第二十二話:守り抜く

 南奥州の内陸部にある「三鶴みづる」という国は、先祖がとある有名な渡来系氏族の、坂ノ上家が治める小国である。

 ひのえは坂ノ上家第二十六代目当主・坂ノ上清宗さかのがみきよむね付きの忍びとなった。


 坂ノ上清宗には、既に他里から二人の忍びが付いている。当主にはひのえを含めて三人の忍びが護衛に付いていることになる。


 一人は荒小姓のような役目で身の回りの世話もこなし、もう一人は寝所の守りを任せられている。ひのえは主に外出時の当主の護衛を任されていた。

 坂ノ上清宗は、背はひのえより少し低かったが体格が良く、岩のように厳つい顔の持ち主で、いかにも武人然としている。それは清宗の気質を表していた。


 清宗は心の底から武人であった。いくさの中でこそ彼の本領は発揮され、不利な条件の戦ですら決して降伏することはなかった。その結果、三鶴の領地が削られ家臣団から不満が出ようとも、彼は自分の信念・美学を貫く男であった。もし彼が国持ちの大名ではなくどこかの家に仕える一介の武士であったなら、その気質は歓迎されたことだろう。


 だが、大名というのは戦いばかりすればいいというのではない。自身の治める国とそこに住む領民、そして家内のことを第一に考えなくてはいけない。清宗は優れた武人ではあったが、政治の面では家臣達をまとめきれず、実質坂ノ上家は内紛状態であった。


 加えて世継ぎの男児も正室との間には出来ず、側室達が産んだ二人の男児と一人の女児は皆夭折ようせつしてしまい、生存しているのはさや姫ただ一人だけという状態である。清宗はさや姫に次の坂ノ上家当主と三鶴城城主を継いで欲しいらしいが、その意向に反対の家臣が多数であった。後継者を巡って内紛が起き、それを鎮めるのに清宗は奔走したが、彼の気質と内政手腕では分裂寸前の家臣団をまとめることが出来なかった。


 そんな当主の元で、ひのえは忠実に護衛任務を遂行していた。里で教わった通り、雇い主に忠誠を誓い、与えられた任務を遂行することこそ忍びとしての喜びであり誇りであるとひのえは信じている。そう信じている間だけ、娘を亡くしたときに空いた心の空洞が満たされるのをひのえは感じていた。


 焔党ほむらとうの党首に会うまでの記憶が深くもやがかっており、自分が何者であるか思い出せない恐怖も、娘を亡くした悲しさも、子が産めない身体になってしまったお千代の無念さも、任務をこなし、あるじを守ることだけ考えていれば何も感じなくて良かった。ただ与えられた任務を遂行することだけ考えれば、心の空洞から鳴る虚ろな音を聞かずに済んだ。


 自分が死ぬとき、身体に施された術式で業火に包まれたときに感じるのは、きっと後悔や無念ではないはずだ。任務を遂行した果てに死ねる、その喜びを感じながらきっとあの世に行けるだろう。

 その為にひのえは、任務をこなす。自身の心と他者の心を知ることを破棄し、教えられたとおり、言われたとおり動く。


 しかしそれでは忍びとして失格である。


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 守破離しゅはりという教えがある。

 元々は茶道や武道における段階を示したもので、「しゅ」は師や流派の教え通り、型や技を忠実に守り確実に身につけ、「」は他の流派の教えも考え、良いものを取り入れ自身の心技を発展させ、「」はそれまでの流派と師から離れ、新しいものを生み出し確立させる。これが理想の師弟関係と言われている。


 この定義を忍びに当てはめると、ひのえは「守」と「破」の間にいると言える。

 党首の命に従い、命じられた通りのことしか出来ないのは忍びとして二流である。刻々と変わる状況に柔軟に対応し、自身で考え任務の為に最適な行動が出来るのが一流の忍びだ。

 そして忍びは他者の心を理解しなければならない。理解しなければ主の要求することを感じ取ることが出来ず、対象に近づき情報を手に入れることも出来ない。ただの人形ではいけないのだ。


