8.喋らなければ良い、というものでもない

 宝物殿にたどりついてからも、そればかりを考えながらお役目を進めた。


 残りの三十種の薬に問題はなかった。


 薬の在庫は、昨日までの出し入れにともなって記された記録とぴったり合っている。


 おかしなことになっていたのは、毒薬の竜葛りゅうかつだけだった。


 宝物殿の管理をつとめる役人の監視のもと、『万薬帳よろずやくちょう』に記されたすべての薬の確認を終えたのは、真昼を過ぎた後だった。


 広げていた本をまるめて帰り支度をしたが、手際がよかったようで、役人は驚いた。


「もうお帰りですか。こたびの呪禁師じゅごんじどのはかなりの手練ですね。こんなに若い娘さんなのに」


「慣れているので。あ、かといっていいかげんにやったわけじゃありませんよ。こういうと偉そうですが、手際のよさならよく褒められるんです」


 学問も呪術も緋鳥ひとりは筋がいいほうで、学生とはいえ典薬寮でも一目置かれていた。


 下働きあがりで、薬草については薬園生やくおんしょうになれるだけの知識もあった。


(だから、見極めも難なく終わらせる自信があったんだけどなぁ――はあ)


「では――」と挨拶をすると、役人は首をかしげた。


「浮かない顔ですな。昨日はなんといいますか、楽しそうにされていたのに」


 そうだった――。


 この役人には、最恐の毒薬の鴆毒を至高の男前になぞらえてにまにましていたところを、見られてしまったのだ。


「――忘れてください」


「それで、いかがでした。なにもなければ、そのように左大臣へお伝えいたしますが」


 宝物殿の最高管理者は、左大臣だ。


 皇族から臣籍にくだった男で、いまでも暁王と「王」の名で呼ばれる。


 左大臣は、いまの鳳凰京では帝についで高い地位で、右大臣として帝に仕える萩峰氏と争っているのも、その男だった。


「問題ですか。あるといえばあるし、ないといえばないというか――。気になることがあったので、典薬寮へ戻ってからあらためてお知らせにあがります」


「気になることが?」


 役人が笑った。呪詛でも吐くような、気味の悪い笑い方だった。


「そうですか。先日、同じように検めにいらっしゃった内薬司ないやくしの侍医さまは、なにも妙なところはないとおっしゃいましたがねえ。――そうそう。噂をひとつ。余計なことに首をつっこむと、よくないことが起きるようですよ。とくに、お若い方には。下級の役人など、一人いなくなろうが二人いなくなろうが、代わりはどれだけでもおりますしね」


 役人はぶきみな笑みを浮かべている。


「役を解かれるどころか、突然都から、いえ、この世から消えてしまっても、噂話になることすらなく忘れ去られましょう。なにを気にしておられるのか存じませんが、よくお考えを」


 その男を、緋鳥はきつく睨んだ。


 兄弟子のこんの顔が、目の裏に浮かんだ。


 宝物殿へ薬種の検めに赴いた時、帰りぎわに脅されたと話していたが――。


(こいつか)






 おそらく、宝物殿の役人は竜葛のことをいっていた。


 そのうえで「他言無用」と脅したのだ。さもなくば役を解かれるぞ、と。


 役を解くどころか、緋鳥は呪禁師になるための見極めの真っ最中で、役にもまだ就いていない学生だ。昇進を邪魔するなど、役を解くよりも簡単だろう。


(だから、昆はなにもいえなかったんだな。ひどい)


 家のためにと、懸命に励んでいる男だ。緋鳥もそうだが、足元を見られたのだ。


(でも、あの役人だって、誰かに命じられてるよね。あんな脅し文句をわがもの顔でいえるような位じゃないし)


 内薬司の侍医の名を出していたが、その人もからんでいるのだろうか?


(でも、侍医?)


 内薬司は、典薬寮てんやくりょうと同じく薬にかかわる役所だ。


 行き来もそれなりにあったので、緋鳥にも何人か知り合いがいた。


(侍医のほうも昆みたいに脅されたのかな? でも、侍医は師匠よりもずっと位が高いんだよね。もしも侍医を脅すなら、侍医よりも位が高い奴になるけど……)


 内薬司の侍医は、鳳凰京で薬にかかわる者の中ではかなり位が高い。薬をおのれの欲のままに扱ったとしても、文句をいえる者は、すくなくとも典薬寮にはいない。


(それより、どうして口止めをしたいんだろう? 宝物殿の最高責任者は左大臣で、報告にあがる相手もその人だ。左大臣に、竜葛のことを知られたくないから?)


