第11話 大陸横断鉄道の戦い
米国太平洋時間 一九四五年四月二日午前四時五十五分
「こっちこっち。北条君」
北条が駅構内に到着すると今川が手招きした。朝も早いため人が少なく、隊員達はすぐに同流できた。今川もようやく落ち着いたようだった。顔に血色が戻っている。外見上黒人であった佐野がいなくなったことで、問題なく全員一緒で切符を購入できた。北条達が急いで指定の列車に乗り込むと、列車は程なく出発した。
車内は個室となっており、北条らは個室を全部で三室購入していた。しかし、周囲を気にしつつ全員が一室に集まり身を潜める。誰もが列車内では押し黙っていた。到着早々、佐野大尉を失った。これは最も実戦経験豊かな人物が消えた事を意味する。ただでさえ実行不可能な作戦にも関わらず、この損失は痛い。しかしそれ以上に北条の頭を駆け巡る問題があった。情報が何時、どこで漏れたのかという問題だ。北条はその一点を考え続けた。この因果関係を明瞭に説明できなければ再び襲われる可能性がある。北条が頭を悩ませている間に列車はロサンゼルスの市街を抜けた。やがて木もまばらな郊外の景色が車窓から見え始める。小型の携帯ラジオを聞いていた今川が北条に合図した。
「北条君、これを聞いてよ」
今川がラジオの小型イヤホンを差し出してくる。通信傍受用の最新型だ。急いで耳につける。
『本日未明、イリノイ州シカゴ市において重火器の不法保持をしていたアルフレッド・レーガン氏他十二名を逮捕した。州警察および連邦警察は現在その背後関係を調査中であり・・・』
(草部隊だ! 逮捕されたのか!? しかし何故)
ぐるぐると頭が巡る。一体何が起こっている。やはり偶然ではない。草部隊が行動を起こし、重火器を携えて合流すべくシカゴに行ったとき、逮捕されたのだ。
(落ち着け!落ち着け!)
北条は自身にそう言い聞かせた。列車はその間もシカゴを目指して高速で走り続けている。
「なんだ。どうした」
武田が顔色の変わった北条と今川を見て、聞いてきた。
「ああ、シカゴにはナマズ料理なんてないんですよ。ありふれたピザとホットドッグだけでね」
北条は咄嗟に勘が働き、この情報をとりあえず他のメンバーには伏せて置くことにした。このタイミングで草部隊が摘発。偶然にしては出来すぎている。
(やはり情報が洩れている。誰かが我々の動向を伝えているのだ。しかし、どうやって!?)
向こうの手札がわからない内はこちらもできるだけ手の内を隠しておいた方がいい。北条は気取られぬように、今川に目配せをした。瞬時に今川も察したらしく、上手く合わせる。
「いやあ、残念だな。せっかくだから、何かその地方の特産物を食べたくてね」
それを聞いて、太田が呆れた。
「今川さん、食いしん坊だなあ。我々これから任務で死ぬんですよ」
「こんな時だからだよ。こんな時だからこそだ。それに例え明日死ぬといわれても、美味いものを食べたいじゃないか。孔子の言葉にもあるじゃないか、朝に食べられれば、夕べに死んでもいいって」
今川が論語の一節をもじって答えた。
「俺は学がないから、よく分かんねえけど、そりゃあ、多分ねえんじゃねえか」
武田がそう返し、一同は笑いに包まれた。佐野大尉を失い、命からがら逃げて来たのだ。無理のある笑いだった。しかし笑わなければやっていられない。そういえばもう昼だった。
「皆腹減らない? 僕が買ってくるよ。腹が減っては戦はできないってね。これは合っているだろう」
北条は周囲の状況を確認するため、個室の外へ出る理由が欲しかった。各自の注文を控え、個室から出た丁度その時、後部客室からそれと分かる集団がドアを開けて入ってきた。彼らの雰囲気が明らかに違う。追手が列車内にいるのだ。
(言わんこっちゃない!)
慌てて個室に戻る北条。
「しっ!」
北条は個室に入るなり、口元に手を当てた。そして手信号で全員に伝達。全員が身を屈めた。
(追手だ。一人づつ静かに先頭車両に向かえ!)
(何で分かるんだよ!?)
武田も手信号で返す。
(身なりも、雰囲気も、場所も、怪しすぎる。いるべきでないところにいる奴らだ。間違いない。追手だ!)
