第六十六話:忍びとして、人として

 忍びにとって、怪我はつきものである。訓練や任務で傷を負うなど日常茶飯事だ。特に足をやられる者が多い。

 なので月の里には怪我や病気を治療し療養できる場所があり、機能回復訓練リハビリ施設もある。医療班の管轄にあるその小屋の中には、あの子供の他にも寝台ベットに寝ている者が数名いた。

 床に敷いた布団ではなく寝台なのは、冬になると布団だと底冷えで身体が冷えてしまい更に体調を崩してしまうのと、起きて立ち上がる時、寝台からの方が怪我人にとっては布団からより身体に力を入れなくて済むからだ。


 子供は、さやを見ると少しだけ顔を明るくさせた。数日会っていなかっただけだが、子供の顔色は良く、汚く伸びっぱなしだった髪も綺麗に揃えられ一つに結ばれている。里に入るとき、疫病やシラミなどを持ち込まないように浴場で徹底的に洗われたのだろう。


「どうなのだ? この子の容態は?」


 紫月が医療班の班員に聞く。白い前掛けエプロン口当てマスクをした班員は、怪我は深いが処置は済ませてあり、一月経てば傷口は塞がり、機能回復訓練をやれば歩けるようになるだろうとのことだ。


「それより、この子の瞳を調べてみたんですが、やはり天恵眼に酷似しています。さや殿の記録と照らし合わせてみても、瞳の発光具合、視認限界距離や透視の精度などが違いますが、やはり二人の目は同一のものと言っていいかと」


 子供の目は今は光っていない。硝酸銀の希釈された清眼膏せいがんこうでも注されたのだろうか。

 さやは四年前にこの里に来て、上役達や焔党ほむらとう党首に天恵眼の性能実験や、発眼したときのことを何度も聞かれたのを思い出した。

 実験はともかく、白い忍びに乳母や護衛の忍びを殺され、三鶴が滅んだことを何度も思い出して話さなければいけなかったのは辛かった。庄内でこの子から聞いたことは既に報告書として提出してあるが、またさやと同じように辛い記憶を無理矢理えぐるような尋問を行ったのだろうか?


「治療を終えた後、この子は『澄党ちょうとう』の尋問担当忍に引き渡せ、と上から命じられています」


 尋問、と聞き、さやの顔が険しくなる。

『澄党』は忍術の開発を得意とする水の一族で結成されている里の四つの党の一つで、ちょうど紫月が風魔一族の男にやってみせたように、対象の記憶を抽出する術に長けている者が数名いる。

 紫月より遙かに精度が高い術を発動できる彼らは、尋問・拷問の担当忍で、彼らの手にかかればどんな情報も手に入ると聞いているが……


「既にこの子の尋問は済んでいます。報告もしてあるでしょう?」

「あの情報量では不足だそうです。上は天恵眼の発動時の詳細な状況を知り、開眼条件の解明を急がせています。その為にはと」


 荒っぽくても構わない――それは、子供の肉体と精神の安全を無視するという意味だ。さやが今まで術による尋問・拷問を受けなかったのは、術の干渉で唯一の天恵眼が失われる可能性があったからだ。

 しかし今は違う。天恵眼のがもう一人現れた。言ってしまえばこの子はさやの代替品なのだ。もし拷問で術が失われ、最悪この子が死んでも、得られる情報の方が大事なのだ。


 しかし――対象の精神に潜入し記憶を見る術は、術をかけられる者にとって絶大な負荷がかかる。紫月が盗賊の頭領だった風魔一族の男にかけただけでも、男は人事不省に陥った。山の中で簡易的な装置で術を発動しただけでそうだったのだから、鍛えている忍びでもないただの子供の記憶に潜入したら、この子は死んでしまうのではないだろうか。


 子供の顔から表情が消え、掻い巻きを握った手が震えている。今の言葉を聞いて恐怖に必死に耐えているのだろう。


 忍びの世界は残酷だ。重大な情報は人命より重い。忍びは情報を持ち帰るためにギリギリまで生き残ることを教えられるが、拷問により里の機密を自白させられるなら、その時は真っ先に自害しなければならない。

 里とあるじにとって有益な情報を得るためなら、罪の無い子供だって拷問できる。優先されるのは任務遂行と里の繁栄である。命の重さ、力を行使する責任とともに、必要とあらば倫理に反することすら遂行することの必要性を忍び達は教わる。

 勿論さやもそれらのことは既に教わっていた。確かに里にとって天恵眼の解明はここ数年の課題であったし、子供一人の犠牲で天恵眼の発動者を増やせるならそれは正しいことなのだろう。


 さやが今まで生かされていたのは、たまたま天恵眼が発動したただ一人の検体だったという幸運からに過ぎない。それに私には紫月や果心居士がいたが、この子には守ってくれる者はいないのだ。両親を殺され、望んでもいない術が発動し、盗賊に虐げられていたこの子供を拷問し死なせてもいいだなんて、そんなのは間違っている。


