第7話
戦闘後、カイは日が暮れたころにキシリグ孤児院に帰った。
「ただいま」
ドアを開けながら帰宅を告げると、すぐに玄関にアカネがやって来た。
「おかえり。思い出した用事。ちゃんと終わった?」
「あ、ああそれは大丈夫だった。急にいなくなってごめん」
「別にいいって」
そう言って、アカネはキッチンの方へ向かい、途中で、足を止めて振り返った。
「あ、もうすぐ夕ご飯だって」
夕食後、カイはすぐに自室に入った。いつものように課題を広げてはみたものの、疲労と考えることの多さから、勉強になどとても手をつける気がしない。
あの『マナコ』という怪物の最後の言葉が引っかかっている。
「『語る者が現れる』か…………」
その『語る者』ならば、カイ達を取り巻く謎の答えを教えてくれるのだろうか。もしそうならば、たとえそれが怪物と同種の存在だったとしても、話を聞いてみたいとは思う。
それから二日後。放課後のチャリオン学園。
部活に入っていないカイは今日も帰宅の準備。
「そういや、課題は終わったのか?」
前の席のコウヤが声をかけてきた。
「ああ、終わった終わった」
カイは机の上にプリントの束を出した。
「まあ、だいぶ姉に手伝ってもらったけどな」
カイはプリントの束を持ったまま教室を出て、コウヤに別れを告げ、そのまま職員室へと向かう。担任の九条がいた。
「おお、課題は終わったか」
カイの持っているプリントを見て、九条はすぐに気づいた。
「終わりましたよ、すっごい大量でしたが」
「それくらいやれば次のテストもバッチリだろう」
「ありがた迷惑ですね」
「『迷惑』が余計だ」
そう言いながら、九条はカイの持つプリントを受け取る。
「失礼します」
「おう、お疲れ」
カイは職員室を出た。
すると、そこへコウヤが走ってきた。
「あ、やっぱりここにいたか!」
「どうした?」
焦った様子のコウヤに、カイは疑問に思いながら訊ねる。
「いやな……校門の辺りで、お前を呼んでる女の子がいて……」
「アカネじゃなくて?」
「いや、一ノ瀬先輩じゃない。それに、うちの制服は着てなかったな」
カイは状況を理解した。ソラだ。
「だいたい分かった、ありがとう」
カイは玄関へ急ぐ。
「前に噂になった、他校の女子か?」
ついてきながら、コウヤが愉快そうに聞いてくる。
「まあ、うちの学園の生徒でないってことは合ってるかな」
ソラは学校そのものに通っていないのだから、他校という表現は適切ではない。
だが、説明するには少し複雑な関係性だ。
それにしても、校門にいるソラが自分をわざわざ呼んだというのが少し不思議だ。以前の時のように会う約束を交わしていたわけではないから、『来るのが遅い』とか、そういうことではないはずだ。
カイはわずかに胸騒ぎを覚えながら、先を急いだ。
校門に立っていたのは、予想通りソラだった。
カイの姿を見た瞬間、駆け寄ってくる。
周りの注目を浴びるが、そんなことを気にしている余裕はない。ソラの表情が何か焦ったような感じだった。
「どうした?」
カイが訊ねる。ソラは浮かない表情で、一瞬だけ言葉を整理するための間を空けてから、言った。
「……嫌な予感がする」
「予感?」
「そう、ただの予感。だけど……」
「そうか……そりゃマズいな」
カイは彼女が言わんとすることをすぐに理解した。『予感』というものはおよそ何の根拠がない場合もあり、杞憂に終わるものがほとんどだ。だが、その予感を抱いているのが目の前の來葉ソラであるならば、それは全く別の意味を持つ。
人混みの中でカイを見つけ、戦ったこともない怪物の出現を察知し、ツインズの力の引き出した彼女。直感が誰よりも鋭い彼女の『予感』は、それだけでもとりあえず信じるに足る。
「とにかく、ここから移動しよう」
ソラを促し、カイは校門を離れる。どこへ移動するかは考えていないが、何かあった時に人目を気にせずにいられた方がいい。予感が正しいならば、おそらくまたこの街に怪物が現れる。
人通りの少ない通りを歩きながら、ソラから話を聞き続ける。
「嫌な予感って、具体的に何か分かる?」
「うーん……怪物が現れた時の感覚に近い……ただ………」
ソラの表情は険しい。
「これまでで一番、胸がざわつく」
「……そうか」
カイは早くも、戦う覚悟を決める。それは隣のソラも同様らしかった。
予期通り、二人の目の前で視界にノイズが走る。
「来た!」
ソラが叫ぶ。ノイズはざらつくようにランダムに明滅し、空間に裂け目が生じる。
「目の前か……」
彼らの前方、十数メートル先で、裂け目は確実に大きくなっていく。
裂け目から現れた影。その姿を見た瞬間、ソラとカイは息を呑んだ。
