第二十一話:忍びに向かない男

 紫月が連れて行かれたのは、屋敷の一番奥にある座敷牢であった。


 地下牢に連れて行かれるかと思っていたのに意外だ。紫月は拘束を解かれ、身体検査で装束の裏の術式空間にしまっていた忍具全てを没収され、外に二人の見張りを付けられ座敷牢で座る。

 出入り口は檻のように格子状ではなく板襖いたふすまで、石壁にはかなり上の方に小さな窓があるが、そこには鉄格子がある。もし脱出しようとしても、紫月の体格では格子を全部除いたとしても頭すら出られない。

 その窓から射す日の光と、目の前に置かれた蝋燭が小さな座敷牢での灯りになっていた。


 小さく息を吐き、紫月は瞑目する。拘束されないのは、紫月が「ひのえ」の階級であることへの配慮か、紫月に反抗の意思がないことをおもんばかったからなのか、それは分からない。

 確かなのは、自分は掟を破ってしまったこと、そしてその罰を受けなければならないこと。裁きが開かれるまでここで待機していなければならないことだ。


 揺らめく蝋燭の火を見つめながら、紫月は呼吸を整え禅を組む。

 頭に浮かんでくるのは、この里で育った日々、三鶴の坂ノ上家に仕えていた時のこと、そしてさやとの出会いと今までの出来事だった。


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 紫月ことひのえには、月の里に来るまでの記憶がない。

 正確には火の一族の焔党ほむらとうの党首に会う前の記憶は、深くもやがかかっていて思い出すことが出来ないのだ。

 なので、以下の話は、ひのえを拾ってきた党首から聞いたことである。


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 今より十四年程前、一五七六年。前年に長篠の戦いにて、織田・徳川連合軍が戦国最強と呼ばれていた武田家を破り織田信長が天下人に近づいた。そして安土城の築城開始。五月には石山本願寺を攻め、天王寺砦の戦いが勃発していた頃、焔党の党首は、駿河するが国――現在の静岡県中部の富士の山の麓に来ていた。


 奥州の月の里からここまで旅をして来たのは、各国の情勢を知るためと、忍びの素質がある者を見つけるためだ。


 月の里に限らず忍びの里というのは、本来保守的なものである。里で生まれ育った血族で一族を作り、掟を定め、術を開発するのが古くからのやり方だった。

 だが、血脈にこだわっていると、どうしても限界が来てしまう。血族同士で子を為せば似たような素養の子しか産まれなく、同じような術しか開発出来ず、里の発展は望めない。膠着状態にあった月の里は、外部からの新しい血を求めた。


 この戦乱の世には、国や家を焼かれ家族とも死に別れた孤児が山ほどいる。また、戦勝国の兵が攻め入った国の民を生け捕りし、奴隷として売る人身売買も行われていた。

 この富士の山の麓には、そんな奴隷を売る人市ひといちという奴隷市場が盛んであった。だが党首は人市ではあまり子供を買わない。なぜなら人市で売られている者は、脱走防止のため片足の健を切られている者が多いからだ。

 身体が健康で、忍びとしての適性がある十二歳くらいまでの子供を党首は探している。人市で売られている子供や、焼けた村や道ばたで蹲っている子供を見て回ったが、今のところ党首のお眼鏡に叶う子供は見つかっていない。


 人市から少し離れたところで、党首の着物の裾を引っ張る者がいた。


 何事かと後ろを振り返ってみると、そこには、痩せこけた上背のある、浅黒い肌の男の子供が裾を掴んでいた。


 二人のともの者は驚き、子供の手を掴み党首から遠ざけた。

 が、党首は手を振って供の者を鎮める。そして子供をまじまじと見る。


 背が高いので、年の頃は十五、六くらいに見えるが、幼い顔立ちを見るとギリギリ十二歳程に見えなくも無い。

 それより彼の肌の色だ。日焼けによる黒さではなく、内側からにじみ出ている褐色だ。西国さいごくでは海を挟んだ大陸から連れて来られた奴隷も売られていたりする。主に倭寇わこうが攫ってきた異人なのだが、この子供もそうなのだろうか?


