7.悪そうな奴が多すぎる
鳳凰京の朝の名物、八千人の大移動のはじまりとなる鼓を叩かせるのは、
都に朝を告げる
緋鳥はそれを待ちかまえて、一番に門をくぐって官衙へ。
すぐに、兄弟子の
「どうしたの、
その兄弟子はいつも一番に出仕する。
内緒の話をするならいまだと、緋鳥は思ったのだ。
「
「おれに?」と、昆はふしぎそうにしていたが、すぐに悲鳴にかわる。
緋鳥に胸倉をつかまれたからだ。
「ねえ。去年、宝物殿にいったよね。
「なにを――柴胡?」
昆ははじめ怒ったが、慌てはじめた。
「なんのことだよ、そんなもの、し、知ら――」
「芝居がへたくそだ。知ってたでしょ!」
「な、なんのことだか」
「昨日、宝物殿に出かけたら、竜葛が十斤もなくなってたんだ」
「えっ? そんなに? そんなには減ってなかっ――」
そこまでいって、昆ははっと目をそらした。
それを見るなり、昆の胸倉をつかんだ緋鳥の手に力がこもった。
「やっぱり、気づいてたね? 気づいてたのに黙ってたんだ!」
「わかったから、その喧嘩っ早いくせをどうにかしろよ! 昨日だって助けてやったのに。もうちょっと先達を敬えっていうか――」
昆はひとつ年上で、年が近い分、気が知れた仲だ。
宮内卿に無礼をした緋鳥のために、追いかけて謝ってくれたのも昆だった。
感謝はしている。
でも、それはそれ、これはこれだ。
「それは、ありがとう。とても嬉しかった。ただ、昨日は昨日、今日は今日だ!」
昆も去年、宝物殿にうかがって、緋鳥と同じように薬の検めをおこなっている。
でも、報告用の木簡には「異常なし」としか書かなかった。
詰めよると、昆は渋々こたえた。
「だって、誰もそんなことをいってないじゃないかよ。白兎師匠も、医師も、内薬司の侍医も。おれはいま新米呪禁師だけど、去年なんて、呪禁師にもなれていない見習いの呪禁生だよ。妙だなとは思ったけど、おれの勘違いかと思うだろ?」
「それこそ、正しいかどうかを上に判断してもらうべきじゃないの。気づいたのに知らせないのは――」
「――脅されたんだよ」
「脅された? 誰に」
「誰にって、それは、その…… とにかく、首をつっこんだら典薬寮にいられなくなるぞって、宝物殿からの帰りぎわに口止めされたんだ。――呪禁師になれないと、おれは困るんだよ」
「そんなの、誰だって困るよ。わたしだって――」
「おまえよりもおれのほうが切実だ。うちは呪禁師一門だから」
呪禁師はほぼ世襲制で、呪禁生として典薬寮に入寮できるのも、三代以上続く名門の子息が優先された。
昆の生家、
「考試に落ち続けたら退寮っていうきまりがあるうえに、呪禁師に昇進できるかどうかの見極めは三年に一度しかない。もしもしくじったら、考試ははじめからやり直し。二度目でもしくじったら、呪禁師にはなれないんだ。おれが職無しになるだけじゃなくて、
「だからって――」
「じゃあ、おまえがやれよ。妙だと思ったなら、信念をつらぬいてみろ」
昆は怒った。
「だいたい、おまえから怒鳴られるようなことじゃないだろ。竜葛が柴胡にすり替わってるだなんて、噂すらないじゃないか。おれとおまえが間違えてるだけかもしれないだろ?」
「そんなわけはないよ。わたしたちが気づくんだ。上だって――」
白兎師匠も――そういいかけたが、口をつぐむ。
昆は、白兎が気づいていると知らないはずだ。
「でも、減ってたのは竜葛で、強い毒薬だよ。誰かが使ってたら人が死ぬかもしれないんだよ?」
昆は迷惑そうに眉をひそめた。
「誰かが毒薬を盛られてるってこと? おれ、そういう野蛮な話にかかわりたくないんだけど」
家がさ――とぶつぶついう昆に、今度こそ緋鳥は怒った。
「なんのための呪禁師だよ。そういうのをどうにかするのが呪禁師なんじゃないの?」
緋鳥は、
