第12話 シカゴの戦い

米国中部時間 一九四五年四月九日午後五時五分


 北条らを乗せた蒸気機関車はそれからひたすら走り続けた。しかし二時間走っても次の駅につかないどころか、一面の荒野だった。無人駅で丁度給水中のトラックを見つけると、そこで列車を止め、トラックを奪った。その後何度も不本意ながら、尾行されぬよう車の盗難を繰り返し、シカゴへ向かった。


 一週間もの間、警察などに捕まらないようにスピードに気を付けつつ、交代しながら車で走り続けた。ダイナーで食事を取り、適当なホテルで偽名を使って泊まり、一行はようやくシカゴ手前の街道沿いのダイナーに到着する。


「俺はレモンチキンステーキ」

「私はサラダとシカゴピザ」

「ローストビーフサンドウィッチ」

「よし、じゃあ僕はチーズバーガーかな」


 北条はそういうと、ウェイトレスを呼んだ。一通りの注文を済ませ、さらに全員の分のコーヒーを頼む。すると暫くウェイトレスが怪訝そうな顔をしてそのまま立っていた。北条は気が付かず、そのままになっていると、直ぐに気が付いた長尾が笑みを浮かべて言った。


「これチップ。ごめんなさい、彼、長い運転で疲れていて」


 長尾がその場を上手く取り繕った。


「有難うございます。よい旅を」


 ウェイトレスは多めに持たせたチップの額もあって、そう言って機嫌よく戻って行った。


「長尾有難う。今でもチップを時々忘れてしまう」



 佐野に続き、今川を失った。空虚な気持ち。人が次々に死んでいき、感覚がマヒしてしまいそうだった。それでも何事も無かったように振る舞い、食事をする。北条は皆に今川の話題を切り出すのが怖かった。皆も同じ気持ちなのだろう。まるで禁句の様に、佐野の事、今川の事は話題に出さなかった。押し黙ったまま、静かに料理を待つ。何か言い出せば、この緊張が崩れてしまいそうだった。


 やがて料理が運ばれてきた。美味しそうな匂いがテーブルの上に漂ってくる。しかし誰も食べようとしない。北条は無理に笑顔を浮かべ、ナイフとフォークを取った。


「さあ、食べた、食べた」


 そう言って、北条は自分のハンバーガーを切り分けた。口に切り分けたハンバーガーを放り込む。


「あの、北条」


 太田が何か言いたげだった。それにも構わず、北条はハンバーガー次から次へと切り分け、口に放り込み続けた。


「仕方ないんだ。戦争中だ! しかし我々は前を向かないと。進まないといけない!」

「いや、その」


「食事を取って、力を付けるんだ! 振り向いちゃいけない!」

「いや、そうじゃなくて」


 太田だけでなく、武田や長尾も何か言いたそうだった。


「なんだ!? 何か文句あるのか!?」


 ついに北条は癇癪を起して、皆を睨みつけた。

 その時、カウンターで支払いを終えた老人達が北条らのテーブルを通り過ぎた。


「何でい。若いの。変った奴だな。ハンバーガーをナイフとフォークを使って食べるなんて」


 連れの老人も頷きながら、同意した。


「どこの貴族様だよ。ひひひ」


 そう言って笑いながら、店の外へ出て行った。


「あ、あれ? これって?」


 北条はそう言われて驚いた。


「アメリカじゃハンバーガーとホットドッグはかぶりついて食べるらしいぜ」


 苦笑しながら太田が言った。


「全く田舎者は困るぜ。テーブルマナーがなっちゃいないな」


 と武田が続く。


「しっかりして」


 長尾も少し笑った。


「な、なんだよ。言ってくれれば良かったのに」


 北条は少し不貞腐れながら、そう言った。


「北条が聞かなかったんだろ!」


 太田がサンドイッチを頬ばりながらそう言えば、武田も長尾も同意した。長尾もピザを頬ぼる。


「シカゴのピザって、チーズが沢山乗っていて美味しい」

「確かにこってりしてそうだ」


 武田が長尾の感想に同意した。北条は苛苛して、昂っていた気持ちが少し収まった。皆明らかに無理をして、明るく振舞っている。北条だけではない。誰もが辛いのだ。北条は独りよがりな自身の態度を恥じた。自分は一人ではない。少なくとも死の一歩前までは仲間がいるのだ。北条はハンバーガーを手で持ち、かぶりついた。


