第二十二話:守り抜く
南奥州の内陸部にある「
ひのえは坂ノ上家第二十六代目当主・
坂ノ上清宗には、既に他里から二人の忍びが付いている。当主にはひのえを含めて三人の忍びが護衛に付いていることになる。
一人は荒小姓のような役目で身の回りの世話もこなし、もう一人は寝所の守りを任せられている。ひのえは主に外出時の当主の護衛を任されていた。
坂ノ上清宗は、背はひのえより少し低かったが体格が良く、岩のように厳つい顔の持ち主で、いかにも武人然としている。それは清宗の気質を表していた。
清宗は心の底から武人であった。
だが、大名というのは戦いばかりすればいいというのではない。自身の治める国とそこに住む領民、そして家内のことを第一に考えなくてはいけない。清宗は優れた武人ではあったが、政治の面では家臣達をまとめきれず、実質坂ノ上家は内紛状態であった。
加えて世継ぎの男児も正室との間には出来ず、側室達が産んだ二人の男児と一人の女児は皆
そんな当主の元で、ひのえは忠実に護衛任務を遂行していた。里で教わった通り、雇い主に忠誠を誓い、与えられた任務を遂行することこそ忍びとしての喜びであり誇りであるとひのえは信じている。そう信じている間だけ、娘を亡くしたときに空いた心の空洞が満たされるのをひのえは感じていた。
自分が死ぬとき、身体に施された術式で業火に包まれたときに感じるのは、きっと後悔や無念ではないはずだ。任務を遂行した果てに死ねる、その喜びを感じながらきっとあの世に行けるだろう。
その為にひのえは、任務をこなす。自身の心と他者の心を知ることを破棄し、教えられたとおり、言われたとおり動く。
しかしそれでは忍びとして失格である。
※
※
※
元々は茶道や武道における段階を示したもので、「
この定義を忍びに当てはめると、ひのえは「守」と「破」の間にいると言える。
党首の命に従い、命じられた通りのことしか出来ないのは忍びとして二流である。刻々と変わる状況に柔軟に対応し、自身で考え任務の為に最適な行動が出来るのが一流の忍びだ。
そして忍びは他者の心を理解しなければならない。理解しなければ主の要求することを感じ取ることが出来ず、対象に近づき情報を手に入れることも出来ない。ただの人形ではいけないのだ。
当主の元で護衛任務に就いていたひのえは、ある日、十歳になるさや姫に付くことになった。
当主付きの三人の内一人が姫付きになる。それは坂ノ上家が新たに忍びを雇えるほどの余裕がないことを示していた。
何故自分が選ばれたのかは分からない。何か粗相をしでかしたかと考えたが、当主はひのえを叱ることはなく、ただ静かに自分の娘を守って欲しいと告げた。
今まで護衛任務は何度か受けていたが、子供の護衛は初めてだ。姫は正室や侍女達と供に奥の院にいて、当主が奥を訪れない限り、当主付きの忍びが姫に会うことはなかった。特にひのえは外での護衛が主である。
一度だけ、三鶴と同盟を結んでいる相馬の
三鶴の領地にある大木の桜の下で、さや姫と初めて直接向かい合った。
その時姫から「
※
※
※
さや姫の忍びとなったひのえこと紫月は、これを機会に人の心を読み取る訓練をしようと思った。
今度の
しかし、坂ノ上さや姫は、
いつも何かに耐えているかのように口を真一文字に閉じ伏し目がちで、突発的にどこかへ走り出したり泣き出したりもしない。護衛対象としては楽であったが、これでは心を読み取ることが困難だ。
里の子供でさえもっと感情的なのに、なぜこの娘はここまで無表情なのか。母である正室や乳母も危機感を抱いて笑えと命じたり、行儀見習いとして城下よりやってきた侍女と仲良く遊べと命じたりしていたが、さや姫は笑うことなく、まるで鍛錬をこなすかのように難しい顔で侍女と遊んでいる。あんなに楽しくなさそうな子供の遊びなど見たことが無い。
だがよく観察してみると、無表情な姫は、実はとても感情豊かだということがわかった。
例えば、さや姫はよく手をへそのあたりで組んでいるが、これは外からの防衛を示す行為だ。他には正室の元へ呼び出された時、目の瞬きが多くなる。これは強い
表情に現れなくとも、身体のちょっとした仕草や所作に感情が現れている。特に手は感情がよく出る。さや姫は父である当主と対立している家臣と出会うと、無表情を装いながら拳を強く握る。強烈な感情を抑えている仕草だ。恐らく怒りを抑えているのだろう。
