11.天鳥山の、火の鳥
「すこし離れようか」と白兎から腕をひかれるので、緋鳥も祭壇から離れた。
白兎は、南の空から滑るようにやってくるなにかを目で追っていた。
でも、緋鳥の目にはなにも見えない。夕闇に染まって赤黒くなっていく山の端が、彼方に見えているだけだ。
ただ、熱かった。見えない焚火が目の前に近づいてくるようで、熱を帯びた風が山の頂に吹きはじめていた。
「緋鳥、
うながされて、気合をいれる。
普通の人だったら「熱い」と逃げだすほど、山頂は熱くなっていた。まるで火の山にいるようだ。
でも、緋鳥は平気だった。持禁というのは火や刃の害を防ぐことができる呪禁師の技だが、緋鳥の大の得意だったのだ。
けろりとしているのを白兎が見下ろして、笑った。
「大丈夫みたいだね。では、呪禁師の〈目〉をあげよう」
「〈目〉?」
「呪禁師に必要な力だけど、ちょっと難しいんだ。緋鳥はまだこの〈目〉の使い方を知らないみたいだから、いまだけ貸してあげるんだ。
白兎の大きな手のひらが、緋鳥の両目を包むように添えられる。
「この者に――」と、なにやら唱える小声もきこえはじめた。
浄眼という〈目〉を与えるための呪言だろうか。
知らない
目だけではなく、頭や肩、胴や、足の先まで、白兎の声で身体中が浸されていくような、奇妙な感覚。
白兎の手が離れて、「目をあけていいよ」といわれた後に見えた世界は、もう違っていた。
なにより、目の前に真っ赤な霊獣が見えていた。真正面にあった石祭壇の向こう――さっきまでは虚空に見えていた場所に、巨大な火の鳥の姿があった。
「あっ」
後ずさりをした緋鳥の背中を、白兎が支えた。
「しずかに。見えたみたいだね。心を強く。食われると思ったら、食われるよ」
――食われる。
不穏な言葉のとおり、真正面に降り立った鳳凰の姿は、恐ろしかった。
巨大な鳥で、身の丈は門の楼閣くらいはあろうか。
翼はたたまれていたけれど、両翼を広げれば家の端から端まではありそうだ。
翼や胴はもちろん、細い首の上に乗った頭の部分も、緋鳥の顔よりもずっと大きかった。首は蛇のように長く、身体には龍の鱗のような模様をもち、羽毛は
呪禁師のあいだでは「火の鳥」とも呼ばれて、その呼び名のとおりに翼も額も首も尾も燃え盛って、ごうごうと音を立てている。
鳳凰は、じっと緋鳥を見ていた。「何者か」と炎をまとった瞳に脅されるようで、身構えていないと、その目に貫かれて魂をもっていかれそうだった。
――大丈夫。わたしはあなたに害を為さない。
深呼吸をくりかえしていると、隣で白兎がうなずいた。
「その調子。いまじゃなくても、ここで怖がるような奴は、いつかどこかで魔物に食われるからね」
鳳凰は、祭壇の奥でじっとしていた。
祭壇の上には笹や果物が並んでいる。
たそがれ時に山を登って霊獣へ捧げものを届けるという役目は、果たしたのだ。
二人は山をおりることになった。
「いこうか」
「もう帰るの?」
「だって、誰かにじっと見られながら食事をするのは、私も気がひけるよ」
「食事? 捧げものって鳳凰のごはんなの? その、鳳凰は笹や果実を食べるの?」
「どうだろうね。わからないけど、気持ちだよ。大陸の鳳凰と好みが同じなら、好物は竹の実っていう話だから」
「竹の実?」
それこそ、きいたことがなかった。
「竹にも実が生るの?」
「ああ。とても貴重なものだよ。竹の花が咲くのも百年に一度くらいだからね。実のほうもなかなか手に入らなくて、しょっちゅう捧げられるものではないから、笹の葉と果実を届けることにしているんだよ。――もういいかい? 帰ろう」