 夕暮れが深まり、夜が迫っている。食事後、車を変えるべく、駐車されている車の一台を盗もうとしていた。北条、長尾、太田が注意深く周囲を警戒し、武田が運転手席のセルモーターを起動させて。数分で車のエンジンがかかった。


「暁部隊というより、盗賊部隊だよなあ」


 武田がぽつりと自虐的に言った。


「まさか追手も、このように自動車泥棒を繰り返しながらワシントンに向かっているとは思うまい。持ち主には申し訳ないが、背に腹は代えられない。なるべく傷を付けずに乗ろう」


 北条がそう言いながら、荷物を車のトランクに詰め込んだ。


「車泥棒しながら大陸横断する部隊なんて、なんだか涙がでるような話だな。追手が来てないのはそういう理由か」


 太田が自嘲気味にぼやいた。


「多分な。我々が当初鉄道を使ったころから、駅を中心に封鎖線を張っているのだと思う」


 北条は周囲を警戒しながらそう言った。


「天下の大日本帝国陸軍のこの雄姿を米軍様には知られたくないぜ。さて、いいぜ。皆乗れよ」


 武田が言うと、すぐ様、全員乗り込んだ。


「あと一時間足らずでシカゴだ。この車も乗り捨て、指定のホテルに宿泊しよう」

 

 そういうと、北条は車のギアを入れて、夕暮れの街道を走り始めた。

 



 米国中部時間 一九四五年四月九日午後六時十五分


 暫く走ると、全員が寝ていることに気が付いた。無理もない。上陸してから大きなことがありすぎた。北条もこれからの事に備え、頭を巡らせていた。そうこうしている内に作戦で指定されていたシカゴ市内にあるクラークホテルに到着する。高級ホテルでもなく、至って普通のホテルであった。


「到着したぞ。皆。起きろ」


 北条は皆に声を掛けた。荷を下ろし、そのままホテルのフロントに向かう。北条がチェックインした。その後四人はエレベーターに乗り込み、それぞれの部屋に向かったが、


「話がある。僕の部屋に一旦全員集まってくれないか」


 と北条が突然そう切り出した。


「おいおい。シャワーを浴びて、少しのんびりしてからじゃダメか」


 武田が珍しく不平を言った。それも仕方がない。上陸してから緊張の連続であり、そして長旅だった。しかし北条は譲らない。


「今すぐだ」

「お、おう」


 武田もいつもと違う北条の気迫にたじろいだ。全員が荷物と共に北条の部屋に集結した。


「太田。≪二十時に有楽町であいましょう≫と草部隊に打電してくれ」


 佐野と今川が持っていた鍵を渡し、通信機を開けた。


「おい、これはどういう意味だよ?」

「これは合言葉だ。意味はナッシュ精肉店倉庫に二十時という意味だ」


「聞いたことないぜ。そもそもどうしてこんな合言葉を北条が知っている?」

「佐野大尉が死に際に僕に教えてくれた。その時に通信機の鍵をもらったんだ。佐野大尉によれば、そこが最も東部に近い補給地点だと。武器、弾薬などを補給する」


 北条はさらに説明を加えた。


「ここで武器、弾薬を補給出来なければ我々は終わりだ。作戦の展望は開けない。だから今度こそ何としても成功させる。二手に分かれよう。二人でいけば目立たない。武田、一緒に来てくれ。多分荷物が多いからな。太田と長尾はこのホテルで待機。通信機を守ってくれ」