「お前、どこの子だ? いちから逃げ出して来たのか?」


 子供ははっきりと首を振った。こちらの言葉が分かると言うことは、大陸からの異人ではないのだろう。

 ならば異人とのあいのこだろうか? 大陸より南の国には肌が黒く彫りの深い人種が多いと聞いたことがある。

 奥州ではあまり見ないが、イスパニアやポルトガルなどの外つ国とつくにとの貿易が盛んな九州では、宣教師を初めとする異人を度々見るらしい。

 かの織田信長は、これより数年後、アフリカからの黒人である弥助を小姓として召抱えている。


 子供の顔立ちは、鼻梁が少し高いが日の本の子と変わりない。褐色の肌は両親のどちらかが肌の黒い異人だったからなのか。


「お前、親はどうした?」

「…………」

「生まれ国は?」


 子供は西の方角を指さした。やはり西国から連れて来られたのか。


「名は何という?」


 またしても子は答えなかった。質問に反応しているのだから耳は聞こえているはずだ。ならば口がきけないのか。


 供の者は、この子は駄目だと言ってきたが、党首はそうは思わなかった。背が育ちすぎていて、さらに黒い肌の子供は容貌だけで目立ってしまう。隠密性が重要視される忍びには確かに向いてないように見えるが、党首は、いつの間にか後ろにいて自分の着物の裾を引っ張った子供の、その身体性に目を置いていた。


 里で一番上の階級である「甲忍きのえにん」である自分に気づかれずに後ろまでやってこれるとは。人混みで気配を感じずらかったとは言え、里の子ですら出来ぬであろう。

 党首は子供の手をとり、爪を見て内臓の様子を見、足の形を見、顎を掴み口内を見る。孤児にしては珍しく歯の様子も悪くない。

 それに、先ほどから党首を睨み付けるように寄越してくる視線も気に入った。黒曜石のような瞳から意志の強さが窺える。戦災孤児は絶望で瞳が濁っている者ばかりなのに、この子は違う。反骨精神からくるものなのか、世の理不尽に怒っているのか、どちらにせよ目に諦めの色がない。


「よし、この子を連れて行こう」

「党首!?」

 供の者達が、驚きの声をあげるが、党首は構わず子供に話しかける。


「儂らは、ここよりずっと北の方からやってきた。儂らと来れば温かい飯と住むところを保証してやる。だが、そこでは血の滲むような鍛錬をこなしてもらう。農民として生きるより辛いかもしれん。それでも来るか?」


 子供は頷いた。そこに迷いの色はなかった。


「しかし名が無いのは不便だな。何かいい名はないか?」


 党首は供の者に尋ねる。暫く考えた後、供の者の一人が答える。


「ならば、ひのえ、はどうでしょう? 今年は丙子ひのえねです。それにひのえは五行の火を意味します。我ら火の一族には相応しい名かと」


 うむ、と党首は合点が言ったように頷いた。党首は子の頭を撫でながら、「今からお前の名は、ひのえ、だ」と告げる。


「ひの……ひのえ……」


 そこで初めて子供が声を出した。変声期に入りかけのやや高い声であった。


「なんだ、お前、口がきけるじゃないか」

「…………」


 子供は再び黙った。罰が悪そうにしている子供の頭をもう一度撫で、党首は声を出して笑った。


 こうして、駿河国の富士の麓で拾われた子供は、ひのえと名付けられた。


 正確な年齢は子供自身にも分からなかったので、十二歳ということにされた。もしかしたらもっと幼いのかもしれないし、もっと年齢が高いかもしれない。

 火を意味するひのえと名付けられた子は、月の里の火の一族の党首により、十二歳の子としてその時生まれた。


 ※

 ※

 ※


 さて、ひのえの他に、あと二人ほど買ったり拾ってきた党首達は、奥州の月の里へ向かう。


 党首達は、わざと険しい道を選んで北上する。それは三人の子供の身体能力を図る為である。

 ひのえを含む三人の子供達は、必死に党首達について行こうとしたが、その内の一人の子は、途中の野宿で雨に打たれ高熱を出した。

 党首達はせっかく見つけた忍び候補の子を死なせないように、熱冷ましの薬などを与えたが、熱が下がらず肺炎で呼吸不全を起こしたその子供は、あっけなく死んでしまった。


 亡くなった子供を埋葬し、さらにひのえ達は月山がっさんに向けて長い旅を続ける。途中で各国の視察や情報収集を行いながら、ひのえ達は党首から字を教えて貰い、これから行く月の里の事を教えて貰った。