鳳凰のそばから動こうとしない緋鳥に微笑みつつ、白兎は緋鳥の背中を押して山道へ向かった。
「でも――」
鳳凰から離れながらも、緋鳥は何度も振り返った。
鳳凰が身にまとう炎は、緋鳥にとってはじめて見る炎だった。
竈や焚火で燃える火とはすこし違っていて、水でいえば、ほとほとと湧きでる泉や、さらさらと流れる清流のような、ふしぎとやわらかくて清らかな炎なのだ。
(なんて、気持ちのいい炎なんだろう――)
きた道を戻るころには、空に夜の闇がまじっていた。
大地には天より先に夜がきていて、真っ黒に見えている。
坂道をくだりながら見下ろした鳳凰京はすっかり暗くなって、羅城門や朱雀門のあたりに、衛士が手にした火灯かりが揺れはじめていた。
でも、光って見えるのは松明の灯かりだけではなかった。地面に星が降ったように、青白い光がぽつぽつ浮かびあがっている――緋鳥の目には、そんなふうに見えた。
それに、地面に浮かびあがる光は、どういうわけか青白い。
夜の鳳凰京には、炎の明かりとも違う奇妙な光がいくつも宿っていた。
「師匠、目がへんだ。都が光って見える」
緋鳥が目をこすりはじめると、先を歩く白兎が顔を覗きこんでくる。
「〈目〉の力だよ」
「〈目〉って、さっきの……鳳凰のお姿を見るためのものじゃなかったんだ」
「呪禁師がおこなうのは鳳凰のお世話だけじゃないでしょ? いろいろなことに使う〈目〉だから、なるべく早く自分の身に宿してね」
「身に宿す?」
見えなかったものが見えるようになる力があることすら、緋鳥は知らなかったのだ。
なにが見えるかや、どう扱えばよいかなどは、知るよしもない。
「師匠、身に宿すってつまり、どうすればいいの?」
もうすこし詳しく――と尋ねたものの、白兎は答えなかった。
「いっておくけど、緋鳥に貸してあげた私の〈目〉は、そのうち消えるから」
「――え?」
「どんなものかを知らないと、扱い方がわからないでしょ? 難しいところだけ手を貸してあげただけだから、自分の力でどうにかできるようになってね」
「どうにかって、だから、どうやって……」
「素直に教えを乞う姿勢はとてもいいと思うよ」
白兎はにこりと笑うだけで、結局つきはなした。
「それから。試験はまだ続くからね」
「――はい?」
「つぎで、本当の最後だ。その試験を明朝おこなうから」
「試験、明朝? ――だって、及第だって……」
学生のあいだは、年に何度も
呪禁博士によっておこなわれる平生の小考試は毎月、典薬寮の長の前でおこなわれる中考試は季節に一度、宮内省全体でおこなわれる
試験だらけの上に、三度落第すると退寮処分。
及第し続けた者だけが、半月に渡る最後の見極めを受けられる。その見極めは、いわば実技と人格を評する期間だが、その半月も過ぎ、遅刻も欠勤もせず、無事及第したはずだ。
「緋鳥が及第したのは、表向きの見極めなんだよ」と、白兎は苦笑した。
「呪禁師として働くには生まれもっての素質がないと難しいんだけど、宮内省の人にはそのあたりがうまく伝わらないから、単に見極めって呼んでるんだけどね、これから始まるのが、最後の裏試験だ。呪禁師の〈目〉が使えるかどうかを確かめさせてもらうよ」
「大丈夫。次で本当に最後だよ」と白兎は笑うが、緋鳥には笑えない話だ。
及第した、やった!と大喜びした時間を返してほしい。
「〈目〉? でも、わたし、ちゃんと使えてるかどうかもわからないんだけど……」
「だから、それを確かめるんだよ。人によっては全く向かない人もいるからね」
白兎はやけにもっともらしくいった。
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