「よし、分かった。今から打電する」


 太田は早速打電した。


「よし、今から出発する」

「返事を聞かなくてもいいのかよ?」


「のんびり敵地のホテルに宿泊している状況を長く続けたくない。リスキーだ。彼らだって無駄な時間を過ごしたくないはず。だから我々の指定時間で向こうも動くはずだ。移動時間も含め、十時までには帰ってくるつもりだ。そうだな、日付けが変わるまでに戻らなかったら、太田と長尾はここを出立してくれ。そしてその通信機で草部隊と再度連絡を取り合い、作戦を遂行してくれ」


「たった二人か? 湊川も目じゃないな」

「最初からそうだったろ?」


 北条は笑うと、武田を伴いホテルの外へ出ていった。




 米国中部時間 一九四五年四月九日午後十時八分


「遅いですね」


 長尾が窓を見ながら誰に言うともなく呟いた。深夜、小雨が降りだしている。妙だ。殆ど人通りがいないにも関わらず、車が一台通りに停まった。すると十分としないうちにさらに黒塗りのセダンが一台近くに停車した。人が下りる気配はない。薄暗い通り。わずかな街灯に照らされた二台の車。小雨が降り続いている。


(妙だわ。あの二台の車)


 長尾は窓の外の車が気になっていた。


「彼らは帰って来ない。ここを出よう」


 太田は通信機の荷造りをし始めた。


「どういうことですか? 太田さん」

「言葉通りだ。出よう。君は生き延びろ」


 そう言うと、太田は長尾の腕を掴んだ。


「いやっ、離して!」

「言うことを聞くんだ! あの二人は今頃捕まっている。ここで降伏するなら、君の身柄は私が保証する」


「い、一体どういうこと。どういう意味!?」

「もう佐野や今川さんみたいに、こんな無謀な作戦で死ぬところ見たくないんだよ。誰も彼もこんな所で死ぬ必要なんかないんだ。もう戦争は終わるんだよ。日本は無条件降伏する」


「太田さん。何を言っているの?」


 太田は長尾の疑問に答えず歩み寄り、そのまま手を引っ張り、連れて行こうとする。二人はもみ合いになった。


「その手を放せ! 太田!」


 いつの間にか北条と武田の二人が部屋に居て、銃を太田に向けて構えていた。


「お、お前たちは。無事だったのか!? 一体どうして」

「ふふ、幽霊でもみる顔つきだな。思惑が外れたってか?」


 武田は含み笑いを浮かべてそう言った。いつも通りのおどけた態度だったが、目は真剣そのものだった。武田が北条の方に少し視線を向ける。北条はそれに気づくと、ゆっくりと太田に向かって話し始めた。


「≪二十時に有楽町であいましょう≫と君に頼んだ電文は実は偽電だ。意味はない。しかし米国陸軍管轄の諜報機関が正確にナッシュ精肉店倉庫に時間通りに襲撃をかけてきた。この場所を知っているのは我々だけ。そしてそれを電文で打ったのは君だ」

「ま、まさか俺を。一体何の証拠があって?」


「すまないが君を疑っていた。我々の行く先が読まれていることには、気づいていた。そして我々が襲撃されるのは、協力員に協力を頼んだ時に限られていた。その通信機は、使用時には二名以上の鍵が必要だ。つまり、君自身も通信機を使えた機会は限られている。状況に符合していると言う訳だ。ただ、傍受された暗号が即座に解読された可能性もあった。そこで我々は、君に偽の情報を伝え、ナッシュ精肉店倉庫に二十時という偽電を打たせた。君が別に米国諜報機関に伝えたのだろう。いつも通り、その通信機で」