一方フリードマンらは打ち解けたような作り笑いを浮かべながら、客室の個室を巡り、内にいる一人一人の顔を丁寧に確認して回った。この列車にジャップの暗殺部隊が乗車していることは確かだが、顔写真が手元にないため、一人一人確認して廻るより他なかった。それらしき人物がいれば、次々に後部車両に送って、調べていた。フリードマンらはロサンゼルスの戦いの後、血眼になって暁部隊を追っていたが、陸軍諜報機関の保有する車の駅周辺での目撃情報が入り、先回りして途中駅で乗り込んだのだった。
その時、客室から先頭車両に向かおうとする人間が視界の片隅に入った。
「ちょっと、君止まれ!」
呼ばれた人物は足を止めた。
「そうだ。君だ。こちらを向け」
足を止め、ゆっくりと振り向く。
「私のことですか。ミスター」
長尾は振り向くと、フリードマンに微笑んだ。長い少しカールがかかった金髪。白く透き通るような肌。まるで人工物のような整った顔立ち。フリードマンは少し戸惑った。
「ああ、申し訳ない。ミス。どちらまで」
「化粧室ですわ。ミスター」
「いや、その、行先です」
「終点のシカゴまでです。叔父が欧州戦線から帰還するとのことで、面会をと思いまして」
「いや、それは大変な愛国者ですな。しかし現在欧州戦線は大詰め。こんな時に帰還するとは・・・。失礼ですがどちらで戦っておられたのかな?」
「カーン近郊のカルピケ飛行場奪還作戦に参加したとき、独軍第12SS装甲師団との闘いで負傷したとのことです。長らく野戦病院で入院していたのですが、この度帰国できるようになりました」
長尾は事前に用意された定型文を答えた。日本で入手できた情報に基づき作られた尋問に対する答えは幾つかのパターンがあり、暁部隊はそれを全て暗唱していた。フリードマンは長尾の淀みない声を聞き、笑みを浮かべた。その答えに不審な点はなかった。確かにカーン近郊で戦闘は起こっており、カルピケ飛行場はフランスにおける最大の激戦地の一つであった。
「なるほど。結構です。お呼び立てして申し訳ありません。叔父上が無事に帰還された事をお喜び申し上げます」
「有難うございます。それでは失礼しますわ」
長尾はゆっくりと踵を返し、歩いて行った。
「大変な美人ですな。ハリウッド女優顔負けですよ。ビビアン リーかはたまたグレタ ガルボか」
スミスがそう呟いた。
「ふっ、ジェーン フォンテインとかな。あんな女性もいるところにもいるものだな」
その時客室の老婦人が立ち上がって言った。
「もういいかい。あんたたち。私はトイレに行きたいんだよ」
フリードマンは苦笑した。この老女は問題ないだろう。変装などの可能性もなかった。
「申し訳ありません。マダム。しかしトイレなら先頭車両の方ですよ」
すると老婦人は不思議そうな顔をして言い返した。
「何言ってんだい、あんた。あたしゃ、さっきも行ったんだよ。トイレはこの客室の後方にあるんだよ。この先には無いよ」
「ああ、それは失礼しました。マダム、どうぞお足元気を付けて」
ヨタヨタと後方車両に向かって歩く老婦人を見送ると、フリードマンらは引き続き客室内の乗客を一人一人確認し始めた。暫く経ってから、先ほどの老婦人が戻って来た。フリードマンはそれを何気なく見ていたが、突然電撃に打たれたように固まった。
「あの女だ!」
フリードマンは顔を先頭車両の方に向け、叫んだ。
「なんです? 誰ですか、あの女って?」
スミスが訝しげに聞いた。
「私はなんて間抜けだ。貴様ら、行くぞ!さっきの若い女を追え!彼女はトイレに行くといった。しかしここから先頭車両にトイレはない。しかも戻らない!あの女だ!」
フリードマンはさらに彼女の言葉を思い出していた。確かにカーン近郊、カルピケ飛行場で戦闘が起こっている。しかし良く思い起こせば、英軍、カナダ軍が主力であり、米軍は参加していなかった。恐らく欧州戦線の詳細な情報が日本側に充分伝わっていないのだろう。
「くそっ! 私としたことが!」
諜報機関に所属しながらの失態にフリードマンは臍を嚙んだ。フリードマンの合図で、車両客室を臨検していた陸軍諜報機関の人員は一斉に走り出した。
一方、北条達は先頭の蒸気機関車に既に辿り着いていた。蒸気機関車と客室を切り離し、追手を巻こうという考えだった。しかし蒸気機関車と客室をつなぐ連結器が強固で外れない。