 典薬寮へ戻ると、いつもより人が多かった。


 噂をすればで、内薬司の侍医が訪れていたのだ。


 品切れになった薬を借りにきたようで、白兎が出迎えて相手をしていた。


「助かるよ、白兎どの。この借りは必ず返す」


「困った時はお互いさまですよ。でも、来月までには戻してくださいね。今月分の帳簿はごまかしておきますから」


 やってきた侍医は、年が四十くらいで、眼光の鋭い男だった。


 白兎と親しくて、典薬寮を時たま訪れる。


 白兎が薬の管理に厳格ではなかったからだ。


 白兎は、「悪いことやいたずらも表向きには叱るけど、一度も悪さをしてこなかった奴なんていないでしょ?」という考え方なのだ。


 いまも、白兎は侍医を相手にこんなことをいっている。


「人を助けたい時は大いに助ければよい、というのが信条ですから。多少の悪事も、人を助けるためであれば、よい悪事となる時もありましょう」


(師匠が宝物殿の竜葛のことを知らせずにいたのは、この人に気を遣っていたから?)


 とはいえ、白兎は誰が相手でもこの調子だ。いろいろとわかりづらい人なのだ。


「いやあ、きみは頭がやわらかくて助かる」


 帰りぎわに、侍医は、うらやましそうに白兎をじろじろと見た。


「それにしても、白兎どのはいつ見ても若々しいな。いったいどうなってるんだ」


 白兎はいつもの決まり文句でかわした。


「童顔なもので」


 白兎は、呪禁博士という位についているわりには若々しい見た目をしている。


「ねえ、師匠って何歳なの?」と、緋鳥も訊いたことがあったけれど、「大人に年をきくもんじゃないよ」とはぐらかされるので、いまだに実の年は知らない。


 詮索するのもあきらめたが、白兎と似た位階に就く者たちが四十、五十をこえる中で、白兎は二十代の青年に見えた。


 緋鳥が白兎に出会ったのは七つの時だが、いまとそう変わらない見た目だった気がするのだが。


「呪禁師が励む道呪どうじゅは不老不死の仙人をめざす技ときいたが、それでかな?」


「そうかもしれませんね」


「そのように若々しくいられるのであれば、私もぜひ学びたいよ。――では」


 侍医が典薬寮から出てくるのを、緋鳥は外で待ち受けた。


「あの」


 もしも白兎がひそかに庇おうとしているなら、この侍医も、宝物殿から毒が消えたことを気にかけているかもしれない。


(――訊いてみよう)


「ああ、白兎どののところのお嬢ちゃんか」


 緋鳥も、その侍医とは顔見知りだ。


 緋鳥が白兎の養い子であることも、みんなが知っていることだった。


「うかがいたいことがあるのです。宝物殿の薬種の検めについてなのですが」


「あぁ――」


 侍医は、片目を細めた。


 緋鳥も、眉をひそめた。


(なんか――いやな顔……)


 つい身構えて、尋ねる言葉を選びはじめた。


 できるだけ淡々と、事実だけを――。よけいなことはいうまい――。


「じつは、呪禁師として宝物殿の薬種検めに出向いたのですが、気になることがあって――。でも、内薬司の侍医がごらんになった時にはなにもなかったと、見守りの役人からいわれたのです」


 尋ねるとしたら、まずはこれだ。


「内薬司では、どなたが薬種の検めをされたのでしょうか」


 まずは、問いつめる相手を探さなければいけない。


 この男はかかわっていないかもしれないのだから。


(いま、いやな顔だと思ったのが気のせいならいい――)


 願いもむなしく、侍医はうなずいた。


「それなら、私だが」


「では、おうかがいします。竜葛という舶来の毒についてなのですが、奇妙にお感じになった覚えはございませんでしたか」


 仕方ない。乗りかかった舟だ。渋々と続きを尋ねると、侍医は笑った。


 顔のあちこちがゆがむような、ぶきみな笑みだった。


「竜葛? なんのことだろう」


 侍医はろくに答えなかった。でも、顔がお喋りだ。


『ああ、そのことか。知っているとも。だが、なにも話さんよ。そのほうが得なのでね』


 と、顔に書いてある――と緋鳥は思って、渋面になった。


「あの――」


「きみがなにをいっているのかよくわからぬが、きみはまだ呪禁生という立場だろう? しょせんは見習いなのだから、周りのいうことをよくきいておいたほうが身のためだと思うぞ。なにがあったか知らぬが、見守りの役人はきみの無知を諫めたわけだろう?」


 侍医は、緋鳥を脅した宝物殿の役人とほとんど同じことをいった。


 いったくせに――。


「では、失礼」


 侍医はなにもなかったように衣の裾をひるがえして、内薬司の建物へと戻っていった。


「侍医さま、お気をつけて」と、外に出ていた典薬寮の役人から見送られながら、うしろ姿も小さくなっていく。


 それを、緋鳥はしかめっ面をして見送った。


(顔では、しっかり脅したくせに――)


 核心を喋らなければいい、というものでもないだろうに――。

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