第十四話:腑分け

 次の日も、さやと紫月しづき黒鍬組くろくわぐみ果心居士かしんこじ達と共に、さくら湖を迂回して次の場所に移動しそこで死体を埋葬した。


 奥州仕置きのせいで、戦場になったあちこちで死体が放置されている。さやは、最初こそ吐いてばかりだったが、次第に肉の腐る臭気に鼻が慣れてきて、死体を片付ける手伝いが出来るようになった。それでも腐り蛆の湧いた肉に触れるのを躊躇ったが、こみ上げてくる生理的嫌悪感をなんとか抑え、他の者と一緒に死体を運んだ。

 本当なら荼毘だびに伏した方が疫病を防げていいらしいが、こんなに沢山の死体を燃やすための燃料がないので埋葬するしかないと居士は言った。


 基本的に足手まといなさやだったが、唯一役に立ったことがあった。

 それはその視力を使って、次の場所に山犬などの獣がいるかどうか遠くから確認出来ることだった。


 山犬が死体を食らっているところに我々が行けば、こちらも襲われてしまう。

 居士達は獣が去るのを待つか、紫月を先行させて獣たちを排除させてから場所を移動する。

 獣たちを殺してきた紫月の作務衣さむえが返り血に塗れてるのを見て、居士は無駄な殺生をさせてしまったね、と苦笑いを浮かべる。

 芦澤あしざわ家の黒鍬組には、紫月は護衛の為の僧兵だと説明された。


 そうしてさくら湖から西へ向かい、郡山こおりやまの戦場についた時、さやはここで父が本陣を敷いていたことを思いだし複雑な気分に襲われる。


 そこにはもう三鶴の家紋入りの陣幕はなく、焚き火を起こした跡があちこちにあり、他には松明を灯した跡と馬のひづめの跡が残っているだけで、死体は小競り合いを起こしたと思われるわずかな数しかなかった。

 この死体は、父か家臣が斬った敵のものなのか、それとも逆に、坂ノ上軍の誰かが敵に斬られた者なのかさやには分からなかった。それらの死体は、他の戦場に残されたものと同じく身ぐるみを剥ぎ取られ素っ裸であり、身元が分かるようなものは何一つ身につけていなかったからだ。

 昔ながらの重臣ならともかく、坂ノ上軍のただの兵の顔を、さやは当然ながら知らない。死体の顔はやはり腐敗が始まっており人相が分からない。


 ――ここが、坂ノ上軍の本陣……


 戦の時は常に三鶴みづる城に居たさやにとって、初めて自分の家の軍の本陣だった場所に来たことになる。ここに確実に父がおり、軍があり、戦が行われていた事を改めて痕跡などから知ると、鎧武者達が闊歩し、馬のいななきが辺りに響く光景がさやの脳裏に浮かんでくる。


 幸いに、というべきか、ここの死体は五つほどしかなく、腐敗状態も今までの所より軽めであった。果心居士は、そのうちの四つの死体を集めて蒸留酒を少しだけかけて、木を格子状に組みその中に死体を入れ火をつけ火葬する。数が少なかったので、初めて荼毘に伏すことが出来た。

 大きな荼毘の炎に手を合わせ、黒い法衣に袈裟姿の正装の居士が経を読み終わると、居士は炎が止まない内に、残り一人の死体を茣蓙ござの上に乗せる。その死体は若い男性であり、どうやら落馬で頭を打って絶命したらしく、倒れていた所が木々の影で日の当たらない場所だったことが幸いして、今までの死体の中で一番損傷が少なく状態が良かった。


