2.残業なんて当たり前
「評定を? なんの――」
「
その見極めは、三年に一度おこなわれた。
最後の見極めの内容は、呪禁師代理として呪禁師と同じように働くこと。
満月の晩にはじまり、夜空から月が消える朔の晩まで半月かけて続くのだが、そのあいだのお勤めの様子を見て「良」と判じられれば、呪禁師見習いの呪禁生から、呪禁師へと昇進できる。
まずは取次役から――と、典薬寮の来客の番を任じられていたのだった。
えっ、と緋鳥は大きく口をあけた。
「短気はいけないだなんて、考課の項目にあった? 座学でも習ってないよ」
呪禁生が学ぶおもなところは、「
つまり、祓いと、守りの呪術だ。
棒術や薬術、天文術なども学ぶが、短気がどうとかは習わなかった。
ふくれっ面をしていると、
「呪禁師でなくとも、官人として必要なことだね。それとも、学ばなくちゃわからないというなら、
「儒学って、子曰くなんたらかんたらっていう、あれ?」
その学問で学ぶのは、品性がどうとか、人徳とは人を愛し思いやることやら、目上の人を敬えやら、やたらいいことばかりだ。
いいことすぎて、緋鳥の趣味とは合わなかった。
「あんなの、わざわざ学ばなくたって当たり前のことじゃ――」
「そういうのは、無心のうちにおこなえるようになってからいいなさい。いけないことは、いけない。反省しなさい」
白兎はいつもにこにこと笑っていて物腰が柔らかい男だが、信念は曲げない人だ。
というより、白兎がここまで折れないということは――。
ぜえ、はあ――と荒い息をもらして、
顔を真っ赤にして出ていった宮内卿を、緋鳥のために追いかけていった兄弟子だった。
「……師匠、詫びてきた……平謝りして、許してもらった……」
息をきらして戻ってきた昆を、白兎は称えた。
「さすがだね。よくやった」
どこまで追いかけてきたのか。昆はくたびれ果てて、わき腹をおさえて柱に寄りかかって休んでいる。
ようやく緋鳥も、なにやら過ちをおかしたのだと気づいた。
気遣ってもらったのなら、感謝して詫びるべきだろう。
それが筋である。
「わたしのせいで、すみませんでした。ありがとう」
渋々と昆に頭をさげるが、納得はいかなかった。
「でも、師匠。宮内卿は妙な命令をしにきていたよ。もののけを使って橋を架けろだなんて――」
「そうだねえ。緋鳥は知らなかったかもしれないんだけどね、呪禁師の一番面倒くさい仕事はね、お喋りの相手なんだよ」
「うん?」
「それもね、位の高いお方が相手だと、『そうですね、そのようなことをお考えになるとはさすがですね』とうなずかなくちゃいけないんだよ。じつに面倒だよね。そのうえで『ですがね』と言いくるめられれば、一人前なんだけどね」
「なにそれ――」
「処世術だよ、弟子よ」
白兎は冗談をいうように笑った。
「つまりだね、たいていの人は、奇妙なこととそうでないことの区別ができるほどには
「はい、緋鳥。つぎの仕事だよ」
典薬寮には、さまざまな
薬種を取り扱うので、この薬が欲しいとか、病を診てほしいとの依頼が多かったが、時々は呪禁師あての依頼も届いた。
白兎がさしだした木簡には、このようなことが書かれていた。
『辻に、もののけに憑かれた男あり。急ぎ確認せよ』
「と、いうわけだ。出かけようか。そろそろ外回りも任せたいしね」
見極めがはじまってから、今日で七日目。
見極めの期間にあたる半月のうちちょうど半分が過ぎたところで、残すところもあと七日だ。
はじめの七日間に緋鳥が任されたのは来客の番だったが、見習いのころから手伝ってきた仕事でもあったので、正直なところすこし飽きていた。
ほっとして、緋鳥は「はい」と返事をした。
「ついでに、今日は宝物殿にうかがう日だから、そのまま向かってもらおうかな」
「あぁ、今日だったね」
そういう話もあった。と、緋鳥は思いだした。
宝物殿というのは、海を渡ってやってきた舶来の品をはじめ、さまざまな宝が収蔵される宝物庫だ。
薬種もさまざま収められていて、たいへん貴重なので、医師や呪禁師、内薬司の侍医など、薬に携わる面々がそれぞれ閲するようにさだめられている。
呪禁師にあてられたのが今日と明日で、緋鳥が向かうことになっていた。
緋鳥と白兎が二人で典薬寮を出た時、ちょうど鼓の音が鳴った。
お勤めの終わり、帰って良いとしめす音だ。
ただし、仕事が終わっていればの話。
「まあ、帰れないよね」
呪禁師の働きぶりは幼いころから見てきたので知っていたが、残業は日々のことである。いまも緋鳥は、仕事が終わって帰るどころか、つぎの仕事に出かけるところだ。
官衙を抜けるあいだに周りを見渡してみても、帰り支度をしている人はほとんどいなかった。
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