「ば、馬鹿な!?」


 太田は如何にも馬鹿げた考えだというように、首を振った。


「太田よ。今回我々は逆に米国諜報機関を待ち伏せしてやったよ。北条は嫌がったが、俺はその中の一番偉い奴を拷問してやった。お前のことを吐いたよ。スパイだってな」


 武田は静かにそう言った。武田にしては珍しく、真剣な眼差しを太田に向けていた。


「ふふ、米国軍人が簡単に口を割るわけがないだろう。俺を嵌めようとしても無駄だ」


 武田は背後から袋を取り出し、薄笑いを浮かべる太田の足元に放り投げた。袋の口から目玉や舌の切り取った破片が多量の血液と共にこぼれ出てきた。


「俺は北条と違うんでね。目を抉ったり、舌を切り落としたり、頭の皮を剥いだり、いやもう、ベラベラ喋ってくれたよ」


 部屋には血の匂いが充満した。北条と武田は会話の間も銃を構え、太田にピタリと照準を向けていた。


「なにか・・・、何か言って。太田さん」


 長尾がたまりかねたようにそう言った。彼女の白い顔は紅潮し、目には涙を貯めている。


「なるほどな。やればできる子じゃないか。武田」


 太田は静かにそう言った。声は落ち着いていた。


「そうさ。俺は米国陸軍諜報機関の下で働いている。日本軍の作戦目的の探索のために潜入した。そんな時、忍者戦隊、暁部隊の存在を知った。そして俺はその中枢に潜り込むことに成功した」


 太田は黒縁の眼鏡を指で押し上げながら、そう静かに言った。


「とうとう化けの皮が剥がれたな。覚悟しやがれ」


 武田は今にも発砲しそうであったが、太田は落ち着き払って話続けた。


「いいか。よく考えろ。この馬鹿げた作戦を。たった四人。こんな少ない数でホワイトハウスの大統領を討ち取るなんて無理だ。さらに言えば、その後はどうなる。自決しろという命令だぞ! 失敗すれば死。成功しても死」

「黙れ! この野郎! 開き直りやがって。佐野や今川のおっさんもやられたんだぞ」


 武田が叫んだ。


「俺も死なせたくはなかった! 畜生! 今川さんが死んだ時、俺も悲しかった! すぐに降伏すれば良かったんだよ。どの道佐野も今川も成功してもその場で自決だったんだ。我々全員毒薬を持たされている。そうだよな! いいか、誰も死ぬ必要なんかないんだ。降伏しよう!」


 太田は一気に捲し立てた。


「何を言うんだ。どうかしてる!」


 北条は吐き捨てるように言った。


「どうかしてるのは、お前達の方だ。正気か!? 北条、お前は元々高校の先生だったよなあ。平和な時代なら、学生と共に楽しい日々を送っていたに違いない。しかし手遅れではない。お前が生き残れば、日本が降伏すれば、真っ先に国へ帰れる。また元の生活に戻れるんだ。平和な日本で! 新しい自由な世界で生きるんだ、北条!」


 太田は説き伏せるように叫ぶ。


「長尾さん。あなたもこんな所で死んでもいいのか? 生き延びて、そしてもとの病院へ戻るんだ。そして多くの人を救わなければならない。将来素晴らしい男と一緒になって、素敵な家庭を持つことだってできる。死を前提とした無意味な作戦に君のような人間が巻き込まれてはいけない。考え直すんだ!」

「けへっ、演説なんぞ他でやれや! 聞きたかねえぜ、この裏切りもんが!」


 武田が罵った。


「ああっと、武田。お前が棒振りの世界で成功するとは思えない。まして大リーガーなんてとても無理だ。しかしな、お前がそれについて挑戦することも、死んでしまえばできないんだ。米国野球に挑戦をして、派手に失敗するところを俺にみせてくれ」


 太田は冷笑しながら武田に返した。


「なんだと、この野郎!」


 武田は掴みかかろうとした時、はっとした。太田は泣いていたのだ。


「頼むから、生きていてくれよ・・・武田」


 太田は泣きながら、か細い声で武田にそう言った。眼鏡を取り、涙を拭った後、さらに大声で訴える。


「いいか、もう一度言うぞ。お前達。こんな所で死んでもいいのか。もう敗北が決定的な戦局で、なぜさらなる犠牲を払わなければならないんだ。生き延びよう。生き延びて、そして日本の地を再び踏むんだ。俺たち全員で」