 それは、月の里の焔党の忍びではなく、三鶴の坂ノ上家第二十七代目当主、坂ノ上さやとしての矜持から来る思いだった。


「……なら、私がこの子の記憶に潜ります」


 寝台の子供のみならず、紫月や医療班の班員も目を丸くさせる。

 と、次の瞬間、班員が小馬鹿にするかのように笑った。だがさやは真剣な顔を崩さない。


「やりかたは前に教わりました。術で対象の記憶を引き出せば良いんでしょう? 対象と同じような体格や年齢の近い者の方が負荷が少なく記憶を見られるはず。だったら――」

「口を慎め。「つちのえ」の位の新米が、出しゃばった真似をするな。これは上の決定だ。お前のような下っ端が上の者に逆らうのか?」


 忍びの世界は厳格な階級社会だ。月の里も例外ではない。階級が上の者に下の者は逆らえない。本来なら「ひのえ」の位の紫月に、「つちのえ」のさやは気軽に話しかけられる身分ではない。ましてや党首や上役達に逆らうなど、良くて懲罰、最悪処刑されても文句は言えない。

 紫月との関係性から、さやはどこか里の階級制度について甘えていた部分があったと思う。


 だけど。

 だけども。


 忍びとして甘っちょろいことを言ってるのはわかっている。

 しかし一方的な被害者である子供を、無理矢理拷問して記憶を掘り出し死なせるようなことはどうしても許容できない。そんなの、彼に術をかけた伊賀の白い忍びや、盗賊達の行為と何が違うのか。


 さやは何も言わず、口を真一文字に閉じきっ、と医療班員を見ている。彼女の眼力に少したじろいでいる班員を横目に、紫月はあんな風になったさやは何を言っても無駄だという事を知っていた。

 昔、夏風邪で伏せっていた母である正室・お北の方のために無断で城外に駆けだして、黄金の桃を取ってこようとした時のように、さやはこうと決めたら絶対に譲らない頑固なところがある。そのせいで怒られたり、罰を受けても構わないと思っているだろう。こういう所は武将としての死に方にこだわった父である坂ノ上清宗にそっくりである。


「医療班よ、とりあえず澄党の党首に会わせてはくれないか?」

「ひの……いや、紫月様! あなたまで何を!」

「この子供はさや様と同じ天恵眼の持ち主だ。上も本当なら貴重な検体を死なせることは望んでいないはず。それに天恵眼の発動者同士の方が、脳波など共通する部分も多く、案外尋問担当の者より簡単に記憶を引き出せるのではないか?」


 忍びの師としてなら、この発言は失格であろう。本来なら弟子であるさやを叱り、命令通りに子供を引き渡すのが正しいはずだ。

 案外俺も甘くなったな、と自嘲しながら、それでもあの子供が凄惨な尋問・拷問にかけられるのをよしとしている訳では無かった。訓練を受けていても、忍びは人の心まで捨ててはいない。ここにいる医療班の班員だって何とも思っていないわけではないのだ。


 ただ、さやは記憶潜入の術は実践したことはない。しかしあの子供はさやには気を許しているようだし、先ほど言ったとおり天恵眼の発動者同士の方が上手くいく可能性はある。

 全ては仮説に過ぎない。ともかく澄党の党首の許しが必要だ。紫月はさやが落ち着くよう肩に手を乗せ、班員との交渉を続けた。


「……わかりましたよ。党首に目通しすれば良いのでしょう? でも、あまり期待しないで下さいよ」


 紫月とさやのしつこさに負けた医療班員は、寝台の子供を足の傷が開かないよう慎重に抱きかかえ、車輪の付いた椅子に乗せた。


「これは?」

 不思議そうに問うさやに、医療班員は自慢気に胸を反らしながら「これは、怪我人や病人を手早く運べる、廻転自在車……車椅子です」と答えた。


 車椅子の歴史で最古のものは、西暦五〇〇年頃の中国に記録が残っている。ルーツを遡れば紀元前五〇〇年のギリシャに、車輪の付いたベットが壁画に描かれている。欧州ではスペイン王フェリペ二世が車椅子を使った記録があり、日本では一九四〇年に現代の車椅子に繋がる「箱根式車椅子」が誕生した。この当時は富裕層のものであり、庶民へは日清戦争から第二次世界大戦での負傷者急増により普及したと言われている。


 子供が乗せられた車椅子は、椅子に四つの金属製の車輪がついており、足かけも付いている。後ろに車椅子を押すための取手があり、これを掴んで押すことで患者を椅子ごと移動できる。


 元々は、最近足の弱ってきた里長の為に忍具制作班と医療班が協力して作ったものだが、こうして怪我人や病人を運ぶために量産された。

 まだ山を登れる程の強度はないが、道が整っている里の中だけなら十分機能する。さやはそっと取手を掴んで椅子を押すと、車輪が動き前に進んだことに驚いた。


「党首は今は実験室にいる。神経質になっているだろうから気をつけろよ」


 子供を乗せた車椅子を押しながら、さやと紫月は医療班の管轄である実験室へと向かう。

 水の一族の屋敷の外れにある忍術や薬品を開発・実験する小屋から紫色の煙が出ているのを見て、二人は少しだけ不安になった。

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