 当主の元で護衛任務に就いていたひのえは、ある日、十歳になるさや姫に付くことになった。


 当主付きの三人の内一人が姫付きになる。それは坂ノ上家が新たに忍びを雇えるほどの余裕がないことを示していた。

 何故自分が選ばれたのかは分からない。何か粗相をしでかしたかと考えたが、当主はひのえを叱ることはなく、ただ静かに自分の娘を守って欲しいと告げた。


 今まで護衛任務は何度か受けていたが、子供の護衛は初めてだ。姫は正室や侍女達と供に奥の院にいて、当主が奥を訪れない限り、当主付きの忍びが姫に会うことはなかった。特にひのえは外での護衛が主である。

 一度だけ、三鶴と同盟を結んでいる相馬の野馬追のまおいを見学しに行く時に、さや姫も当主と馬でついてきたが、その時は遠くから眺めただけで話すことはなかったし容姿についても気にかけなかった。あくまで自分の主は当主であり、当主の護衛についてだけ考えていれば良かった。その時までは。


 三鶴の領地にある大木の桜の下で、さや姫と初めて直接向かい合った。

 その時姫から「紫月しづき」と名付けられ、以降ひのえは紫月となった。


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 さや姫の忍びとなったひのえこと紫月は、これを機会に人の心を読み取る訓練をしようと思った。

 今度のあるじは十歳の子供である。子供は大人より感情豊かだ。この姫の心の機微を感じ取ろうと、紫月はさやをよく観察した。


 しかし、坂ノ上さや姫は、よわい十の子供と思えない程無表情で、笑いもしなければ泣きもしない、必要なとき以外滅多に喋らない子供であった。


 いつも何かに耐えているかのように口を真一文字に閉じ伏し目がちで、突発的にどこかへ走り出したり泣き出したりもしない。護衛対象としては楽であったが、これでは心を読み取ることが困難だ。

 里の子供でさえもっと感情的なのに、なぜこの娘はここまで無表情なのか。母である正室や乳母も危機感を抱いて笑えと命じたり、行儀見習いとして城下よりやってきた侍女と仲良く遊べと命じたりしていたが、さや姫は笑うことなく、まるで鍛錬をこなすかのように難しい顔で侍女と遊んでいる。あんなに楽しくなさそうな子供の遊びなど見たことが無い。


 だがよく観察してみると、無表情な姫は、実はとても感情豊かだということがわかった。


 例えば、さや姫はよく手をへそのあたりで組んでいるが、これは外からの防衛を示す行為だ。他には正室の元へ呼び出された時、目の瞬きが多くなる。これは強い心的負荷ストレスがかかっている合図である。


 表情に現れなくとも、身体のちょっとした仕草や所作に感情が現れている。特に手は感情がよく出る。さや姫は父である当主と対立している家臣と出会うと、無表情を装いながら拳を強く握る。強烈な感情を抑えている仕草だ。恐らく怒りを抑えているのだろう。

 他にも手の甲を反対の手でよく撫でているが、身体の一部を撫でるのは不安や緊張を落ち着かせる為の行為だ。


 総じて見てみると、さや姫は常に緊張状態を強いられており、そんな状態を作りだしている家臣達に強い憤りを感じている、意外と直情的で短気な面があることが分かった。


 家中が内紛状態にあり、跡取りとして余計な感情を出したり迂闊な言葉を話さぬよう厳しく躾けられているので、姫が笑わない子に育ったのも仕方が無いのかもしれない。

 だが紫月は少し不憫に思った。子供らしい時間を過ごせず、感情を押し殺すしかないなど、そんなの哀れではないか。戦乱の世でいつ敵に攻め込まれるか分からないとはいえ、さや姫にはもっと色んなことを楽しんでほしいし、もっと肩の力を抜いて笑って欲しい。いつの間にか紫月は主であるさや姫に対しそんな感情を抱いていた。


 ふと思うことがある。自分の娘が生きていたら、こんな風に育っただろうか、と。


 生きていたらさや姫の妹くらいの年齢だろうか。産まれて七日とたたず亡くなったので容姿はよく分からなかったが、肌の色は自分のように褐色ではなかった。きっとお千代に似て器量良しに育っただろう。

 そこまで考え、紫月は頭を振る。馬鹿馬鹿しい。さや姫は俺の娘ではなくあるじだ。あくまで護衛対象であり、それ以上の感情を持ってはいけない。忍びは他者の心を理解しなくてはいけないが、感情に溺れてはいけない。そこまで自分は未熟ではない。


 だが、さや姫が疱瘡ほうそうにかかったときに抱いた危機感は、本当に主への忠誠からだっただろうか? 高熱に苦しむ姫の姿を見て胸の辺りが締め付けられたのは、主を守らなくてはいけないという使命感からだろうか?


 治療に果心居士を薦め、当主から失敗すれば里にも責任をとってもらうと言われたとき、里と天秤にかけてさや姫の方をとったのは、果心居士を信頼していたから。本当にそれだけだろうか?


 さや姫と自分の娘を重ねていなかったと、俺ははっきりと言えるだろうか……?


 その後無事に疱瘡が治り、果心居士の元で学んでいくさや姫を見て、表情が柔らかくなってきたと感じたのは、少しは他者の心を読み取れるようになったからだろうか。それとももっと違う感情があったからなのか。心のつかえが取れていくように感じたのは、主を思ってのことなのか、それとも……


 月の里の焔党の火の一族の、ひのえこと紫月は、自分の心の動きまで分からなくなっていた。


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 そしてさや姫が十二歳になった一五九〇年・八月。豊臣秀吉による奥州仕置きが始まり、三鶴は芦澤あしざわ家率いる奥州討伐軍に攻められた。


 紫月は当主付きに一時的に戻され、本来の主であるさや姫には、別の里の忍びが代わりに護衛に付いている。紫月はさやの身を案じながら、敵を次々と葬り去っていく。

 坂ノ上軍はよく戦ったが、物量の差はいかんともしがたい。二本松方面に展開していた守備隊が破られたと紫月は当主に告げる。当主である坂ノ上清宗は暫く瞑目し、そして刺し違えてでも敵の大将の首を取ってきてやる、儂に続く者だけがここに残れと言い放った。


 軍の大将の言う事とはとても思えなかったが、紫月はこういうお人なのだ、と分かっていた。この方は戦の中で生き、戦の中で死ぬ武士もののふなのだ。後世では潔く自刃しなかった愚将と罵られるかもしれない。だが、それが主の望みならば、最後まで応えるのが忍びだ。


 郡山の本陣で、最後まで残ったのは五十人の重臣と紫月だけであったが、紫月は三鶴城に戻り、さや姫を次代の子が生まれるまで守り抜けと、当主から宝刀を託されながら直々に命じられた。


 その時、坂ノ上清宗の心が分かってしまった。


 この方は、最初から知っていたのだ。俺が娘を亡くしていたことを。恐らく里を通して護衛任務を依頼したとき、党首から聞いていたのだろう。

 だからさや姫付きの忍びを俺にした。亡くしてしまった娘の代わりに、姫を守れと。、と、この方は言っている。


 それが任務なら、俺は忍びとしてそれに応えるまで。さや姫を守り抜き、そして、坂ノ上の血を絶やさぬ事。終わりの見えない任務だが、


 掟に抵触する危険を犯して当主の身体に術式を施したのも、主の最後の頼みに忍びとして応えただけだった。

 これで処罰されようと後悔は無い。最後の最後で主の心を理解できた結果の行動なのだから。


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 長く瞑目していた紫月は、座敷牢の外が何やら騒がしいのを感じ、ゆっくりと目を開いた。


 騒ぎ声はどんどん大きくなっていき、見張りの男達がなにやら慌ててるのを板襖いたぶすま越しに感じた紫月は、耳をよく澄ませる。

 するとそこで、よく知った声が悲鳴を上げてるのを聞いてしまった。


(さや姫!?)


 紫月は思わず腰を浮かす。物音は大きくなっていき、誰かの叫び声のあとに獣の雄叫びが聞こえてきた。

 紫月は襖を開けようとしたが、鍵をかけられているのか襖は開かない。見張りの男が静かにしろと襖越しに言ってきたが、紫月は堪らず叫んでいた。


「おい、状況を説明しろ! 一体、外で何が起きている!?」

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