9.簡単な仕事、難しい仕事

 睨みつけるようにしばらく突っ立っていると、ぽんと手のひらが肩に乗る。


 いつのまにか、そばに白兎はくとが立っていた。


「真正面からいったね。――気をつけなさい」


「気をつけるって、なにをよ」


 緋鳥ひとりは、むっと顔をしかめた。


「目をつけられると困るよ」


「目をつけられるって? あの人が師匠よりも偉いから? 偉い人の機嫌を損ねちゃいけないってこと? 官人だから? 正しくなくても、偉い人のいうことをきかなくちゃいけないってこと?」


「違う違う。私がいっているのは、そういうことじゃないよ」


 白兎は苦笑して、ぽんぽんと緋鳥の肩を軽くたたいてみせた。


「私だったらうまくあしらえても、緋鳥にはそうできないものがあるから、気をつけなさいといったんだ」


「あしらうって、どうして、そんなことをしなくちゃ……」


「とにかく。緋鳥は、見極めの真っ最中でしょ。まずは目の前のことをやったほうがいいんじゃないかな?」


「あ、見極め――」


 しまった――と、真顔に戻った。


 うっかりして、頭から抜け落ちていた。


 呪禁師じゅごんじになるための見極めは、まだ八日目だ。あと六日も残っている。


「今日は朝からぼんやりしていたね。典薬寮てんやくりょうを抜けだして図書寮ずしょりょうにも出かけたでしょ? それじゃ、私も『良』とはつけられないよ」


「それは……すみませんでした」


 返す言葉がなかった。呪禁生のままの気分でつい抜けだしてしまったが、そんなふうに気軽でいられる立場ではなかったのだ。


「いい? 竜葛のことは、一度忘れなさい」


「忘れる? でも――」


「では、緋鳥。きみはいま、呪禁師になる見極めを受けるために、呪禁師代理として働いているわけでしょ? いまやるべきことはなにかな?」


「え……」


「呪禁師の仕事とはなんだろうか? 七日も客の番をまかせたでしょ。そのあいだに、なにか気づかなかったかな?」


 白兎は笑い、「きなさい」と寮の中に入った。


 呪禁師代理として働きはじめてから、緋鳥の居場所は典薬寮にはいってすぐの場所だった。


 誰かが仕事の依頼をしにきたらまず声をかけられる場所で、依頼の木簡の片づけをするのも、緋鳥が任された。


 典薬寮へは、さまざまな依頼が届く。ひととおりが済めば、依頼の木簡は結果がどうだったかと報告するための木箱へと移される。


 でも、つぎの木箱へ移ることもなく、しばらく放っておかれる木簡もあった。


 人手が足りなくてすぐに取りかかれなかったり、手がけたものの終わらせるのが難しかったりする依頼も、中にはあったからだ。


「いいかな、緋鳥。すでに学んでいると思うけれど、典薬寮は、鳳凰京にいるすべての人を健やかに守るためにある。そこで問題だよ。難しい依頼一件と簡単な依頼十件を、もしも同じ時間をかけて片づけられるとしたら、助けられる人の数はどれだけ違うかな?」


「それは――」


 白兎がいわんとすることは、よくわかった。


 客の番をとおして学ぶべきことがあったとも、ようやく気づいた。


 それなのに、白兎の意図に気づくどころか、いつもやっていることでつまらない、飽きた――と、緋鳥は過ごしていたのだ。


 白兎は明るい言い方をつらぬいた。緋鳥がした後悔を、先になだめるようだった。


「依頼の内容を見て、どの呪禁師になにを任せて、どれだけ多くの人をできるだけ急いで助けるにはどうすればいいかって考えるのも、呪禁師になるなら必要だと、私は思うんだよ。――といってもこれは、緋鳥にしっかり伝えていなかった私が悪いね」


 白兎は「ごめんね」と、苦笑した。


「宝物殿の件はもういいよ。この後は私が引き受ける。報告も私がやっておく」


「でも――」


 この件を任せるのにおまえは力不足だった――そう烙印をおされた気がした。


 食らいつくように顔をあげた緋鳥に、白兎は微笑でこたえた。


「宝物殿で起きていることに気づくかどうかと、私がひそかに課した試験に受かっただけだよ。薬種見極めの腕は『良』と評価する」


「え?」


「いい方法だと思ったものの、緋鳥には荷が大きすぎることをさせてしまったんだ。これは、私の過ち。もうしわけなかった。だから、毒のことはひとまず忘れて、いまは見極めに専念しなさい。いいね?」


 つまり、こういうことだ。


 宝物殿で竜葛が別の薬にすり替わっていたのを、白兎はもとから知っていた。


 そのうえで、試験の項目に使ったのだ。薬術に詳しく、気づくはずと見込んだ昆が知らんぷりをしたのをふしぎがっていたが――。


 でもそれは、白兎がいう「難しい依頼」だった。


 宝物殿がかかわれば、中務省という別の役所や、最高管理者の左大臣までがかかわってくるのだから。


 白兎がいっていることはよくわかった。でも、気持ちがついていかなかった。


 真実を見抜いてやると息巻いていたものの、力不足だから手をひけ、といわれたようなものだ。


「は、い……」


 仕方なく、と返事をした時だ。


 典薬寮にやってきた人がいた。

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