鳳凰京中の本が収蔵されている場所で、調べたかったのは『薬術』という本だ。
もろもろの薬に関する知識と、薬草の栽培法が記されている。
こうある。
【竜葛】
呼吸麻痺、眩暈、嘔吐、腹痛、下痢、惰眠、痙攣。
『腸絞め竜の根』とも称される。
ほかにも――と、緋鳥は記憶をたどった。
(竜葛は強い毒だ。だから、恐ろしい病には、薬としても使われる)
鳳凰京では時おり、
高い熱が出て、身体中に小さな水ぶくれができ、数日で死んでしまう恐ろしい病だ。
「強い病に克つには強い薬が効く」という噂がたって、不治の病を追い払おうと竜葛を求める人がいる――という話をきいたことがあった。
(あとは、もののけ退治にも)
理由がわからない病は怨霊のしわざだと考える人は、後を絶たない。
身体の中にいる怨霊を追い払うためにみずから毒を飲んだ、という話はよく耳にした。
恐ろしい病や怨霊を遠ざけたいあまり、竜葛や鳥兜のような毒をほしがる人は、いることにはいるのだ。
(毒薬としてじゃなくて、薬として使われたのかな。どうしても助けたい人がいて、それができる立場にあったら――身分が高い人なら、法をおかしてでも無茶をするだろう)
薬をおもに扱うのは典薬寮だが、典薬寮の人でなければ薬を処方できないということもなかった。
帝や帝に近しい方々を診るのは内薬司という役所で、白鳳宮には、託宣をつかさどる陰陽寮という役所もある。陰陽寮にいる陰陽師が、占いの結果として薬を処方することも時たまあったし、異国帰りの僧が薬をもらいにくることもあった。
(記録が残っていないということは、無断で持ちだしたのだろうけど)
薬として使われたなら、まだいい。どうなろうが飲みたがった人の勝手だ。
でも、毒薬として使われたとしたら――。
(最近、妙な死に方をしてる人はいないかな)
考えてみて、緋鳥は唸った。思い当たる人が多すぎた。
鳳凰京ではいま、権力争いの真っただ中だ。
帝と大后とのあいだには娘が一人いて、十七歳になり、つぎの帝、つまり、皇太子となる「立太子の儀」がまもなくおこなわれるという噂だ。
聡明な内親王で、祖母にあたる方もかつては女帝として国を治めたが、その方のようになられるのではと、皇太子になる日が待ち望まれている。
しかし、帝には、ほかの妃とのあいだにも男の皇子がいた。しかも、その母親となった妃は萩峰氏という、鳳凰京で大きな力をふるう豪族から帝に嫁いでいた。
萩峰氏は、どうにかしてその皇子を皇太子にしたがっている。
しかも、いまにもそれをやりとげそうなほど、日に日に力を増している。
海を隔てた先にある大陸の強国では、帝になる者は男子なのだという。
わが国でもそれに倣ったほうが強い国と認められましょう、つぎの皇太子には男御子を据えましょうと、萩峰氏は帝に進言しつつ、まぁそういうのは建前で、つまりは権力が欲しいのですがねとばかりに、あからさまな嫌がらせをしているとか。
おかげで、鳳凰京の貴族は真っ二つに分かれていた。
絶大な権力をふるう萩峰氏派か、萩峰氏の躍進を煙たがる古くからの皇族派か。
いまの右大臣と、左大臣の争いだ。
妙な死に方をしている貴族も多かった。たぶん、暗殺されたのだ。
(その人たちがみんな竜葛で殺されたってこともあるかも――嘘でしょ?)
考えているうちに、
(あ。もういかないと――)
昨日とはうってかわって、ため息をつきながら典薬寮を出る。官衙を抜けて朱雀門をくぐり、宝物殿をめざして大路を歩く足どりも重く、憂鬱だった。
(薬の確認は、残すところあと三十種。薬の確認だけなら、どうってことがないんだけどなぁ)
問題は、その後だ。
竜葛の一部が別の薬にすり替えられていたことを、どう報告するか。
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