 静寂が部屋を支配した。


「すまないが、太田の意見には賛同できない。帝都が爆撃されたのを我々は見たはずだ。我々がやらねばもっと多くの日本人が死ぬ。それを見なかったことにして、自分達だけのうのうと生きるのか?」


 暫く無言の時間があった後、北条が低い声で絞り出すように言った。


「いいか、北条。アメリカは日本とは違う。ずっと天皇がいるような国とは違うんだ。民主主義といってな、選挙によってアメリカ大統領は始終交代するんだよ。我々が万が一奴の暗殺に成功したとしても、翌日には新たな大統領が指揮を執るさ!」


 太田はまるで聞き分けの無い子供をあやすように北条に言葉を掛ける。


「それでも少しでも敵を日本から退けられるなら、僕はそれに賭けるよ。君の話には乗れない」


 北条は太田の言葉を静かに、しかし明確に否定した。


「同じくだ。ここまで来て、降伏なんて出来っかよ!」


 武田は直ぐに北条に同調した。

 太田は武田を睨みつけ、怒鳴りつけた。


「馬鹿野郎! よく考えろ! これだけの人数でホワイトハウス襲撃なんて・・・」


 パン!


 乾いた音が響いた。薬莢が硬い音を立てて床に落ちる。薬莢は暫く転がり、やがて止まった。長尾の銃口から煙が上がっていた。太田は額を見事に撃ち抜かれ、後ろ側にゆっくり倒れる。長尾はガタガタと震えていた。太田が既にこと切れているにも関わらず、まだ何かを射すくめるように真っすぐと前を向いて震えていた。長尾の行動に北条も武田も驚き、戸惑った表情を見せる。二人はゆっくり自身の銃に安全装置を掛け、ホルスターに仕舞った。北条は武田に目で合図する。武田も了承し、頷いた。


「長尾さん。銃を下ろして」


 北条はゆっくりと彼女に近づき、そう呟いた。長尾は固まったままだ。


「長尾!」


 北条が叫ぶと、長尾は震えながら、北条を虚ろな目で見た。


「長尾さん。銃を下ろしてください」


 北条がさらに強く言うと、我に返ったように、長尾は銃を下ろした。北条は長尾の手から銃を取り、安全装置を掛ける。そして長尾を抱きしめた。


「大丈夫。もう大丈夫だ」


 長尾も北条に抱き付いた。戦争とは、若い女性にはあまりに酷な状況だ。


「長尾さん。大変でしょうけど、急いでここを出よう。ここの潜伏場所も奴らに知られるのは時間の問題だ」

「だろうな。囲まれているぜ」


 武田が顎で窓の外を指した。北条が窓の外をそっと伺った。先ほどの二台のセダンに加えて、一台のトラックがビルの真下に急停車した。

 長尾が心配そうな表情を浮かべる。


「ご心配なく。実はちょいと遅くなったのは、俺と北条で逃走経路を確保したからよ。このまま敵を撒いて、脱出するぞ!」


 武田はまだ興奮冷めない長尾に目配せをした。三人は急いで荷物をまとめると廊下に走り出る。北条は太田の装備品である小型通信機も携えた。部屋を出る時、長尾は自身が撃った太田の亡骸を振り返って見た。