他にも手の甲を反対の手でよく撫でているが、身体の一部を撫でるのは不安や緊張を落ち着かせる為の行為だ。
総じて見てみると、さや姫は常に緊張状態を強いられており、そんな状態を作りだしている家臣達に強い憤りを感じている、意外と直情的で短気な面があることが分かった。
家中が内紛状態にあり、跡取りとして余計な感情を出したり迂闊な言葉を話さぬよう厳しく躾けられているので、姫が笑わない子に育ったのも仕方が無いのかもしれない。
だが紫月は少し不憫に思った。子供らしい時間を過ごせず、感情を押し殺すしかないなど、そんなの哀れではないか。戦乱の世でいつ敵に攻め込まれるか分からないとはいえ、さや姫にはもっと色んなことを楽しんでほしいし、もっと肩の力を抜いて笑って欲しい。いつの間にか紫月は主であるさや姫に対しそんな感情を抱いていた。
ふと思うことがある。自分の娘が生きていたら、こんな風に育っただろうか、と。
生きていたらさや姫の妹くらいの年齢だろうか。産まれて七日とたたず亡くなったので容姿はよく分からなかったが、肌の色は自分のように褐色ではなかった。きっとお千代に似て器量良しに育っただろう。
そこまで考え、紫月は頭を振る。馬鹿馬鹿しい。さや姫は俺の娘ではなく
だが、さや姫が
治療に果心居士を薦め、当主から失敗すれば里にも責任をとってもらうと言われたとき、里と天秤にかけてさや姫の方をとったのは、果心居士を信頼していたから。本当にそれだけだろうか?
さや姫と自分の娘を重ねていなかったと、俺ははっきりと言えるだろうか……?
その後無事に疱瘡が治り、果心居士の元で学んでいくさや姫を見て、表情が柔らかくなってきたと感じたのは、少しは他者の心を読み取れるようになったからだろうか。それとももっと違う感情があったからなのか。心のつかえが取れていくように感じたのは、主を思ってのことなのか、それとも……
月の里の焔党の火の一族の、ひのえこと紫月は、自分の心の動きまで分からなくなっていた。
※
※
※
そしてさや姫が十二歳になった一五九〇年・八月。豊臣秀吉による奥州仕置きが始まり、三鶴は
紫月は当主付きに一時的に戻され、本来の主であるさや姫には、別の里の忍びが代わりに護衛に付いている。紫月はさやの身を案じながら、敵を次々と葬り去っていく。
坂ノ上軍はよく戦ったが、物量の差はいかんともしがたい。二本松方面に展開していた守備隊が破られたと紫月は当主に告げる。当主である坂ノ上清宗は暫く瞑目し、そして刺し違えてでも敵の大将の首を取ってきてやる、儂に続く者だけがここに残れと言い放った。
軍の大将の言う事とはとても思えなかったが、紫月はこういうお人なのだ、と分かっていた。この方は戦の中で生き、戦の中で死ぬ
郡山の本陣で、最後まで残ったのは五十人の重臣と紫月だけであったが、紫月は三鶴城に戻り、さや姫を次代の子が生まれるまで守り抜けと、当主から宝刀を託されながら直々に命じられた。
その時、坂ノ上清宗の心が分かってしまった。
この方は、最初から知っていたのだ。俺が娘を亡くしていたことを。恐らく里を通して護衛任務を依頼したとき、党首から聞いていたのだろう。
だからさや姫付きの忍びを俺にした。亡くしてしまった娘の代わりに、姫を守れと。今度こそ守り抜け、と、この方は言っている。
それが任務なら、俺は忍びとしてそれに応えるまで。さや姫を守り抜き、そして、坂ノ上の血を絶やさぬ事。終わりの見えない任務だが、今度こそ俺は守り抜く。
掟に抵触する危険を犯して当主の身体に術式を施したのも、主の最後の頼みに忍びとして応えただけだった。
これで処罰されようと後悔は無い。最後の最後で主の心を理解できた結果の行動なのだから。
※
※
※
長く瞑目していた紫月は、座敷牢の外が何やら騒がしいのを感じ、ゆっくりと目を開いた。
騒ぎ声はどんどん大きくなっていき、見張りの男達がなにやら慌ててるのを
するとそこで、よく知った声が悲鳴を上げてるのを聞いてしまった。
(さや姫!?)
紫月は思わず腰を浮かす。物音は大きくなっていき、誰かの叫び声のあとに獣の雄叫びが聞こえてきた。
紫月は襖を開けようとしたが、鍵をかけられているのか襖は開かない。見張りの男が静かにしろと襖越しに言ってきたが、紫月は堪らず叫んでいた。
「おい、状況を説明しろ! 一体、外で何が起きている!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます