第3話

さて、入るぞ」

「いや、だから…私は別にいいと、何度も言っているのに」

「そんなわけにいくか」

カイとソラが言い争っている場所は、キシリグ孤児院の門の前。

時間にして、街に現れた怪物を倒したおよそ二十分後だ。



戦闘の後、傷を負ったソラを見て、カイが手当てのために孤児院へ行くことを提案した。これに対し、騒ぎになる前に離れることにはソラは納得したが、孤児院に行くことには「手当は必要ない」と納得しなかった。だが、カイも引き下がらず、両者一歩も引かないままとりあえず歩いていたら、いつの間にかキシリグ孤児院の前まで着いていた。もちろんこれはカイの誘導通りだ。

そこからは押し問答。傷の手当てをしたいカイと、世話になるつもりはないソラが、一歩も譲らずに言い合っている。

だが、これもカイの予定通り。こうして大声で言い争っていれば、事態を打開する人物が来るはずだ。


キシリグ孤児院の玄関のドアが開き、セシル院長が現れる。

「カイ、どうしたの?」

ドアの辺りから声をかけて、さらに門のところまでやって来る。すぐにカイの隣の少女にも気づいた様子で、疑問の表情をカイに向けてきた。

カイは淀みなく、考えていたセリフを言う。

「いや、ちょっと友達が怪我しちゃって、手当だけでもと思ったんですけど……」

「あらあら」

セシルは心配そうにソラを見る。実際、ソラの傷は腕や脚に多く、目につくため痛々しい。

「とりあえず手当てしなくちゃ、ほら入って」

慈愛に満ちた笑顔で、セシルが言う。

「いや、私は……」

ソラは何か言おうとするが、セシルに微笑を向けられ、口ごもる。そして、代わりにおずおずと言った。

「あ…ありがとうございます」

「いいわよ、さあ入って」

セシルが振り返って、玄関に足を進める。二人も後に続いた。



「これでよし!」

セシルがソラの傷の手当てをした。手当てといっても、擦り傷を洗って消毒し、絆創膏を貼ったぐらいだが、だいぶマシになった。

「ありがとうございます」

ソラがセシルに一礼する。

その様子をカイは脇で見ていた。

「普通の女の子だよな………」

場違いだが、そんなことを思った。もちろん、普通の女の子が擦り傷を作ることは珍しいのかもしれないが、こうして大人しく座っているソラはどう見ても普通の女の子だ。怪物と戦うようにはとても見えない。

もっとも、カイだって怪物と戦ったのであり、異形の力を持つ点に関しては、カイもソラと同様だ。自分が普通の男の子なのかは分からない。

そんなことを考えるカイの脇で、セシルがソラに話しかける。

「さてと、そういえば名前を聞いてなかったかしら?」

「ソラです」

「そう、ソラちゃん。せっかくだから、一緒に晩ご飯でも食べていかない?」

カイにしてみれば、セシルのことだから、それくらいは言い出すだろうと思っていた。彼自身、この提案に別に反対する理由もない。

もっとも、ソラ本人はイエスとは言わなかった。

「いえ……そんなお世話になるわけには……」

動揺して彼女は言う。だが、セシルも引き下がらない。

「別に大したことじゃないのよ、一人増えるくらい。うちは大所帯だもの」

「大所帯………」

その単語に、ソラは何かを思い出したような顔をした。カイは頷く。

「ここは孤児院だからさ。たくさんの子供がいて、みんな一緒に食事するんだよ」

カイの説明にセシルが乗っかってくる。

「そう。だから、ソラちゃん一人分くらい、誤差みたいなものなのよ」

「………でも」

「いいじゃないか、食べていけよ」

カイも言うが、ソラはまだ遠慮している。

だが、そうして彼女が躊躇しているうちに、騒々しい音がやって来た。小さい子供達が帰ってきたのだ。

「ただいま!」

玄関から威勢のいい声が響いた。それから靴を脱ぐ音、ドタドタとした駆け足の音、一音ずつこの部屋に近づいてくる。

「おかえりなさい」

セシルが声をかけたのと同時に、子供達はまっすぐリビングへ入ってきた。すぐにソラに気づく。

「このお姉ちゃんは?」

子供達の一人が聞いた。

「このお姉ちゃんはソラちゃん、カイのお友達よ」

セシルが笑って答える。子供はいかにも興味津々でソラを見ている。

そして、うち一人が声をあげた。

「あ!あさの人!」

声をあげたのはジル。彼はたしかに、今朝門の前でソラに会っている。

ソラの方も気づいた。

「今朝は伝言ありがとう」

だが、ジルはそんなこととは全く気にしていないらしく、別のことを騒ぎだした。

「この人、カイにいの『かのじょ』なんだよ!」

「いや違う」

「ああ違う」

カイとソラは、息ぴったりに否定した。だが、幼い子供達の耳には届かない。ジルにつられた他の子供達まで騒ぎ始める。

「かのじょ!かのじょ!」

楽しそうな子供達。焦ったように否定するソラ。カイはといえば、子供達がはしゃぎ出すとなかなか収まらないことを知っているので、もう諦めの境地に入っていた。とはいえ、一応の救いを求めてセシルに目をやったが、すぐにそれも無理だと悟った。セシルは楽しそうに微笑んでいるが、それは先程までの慈愛に満ちたスマイルというよりは、悪戯心に満ちたニヤニヤと言ったところだ。

「あらあら、カイも恋するお年頃だものね」

「だから違いますって……」

ため息しか出ない。

そんな騒ぎの中で、また玄関のドアが開く音がした。

「ただいま!」

帰ってきたのは、カイの一つ上の少女、アカネ。この孤児院でカイにとっての姉のようなものだ。

「おかえりなさい。今日は部活は無いの?」

セシルが訊ねる。アカネはカイと同じくチャリオン学園に通っており、部活動でバスケットボール部に入っている。

「はい、今日はオフなんです」

そう答えながら、アカネはリビングでジル達が騒ぐ声に気づいたようで、笑いながら子供達に声をかける。

「騒がしいわね。なあに、何か楽しいことでもあったの?」

このやり取りの間、ソラは相変わらず、子供達に向かって無益な否定を繰り返している。

そしてアカネはリビングに入ると、すぐにソラに気づいた。

「あれ、そちらの人は?」

誰にともなく聞いた。この質問にカイはすぐに答えようとする。

「俺の友だ……」

「カイにいのかのじょ!」

カイの弁明を掻き消すように、ジルが叫ぶ。

アカネは手に持っていたカバンを落とした。

「カイの……彼女?」

視線がカイに向く。

「違う違う、俺の友達だって」

カイが弁明し、ソラもその横でしきりに頷く。

だが、あいにくその周りでは子供達が未だに『かのじょ!かのじょ!』と、雨乞いの『マイムマイム』さながらに跳び跳ねては叫ぶ。セシルはといえば、一切フォローせずに面白そうに見ている。

「彼女ができたなんて、私、聞いてないんだけど?」

少し怒ったような声でアカネが言う。

「だから違うって!」

カイは余計なことは言わずに否定するが、あいにくアカネの耳に入っていないらしい。

「彼女なんて……一体いつできたの!?」

「ち・が・う!」

一音一音丁寧に発音してから、彼はソラに向かってそっと声をかけた。

「やっぱり、今日は帰った方がいい」

「あ………そうだね」

ソラが頷く。

「じゃあ、セシル院長、俺はこの子を送っていきます」

「あら、そう………またいつでも遊びに来てね」

「はい、ありがとうございます」

ソラは素直に頷き、カイと一緒に玄関へと向かう。

「後でちゃんと説明してもらうからね、カイ!」

その背後から、アカネの声が追いかけてきた。カイはまた、ため息をついた。



キシリグ孤児院の門を出たところで、カイは少し安堵した気分になった。ソラもまた同様らしく、どこか表情が緩んで見えた。

不意に、彼女はキシリグ孤児院の建物に視線をやる。真っ直ぐに、夕日が照らすその建物を眺める、その間十数秒ほど。そして、彼女はポツリと呟いた。

「なんていうか、いい場所だね」

「そうか」

カイはただ、そう答えるだけ。彼女が言う『いい場所』の意味はよく分からない。ただ、そう言ってくれたことは素直に嬉しい。

「じゃあ、また」

「ああ、またな」

夕日の朱色の中で、彼女が孤児院の門から離れていき、門の傍に立ったままのカイは見送る。

彼女は振り返らず、少し先の十字路で、左へ曲がるために向きを変えた。そこで彼女は一度こちらを振り返る。

彼女は左手を上げ、揺らした。少しも笑ってはいなかったが、それがいわゆる『バイバイ』の仕草だと分かった。カイも慌てて手を上げた。

それを彼女が見たのかどうか、その直後にはもう、曲がって建物の陰に消えた。



その後、カイは孤児院の中に戻り、まだ囃し立てている子供達をあしらいながら、アカネに対して丁寧な説明を試みる。もちろん、怪物や異形の力などのことは一切伏せて。ただ、その結果として必然的に、カイとソラの関係の説明としては、あまりにも多くの空白が生じた。

「昨日知り合っただけって……いかにも怪しいというか……」

勘のいいアカネは納得しない。

「ホントの話だよ」

そう言ってカイはまたため息。

結局、アカネの誤解も子供達の誤解も解けないまま、夕食を食べ、カイは自分の部屋に戻った。

机に座って、昨日出された膨大な課題のリストを眺める。未だに一つとして片付いていない課題。しかし、今日もやる気力は出ない。まだどこか信じられない話だが、異形の怪物と戦うという、極めて異常な体験をしたのだ。疲労困憊もだった。

「アカネに手伝ってもらおうかと思ってたんだけどな……」

今話しかけても、また例の話に戻って余計に疲れるだけだろう。それにどのみち、彼にもう考えるだけの余力は残っていなかった。

いつの間にか机に伏せ、まどろみ、深い眠りへと落ちていった。



それから幾日かが平穏に過ぎた。

カイは毎日学校に通い、孤児院に帰れば家事をこなして、そして課題をこなす。アカネの誤解もどうにか解いて、課題を手伝ってもらう。悪夢のような課題リストの半分ほどに、カイは『撃破』を示すチェックマークをつけた。

一つカイが気になっていたことは、この数日間、ソラが一度も姿を見せなかったことだ。

彼女と出会って始まった嘘のような二日間の反動のように、この数日間の平穏がある。それがカイにとっての日常であったはずなのだが、ソラがいないことに少し違和感を覚えてしまう。

それは寂しさというような、親しさに由来する感情にはおよそ遠い。

だが、あるべきはずのものがないという感覚は、不調和な歯車のようだった。



数日後。

学校からのいつもの帰り道。カイの目の前で唐突にまた、世界が歪む。

ノイズが視界に広がる。割れ目は現れない。どこか、別の場所に現れたのだろう。その場に立ったまま、周りの騒ぎから、怪物の情報を手に入れようとする。

だが、おそらく『彼女』ならば、場所くらい分かるのではないか。

その直感に答えるかのように、澄んだ声が彼の鼓膜を打った。


「カイ」


数日振りの声に振り向くと、ソラが立っていた。

感情の起伏の無い顔で、彼女は確かにそこに存在している。

「敵が現れた」

淡々とした報せ。

「ああ、知ってる。だけど、俺は場所が分からない」

「私はきっと、知っている」

断定の『知っている』に『きっと』はマッチしないはずだが、カイもいい加減、彼女のペースに慣れていた。

そう、彼女はなぜか知っているのだろう。今はその理由を考える時ではない。

「分かった、案内してくれ」

「うん」

彼女が身を翻して走り出す。その背を追って、カイもまた走り出す。

「……ハハッ」

カイの口から笑声が漏れる。

ソラにも聞こえたらしく、彼女は立ち止まって振り向いた。

「何?」

「いや……少しおかしかったんだ。俺が、こんな無茶苦茶に慣れ始めてることに」

「………慣れることが、いいこととは限らないよ」

硬い表情のまま、彼女は言った。ほんの少しだけ、こちらを気遣っているようにも見えた。

『巻き込んだ』ということだろうか。だが、それはカイの解釈と違う。

「ああ、いいから行こう」

「………君が笑わなければ、そうしている」

少し機嫌を損ねたようにソラは呟いて、また走り出した。カイももう笑わずについていく。彼女に足を止められては困る。



街の一角で、錆びた色の怪物が雄叫びを上げていた。周りの電柱や信号機がいくつも倒壊している。怪物の出現直後に人々は逃げたが、怪物は追う様子もなく、無秩序な破壊を繰り返していた。

「見つけた!」

その声に怪物は反応する。逃げていった一般人達に対する反応とは違い、怪物は明らかに彼らに関心を示した。視線は彼らに向いたまま動かない。

そして、二人もまた怪物を凝視する。

目を離さないまま、カイは隣のソラに言った。

「……そういえば、一つ提案したいことがあるんだが」

「何?」

「名前を決めよう」

「名前?」

ソラは少し困惑した顔をしている。

「そう……あの『変異』とか怪物と戦ってることとか諸々が、セシル院長やアカネにバレたら、たぶん余計な心配をかける。だから、変身中は『カイ』とか『ソラ』じゃない呼び名を使いたいんだ」

「なるほど……分かった」

そして、ソラは一瞬考えるような表情をして、それから言った。

「『ブラック』と『ホワイト』、それでいい?」

「俺が『ブラック』で、君が『ホワイト』か」

変異後の色の変化を表した、簡素で無駄のない名称。その響きを咀嚼するように口の中で呟いてから、カイは軽く頷く。

「シンプルでいい、それでいこう」

そして、二人は揃って、彼らが変身するための魔法の呪文を唱える。

「変異」

二人を光が包んで、彼らは戦士となる。

ソラには白、カイには黒の紋様が、それぞれ流れるように全身に刻み込まれていく。紋様のラインは枝分かれして樹系図のように分岐する。

瞳の色も、紅と藍に変わった。

「いくよ、『ブラック』」

「ああ、『ホワイト』」

無理矢理その呼び方に自分自身を慣れさせようとするかのように、ぎこちなく呼び合う。だが、慣れない呼び名でも、口に出せば自然とピッタリなような気がした。

直後、白と黒の戦士…ホワイトとブラックは、錆び付いた怪物と戦闘を開始した。



戦闘開始から数十秒後。

ホワイトが刀を叩きつける。怪物は爪で防ごうとするが、叩きつけた刀が怪物の爪を砕く。

そのままもう一太刀。真一文字に走る刃が怪物の胴を薙ぎ、怪物が苦悶の雄叫びを上げた。

だが、まだ怪物は戦意を鈍らせてはいない。その瞳が凶暴な光を宿す。

「下がれ!」

ブラックの声に、ホワイトが一歩下がる。選手交代というように、ブラックが前へ出る。

怪物が突き出した拳を、ブラックは盾で真正面から受け止める。

相手が動揺する隙に、ブラックは怪物の懐に潜り込み、その腹に掌底を叩きつける。衝撃が伝播し、怪物は大きく後ろに飛んでいく。

「決めろ!」

「分かってる!」

ブラックの叫びに叫び返して、ホワイトが怪物の目の前に飛び込み、そして剣を振り下ろす。

一刀両断。怪物が塵となって消えていく。

「ふう」

変異を解いたカイとソラ。

辺りに人はいないが、しばらくすれば戻ってくるはずだ。セシル達にこのことを知られたくないカイとしては、誰かに見られる前にここから離れたい。

「よし、行こう」

ソラにそう言い、彼女が頷くのを見て、歩き出そうとする。


だがその時、また世界が歪んだ。ノイズが走る。

「……おい!どうなってるんだ!?」

「分からない!」

予測しない事態に、混乱する二人。そして、彼らの目の前で世界が割れる。


異形の怪物が、新たに現れた。

錆びついた色をした怪物。基本的なカラーリングは、これまでに見た怪物にほぼ等しい錆び色。しかし、フォルムはこれまでのものとは少し異なっており、全体としてはやや細身だ。そして、特徴的なのはその左脚が灰色になっているということだった。

唖然とするソラとカイ。予期せぬ事態に伴う緊張で、二人の神経が研ぎ澄まされる。

そんな鋭敏になった耳に、声が響く。


「ふむ、ようやくこちらまでやって来られた」


怪物は明らかに人の言葉を口にした。

「『セル』を何体も倒したようだが、『パーツ』である私、『ヒダリアシ』はそうはいかない」

二人には意味不明な単語が混じる。だが困惑しつつも、目の前の敵がこれまで倒してきた怪物と同系統の存在であることは明白だった。

「敵なら、倒すだけ」

ソラは静かに言い切った。彼女はいつもシンプルだ。目的が初めから分かっているのか、あるいは分かっていないのだとしても既知であるかのように動く。

カイとしては、そんな彼女のスタンスを少し不思議に思うが、今は彼女に同意する。

「ああ、そうだな」

二人はまた念じて、力を呼び出す。

「変異」

同時に変異して、ソラはホワイト、カイはブラックに変わる。

細身の怪物はまだ、現れた場所から動いていない。値踏みをするように二人を眺めている。

対して、変異の直後に、白と黒の二体は地を蹴った。ホワイトがまず、斬りかかる。白の刀を振り抜いたが、敵は一歩下がってそれを回避し、体勢が崩れたホワイトに向けて右手の掌底を叩きつける。腹の辺りに掌底の衝撃が通り、ホワイトを貫く。

吹き飛ばされたホワイトと交代するように、ブラックが躍り込む。怪物は無造作にパンチを打ち、ブラックはそれを盾でガード。しかし、怪物は防御されたことに怯む様子もなく、今度は右の回し蹴り。その右脚が当たり、ブラックは吹き飛ばされて地を滑る。

すぐにブラックは体勢を立て直し、ホワイトの横に並んだ。

彼らの眼前数メートル先で怪物が笑う。

「弱いな………『セル』は倒せたかもしれないが、この『パーツ』は倒せない」

また意味の取れない単語。。

「『セル』、『パーツ』……何を言っている?」

ホワイトが素直な疑問を口に出したが、怪物は答えようとはしない。ただ、ゆったりと前進する。

迎え撃つために得物を構え直すホワイト。

「待て!正面からは……」

ブラックが叫ぶ。だが、その叫びを掻き消してホワイトが吼える。

「ハアァッ!」

ホワイトが突進していった。刀を振りかぶる。

だが、怪物の低い声が響く。

「単調な攻撃だ」

そして、ホワイトが振るった刀の軌道に怪物の左手が重なって、軌跡はそこで終わる。ホワイトの純白の剣を、怪物は左手の指で掴んでいた。

「そんな!?」

ホワイトが驚きの叫びを上げた時、怪物の右脚での蹴りが炸裂した。ホワイトは弾かれたボールのように飛ばされ、ビルの壁に叩きつけられた。

「ガッ…!」

肺から空気を絞り出すように呻き、ホワイトが崩れ落ちる。

ブラックはすぐさま、怪物とホワイトのちょうど中間に立つ。その位置取りに、怪物は笑った。

「ハッ、かばうつもりか?」

「……ああ」

「君が私に勝てるとでも?」

ブラックはその問いに答えることはできないが、沈黙が答えを示す。怪物は嘲笑う。

「答えは分かっているようだな」

「そうだとしても……退くつもりはない」

勝てないことが、退く理由にならない時もある。カイはそれを今知った。

その返答を聞き、怪物が意外そうに訊ねた。

「……なるほど、それが君の答えか」

「ああ」

言い切って、ブラックが左手の盾を構える。後方の彼女を守るために、真正面から防ぎ切る覚悟だ。

錆び色の怪物はゆっくりと構えを変えた。愉快そうな声で笑う。

「ならば、君に敬意を表して、本来の力を見せよう!」

そう言って上げた左脚の色は、全身の他の部位の錆びたような色と異なり、完全な灰色だ。

「では……いくぞ」

その瞬間、またブラックの前で世界が歪んだ。怪物が現れる時にカイとソラだけが見る、あの歪みだった。

そのノイズを目で追うように、怪物もまた首を巡らせた。

「ふむ、時間切れか……まだ不安定、こちらには長く留まれない」

そう独白してから、怪物はブラックに視線を向けた。

「申し訳ないがこれ以上は付き合えないようだ。またの機会にということにしよう」

そう言うや否や、怪物のすぐ後ろで世界が割れる。そして、ひび割れたその奈落に、怪物は入り込む。割れ目の向こうは艶さえない完全な闇。怪物の姿はすぐに輪郭から溶けていく。そして、怪物が完全に見えなくなった。

また世界が元に戻る。ノイズも消える。

その様子に数秒間呆然としていたブラックは、それからすぐに後ろを振り返り、駆け出す。

「ホワイト!」

呼びかけに応じるようにして、ビルの壁に叩きつけられて倒れていた白の戦士は、土埃に塗れて立ち上がった。

「大丈夫、生きてる」

「動けるか?」

「何とか」

人の騒ぎが聞こえ始める時にはもう、白と黒の二人は姿を消していた。



人の気配が全くない薄暗い路地裏まで来て、ようやく二人は変異を解いた。

同時にカイは体の痛みが増したのを感じた。だが、カイも受けたダメージが大きいが、もっと大きいのはソラの方だ。

ソラが痛みに堪えるように呻く。

「おい、大丈夫か?」

「問題ないよ」

「……そんなわけないだろ。この前と一緒だ」

「この前?」

「ああ、君を『俺の家』に無理矢理連れて行った時と」

「家?……ああ。そんなこともあったね」

どこか他人事のように言ったソラだったが、その口元はわずかに緩んで微笑んでいた。その様子を見て、カイは安心させるように言葉を繋ぐ。

「とにかく、孤児院でまた手当てしてもらおう」

「……提案はありがたいけど、私はこのまま帰るよ」

はねつけるような鋭さはないが、拒否の意思がはっきりと表れた言葉だった。

カイ自身もそれなりにダメージはあるが、それは目に見えるものというよりは、打ち身などの隠せる負傷だ。だが、ソラの方は擦り傷など、見るからに痛々しい傷が多い。幸いにして血の流出はもう無いため、決して手当の有無が命に関わるわけではないだろうが、それでも手当てをした方がいいであろう状況に変わりはない。

「あのな……お前の傷は見るからに」

「……ばれない方が、いいんでしょ?」

「えっ?」

ソラは呆れたようにため息をつく。

「君、言ったよね?孤児院の皆にばれるわけにはいかないって」

「あ、ああ……」

「だったら、私がまた傷だらけで孤児院に行ったら、どう考えても怪しいと思われるよ」

現代社会で人が怪我をする状況はそれなりに限られる。数日前に怪我をしていた少女がまた傷だらけで現れれば、何かあると疑われるだろう。

その疑念が、ここ最近起きている怪物騒ぎと結びつく可能性はあった。

だが、そこまで分かっていながらカイはなお、目の前の少女を放っておくことはできない。

「でも……」

なおも言い募ろうとする彼の言葉を、ソラは遮る。

「私は大丈夫。それよりも、あの変な怪物をどうするか。今はそのことを考えないと」

『この話はこれでおしまい』というように、ソラは話題を変える。

「一度休んでから……また三日後、放課後に君の学校の前で」

「ああ……分かったけど……」

「それじゃあ、また」

ソラは手を振って、向きを変えて歩き去っていく。カイがわずかに逡巡している間に、ソラは大通りに出る角を曲がり、姿が見えなくなった。

その姿が消えてから、カイは後を追いかけた。

「待ってくれ!やっぱり一度手当てしてもらおう!」

セシル院長達に怪しまれることになったとしても、怪我をしたソラをそのまま一人で帰らせるわけにはいかない。

彼女が曲がった角を曲がり、大通りに出る。

だが、その先にはもう、彼女の姿はなかった。

「え?」

つい数秒前にこの角を曲がった少女の姿を探す。大通りは歩行者が多い。人の中に紛れてしまった可能性は十分にあった。彼女を探して五分ほど辺りを探したが、結局は見つからなかった。

そして、カイは今さらながら、彼女の住んでいる場所を知らないことに気が付いた。

これまでは彼女がカイの前に現れるから会えただけで、こうして見失ってしまえば、彼女を探す手掛かりは一切ない。

知っているのは名前くらいだ。知らないことが多すぎる。



カイの主な傷は胴の打ち身くらいだったため、とりあえずセシル院長達には隠し通せた。

孤児院のリビングのテレビで夕方には怪物の事件がニュースとして流れていたが、カイは知らぬ振りを決め込んだ。そんなものと戦ったなどと知られれば、余計な心配をかける。アカネあたりなんて卒倒するかもしれない。

黙っていれば、自分以外の皆にとってはテレビの向こうの話になる。たとえこの街で起こった事件だとしても、実際に目にしなければまだ自分とは切り離して考えられる。

カイにとって、『現実』とはそういうものだった。両親を含めた大勢の人間が亡くなったあの飛行機事故だって、経験した者とそうでない者には受け取り方に明確な差がある。

決して埋めようの無い差だ。

そして、それが正しいのだとカイは思っている。



それから、傷が癒えるのを確認しながら三日間を過ごした。

戦闘の日は金曜日だったため、翌日、翌々日は学校もなくゆっくり休めた。終わらせるべき課題も残っていたため、自室で勉強をして過ごした。山のような課題もいつの間にか残りわずかになった。



