第3話 もう終わりにしよう


 その言葉は叶の心に深く突き刺さっていた。いつかコンクールはやってくる。それは紛れもない事実。どうしればいいか。叶だってよく分かっていた。

 黒い楽譜を鳴らすたび、その記憶は蓄積されていた。

 残る三人の笑顔、残る部活メンバーの顔。

 残る、残る、残る。

 それらは意識の奥底へと追いやったように見えて、その実、叶の心の深いところへと突き刺さっていたのだ。

 それから目をそらして、なんども知らない振りをして、何度も罪を重ねていただけ。時間を巻き戻すなど、世界の殺害に他ならない。

 その人の努力を否定する行為でしかない。

 叶が曲を聴かせている三人にも影響が出始めた。

 そのがこれだ。この言葉だ。

 そのラストワードは、この輪廻を終わらせるに十分過ぎる一言だった。


「……そっか、そうだね、私、行かなきゃ」


 叶は向かう、三人の下へ。


 がららっと音楽室の扉が開かれた。

 何故かそこには鈴木、龍田、茜の三人の姿があった。

 

「みんな、揃ってるね。じゃあ聴いてくれるかな?」


 叶が持っていたのは、の楽譜だった。


 演奏が終わる。拍手。


「どう? 下手くそだったでしょ?」


 はにかむ叶、三人は首を横に振る。


一番の演奏でした!」

「あんな黒いのより全然!」

「そうですよ! 先輩、そっちのが似合ってる!」


(ああ、この子たちは心の底から私を称賛してくれる。歪んだ私を受け入れてくれる)


「何度も何度も時間をころしたのに」

「関係ありませんよ」

「そうっすよ」

「えへへ、私達、あんまり覚えてないしねー」


(ああ、この三人なら許してくれる)


 叶は噛みしめる。この幸せを。

 苦痛に耐えかねて時間の牢獄に逃げた叶は、初めて開放された気がした。

 世界に許された気がした。

 四人で呪いの楽譜を焼却炉に捨てに行った。未だ焼却炉が稼働している古臭い学校が、吹奏楽の強豪校だなんて矛盾していて笑ってしまうと、叶は思う。

 黒い楽譜は青く燃えた。断末魔のような音が聞こえた気がする。

 それはきっと呪いの断末魔。世界を巻き戻す呪いの断末魔。

 叶はフルートを吹く。鎮魂歌レクイエムを響かせる。

 世界はもう巻き戻らない。コンクールはやってくる。


「……良かったんですか、先輩」


 鈴木は覚えていないのだ。最後の言葉を。それでもいいと叶は思った。

 叶はコンクールに向けて練習を始める。苦痛に満ちた日々だとしても。

 きっと三人が居れば支えになると思って。

 その事を、恥ずかしげも無く伝えた。

 三人は目を丸くして。


「逃げてもいいじゃないですか、昔の俺が何を言ったか知りませんけど」

「そうそう、俺達、先輩の演奏さえ聴ければそれでいいっていうか」

「ちょっと男子!? 良い話でまとまりそうだったのに!?」


 意外な言葉だった。逃げてもいい。そんな手のひら返し。いや、彼らは覚えていないから仕方ないのだ。叶は自分がエースでソロパートを任されている事を伝える。逃げるわけにはいかないのだと。

 三人はしばし思案した後、手のひらを打つ。


「先輩、覚悟決めたんですか?」

「それなら――」

「逃げましょう! ボイコットです!」

「へ!?」


 逃げるわけにはいかないという話を聞いていなかったのか。

 叶は必死に言いすがる。

 

「私はね! もう逃げたくないんだ! だからね!」

「俺達、先輩の演奏が聴きたいだけなんですよ」

「うむ」

「ぶっちゃけてるけど同意~」


 なんか話が流れていく。おかしい、時間遡行で三人はバグってしまったのか? それとも三人との意思疎通なんてこんなもんだったのか?

 鈴木が切り出す。


「なんて冗談ですよ、これ見て下さい」

 

 どこからともなく取り出した布。それは小さな横断幕。


「ちっさいのしか作れなかったけどねー」

「ほとんど俺がやった……疲れた……」


 茜と龍田が笑い合う。鈴木は罰が悪そうに。


「俺は提案しただけですけど、ループに間に合ってよかった。というか、心変わりするなんて、先輩、何か言われましたか? 龍田辺りに」

「なんで俺指定!?」


 叶は苦笑する。言ったのは君だよとは言い辛かった。だから言わないことにした。

 横断幕には『天音先輩!』とだけ書いてあった。


(あたしゃアイドルか)


 心の中でツッコミを入れる。


「コンクール来てくれるんだね?」

「「「もちろん!!!」」」


 全ては予定調和だったのかもしれない。こんな時間遡行に意味は無かったのかもしれない。

 だけど、かけがえのないものは確かにここにあった。

 小さな横断幕を抱きしめる。


「ありがとう」


 思わず叶は涙をこぼす。慌てふためく三人。

 この物語に主役はいないかもしれないけれど。

 この四人はきっと腐れ縁、時の牢獄が築いた絆。

 きっと大人になっても変わらない。

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主人公未満の僕達が 亜未田久志 @abky-6102

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