現れたのは、ヒトの姿をしていた。
世界の割れ目が閉じる。
灰色の奇妙な服を着たその青年は視線をソラとカイに向け、そして薄く笑った。
「うまいこと、キミ達の前に出てくることができたみたいだね」
青年の笑顔に対して、ソラとカイは表情を引き締める。
「……何者だ?」
カイの問いかけに、青年は納得したように言う。
「ああ、確かにこの姿じゃあね」
青年は自分の姿を見直すように視線を動かし、それからまたソラとカイを見た。
「まあ、分かりやすく言うなら、キミ達が今まで戦ってきた怪物と、同じ存在だと考えてもらっていいかな」
「……そうか」
ソラとカイは一転、臨戦態勢に入ろうとする。
それを見て、青年は慌てるように手を振って言う。
「いやいや、そんなに身構えなくていいよ。今日はただ、キミ達と話をしに来ただけだから」
青年は両腕を広げた。戦意がないことを示すように。
ソラとカイはそれでも、警戒を解かない。
「お前……やけに喋るな」
「当然だよ、ボクはそのために生まれたのだから」
楽しそうに青年は笑い続ける。
「自己紹介がまだだったね、ボクは『クチ』…とりあえず名前としてはそういう呼ばれ方をされている」
以前に戦った特殊個体の怪物も、何かしらの、おそらくは体の部位に関連した名前を持っていた。
「……話をするだけと言ったが、一体何を話してくれるんだ?」
「そうだね……キミ達のこと、ボク達のこと、その全てを」
「そりゃありがたいな」
だが、感謝を示す言葉とは裏腹に、カイの感情はこれ以上なく昂ってしまっている。
ソラやカイ自身のこと。
怪物のこと。
何もかもが謎のこの状況で、それを解いてくれるのならば、相手が敵であろうと情報を得ておきたい。
そんなカイの考えを読んだように、『クチ』と名乗った青年は言う。
「どうやら、話を聞いてくれる気になったみたいだね」
「ああ、聞いてやるよ」
そう答えながら、カイはソラをちらりと見た。彼女もわずかに頷く。とりあえず話を聞くことに異存はないらしい。
「それは良かった」
満足げに頷いた。
「では少し、ボクが昔話をしよう」
その昔話は次の一言で始まった。
「『昔々……まだ人類が生まれていなかった頃、この世界に神様が降り立ちました』」
カイとソラは言葉を失う。あまりにも突拍子もなく、現実離れした『昔話』の序文だったからだ。
クチはその反応を確認して、それからまた元の調子で続けた。
「『神様はこの地で少し変わった生き物を作ろうと思い立ち、知性に特化させた生き物、人間を作りました。そして、人間がどう進化していくかを観察しようと思いました。……神様が予想した通り、人間は瞬く間に進化し、そして他の種には無い文明を作り上げ、繁栄していきました』」
カイはこの時、どこかで聞いたことのあるような話だとうっすらと思った。それはどの地にも残されている神話の骨子と、構造が似通っていたからだった。
「『しかし、人間の繁栄速度は神様の予測すら超えていました。人間は他の種の生活圏を圧迫し、自然を自らのために造り変えていきました。限られた資源も、再生速度を遙かに上回る勢いで使い潰していきました』」
クチがそこで口を三日月の形に大きく広げ、意地悪く笑った。
「『そこで神様は悩み、考えました。……人間という種はあまりにも自然の秩序を乱している、これを根絶やしにしなければ、他の種が死に絶えてしまうかもしれない。……しかし一方では、多数のために少数を捨てるという考えは、あまりにも医師の介在しない機械的思考で、神様の感情はそれを是としませんでした』」
クチは歌うようにすらすらと、語り続ける。まるで自分がそのために生まれてきたように。あるいは実際に、そのために生まれて来たのかもしれない。
「『神様は悩んだ末、このまま見守り続けることに決めました。……しかしそこで、神様は気付いてしまいます。もしかしたら遠い未来、自らの決断を忘れ、人間を滅ぼそうとしてしまうのではないか。そして、そうなった時、全能である神様自身を止める方法は何もないのだということを。……そんなことは気にせずにその時の判断に従えばいいものを、高潔な神様はそれを良しとはしませんでした。そこで神様は考えます。どうすれば、自分が決意を翻す可能性をゼロにできるだろうかと。神様はひたすら悩み続け、そしてとうとう答えを出しました。………自らを永久に眠らせることにしたのです』」
淡々と続けられるその語りに、ソラもカイも挟む言葉を持たない。どんなに突拍子がない話でも、聞かなければ始まらない。
「『……神様は魂・精神・肉体の三つの要素によって構成されていました。神様はこのうち、魂と精神を抜き出してしまうことで、自ら永遠の眠りにつこうと考えたのです。宇宙の果てよりもはるかに遠い次元の向こうで、神様は自らの魂と精神を同時に吐き出しました。しかしその瞬間、またしても神様が予期していなかったことが起きます。神様は、自らの魂と精神が持つ力の大きさを知らなかったのです。おそらくは神様自身はそれを見たことがなかったのですから』」
そこでクチはたっぷりと一回呼吸した。
「『……吐き出した魂と精神は、次元の壁を砕き、そして、こちらの世界にやってきました。そして、その場所にはちょうど………』」
カイは痺れるような感覚を覚えた。本能で悟ったのかもしれない。今、全ての核心に触れようとしている。
「『………その場所にはちょうど、一機の飛行機が飛んでいました』」
カイは目を見開いた。感情の許容量を超えた心が震えるように、心臓がどうしようもなく弾む。隣でソラも同じような反応をしているのが、隣を見ずとも分かった。
「『………魂と精神が次元の境を乱した衝撃で、飛行機の機能は停止し、真っ逆さまに落下を始めました。そして同時に、行き場を失った神様の魂と精神は、その飛行機の中にいた人間の中で、最も無垢な存在に入り込みました。……魂は女の子に、精神は男の子に』」
「そんな……」
ソラが声を漏らした。カイは思わず、自分のことも忘れてそちらを見る。ソラは愕然と立ち尽くしていた。それを見てカイは、やはり自分もこんな状態なのだろうと思った。
『昔話』の続きは、もはや昔ではなく、現在に繋がるものだった。
「『墜落した飛行機の中の人間は、神様の魂と精神を授かった二人の子供を除いて、全て死んでしまいました。生き残った二人のうち、男の子はすぐに目を覚ましましたが、女の子は目覚めませんでした。……彼女は今も目覚めていません』」
「ちょっと待て!」
カイは思わず叫んでいた。
「その女の子は、目覚めていないはずはない。……今のお前の話が全部本当だとして、俺はその子を知っているし、ちゃんと会っているはずだ。お前の話は、どういうことだ?」
ソラがカイの方を見ていた。カイも一度彼女の方を見て、すぐに目をそらす。
彼女の眼は、カイが今まで見た中で最も不安げに、揺らいでいた。
語り部の青年は頭を軽く掻いた。
「ああ、そのことか。順序立てて話そうかと思ったんだけど、リクエストがあったから先に答えるとしよう」
クチはまた薄く笑い、そして続ける。
「キミが会っているその女の子は確かに存在している。でも、今ボクが話した通り、その子は確かに目覚めてはいない。今も眠ったままだ」
「どういうこと……?」
今度は、ソラが訊ねていた。
クチは言葉を弄ぶように言った。
「そのままの意味だよ。そこの少年が言ったことも正しいし、ボクの言ったことも正しい」
歌うような言葉に、カイは苛立ちを覚える。
「だから、それがどういうことかって聞いているんだよ!」
「焦らないでほしいな」
クチはまるで動じない。
「だが、ボクには当たり前のことがキミ達にとっては当たり前でない、あるいは知りもしない事実なのかもしれない。………キミ達は、魂がどのくらいエネルギーを持つものか知らないだろう?」
「ああ、知らない」
カイが即答した。
「だから、早く答えろと………」
「……魂っていうのは、膨大なエネルギーを秘めている。それは生物の存在の根幹に関わるものだからね。キミ達人間が魂と命を混同するのも、無理もないことだ」
これまでで一番真面目な口調で、クチは言った。
「元々、魂は一つの生物が二つも持てるものじゃない。存在の核となるのだから、二つ持つことはそれ自体が自己矛盾を生じさせる。だが、神様の魂を受け取った女の子は、元々彼女が持っていた魂と神様の魂の、二つを抱えることになった」
「それって……」
ソラは何かに気づいたように言った。
カイにはまだ分からない。クチの次の言葉を待つ。
「彼女は二つの魂を一つずつ抱えて分離した。片方は眠りについたまま、もう片方は彷徨い、そして片割れとなる男の子を見つけた」
場を沈黙が支配する。
それはソラとカイの理解が追い付くのを待っているようだった。
「……じゃあ、ここにいるソラは、分離した片方ってことになるのか?」
「そういうことになるね」
そう肯定してから、クチは補足する。
「おっと、キミ達は勘違いしているのかもしれないけど、『分離したうちの片方』イコール『彼女がニセモノ』だとは思わないでくれよ」
クチがソラを指差す。
「そこにいる彼女は間違いなく、人間『來葉ソラ』だ。そして、どこかで眠りについたままの女の子も、『來葉ソラ』であることには違いない。そういう意味では『來葉ソラ』はこの世界に二人いることになるかな。もっとも、片方が眠っている間に、もう片方が行動しているだけだから、常に二人が行動しているわけでないという点で、世界に対してきちんと整合性は取れている」
「………私は、本物?」
自分で確かめるように呟くソラ。
「そうだよ。……まあ、どう受け取るかは結局本人次第だけどね」
クチは目を細め、ほんの少しだけ憐れむような表情をした。
「本物?本当に?私は……」
彼女の声はとても弱く、か細い。
存在の確かさを証明しかね、不安が涙となって、静かに彼女の目から零れた。
そして、彼女の涙を初めて見て、カイは一つの結論を出す。
表情を引き締め、クチに、そして誰よりもソラに聞こえるようにはっきりと言った。
「今ここにいる彼女が間違いなく本物なんだろ?だったら、俺はそれでいい」
俯いていた彼女が彼の方を見た。涙が散る。
「俺は、君を知ってる。君と出会って戦ったし、楽しいことだっていくつもあった。神様だの魂だの難しいことが色々と絡んでいようと、そんなことは知らない」
そう言って、カイは笑みを浮かべた。
「別にどこかで眠ったままの君でも、今ここに立っている君でも構わない。俺と一緒に『ツインズ』になったのは『來葉ソラ』であって、それ以上の事実は要らない」
カイの言葉に、クチは笑った。
「へえ、やっぱりキミはそうか。神の精神を受け取った人間だけあって、人間特有の意思とか決断とかいうものが、殊更に強いと見た」
「否定はしない。俺は運命なんてものより、選択を大切にしたい」
それを聞いて、ソラは思い出す。
彼が以前言っていた。運命ではなく、選択なのだと。それこそが彼が重視するものであり、そのことを今また、彼は言葉にして体現した。
だから、ソラも選択する。ここにいる自分は、確かに本物なのだと、そう信じる。
「カイ」
彼の名を呼ぶ。涙はもう出なかった。
「……私は、間違いなく君の片割れだよ」
「ああ、知ってる」
「覚悟は決まったようだね」
クチは相変わらず笑っていた。語り部にして、傍観者。劇の観客を気取るかのよう。
そんな相手に、二人は確かめなければならないことがあった。
「最後に一つ質問だ」
「……あなた達は、何をするつもり?」
クチは笑みを深くした。
「………キミ達二人が神の『魂』と『精神』であることはもう話したわけだけど、それなら残った『肉体』がどうなったか。………魂と精神を失った肉体は次元の彼方で辛うじて生き続けた。そのままの形では維持できず、自らをいくつもの断片に分解し続けた。そして、それらの断片には神様の思考がわずかながら、残留思念として残っている。彼らは個々に動き回り、少しずつ次元の壁を食い破り、こちらの世界へやって来て目的を果たそうとしている」
「つまり、それがお前達か」
「ああ。この断片をボクらはサイズによって分類してるんだ。細胞一個を『セル』、器官一個分の大きさのものが『パーツ』。例えば、ボクは文字通り、神の『口』から生まれた」
「……神の『肉体』の一部が、俺達が戦ってきた怪物だったってことか……」
『ヒダリアシ』、『ミギウデ』、『マナコ』。
今まで戦ってきた特殊個体の怪物は、神の身体器官の一部だった。
話を元に戻すように、ソラが促す。
「で、あなた達『肉体』の目的は?」
クチがまた笑った。その笑みはこれまでで最も愉悦に満ちていて、そしてソラとカイの目には最も邪悪に映った。
「……ボク達に残留する神の意思は、『人類を滅ぼし世界をリセットすること』。そのためにボクらは『魂』と『精神』を取り戻し、そして神として甦る」
彼ら怪物は神の『肉体』。そして、『魂』はソラが、『精神』はカイが持つ。
つまり、それが意味するのは。
「俺達を倒して、それで取り込むってことか?」
「そういうことになるね」
ソラが質問を重ねる。
「取り込むとか……そんなことできるの?」
「元が同じなんだ、できない方がおかしいと思わないかな?」
クチはさらっと言った。
「取り込むことで、魂・精神・肉体の全てを備えた神として復活できる。そして、神の力を振るい、人間を滅ぼす。それがボク達に刻まれたプログラムだ」
ソラもカイもそれを否定できない。あり得ない話とは思わなかった。
だが、それを受け入れるかはまた別問題。
「そんなこと、させない!」
ソラは叫び、カイがそれに同意する。
「ああ、俺達は取り込まれるつもりはないし、ましてや人類滅亡なんて認めるわけにはいかない」
ソラとカイは、目の前の敵に対して、戦意を昂らせていく。
だが、その様子を見てクチは首を横に振った。