休み明けの月曜日。

放課後、授業が終了してすぐにカイは校門へと向かう。

だが、玄関を出たところで声をかけられた。聞き慣れた声、一之瀬アカネだった。

この時間、この場所に彼女がいることが不思議で、カイは訊ねる。

「あれ、部活は?」

「今日は練習が短い日なの。土日両方ともびっしり試合やってたから」

そういえば、この土日両日とも、アカネはバスケ部の試合に行っていた。

「今日夕食の当番だから、これから買い物に行くの。荷物持ちお願い」

「いいけど……後から行くから、先に買い物してて」

「え、どうして?」

「ちょっと用事がある」

玄関を出ながら、カイはアカネに『友達と話さないといけないことがあるから』と説明する。カイとソラが果たして友達なのかは疑問だが、おおよそは真実だ。

「そっか。じゃあ、先に行ってるね」

「いつものスーパーだろ。すぐ行くから」

そう言って、アカネが先に歩いていこうとした瞬間、カイは十数メートル先の人影に気づく。

少女。

チャリオン学園の制服を着ていないこともあり、彼女はよく目立つ。

疑いようもなく、ソラだった。



アカネもカイとほぼ同時にソラに気づいた。

「この前の!」

だが、ソラはアカネの反応に構わず、カイの方にやや大股で歩いてくる。彼を睨んでおり、真一文字の口元は怒りを表していた。

「遅い」

一言、彼女は低く言った。

その言葉に、カイの隣でアカネがハッと気づく。

「ちょっと、カイ!約束してた友達って、この子のこと?」

「ああ」

「……やっぱり彼女?」

「だから、違うって」

そんなことはどうでもいいとばかりに、ソラが言う。

「早くして。急がないといけない」

「急ぐって言ってもだな……」

そこまで言いかけて、カイは黙る。ソラが殺気じみた視線を向けてきた。

「早く」

「………ああ、分かった。アカネ、先に行ってくれ。荷物持ちは必ずするから」

「あ、ちょっと待ってって!」

「早く買い物行かないと、夕飯が遅くなるから」

「うっ……」

アカネにはそれがよく効いたらしかった。

「荷物持ちに絶対に行くから」

「……分かった」

カイが歩き出し、ソラも歩き始めた。

アカネは釈然としない表情でそれを見送ってから、スーパーへと向かった。



五分後。

校門を出て、すぐ近くの公園。小学生の子供が何人か遊具で遊んでいる。

公演の隅に立つ樹木の下で、カイとソラは向かい合う。

「……悪かった、すぐ校門まで行かなくて」

「……分かってるの?いつ、あの怪物が現れるか分からないのに」

カイはため息をつく。

「あれか……」

『あれ』。つまり、この前の戦いで現れた特殊な怪物。これまでとは明らかに異なる個体。左脚が灰色で、そして人語を解していた。

「あんなのがいるって、君は知ってたのか?」

カイは聞いてみるが、ソラは首を横に振った。

「いいえ、知らなかった」

「そりゃそうか」

怪物や謎の力に対してのソラの知識は、厳密には知識ではなく直感や勘の類である、そのようにカイは考えていた。もちろん直感で様々なことが分かるということ自体が異常であり、その原因は謎のままだが、あくまで勘に過ぎず知識ではないため、知らないことも多くあるのだろう。

「あれは確かに、これまで戦った奴らとは別格だった。行動パターンは複雑で読めないし、何より単純に能力が高い」

「そんなことは分かってる。けど、それでも倒さないといけない」

少し苛立ったようにソラが返す。

だが、カイは少し笑った。

「君の行動指針は極めてシンプルで、きっと正しい。だから……絶対に倒そう、二人で」

少しだけ、『二人』の部分に力を入れて言う。それは微かな違いで、普通は分からない差異だろうが、彼女になら伝わる気がした。その程度には、彼女を信頼している。

顔をしかめたまま、ソラが返した。

「………当然だよ」

さっきまでと変わらないその様子に、少し拍子抜けしたカイ。自分の強調が伝わらなかったことで、何だか残念な思いが顔に現れる。

だが、その表情を見て彼女は微笑んだ。

「当然……君と『二人』じゃなきゃ、始まらない」


そこでカイは、初めてソラと会った時を思い返し、そして一つ疑問を思い出した。

「そういえば、初めて会った時に言ってた『運命の双子』って、あれ、どういう意味だったんだ?」

「……分からない。私の中に、唐突にそういう言葉が浮かんだ。たぶん、それが君と私の関係を表すのに最適な言葉だと思って…」

そこで、ソラは言葉を切った。何か迷っているようだった。

「どうした?」

「いや……」

カイが訊ねると彼女はなぜか、ひどく気まずそうな表情をした。

だが、カイも食い下がる。

「お願いだ、言ってくれ」

それに促されるように、ソラはゆっくりと言う。

「……君の言っていたことを思い出した。君は……『運命』という言葉が嫌いだと言っていた」

「ああ……」

カイは合点が言った。彼女は、カイの言葉を気にしていたのだ。

「『運命の双子』なんて、君に言うべきじゃなかった」

「……いや、気にしなくていい。俺もあの時は少し混乱してたし、頑なになっていたかもしれない。でも、いちいちそんな言葉に噛みついていたって、キリがないからな」

「でも、仮にそうだとしても、君が『運命』という言葉を強く否定したいという気持ちは真実だったよ。あの時の君の叫びは、そう聞こえた」

それを聞いて、カイは苦笑いした。

「俺、叫んでたか?」

「うん」

「そりゃ恥ずかしいな」

「そんなことない」

結果として慰められる形になったようで、これには苦笑すら浮かばない。

照れのような感情を紛らわすように、カイは言った。

「そうだな……じゃあ、俺達は『ツインズ』だ」

唐突な宣告に、ソラはポカンとした顔をした。

「『ツインズ』?」

「ああ、『ブラック』や『ホワイト』みたいで、ちょうどいい気がする」

「『ツインズ』………『双子』ってこと?」

「そういうこと。『運命の双子』から『運命』を抜いたら、その部分だけが残るだろ。『双子』なんて、そのまま言ったら肉親みたいで笑えないしな」

ソラは数秒間考えて、それから笑い出した。

「可笑しい」

「名案だろ?」

「……そうだね。私達に、きっとちょうどいい言葉だよ」

二人は笑い合う。

そして、ソラが手を差し出した。

カイは黙ってその手を握る。

掌から、互いの体温が伝わり、それと同時に力が沸き出すような気がした。

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