「こっちだ!」


 北条は、太田を見て石造の様に動かない長尾を促し、非常階段の反対方向を目指した。下の方から爆発音が聞こえる。


「ちっ、敵の突入が早いな。階段と非常階段どちらもトラップを多数仕掛けておいたから時間稼ぎにはなるはず」


 武田は長尾を見て、にやりと笑った。


「出口が塞がれているのに、どうやって脱出するのですか?」


 走りながら長尾は聞いた。それに北条、武田は答えない。


「急ごう。突き当りの七一八号室だ」


 北条はそれだけ言うと、ひたすらに走った。


「ここだぜ」


 一同は七一八号室にたどり着いた。


「ハロー!」


 そう言うや否や武田はドアを蹴破った。三人はそのまま部屋を縦断する。


「なんじゃ、あんたらは!?」


 老夫婦が寝室で就寝中だった。二人とも寝ぼけ眼で三人を見る。


「季節外れのサンタクロースさ」


 武田がおどけてみせた。北条が窓を開ける。


「よしっ。ビルの谷間、予想地点ぴったり。長尾一緒に飛び降りるぞ」


 北条は窓の外を見ながら、長尾に言った。

 長尾は躊躇う。


「僕を信じろ! さあっ!」


 長尾の手を取り、抱き合いながら窓の外へ思い切りよくジャンプした。


「ひいいい、あんたら何を!?」


 窓に飛び出す二人をみて老夫婦は叫んだ。北条、長尾が真っ逆さまに落ちた先は野外ゴミ収集箱だった。しかしゴミの代わりにどこから見つけて来たのか多量のマットレスが敷いてあった。二人は無事にその上に落ちると、北条は武田に手を振った。


「タッチダウン」


 武田はそれを見て、ほくそ笑んだ。そして振り返り、老夫婦を見遣る。


「旅行でこちらへ? 仲が良くて実に羨ましいですなあ。 あの二人? 恋に悩んだ挙句の心中でしょ。若い男女にはよくあることです。ドアを壊してしまって済みませんね。ホテルの人には我々がやったと言っておいてください。次回はちゃんと煙突から入って来ますよ」


 そう言うや否や、武田も窓の外へ飛び出した。ドシンッ。上手く着地すると、既に北条らはマンホールの蓋を空けていた。


「君にはすまないが、これしかないんだ。匂いは我慢してくれ」


 北条は長尾にすまなそうに言った。


「構いません。それより早く!」


 北条、長尾そして武田の順でマンホールの中に入り、最後に蓋を閉めた。マンホールの中は酷い臭気だった。北条が最初に降り立ち、続く長尾に手を貸した。北条は手持ちのライトを点ける。明りに照らされ、ドブネズミが走り去った。地下下水道は三人が立って歩けるだけ巨大だった。中央に小さい水路があり、両脇に狭い歩道がある。


「第三の男みたいだな」


 北条が呟く。


「上手くいったな。このまま向こうのブロックまで抜けよう」


 武田が最後に降り立ち、ライトを点けてそう言った。


「これは全て計画したの?」


 長尾が感心したように言う。


「計画はしたが、内心冷や冷やだった。何せテストはできないからね。一回きりだよ」

「急ぐぜ。こっちだ!」


 武田が指し示す方向へ全員歩き始めた。



 三人はそれから、臭気漂う暗い下水道を静かにひたすら歩いた。かなり遠くまで来たはずだ。反響音でびくつくが、下水道の中に北条ら以外に人はいなかった。それでも時折、北条はライトで後ろを照らす。レンガの隙間からはところどころ汚水が噴き出しており、臭気はひどい。


「ごめんなさい」


 長尾が唐突にそう呟いた。長尾は俯き、そして両手で顔を覆って泣き始める。危機を乗り越え、先ほどのやり取りが思い出されたようだった。


「太田さんを・・・、撃ってしまった! 殺してしまった!」

「君が撃たなければ、僕が撃っていたかもしれない」


 北条はそう言いながら、振り返ることなく、ライトで前方を注意深く照らしながら、歩き続ける。


「そうそう。あの糞野郎のせいで、今川のおっさんと佐野がやられたんだ。俺たちだって捕虜か、最悪全滅していたぜ!」


 長尾の後を歩く武田もそう言って北条に同意した。武田もライトをあちこちに照らして警戒を怠らなかった。


「彼は我々を助けようとしていたのかも」


 そう言った長尾の頭には富永の言葉が浮かんだ。


(人を殺すことに慣れることはないわ・・・)


 武田がすかさず口を挟んだ。


「それってどういう意味よ? 何がどうすれば俺たちが助かったことになるわけ?ああん?」

「太田さんはこの作戦は無謀だと言っていました。無駄死にさせるより、降伏を。それで私達を救おうとしたのかも」


「けっ! 余計なお世話だっての。こっちゃ、元からイカレタ作戦だって分かってんよ。俺たち、救われたっていうか、襲われたっていうのが正解なんじゃねえの。レベッカちゃん」