 字は仮名文字の他に、千字文はもちろん漢字、草書体、楷書かいしょ体を学び、更に簡単な算術も教わった。これはひのえ達の頭の良さを図る為である。

 一人の子は仮名文字までしか覚えられなかったが、ひのえは楷書体までと、更に四則演算まで覚えた。ひのえの覚えの良さに党首は目を見張った。

 次に党首は和歌をいくつか詠んでそれを子供達に覚えさせ、少し時間が経った後子供達に全部詠って見よと命じた。記録することは許されず、聞いたことをどこまで記憶できるか、忍びに必要な記憶力を確かめてみた。

 そこでもひのえは好成績を残した。ところどころ間違えながらも、もう一人の子より多く和歌を詠った。


 あまりに物覚えが良いので、もしかしてひのえは没落した武家の子か、それとも裕福な豪農の子かとも疑ったが、本人は党首達に出会う以前の事を覚えていないらしい。


 ひのえの頭の中は、記憶のある箇所が真っ白に靄がかっており、そこを思いだそうとすると黒い影がちらつくだけで、何も思い出せない。無理に思い出そうとすると頭痛がしてくる。

 党首はひのえの出自に多少の疑問は持ったが、優秀な子に変わりは無いので、そのまま月の里へとひのえ達を連れていく。


 利根川に沿って歩き、険しい獣道を分け入って山を越えていく党首達だが、その途中でもう一人の子供が足を深く怪我してしまった。

 党首は手当てを試みるが、傷は深く、右足のふくらはぎの筋が切断されてしまっている。これではこの子はもう忍びになれないし、この先の道を歩くことも出来ぬだろう。

 仕方が無いので、山の麓の村に子供を担いで降りて、この子を引き取ってくれる家を探した。しかし足が使い物にならない子供は戦力にならないとして、どこの家も引き取ってくれなかった。

 唯一、近くをうろついていた人買いと思わしき男が、漁村の網を縫うくらいには役に立つだろうとその子を買った。党首はその子に、この先強く生きていけよ、と頭を撫でながら告げたが、その子供の瞳の濁りは最後まで晴れなかった。


 結局、月の里まで到着できたのはひのえだけになった。


 党首がひのえを里の上役と里長に謁見させ、ひのえは火の一族に入れることを許可された。

 しかし上役達や、他の里の者は、ひのえは忍びとして大成しないだろうと踏んでいた。


 それはやはり彼の容貌にある。奥州どころか日の本では珍しい褐色の肌、そして同い年の子供より拳一つ高い背。容姿だけで目立ってしまう。

 肌の色は化粧でごまかせるが、背の高さはどうすることも出来ない。背の低い者が大きく見せることは可能だが、その逆は難しい。年齢も十二歳はギリギリである。

 里で生まれた子は、忍びになるために三歳から党首を師として修行し、早い者は十二歳で試験を突破し一人前の忍びになる。遅くとも十五歳までに里の子は忍びとして独り立ちする。

 ひのえはあと三年で忍びとして独り立ち出来るのか。党首以外の火の一族の者は、ひのえを忍びに向かない子と決めつけていた。


 が、その予想は杞憂に終わる。


 忍びに向かない子と言われたひのえは、非常に高い身体能力と、抜群の戦闘能力を発揮した。


 たった三年の修行で、座学はもちろんのこと、あらゆる武術・忍術を習得し、そしてそれを最大限に発揮する身体能力を披露した。


 例えば、耐久限界試験という、各々が山にこもり不眠不休でどこまで動けるかという試験がある。どんなに優れた者でも三日三晩が限界であったが、ひのえは七日七晩耐えて見せた。これは里の最高記録で、今でも破られていない。

 更に、剣術・手裏剣術・槍術・弓術・棒術・体術といった武道全般でひのえは著しい成果を残した。十五になる時には、火の一族の焔党で、党首以外に組手で勝てる相手は存在しなかった。もしかしたら純粋な戦闘能力だけなら、里で一番かもしれない。


 だが、忍びにとって重要視されるのは、情報収集能力であり、戦闘能力はあまり必要とされていない。


 もちろん敵に見つかって戦うこともあるので、里の忍びは最低限の戦闘技術は身につけているが、高度すぎる戦闘技術を身につければ何気ない日常の所作にまで現れてしまい、ひと目で忍びだとバレてしまう。それに忍び同士がかち合うことは稀である。仮に戦闘に突入しても相手をねじ伏せ殺害することは少なく、大切なのは戦闘術より情報を生きて持ち帰る遁走とんそう術の方である。


