昇進試験
1.偉い奴ほど使えない
視察という名の朝の散歩のついでなのか。
ゆらりと典薬寮へ立ち寄ったその男は、こういった。
「じつは、川に橋を架けたいのだ」
「はあ」
男は
身分でいうと、
つまり、かなり偉い。
橋を架けたいという発想も、身分ある男ならではだ。
そうですか、架ければいいじゃないですか。
と、緋鳥は思った。
橋があれば、行き来がしやすくなって、みんなが助かりましょう。
ただ、話す相手を間違えています。
ここへくるのもお門違いです。
ここは
こんなところでヘラヘラ笑って「橋を……」といくら無駄話をしようが、うまくいきようがないと思いますが、いかがでしょうか?
――と、
でも、貴族相手にそのようなことをいわないほうが良いのは、さすがに知っていた。
仕方がない。緋鳥は、「そうなのですね」と作り笑顔を浮かべた。
「そうであれば、隣の棟にある土工司でお命じになると良いのでは。もしくは
「ああ、もちろんいったとも。そうしたら、なんとだな、橋を架けるのはたいへん苦労なことで、多くの木材と人夫がいるというのだ」
「はあ」
それは、そうでしょう。
橋を架けるなら用材の丸太がいります。
丸太を運ぶ人も、川の中に入って組み立てる人もいります。
当たり前のことじゃないですか。
どこが「なんと」なのでしょうか。
このおっさん、頭大丈夫か?
――とも思ったが、いわないほうが良いのは自明の理。
「でも……」と、緋鳥は懸命に笑顔をたもった。
「土工司も
「いや。苦労をさせるのは忍びないし、
「はあ」
「昼は人に、夜はもののけに働いてほしいのだよ。そうすれば人の力仕事が半分で済む。そこで
「はあ?」
とうとう、へんな声が出た。
昼の力仕事は人に、夜はもののけに?
このおっさんはどこかで妙な伝説でもきいてきて、真に受けたのだろうか。
「あのですね、そのように都合の良いもののけはおりませんし、だいいち我々はそのような取次役ではございません。
「なにをいうのだ。呪禁師なら、それくらいできるだろう」
「できませんよ」
緋鳥は呆れ果てて、ため息をついた。
たまに、いるのである。
こういう、呪禁師をなんでも屋と勘違いしている奴が。
「呪禁師がおこなっておりますのは、薬種の取り扱いに占い、天文と、陰陽寮の皆様に近しいことでございます。呪術をもちいた祓いを得意としますが、宮内卿さまが考えておられるような、なんでもうまくいきそうな都合のよいものでは、けっして――」
「しかし、呪禁師は奇妙なわざをおこなうのだろう? ここにいるということは、おまえもその呪禁師なのだろう?」
「いいえ、まだ学生の身。呪禁生です」
「なんだと、ならば呪禁師を出せ」
おまえじゃ話にならん!と宮内卿が怒りだすが、緋鳥も腹が立った。
「いいえ。本日は
「だから話しておる。もののけの力を借りて橋をだな――」
「あのですね。重ねてになりますが、そのように都合の良いもののけはいないのです」
ああもう、鬱陶しい。
緋鳥はいらいらと続けた。
「だいいちですね、欲をかくならばふさわしい礼をせねばなりませんよ。古来、過ぎた願いを叶えるためには贄が必要です。たとえば、嫁でもやれば喜んで手伝いにくるかもしれませんね」
「なんだと?」
「――ああそうだ。宮内卿さまのお嬢様はたいへん見目麗しいとききました。あなたの娘を嫁にしてやるとでもいえば、力自慢の鬼でもいうことをきくのではないでしょうか?」
「きさま――」
「きさま?」
これだけいってるんだから、いい加減あきらめて帰ればいいのに。
緋鳥は知らんぷりをした。
「はて。きさま――おきさ、きさま――あぁ、お嬢様よりもおきさき様をさしだすほうが、鬼が喜ぶと? うっかりしておりました。では、奥方をもののけにくれてやれば、きっと橋を造ってくれるでしょうね。でも、無理ですよねえ」
緋鳥の目の前で、宮内卿の顔が真っ赤になっていく。
激怒したようだ。
「なんと無礼な――覚えておれ」
肩をいからせて立ち去った宮内卿を、先達の呪禁師、
「緋鳥、やりすぎだ!」
妹分の非礼を詫びにいくのだろうが、緋鳥にも言い分はあった。
「朝早くから、なにが『いいことを思いついた』だよ。もっと他にすることがあるでしょ? 貴族は働かないでぶらぶらしてるって噂はほんとなんだね。つきあってられるか!」
都に朝を告げる
大勢が一斉に官衙や持ち場へ向かう朝の大移動は、鳳凰京の名物である。
数万人が暮らす鳳凰京で、朝廷のもとで働く人は、あわせておよそ八千人。
ただし、おもに働くのは下級役人とその下働きだ。
下級役人が八百人、下働きをする
そのたった二百人の貴族が、ほとんどの要職を独占している。
そのくせ、貴族はろくに働かない。
――そういう噂だ。
典薬寮にやってきた貴族の男、宮内卿も、働く気があるのかどうなのか。
いや、ないなと、緋鳥は思った。
橋を造りたいならしかるべき役所へ向かうべきなのに、もののけの力を借りたいだなどと、やる気以前の問題だ。
あんな男が、上官の、その上官の、さらにその上官だなんて、世も末だ。
鳳凰京の貴族連中の頭は、いったいどうなっているのだ?
「これ、緋鳥」
かっかとしているところに、ぱしんと頭のうしろをはたかれる。
見れば、師匠が苦笑していた。
「短気はいけない。いまのは評定をさげておくよ」
その男は名を
呪禁生の師や呪禁師の長を務めているが、十年前――七つの時から、緋鳥はこの男を「師匠」と呼んできたのだった。
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