを睨む。そこでさやは自分が天恵眼を発動していたことに気づく。
さやは実験室の中を透視する。そこでは澄党の党首・
この天恵眼で透視できないのは、自分の身体以外は同じ天恵眼の発動者だけ。即ち、あの子供は――
「朔!? 一体どうし……」
実験室に無理やり入ると、そこには苦い顔の瑞乃と、目から血を流してぐったりと気を失っている朔の姿があった。
※
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朔は夢を見た。
濃い霧の向こうで、誰かが自分を呼んでいる。
若い男の人の声。朔はなんとなく聞き覚えのある声だと感じ、そのまま声のする方へと歩く。
『全く、使命を忘れて向こうに囚われるとはね。まあいいや。命令を変更する。君の記憶から抽出された僕の姿と、君に術をかける時の映像を全て消せ』
その言葉を聞いた途端、霧が晴れ、朔の意識は誰かに支配される。
目を覚ました朔は、療養所の寝台から杖を使って起き、ふらふらと出口へと向かう。
「お、なんだ坊主。小便か?」
療養所の見張りの忍びが問いかける。朔はもう車椅子ではなく杖で移動ができるほど回復している。今までは寝台の下に置いてある
だから見張りの男も、朔がふらふらと杖を使って療養所を出ていっても、寝ぼけながら用を足しに行ったとしか思わなかった。第一、怪我をしている忍びではない子供などなんの驚異になる。
実験室に近づくにつれ、朔の意識はどんどん薄くなっていく。まるで誰かに操られているかのように。
そして天恵眼で実験室を透視し、中で大人たちが巻物の映像を解析しているのを認識したとき、瞳の奥が熱を持ち、虹彩が今までにない色に光る。
朔の意思とは関係なく、瞳の光は巻物の映像と白い忍びの肖像を次々と消していく。瑞乃が保存液に漬けた二枚以外の全てを消し終わったとき、ようやく朔は意識を取り戻す。
その時瑞乃他実験室から出た忍び達が、こちらを怪訝そうに見ているのに気づく。
「お、おいら……」
そこまで言ったとき、瞳に激痛が走り、朔は完全に気を失った。
※
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※
同時刻。里の外で結界を張って見張りの任に付いていた忍び二人が、木々のあたりを
最初は熊かと思い、忍び達は武器を持って警戒した。だがその影の動きは、熊のものより人間の動きに近かった。
「何者か!」
忍び達の声に答えず、大きな影は逃げ出す。あとを追ったが、侵入者は機敏な動きで月山を降りていき、追いかけていた忍びはあっという間に見失った。
しかし、その忍びは鼻が利く男だった。侵入者の残した僅かな匂いを嗅ぎつける。汗と大人の男の体臭、そして身体に染み付いた遊び女の好む伽羅の香り――
侵入者は、おそらく花街から来た男だ。
この月山から一番近い花街は、山形城城下の
もちろん、他の町の安女郎を抱いてから里に入ろうとした可能性はある。
しかし伽羅などという高価な香が使えるのは、大見世の売れっ妓女郎だけだろう。
そしてそんな女郎がいるのは、山形で一番大きく華やいでいる、七日町の花街しかない。
伽羅の香りが身体に染み付くほどなら、侵入者の男は、おそらく花街に入り浸っているか、花街を拠点に活動している忍びであろう。
ちょうどお千代達に下されている、七日町の花街での不審な男の調査任務。
その男の背格好は、忍びが追いかけた侵入者と同じ、とても大きい熊のような男であると情報で判明していたのだった。
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