 情報は時に命より重い。情報を手に入れるため、様々な職種の人間に化けられる変装術、情報を人より聞き出す話術、表情や仕草で相手を篭略ろうりゃくさせる術など、忍びには、人の心をよく知り、心の機微を感じとれることの出来る素養が一番に求められる。


 しかしながら、ひのえは、この人の心を理解する能力に欠けていた。


 十五の時、ひのえは党首から最終試験を課された。試験はその年や人物によって変わるが、ひのえの忍びとしての最終試験は、とある抜け忍を捕縛・抹殺することであった。

 標的の抜け忍の情報を与えられたひのえは、二日とたたず抜け忍を捕縛し、党首の目の前で殺して見せた。


 普通人を初めて殺すときは、標的の怯えきった顔に気圧されたり、仏教の教えなどの倫理観などで多少ためらいが見られるものなのだが、ひのえは、稲を刈るように相手の喉をかっきった。

 返り血に塗れながら、僅かに笑みを浮かべているひのえを見て、党首は、ひのえがただの殺戮人形になってしまうのではないかと危惧した。


 試験に合格し、忍びとして一人前の「つちのえ」の位を与えられたひのえに、党首はもっと人の心を理解するよう命じた。


 忍びとは、人の心を理解し、それを利用する者――ひのえは事あるごとにそう教えられ、心理学や変装術、話術を必死に学んだ。

 しかし十五で、他の忍びより背が伸び、今では里で一、二位を争うほど体格が良くなってしまったひのえが変装できる職種は限られてしまっていた。また生来の気質のせいか、人と話すのが上手くないひのえは、話術で情報を引き出すことも不得手だった。


 学問としての心理は心得ていても、ひのえには、相手が何を考えどんな気持ちでいるのかを理解することがなかなか出来なかった。

 そのせいか、ひのえがこなせる任務は限られてしまい、他の忍びの補佐に回るか、要人の護衛か、他にはあまり依頼の少ない暗殺任務しかひのえには出来なかった。

 高い身分の者の暗殺というのは、実はあまり行われない。高い身分の者一人を消すというのは非常に大変であり、リスクが高い。暗殺をきっかけとした戦が起こるかもしれないことを考えれば、要人暗殺というのは依頼側にとっても最終手段であり、里の暗殺任務依頼の割合はそう多くなかった。


 ひのえが、客忍として最高位であり、自らの名の階級「ひのえ」まで上り詰められたのは、ひとえに抜群の身体能力のおかげだろう。


 一度疱瘡にかかったことはあるが、果心居士のおかげで後遺症なく復帰でき、その後風邪一つひかない頑丈な身体と、傷の治りの早さ、驚異の戦闘能力。それらが評価され階級が上がっていき、「丙」に昇格したときには、もう二十歳を越えていた。


 その後、ひのえは里の忍びであるお千代を妻として娶った。月の里では一定の階級と年齢になったら、男も女も党首より同じ階級の同世代の伴侶をあてがわれ、子を作ることを義務とされた。

 外からの忍びであるひのえと違い、お千代は里で生まれ育った忍びで、年はお千代が三つ上だったが、ひのえと違い良く笑い、また変装術に長けていた。ついたあだ名が「百面相のお千代」である。ひのえも「金剛力こんごうりきのひのえ」などと言われていたが、忍びとしての腕はお千代の方が上だった。人の心に寄り添い、言葉巧みに人を調略してみせるお千代は、党首の言っていた忍びの定義に当てはまっていた。


 任務の傍ら、夫婦として幾度か肌を重ねたが、ひのえとお千代の間になかなか子が出来なかった。それでも数年後やっとお千代は妊娠できた。酷い難産の末女児を産んだが、女児は生まれてすぐ亡くなってしまい、お千代も子が出来ない身体になってしまった。


 子のむくろを何日も抱えながらお千代は泣いた。その涙は対象を篭略するための涙では無く、母として、子を失った悲しみからくる涙であった。


 そんなお千代の肩を抱きながら、ひのえは涙を流すことはとうとう出来なかった。しかし心にぽっかりとした空洞が出来、その空洞から虚ろな音がするのをひのえは感じた。

 それは“悲しい”という感覚であり、変わり果てた我が子を抱くお千代の悲しみを、他者の心をこの時初めてひのえは理解することが出来た。


 子が埋葬され、暫くしてお千代が別の任務にかり出され、二人が疎遠になったときに、ひのえに新しい任務が下された。


 それは、南奥州にある小国「三鶴」の当主の護衛任務であった。

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