 武田は吐き捨てるようにそう言った。気まずい気配が流れる。突然北条が立ち止まり、ゆっくりと長尾を振り返った。


「正義の反対は悪徳ではなくて、別の正義なんだ。誰も彼も正しいと言えるし、間違っているともいえる。太田は我々を降伏させて、救おうとしたのかもしれない。太田は歴史的、より大きく世界を敷衍ふえんしたとき、正しいのかもしれない。しかし我々は大日本帝国陸軍軍人だ。天皇陛下というとピンと来ないけど、日本にいる多くの人を救うために降伏や任務放棄は全く考えられない。今でも多くの日本人が爆撃で殺されている。君もその目で見たはずだ。その立場からすれば、君のとった行動が正しい」


 長尾は涙を流して首を振った。長尾は北条の建前論には決して納得しないだろう。人間をやめない限りは。

 長尾は自身の同僚を、人間を撃った。その事実は覆せない。北条自身自分の言葉が真実から遠い感じがしていた。我々はまず人間で、そして日本人で、最後に大日本帝国陸軍の兵士だ。その逆はない。


 三人は暫くそこで立ちすくんでいた。長尾のすすり泣く声。下水の音。水滴の滴る音。武田は思いついたようにボソッと呟いた。


「なんだ、その。レベッカちゃんは初めてなんだろ。人を殺したの。酷だなあ、実際。俺たちこれから沢山の敵兵、人間を殺しに行くんだぜ」


 北条にしろ、武田にしろ、上陸してから何人か人を撃っている。間違いなくその内何人かは死んでいるだろう。人の命を奪う。そのことは重い。戦争だからとか、敵だからとか、自身を色々と納得させようとするが、何もかもが人の命を奪うということについて比べて軽かった。 

 長尾にとっては最初の殺人が、自分の仲間でもあり、心を軽くする言い訳がさらに乏しかったと北条は考えていた。


「すまない」


 思わず、そんな言葉が口に出た。

 長尾はそれを聞いてようやく泣き止み、涙を手の甲で拭い、視線を上げて真っすぐに北条、武田を見た。


「北条君、武田さん、取り乱してすみませんでした。大丈夫です。行きましょう」


 長尾はしっかりとした足取りで歩き始めた。北条と武田が続く。結局彼らは、自分たちのやったこと、これからやろうとすることに最後の瞬間まで悩み続けるだろう。そして明確な答えは出ないに違いない。


「ここでいいだろう。五ブロックは離れた」


 北条はそういうと、錆びついた梯子に手をかけた。ゆっくり上ると、マンホールの蓋を少し開き、外を伺う。幸い今度も狭い路地で、深夜で人通りもない。


「よしっ、いいぞ。出よう」


 北条がまず外に出て、それから長尾、武田が続いた。外の空気が美味かった。先ほどのホテルの付近はサイレンが鳴り響き、騒々しかった。


「大騒ぎになってやがる」

「急いでここを離れよう」


 北条は機材を肩に担ぎ、武田、長尾もそれに続く。


「いや~、下水の匂いがとれねーぜ」


 武田が服の袖を嗅ぐような仕草をしながら、そう言った。


「どこかで服を手に入れよう。怪しまれたらまずい」


 北条も武田に同意する。


「ところで、武田さん、本当に敵兵を拷問されたのでしょうか?あの肉片は?」


 長尾は突然武田に聞いた。


「ああ? あれ? あれは精肉店にあった豚の臓器よ。上手い具合に太田を騙せたぜ。後は精肉店の外で見張り、米国諜報機関が精肉店に踏み入ったのを店の外から確認したという訳よ」