「言っただろう、今日は戦うつもりはない。それに、こちら側の世界にいられるのももうそろそろ限界だしね」
その発言に呼応したように、その背後に空間の裂け目が生じる。青年の姿のまま、クチは一歩下がって、その裂け目の中へ入っていく。
「次にボクが来るとき、そこで全ての決着を着けよう。ボクはキミ達を取り込むために全力を尽くす」
裂け目が閉じていく。
消えていく中で、クチの表情に、凶悪な笑いが過った。それは彼が怪物であることを証明するかのような、人外の者の笑み。
「……『口』ってのは、喋ることの他に、捕食するのに使われるからね………」
敵が姿を消した瞬間、カイはその場に座り込みそうになる。様々な情報が追加された脳のメモリーがパンクしそうだった。
だが、今ここで倒れるわけにはいかない。
ソラが隣で気丈に振る舞おうとしているのだから。
そんな彼女は、カイの視線に気づいた。
「何?」
「いや……」
カイは一瞬口ごもるが、聞きたいことを正直に訊ねた。
「大丈夫か?」
当たり障りのない、漠然とした言葉。ただ、今の状況ではそれが意味するところは明らか。ソラにもそれはすぐに伝わった。
「まあ………大丈夫って素直に言えるかは、怪しいかな」
「だよな………」
暗い表情になるカイ。当然だ。大丈夫なわけがない。カイだっておよそ『大丈夫』とは程遠い精神状態なのだから。
自分達の過去。
なぜ力を手に入れたかを知った。
それと同時に、この神による人類の創造などという、およそ想像することすら難しいような出来事まで聞かされて、しかもそれが自分達と密接に関わっていると知った。
さらに言えば世界の命運が自分達に懸かっているとまで言われて。
さらにソラは、自分が二人いるなどという事実まで知ることになったのだ。
だが、ソラが不意に笑った。
「フフッ…」
「何笑ってるんだよ?」
可笑しいことなど全然ないこの状況で、なぜ彼女が笑ったのか分からない。
ソラは笑ったまま答えた。
「……嬉しかったから」
「何が?」
「君が言ってくれたことが嬉しかった。矛盾だらけの私を、君が肯定してくれた」
「ああ………」
それは特別なことではなく、カイにとって当たり前のことだった。
「だって、君は確かにここにいる」
「……それが、嬉しい」
「そりゃどうも………」
カイは照れて、頬を赤らめる。
ソラも少しだけ目を伏せていた。
沈黙。だが、嫌な静けさではなかった。
だ
「………どうする?」
「……考えるしかないよ、そして戦うしかない」
「……まあ、そうなるよな」
やらなければ、それで全てが終わる。
「ソラ」
「何?」
「時間が無いのは分かってるけど……。とりあえず一晩……気持ちの整理をつけたい」
「私も………そっちの方がいいかな。じゃあ、また明日、君の学園に行くよ」
「ああ……ただ、あんまり騒ぎを大きくしないでもらえると助かるかな」
今日の放課後の騒ぎを思い出したのだ。
「え、どういうこと?」
ふざけているわけではなく、本当にソラはピンと来ていないらしい。
「……君、かなり目立つからさ」
「ええ、ホント?……制服着てないからかな?まあ、私は別にいいけど」
「俺が良くない」
「ええ……」
面倒そうに、渋い表情でソラが不満の声を漏らす。
カイはため息をついた。
「まあ今さら別にいいか………」
前は自分から校門を待ち合わせ場所に指定したことすらあった。気にするなど今さらだ。
「……じゃあ、明日校門で。なるべく早く俺が行って、即時退散だ」
「そうだよ。君がちゃんと時間通りに来ればいいだけ」
そう言ってから、ソラは少し意地の悪い笑みを見せた。
「今日だって、もっと早く来れば問題なかったのに」
「それは言いがかりだ。今日は約束なんてなかった。嫌な予感がするなんて、君以外に分かるわけないだろ」
「フフッ」
「笑い事じゃないって……」
そう言いながらも、カイの方まで少し笑ってしまう。
出会った時は、こんな風に笑い合えるようになるなんて思いもしなかった。たとえ様々な因果の末の出会いで、そうでなければお互いに普通に生きていたのかもしれないとしても、これはこれでいいのかもしれない。少なくとも、出会ったことを不幸だとは思わない。
「じゃあ、また明日」
「うん」
そう言って二人は違う方向へ。
だが、カイが振り向くと、もうソラはいなかった。
その理由ももう知っている。彼女が、神の魂を持つことで生まれたイレギュラーな存在だから、幽霊のようにいなくなってしまうのだろう。だが、彼女は幽霊ではない。確かに、生きている。
キシリグ孤児院に帰ったカイは、気が付けば「心ここにあらず」状態になってばかりだった。