「よし、これより腑分けふわけを行う」


 口当てマスク前掛けエプロンを装備した居士は、さやと紫月、お付きの僧侶達にそう声をかける。居士はもう正装は脱いで作務衣に着替えている。


 腑分け――つまり解剖を行い、人体の仕組みを知ろうというのだ。


 この時代、まだ外科的処置はほとんど発達しておらず、人間の身体を無闇やたらに切り刻むのはとんでもないという考えが根強かった。

 だが十四世紀以降、金創医という外科処置専門の医者が現れ、戦乱により外傷が多かったこの戦国時代は、外科処置が飛躍的に発展していく勃興期であった。


 日の本で一番古い解剖の記録は、十八世紀の江戸時代の山脇東洋やまわきとうようが『蔵志ぞうし』という人体解剖図を残している。だが、平安時代の宮中医官の丹波康頼たんばのやすよりが残した日の本現存最古の医学書『医心方』に、簡易的ではあるが鍼灸しんきゅうの為の人体図が載っている。


 世界的に見れば、解剖学は古代ギリシャ・ローマから始まり、プトレマイオス朝エジプトのアレキサンドリアにおける人体解剖の発展、十一世紀のアラブ・イスラム医学で解剖学が導入されており、一三一五年頃、ボローニャ大学にてヨーロッパ最初の人体解剖の記録が残っている。そして一四八九年、レオナルド・ダ・ヴィンチが人体解剖の素描を描き始め、二〇年で三〇体近い死体を解剖し、七五〇枚近い素描を残している。

 このことを踏まえれば、医学の為に解剖――腑分けを行うのは何も特別というわけではない。しかし、人の身体を戦以外で切り、さらに内臓を露出させるというのは、さやの倫理観からは酷いことだとしか思えなかった。


 居士以外の僧侶達の顔にも嫌悪感が漂っている。黒鍬組の者は遠巻きにこちらをチラチラ見ており、決して近づこうとしなかった。

 紫月は眉をひそめたりせず、普通の状態だ。居士は気にせず、献体となる男性の亡骸に手をあわせ、眼を瞑った。つられてさやも手をあわせる。

 次に居士は小刀で、男性の喉元から、身体の正中線に沿って切れ目を入れる。すると皮が左右にめくられ、あばら骨と内臓が露わになる。さやは思わず息を呑み、他の僧侶達は少し悲鳴をあげた。が、この数日、散々腐った死体を見てきたせいか、さやを初めとする誰も嫌悪感で吐き出したりしなかった。

 心臓、肺、胃、腎臓、膵臓、腸……と、居士は紫月の手を借りながら一つ一つを取り出し、説明する。さやは、天恵眼てんけいがんにより人体の構造は見慣れているつもりだったが、内臓や骨の実物を見たのは初めてだ。


 居士がどうして人体解剖図を持っていたかやっと分かった。今までこうやって死体を腑分けしてきたのだろう。


 さやは、倫理的な嫌悪感を抑え、これらの内臓が自分にも存在し、今この瞬間も動いて自分の生命を維持しているのだと思うと、なんだか不思議な気持ちになった。

 前掛けを血まみれにしながら、居士はお付きの僧侶達に解剖図をそれぞれ書くよう命じていた。僧侶達は最初こそ筆が進まなかったが、次第に居士の説明を受けながら内臓の位置や役目を図にしていった。


 さやは、解剖図こそ書いてないものの、生きているときと違う内臓の様子を眼に焼き付けた。腎臓の位置と形、腸の長さ、脾臓、膵臓など、今まで透視していた時に重なって見えづらかった部分を一つ一つ確認していく。

 次に手足を切り、骨に対する筋肉の付き方、三角筋、大臀筋、大腿四頭筋など、それぞれの筋肉の名称と役割を教えられ、腑分けが一通り終わる頃には、荼毘の火が大分弱くなっていた。


 居士は切り開いた死体に内臓を戻し、まるで裁縫のように糸で人体を縫い、開かれた身体を塞いで見せたことにさやは驚いたが、居士が再び死体に向かって手を合わせ眼を瞑ったので、さやもあわてて手を合わせる。

 そして死体を炎の中に入れ、血まみれの茣蓙ござと前掛けも炎に入れて、急いで正装に着替えた居士は再び経を読む。黒鍬組も待ちくたびれたかのように立ち上がると、手を合わせ眼を瞑る。その時酒の匂いが彼らから漂ってきて、さやは、我々の長い腑分けの間、彼らが酒をかっくらっていた事に気づき黒鍬組を睨んだが、紫月が肩を叩きさやを諫める。