 武田はそう言うと、北条を見た。


「長々と敵兵を拷問するほど時間も安全な場所も我々にはないよ」


 北条も苦笑しながら同意した。


「そうですか」


 長尾は安堵した表情をみせた。北条も長尾と同じ気持ちだった。目的は果たさなければならないが、できるだけ人は巻き込みたくはなかった。殺したくない、苦しめたくない。敵であれ、味方であれ。


「まず服と足を手に入れよう。またまた盗賊のようで心苦しいが」


 北条が下した最初の判断は盗みだったので、本当に情けなかった。


「へへっ、まあ金は天下の周りものというじゃねえか。キリスト様の教えにも服を盗ませろという言葉があるんだろう、レベッカちゃん」

「貴方を訴えて下着を取ろうとするものは、上着を取らせなさい」


 長尾はそう簡潔に言った。既に感情を隠した人形の様な顔に戻っていた。


「そうそう、それそれ。さあ、行こうぜ」


 三人は夜の街を歩き始めた。



……………


 北条たち三人が地下下水道に逃げ込んだのと同時期。


 クラークホテルのあちこちでは北条らの仕掛けが爆発したことにより火災が起きており、消火活動の真っ最中であった。避難客や消防士、救急士などがごった返す中、フリードマンら陸軍諜報機関の一行はホテルの一室に居た。その部屋で、フリードマンらは変わり果てた太田 景弘の死体を見下ろしていた。太田は目を開けたまま絶命していた。フリードマンは太田の目を閉じてやり、そして静かに語りかけた。


「初めてお目にかかるよ。ミスターオオタ。今まで良くやってくれた。日本の英雄に敬意を表するよ。君のような英雄的な人間がいる限り、日本はまた蘇るだろう。神が君の魂を救済されんことを」


 フリードマンが帽子を取って黙祷を捧げると、他の諜報員もそれに倣った。その途中でスミスが部屋に入り、報告をしてくる。


「フリードマン大佐、ナッシュ精肉店倉庫は空振りです。どうやら陽動だったらしいです」


 フリードマンは黙祷をやめ、帽子を被り直した。


「罠だったのだ。『猫』を炙り出すためのな。くそ、忌々しい奴らだ」


 フリードマンは苦々しく吐き捨てた。


「しかし困ったことになりましたな。『猫』を失った今、奴らの足取りが掴めません」


 スミスが応じる。


「それは痛いが。奴らの拠点は米国の西部から中西部までで、東部にはない。ジャップは重火器などがない状態だ。恐れるに足らん。スミス中尉、次に何をすべきか分かっているだろうな?」

「東部の武器店の盗難をチェック。盗難があった場合は直ちに人員を派遣します」


 スミスが冷静に述べた。フリードマンとスミスとは長い付き合いである。ここら辺は阿吽の呼吸だった。


「結構。武器の補給はこれから先できないはずだ。奴らの最終目的地は分かっている。最悪そこで迎え撃つ」


 フリードマンは断固たる決意を示してそう言った。


「彼らの目的が大統領なら、この際、大統領をホワイトハウスから一旦避難させた方がいいのは?」


 スミスが進言するが、フリードマンはそれを否定した。


「何処へ行っても狙われる。それよりもこのホワイトハウスを要塞と見做し、そこで迎え撃った方がいい。あれほどの大きな建物で、大統領が独占的に使用できる施設を知らない。ホテルその他だとこちらの兵を隠す場所がなく、民間人の避難など面倒な事になる。無電を。予てから陸軍長官に要求しておいた合衆国最強の陸軍部隊はホワイトハウスに到着したかと確認してくれ」

「合衆国最強の陸軍部隊?」


 スミスは怪訝そうな顔をした。


「ああ。状況は話してあるので、彼はどの部隊を送るべきか分かっている。以前も電報で確認してもらったろう。今頃ワシントンに部隊が到着しているはずだ。ふふ、毒を以て毒を制す。そう、歴史上最強の陸軍部隊だ。欧州のファシストを恐怖のどん底に叩き落とした連中だ。例えホワイトハウスに辿り着いても、万が一にもアカツキには勝ち目はないぞ」


 フリードマンは不敵に笑った。


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