セシル院長が気にかけてくれて、夕食時に「具合が悪いの?」と聞いてくれた。だが、カイはそれを誤魔化して答えた。アカネも少し変な表情をしていたが、気を遣ったらしく、何も聞いてこなかった。
カイは食事後すぐに自室にこもった。
自分の謎が今日、唐突に解けた。
あらゆるものを失った事故のことも。
ソラとの繋がりのことも。
自分が背負わなければならないものも。
重い。全てが重い。どうしようもないほどに重い。
だが、咀嚼して、呑み込んで、消化しなければ。
カイは目を閉じ、椅子にもたれかかって、過去を思い返す。
事故のことをまず思い出した。カイの両親が、ソラの両親が、他にも多くの人間が死んだ事故。
その裏にある壮大な神話を知っても、「神様のことだからしょうがない」、とはならない。当然だ。『神様』なんて言葉は、カイが嫌う『運命』とほとんど同義語だ。
次に思い出したのは、ソラのこと。
ソラはもう一人いる。
それは唐突な情報だが、しかしそう考えることでソラの謎が解けたのも確かだった。彼女の奇妙なまでの鋭い勘。記憶の欠落。住んでいる場所が分からないこと。
謎が解けたことが何かを解決するわけではないことも分かっている。彼女はむしろ自己の存在に不安を抱えていた。
そして、彼女のそんな姿を見て、カイは決めたのだ。
彼女を、今目の前にいる彼女を、肯定する存在で自分はいよう。
どこかで今も眠る少女が來葉ソラであるのと同様に、これまでカイが接してきたのも來葉ソラだ。
カイとソラ、二人は神の魂と精神を背負っていた。
そして、神の肉体の一部であるクチと名乗る怪物と、決着を着けなくてはならない。
『クチ』というからには、魂や肉体を食べることができるのだろう。そして、食べられればおそらくは神が復活する。その復活が何をもたらすのかは未知数だが、クチによればそれは人類の滅亡に繋がっているらしい。
カイ達としてはそれを止めるために動くしかない。
それに、『食べられる』ということはおそらくカイやソラは死んでしまうということだ。
カイはそれが嫌だった。
自分が死ぬのももちろん嫌だ。だが、それ以上に、ソラが死んでしまうのは我慢ならなかった。
この感情を何と呼ぶのかは知らない。
一緒に戦ってきたがための執着のようなものかもしれないし、あるいは………。
そこまで思考を進めて、カイは立ち止まる。
今はそんなことを考えなくてもいい。とにかく、なすべきことを果たさなくては。
自分の中で整理がついたのを感じ、立ち上がる。
話さなければならない人がいる。
「はい?」
アカネの部屋のドアをノックすると、すぐに返事が返ってきた。
「俺だけど、入ってもいい?」
「どうぞ」
張り詰めた自分とはテンションの落差を感じるも、しかし当然ながら、色々と知ってしまったカイだけが気が張りつめているわけであって、何も知らないアカネにとっては、今日は日常のうちに入っていたはずだ。
カイは部屋に入り、こちらに椅子を向けて座っているアカネに切り出す。
「大事な話がある」
アカネは笑った。
「……お姉さんに彼女でも教えてくれるのかな?」
「そういう話じゃない。その……突拍子もない話だが、とにかく聞いてくれ」
そう言ってカイは強引に話し始めた。
今日の夕方、クチから聞いたことのほぼ全て。
人類の創造。
飛行機事故の真相。
カイとソラに宿った物の正体。
ソラの事情。
そして、来るべき決戦。
話し終えて息を大きく吐くカイの前で、彼よりも大きいため息をアカネがつく。
「はぁ…………」
全てを聞き終わっても、アカネは茫然としている。
信じられないのだろう。それは当然だ。カイ自身も他の誰かから聞けばこんな話は信じられないだろう。
「信じられないだろ?」
「まあね………スケールが大きかったり、あまりに常識から外れてたりして……信じたくないかな」
アカネが苦笑いして、それから続ける。
「でも、信じようとは思うよ」
アカネのその言葉が、想像していたよりも穏やかで、カイは驚いてしまう。
もっと一笑に付されるなり、ヒステリックになるなり、そういうどちらにしても極端な反応こそが普通であると思ったのだ。
「そんな、あっさりと…………信じてくれるのか?」
「うん……カイはもうとっくにいろいろ悩んだりしただろうし、だから今更、私が何か騒ぐのは違うかなって」
「まあ、そう言ってくれるのは、ありがたいけど……」
肩透かしを食らったようで、カイとしては逆に返答に困ってしまう。それを切り替えるように、カイはアカネに納得してもらってから話そうと思っていた話を切り出した。