 経が終わっても、荼毘のための炎は燃え続け、死体を完全に骨にするのに丸一日かかった。


 ※

 ※

 ※


 荼毘に伏した骨を埋葬し、さや達は更に西へ進みんだ。


 山道を暫く進むと、目の前に猪苗代いなわしろ湖が開ける。湖に沿って進み、磐梯山ばんていざんの麓の、芦澤家率いる奥州討伐軍が本陣を置き、さやの父である坂ノ上清宗さかのがみきよむねが討ち死にした摺上原すりあげはらにたどり着く。

 すでに討伐軍は摺上原から引き上げているが、そこには他の戦場より多く死体があちこちに転がっていた。


 ここで、父上が死んだ――そう悟ったさやは、顔を強ばらせる。


 紫月によれば、父は最後まで戦い抜いたらしい。その身体は紫月が施した術式により青い業火に焼かれ骨すら残っていないが、さやは紫月から父の遺髪を受け取っていた。敵本陣に切り込む前、宝刀と共にさやに届けるよう紫月に命じ、坂ノ上清宗は髪を切りそれを懐紙に包んで紫月に渡した。その遺髪は、今さやの懐に仕舞ってある。


 さやの心がざわつくと、突然目の前に阿久利アクリ号に乗った父の姿が浮かぶ。父の周りにはすでに討たれた重臣達が骸となって倒れている。父は満身創痍ながらも雄叫びを上げて敵を斬りつけるが、ついに落馬し、その脇腹に刃を受け――


!」


 怒鳴られ、さやは遊離しかけた意識を取り戻す。

 視界を誰かの手が塞いでいる。きっと紫月だろう。恐らく天恵眼てんけいがんがまた開眼され瞳が光ってしまい、それを隠すため紫月が目隠しをしてくれている。


「なんだい? そこの坊主、一体どうしたんだい?」


 黒鍬組の一人が怪訝そうに声をかけてきた。さやは紫月によって目を塞がれたまま原の隅に連れて行かれる。


「恐らくあまりに多くの死体を見たんで動揺してしまったんだろうよ」

 居士がとりなすように言う


「へえ。しかし遮那王しゃなおうとは、あの源義経の稚児ちご名と同じかい?」

「ああ、儂がつけたんだ。いい名だろう?」


 涼しい顔で居士は答えながら、遮那王しゃなおうことさやの様子を横目で見る。紫月がかばうように背を向け、その大きな体躯にさやは完全に隠れている。

 さやは紫月の作務衣の端を掴みながら、荒くなった呼吸を整える。先ほど見えたのは幻覚か、ただの白昼夢か……


 まだざらつく心を落ち着かせようと、さやは息を吸い、そして吸う時より倍近く長く吐く。

 整息法の重要性は居士や紫月から教わっている。呼吸は肉体にも精神にも深く作用する。意識して吸い、そして吐く。それを繰り返していると、次第に視界が元に戻っていき、紫月の身体も透けなくなった。


「さや様。今回はここに座ってゆっくり休んで下さい」


 そう耳打ちし、さやの瞳が完全に戻ったのを見て紫月は死体処理に向かう。さやは少し逡巡しゅんじゅんすると、摺上原の隅の木陰に座り膝を抱えた。


 父や重臣達が討ち死にしたこの戦場にいて、自分が冷静でいられるとは思えなかった。

 さっきみたく開眼して瞳が光るところを、芦澤家の黒鍬組の奴らに見つかったら大変だ。私が坂ノ上のさや姫だとは思わなくても、不審な子供として芦澤家の上層部に報告され、報告を受けた芦澤家の者が果心居士達を捕まえるかもしれない。

