「彼女の全身が石英で出来ていた事」

夜間珈琲

「彼女の全身が石英で出来ていた事」


 彼女は二酸化ケイ素の大きなカタマリだった。

 つま先から零れる砂は珪砂と呼ばれ、彼女の中でも特に透明な左胸は水晶、頬は希少なばら石英ローズクォーツである。

 誰もが欠伸あくび交じりに携帯を弄る講義を、一番前で聞いていたのが印象に残っている。

 黒い髪の隙間から覗く病気の様な白い肌に一目惚れをする。


 食べ物はあまり食べたがらなかったが、水はよく飲んだ。

 好んでポカリスエットを飲んでいるのはイオン水だから彼女の身体にはいいのだろうと、専門的な知識もないのに一人で合点した。

 聞けば何のことはない、味の好みの問題だった。


 彼女はまた、ひどく遊び好きであった。

 清流のさらさらと流れる渓谷、美しい夕日を水面にたたえた海、虫の歯車の鳴る森、鬱蒼とした魔物の住む廃墟。

 彼女と歩いた道は、ひたひたの足跡が綺麗に反射していた。

 彼女の石英としての道しるべを大切に写真に収める。


 怒ると彼女は縞模様の虹色になる。これを衝撃石英と呼ぶ。

 隕石衝突の際の激しい衝撃圧力下で石英の結晶構造は変形し、偏光顕微鏡下では特徴的な縞模様が観察される。

 一度しか見たことはなかった。

 怒った姿さえも彼女は綺麗で、しかしその不安定な虹色は見るほど胸中を掻き乱す。


 彼女の瞳は瑪瑙メノウである。瑪瑙メノウは石英の粒が緻密に詰まり、層状に沈殿して出来る。瑪瑙メノウは形状や模様に応じて様々に分類されるが、彼女の瞳の美しい同心円は何物に属するでもなく孤高であった。

 彼女はじゃあと自分で玉髄に名前をつけた。

 俺の名前だった。嬉しくて照れくさい。


 子どもが出来ない代わりに、と笑いながら寂しそうだった。

 石英である彼女には俺の子を宿す能力はない。

 子どもなんかいらないからずっと俺と過ごしてほしい。幸せにするからというと、彼女は手を強く握って、これ以上の幸せがありますかと涙声。


 キスをすると彼女の唇はザラザラとしていた。

 見た目に反してこれは、と驚いた顔をしてしまうと、彼女は恥ずかしそうに目を伏せる。

 古典的な鉱物鑑定の方法として有力なものに、舌先で舐める方法がある。

 例えば多孔質の鉱物は舌の表面に張りつくことがあり、これを吸着があるといって鑑定に役立てられる。


 彼女のキスに味はない。

 しかしキスをして彼女に舌先で触れるたびに彼女の事をもっと知ることが出来るように思えて嬉しかった。


 彼女は或る日、友達を紹介すると言って俺を海に連れてきた。

 手を引かれて着いた場所には誰も居ない。砂浜が広がっている。


 彼女は言った。ここに友達が居るの。

 ああそうか、と納得した。

 砂浜は堆積した天然珪砂(石英砂)で形成されている。彼らを高温で加熱することで溶かして液体状態にした後、冷却するとガラスになる。

 友達を紹介するって言ったけど、ごめんね。私の友達はけっこうどこにでも居るんだよ。建物に、食器に、家具に、雑貨に、芸術品に……パソコンみたいな電子機器にだって。

 世界中に友達が居るから寂しくないんだよ。


 俺は笑った。顔が広いなあお前は。

 皆無口だから、私が勝手に友達になっただけだけどね。

 彼女はぺろりと多孔質ガラスの舌を見せた。


 そうして幾ばくかの月日が経った。

 穏やかな日には外に出かけて、雨の日は同じ布団に入って手を繋いだ。


 浮気なんか考えたこともなかった。向こうもきっと浮気なんかしていなかった。

 俺の女より硬派な女はこの世には居ない。


 石英である彼女はいつしか、とても寂しそうな顔をして何処かを見るようになった。子どもが出来ない事を告げられた時と同じ顔をして、大粒の瑪瑙メノウからぽろぽろと命をこぼす。

 理由などとても聞けなかった。

 彼女は聡明であり、俺をよく信頼していた。

 俺もまた彼女を信頼していた。何か打ち明けないことがあるとすれば、それには彼女なりの理由があるのだ。


 ただ寂しそうな背中を見るのが辛かったから、そんな時は決まって彼女を後ろから抱きしめる。首筋に鼻を押し当てて匂いを嗅いだ。


 石英は汚れや匂いが染みにくいため建材に利用される。

 そんな彼女でもじっとくっついていたら俺の匂いがつくんじゃないかと思ってずっと抱きしめていた。

 彼女は何も言わなかった。


 石英には一つだけ、とても寂しい性質があった。


 彼女は風化に強い。

 彼女は確かに変わらず美しかったが、彼女にとっての美は耐えがたい呪いである。

 紛れもなく不老不死は彼女の首を絞め、彼女の彼女たり得る人間の部分をそれはもう激しく嬲り殺そうとした。

 抵抗も虚しい。


 今目を開ければ、顔を手で覆う彼女が見下ろしていた。

 そんな悲しい顔をしないでくれ、というと、これ以上悲しいことがありますかと涙声。

 指の間から零れるのは水入り瑪瑙メノウ。中の水は多孔質の構造を通して蒸発しやすく、逆に長時間水中に浸けることで人為的に水を入れることもできる。


 ぽろぽろ、ぽろぽろ。


 布団の上に零れる水晶は、蒸発する間もなく中の水を湛えて、それが俺にはたまらなくうれしいことに感じた。


 苦しくはないんだよ。

 石英である君を生涯の友と出来たことが、一番の幸せなんだよ。

 君が俺の死をこんなに綺麗な涙で悼んでくれる。これ以上の幸せはないんだよ。


 彼女ははい、とだけ絞り出した。

 最期に見たのは、一番きれいな左胸の透明な水晶が変わらず綺麗だったこと。


 ゆっくりと遡る走馬灯の中で、彼女の全身が石英で出来ていた事。


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