「……で、今話した通りだとすると、おそらく近い未来には、そのクチって怪物と大きな戦いをすることになる。もし敵が俺やソラを狙って現れるとするなら、俺達はそれまでに、人のいない場所に行った方がいい」
「被害が出るからってこと?」
「ああ。今まではこの街を守っているつもりだった。でも今となっては、俺達がここにいるから、怪物が現れたんだって……」
「ストップ!」
アカネが割り込んで、少し大きな声で言った。
「なんだよ?」
「今、要するに自分たちのせいだって言おうとしてたでしょ?」
「まあ……そういうことになるか……」
「それはダメだよ」
アカネがキッパリと言った。
「カイ達が今の状況を背負うのは、絶対にあなた達のせいじゃない」
「いや、でも……」
「カイ達のせいじゃないよ」
「……分かったよ」
半ば諦めるように、それでいて安堵するように、カイは言った。
「で、話を戻すと、この場所を離れようと……」
「でも、いつ来るか分からないんでしょ?行くあてだって、無いでしょ?」
「それは……」
アカネの鋭い指摘に、カイとしては頷くしかない。
「やっぱり、ここで待つしかないか……」
カイはそのことに、一応の結論を出す。
そして、それと同時に別のことを考える。
「……だったらせめて、全て終わるまで、どこか遠い場所へ、みんなで逃げていてくれないか?」
それは、カイが考えたせめてもの策だった。自分の大切な、孤児院の人々だけでも、この戦場となるであろう街から逃げていてくれれば。それが自分の周りの小さな世界しか救わない身勝手だとしても、そう思った。
だが、それを聞いてすぐ、アカネは笑って首を横に振った。
「私は、この場所で帰ってくるのを待ってる」
「いや、でも……」
「どこに行っても変わらないもの」
その言葉に、カイはハッとする。やはり自分は頭が悪い。自分の愚かさを理解した。
負けることは、世界が砕けることと同義なのだ。
敗北は終末に。
失敗は無に。
全てがゼロに還ることを意味している。
「そうだよな………負けたら全て終わりなんだ。それこそ、どこに逃げても変わらないよな……」
だが、呟いたカイの言葉は、またアカネに笑顔で否定された。
「違うって。私が言いたいことは、そういうことじゃないの」
「じゃあ、どういう……?」
「救ってくれるんでしょ、世界を」
その声は穏やかで優しく、そして力強かった。
無条件の信頼。
カイは虚を衝かれて驚いて、それから笑みを返した。
「ああ、もちろん絶対に守るよ」
「うん」
その言葉にアカネは笑って、それから続けた。
「あと、この話、セシル院長にも話そう」
「うーん、やっぱりそうなるよな……」
「そうだよ」
「じゃあ、これから伝えてくるよ」
カイの言葉にアカネが頷き、そして続けた。
「なら、私も一緒に話してあげる」
「そりゃ心強いな」
セシルへの説明は、思いの外あっさり終わった。
カイがこれまでのことを説明すると、最初は驚きこそしたものの、しかし信じられないということは言わず、途中からは黙って聞いていた。
「……なるほど、話は分かったわ」
カイの説明がだいたい終わったところで、セシルが言った。
「まず言いたいことが一つ。カイ、それからここにいないソラさんも含めて、あなた達が世界を守ってくれると、私は信じてる」
「……必ず、守ります」
カイはそう返すしかなかった。
「それから、あともう一つ」
セシルは右手の人差し指を立てた。
「この場所はあなたの家だから、必ず、最後には帰ってきなさい」
今まで、心のどこかに「命に代えても」とか、そういった相討ち覚悟の決意のようなものがあった。
しかし、もうそれすらも許されない。
帰ってくるしかない。
そうでなければ、やはり世界を救っても、彼らは救われないのだから。
家族を救えないのならば、カイにとってそれは世界を救わないのと同義だった。
だからカイは頷く。
口元に笑みを浮かべて。
「必ず、帰ってきます」
この時カイは心から思う。
血の繋がりはなくても、やはり、彼らは家族なのだと。
翌日の放課後。
授業を終えたカイは、真っ直ぐに校門の方へ向かう。
校門には、昨日の宣言通りソラがもういた。
「早いね」
「ああ、かなり急いだ」
それから、二人とも黙って歩き始めた。方向は、いつか行った住宅街の丘の方だった。
話し始めれば暗い雰囲気になりかねないからかもしれない。だが、それでも本題に入らなければならない。
「………整理できた?」
やがて、ぽつりとソラが訊ねる。
「ああ、自分なりには。君こそ、考える時間が無かったんじゃないのか?」