 居士達に危害が及ぶだけじゃなく、最悪自分の素性がばれてしまう。それは避けたい。ここで捕まるわけにはいかない。まだ復讐はなにも成されていないのだから。


「…………」


 さやは、摺上原に散った亡骸を黒鍬組や居士達が大車に乗せて運び、他の者が穴を掘っているのをぼうっと見ていた。もう何度も死体を処理しているので、僧侶達の手際は最初の頃より良くなっていた。


 木にもたれかかりながら、さやは昨日野宿した際に、黒鍬組の奴らが言っていた事を思い出す。


 なんでも奥州平定を成した豊臣秀吉が、大坂城に帰投するなり元号の改元を朝廷に申し入れたらしい。


 今は天子様を初めとする朝廷の者が協議を繰り返している最中だろうが、もう豊臣秀吉は天下人のつもりでいる。確かに全国は一応平定され形上は天下統一を成されたので、秀吉は天下人といってもいいのかもしれない。


 だが、天下を統一するため、どれだけの人が犠牲となったのか彼はわかっているのだろうか。


 ある者は国を滅ぼされ、ある者は家を焼かれ、ある者は惨殺された。これが天下統一のための必要な犠牲だと割り切ることはさやには出来なかった。現にここ、摺上原には沢山の犠牲者がおり、その身を獣に食われ、風雨にさらされている。


 本当に、天下統一のために父や母、三鶴の民は死ななければいけなかったのか?


 まずい。怒りでまた天恵眼が開眼したようだ。視界が広がってしまう。

 さやは懐から清眼膏せいがんこうを取り出そうとして、ふと、左側の視界の隅に寝転がっている物体を視認してしまった。


「……犬?」


 銀褐色の体毛を持つ犬は、しかしその毛並みは汚れており、息も絶え絶えのようだ。お腹が膨らんでおり、さやは、その腹の中に五匹の子犬を妊娠しているのをしてしまう。


「大変!」


 さやは思わずその雌犬の元に駆け寄った。妊娠して気が立っている犬は、近づいてくるさやに威嚇するように唸って見せた。

 しかしそのうなり声も、掠れた吐息にしか聞こえなかった。

 威嚇を受け、さやはその場に留まる。母犬の心の臓の動きが弱い。このままだと母子ともに死んでしまう。手を差し伸べても噛まれてしまうだろう。


(……どうすればいい?)


 さやは、犬の身体の構造は見えていても、どういった処置を施せばいいか分からなかった。人間相手の簡単な傷の手当ての仕方なら教わっていたが、死にかけている妊娠犬にどう接していいのかわからない。


 せっかく全てが見えても、見えた事象に対しどうやって動けばいいのか分からなければ、ただのでくの坊の役立たずだ。


 居士か紫月に助けを求めようとしたが、彼らが忙しく動き回っているのを見ると、声をかけるのを躊躇ってしまう。ただでさえ今の自分は役に立ってないのに、忙しい彼らの手を煩わせるのが申し訳なく思えて声をかけられない。


 考えろ、考えろ。腑分けしなくとも私には全て見えているんだ。目の前の命を救う方法だって――


 ……腑分け?


 そうだ、郡山で、私は居士の腑分けを見た。のをきちんと見た。

 いや、まさか。でも、ならお腹の子犬は助けられる。でも……


 そこまで考えると、母犬がかはっと激しい咳を吐く。と、同時に陰部から破水する。生臭い羊水の匂いがさやの鼻腔に届き、腹の中の子犬達の様子が変わるのが見えてしまった。

 もう考えている暇はない。さやは走り出し、居士の元に駆け寄ると、「果心居士! 刀と糸と綺麗な布を頂戴!」と叫んでいた。


「な! さ……遮那王! いきなりなんだい?」


 居士が驚いてさやを自身の身体で隠す。黒鍬組の者にさやの瞳が光っているのを見せないためだ。


「あっちで身ごもった犬が死にそうになっている! このままだとお腹の子も死んじゃう!」


 大声で必死に訴えるさやに向けて、他の僧侶や黒鍬組の者、そして紫月がなにごとかと視線を寄越す。


「居士がやったみたく、私がお腹の子犬を助ける! 

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