昨日ソラと別れてからカイはまるまる一晩を考える時間に充てることができたが、ソラは姿を消した瞬間からまた姿を現すときまで意識を失った状態にあるはずで、考える時間はほとんどなかったはずだった。
だが、カイの問いにソラは少し考え込んでから答えた。
「うーん、まあそうなんだけどね。でも、考えてみれば答えはもう最初から出てるから」
「答えが?」
「うん。私達が勝たないと世界が終わる。なら、勝たないといけない。結局、それだけのことじゃない?」
「シンプルだな……そんなに簡単でいいのか?」
「何が?」
ソラが不思議そうに訊ねてきた。
「そんなにシンプルだと、何ていうか………何か他の物事を犠牲にしてるんじゃないかって気がする」
「ああ、なるほど」
ソラが苦笑した。
「でも、そんなことはないかな。私は私なりに、ちゃんと整理できたつもりだから」
「なら、いいけど」
「昨日も言ったけど、これ、君のおかげだよ」
「え?」
「君のおかげで、自分の存在について区切りがついた。だから、それで十分」
ソラが微笑んだ。
話が終わるころには、丘の上に着いていた。
二人は街を見渡した。
「一つ、考えたことがあるんだけど」
「どうした?」
カイはそう返した時、予感として不穏なものを感じた。直感。もしかしたらそれは、ソラの直感が少し移ったのかもしれない。
ソラは一呼吸ついてから、あくまで平静を保って、不自然なほどに落ち着いた声で、その考えを話し始めた。
それは、これからの戦いに勝つための手段についてだった。
それから約十分後。
カイは複雑な表情をしていた。
この十分間で、ソラの『考え』というのにカイが反対し、そして最終的には同意した。
100パーセントの同意には程遠かった。
しかし、それしかないというのもあって、カイは頷くしかなかった。
その代わり、ソラは一つ、ある『約束』を彼に要求した。
彼はそれを迷うことなく受け入れた。
その『約束』は、きっと、彼にとっても救いだった。
穏やかな日常が三日続いた。
カイは常にある種の緊張感を抱えてはいたが、とにかく外面的には通常の日々だった。事情を知るアカネやセシルも、カイに気を遣わせないように、普通に振る舞ってくれていた。
カイは感謝しつつ、何も言わなかった。
ソラのことも考えた。
ソラが言っていた、勝つための方法。
その手段は、カイにはおよそ納得しきれないものだったが、彼女が決めたことを尊重すると決めた。
四日目の明け方、日が昇る少し前。
自室のベッドで、カイは目を覚ました。
目覚めた理由ははっきりしている。胸騒ぎだ。
「来るのか……」
直感で理解した。
『精神』を受け取ったはずの自分でも、こんなに予感を覚えるとは。
カイは一度息を吸いこんで、吐き出す。朝の少し冷たい空気が肺に染み渡って、それが落ち着きをもたらした。
覚悟していたことだ。もう決まっていたこと、分かっていたことだ。
「俺達は、やるべきことをやるだけだ」
さっと着替え、ひっそりと孤児院の外へ出る。
蒼く薄暗い闇の中、キシリグ孤児院の門の前には、もうソラが立っていた。
「おはよう」
カイはあえて軽く声をかける。
「おはよう」
いつもより若干だけ張りつめた彼女の声が返ってきた。
「来たね」
「ああ、ようやくな」
「じゃあ、行こうか」
日はまだ昇らない。
群青色の薄明りの中を歩く。
それぞれに思いを馳せ、決意をもう一度固めていた。
カイは考える。
セシルやジル、キシリグ孤児院の皆の姿が脳裏に浮かぶ。
それは、勾坂カイにとっての、守る価値のある世界の象徴。
そこに今は、傍らの少女のことも加わる。
望んで得た繋がりではない。
だが、それでも今は、この絆は大切なものだった。
「あのさ」
ふと、ソラが言った。
「私………『魂』の方だから、本能的に、良くないことが分かっちゃうみたい」
カイがそっと彼女の方を見ると、その体は微かに震えていた。
これからしようとすることに怯えているのだと分かった。
「だから……少しでいいから、君の勇気、分けてくれないかな」
その言葉を聞いた直後、カイはすぐに右手でソラの左手を取り、強く握った。
あまりにもすぐで、ソラは驚きに目を見開く。
体温が伝わる。夜明けの冷たい闇の中で、それは温かい。
間違いなく、彼女の存在がここにある証だった。
前を向いたまま、カイは言う。
「………最後まで、一緒に戦うよ」
ソラはしばらく沈黙して、その言葉を噛みしめる。
それから、小さな、だが彼にははっきりと伝わる声で言った。
「……やっぱり、君が『片割れ』で良かった」
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