「畜生、自動連結器に鍵がかかっていやがる。外れねえ」
武田らが懸命に外そうとしていたが、外れなかった。
「よし。乗務員に外させよう」
北条、太田らはさらに先頭に行き、機関士の詰めている運転室に乗り込むと、機関士達に銃を向けて叫んだ。
「動くな!」
「何だ!?お前たちは」
その中の最年長、がっしりした体格、口髭を豊かに蓄えた機関士が黙々と蒸気機関車を走らせながら答えた。
「静かにすれば危害は加えない。よし君だ。こちらへ来い!」
太田に残りの機関士を見張らせ、北条は側にいた中年小太りの機関士の首根っこを掴んで、連結器まで連れて行った。そして連結器の前で引き倒し、頭に銃を突き付けて叫んだ。
「こいつを外せ! 脅しじゃないぞ」
もちろん脅しだったが、北条は凄んだ。
「俺たちはこいつの鍵なんざ持ってねえ! 本当だ! 到着予定の駅で外すことになっている。それまでこいつを走行中に外すことはできねえ」
蒼褪めながらも叫び返してくる機関士の言葉に一同は顔を見合わせる。
「どうしよう」
今川が呟いた。その時、突然連結部に接した客室のドアが開かれた。一瞬、その場が凍り付いたが、次の瞬間武田、北条、長尾、今川と追手との間に銃撃戦が始まった。北条たちは、たちまちの内に数人をなぎ倒したが、今川の頸部から血が噴き出した。九十二式防弾衣改が覆っていない首に銃撃を受けたのだ。さらに客室の後部から多人数が迫っている。
「乗客の皆さん、後方の客室に避難を!頭を下げてください。馬鹿者!射撃やめ、射撃を止めんか!」
フリードマンは必死になって発砲を制止しようとした。
「おっさん!」
武田は銃弾の雨の中、今川を引きずり、客室のデッキの陰に隠れた。
「や、やられた! 首をやられた。もう、助からん」
今川が喘ぐように言う。
「いいか、ここを動くなよ」
北条は床に伏せた震えあがった機関士にそう言うと、銃撃が収まったその間に長尾と共に今川のもとへと駆け寄った。
「諦めんなよ、おっさん。どうよ、レベッカちゃん」
武田は今川を抱きかかえながら、縋るように長尾を見た。長尾は静かに首を振った。手ぬぐいで抑えているが、右の総頸動脈が破損している。出血多量で意識消失するのも時間の問題だ。
「俺がこの連結器を爆破する。お、お前たちは機関車の先頭に移動しろ」
今川はべっとりと血で濡れた自身の手を眺め、自分の運命を悟っていた。
「今川さん!」
北条が叫んだ。もうどうしようもない。
「起爆装置は受領できなかったので、て、手持ちの爆弾で直接爆破する」
北条、長尾は泣き出していた。
「泣くな。北条。これからはお前が、た、隊長だ。皆を、頼んだぞ。はやくいけ。私ももう長くはない」
今川は首に掛かっていた血塗れの通信機の鍵を渡した。これで北条は、佐野、今川の二つの鍵を持つことになった。
「おい、康。行こうぜ。レベッカちゃんも」
武田はそう言って北条を促した。
「じゃあな。おっさん、先に行って待っていてくれや」
武田が唇を噛み締めて、今川にそう言った。
「ふふっ、お、お前は行いが悪いから、あの世で私と会えるかどうかわからんぞ」
今川が口元をゆがめ、笑いを作った。それを見て、武田は強く唇を噛んだ。
北条は床に伏せている機関士を引き立て、長尾、武田が後に続いて先頭に素早く移動した。銃撃は今のところは止んでいる。
今川は爆薬を連結器に巻き付けていた。血を失い、目が霞む。妻と子供らの顔が今川の心に浮かんだ。
(すまん、父さん。もう帰れそうにないよ・・・)
「大佐。客室乗務員、乗員全て後方に退避させました」
スミスが報告した。
「よし。ご苦労だった。それでは諸君、勇気を見せる時だぞ。全員突撃だ」
フリードマンは列車に乗り込んだ全ての部下を集結させた。ジャップお得意のバンザイ突撃をやろうというのだ。
運転室に戻ると、太田が銃口を機関士達に突きつけ、待っていた。
「なんだ、今川さんはどうした!?」
太田は今川が不在なのに気が付いた。
「連結器が外れなくて、そして今川さんが撃たれて、もう、自分で爆破するって」
長尾が泣きながら、そう言った。
「な、なんだよ、それ! 畜生、助けなきゃ!」
太田がそう言って後部へ戻ろうとした。
「止めろ! もう撃たれて、助かんねんだよ。今川のおっさん、それで、自分諸共連結器を爆破するって言ったんだ!」
武田がそう叫んだ。
「お、お前らなんなんだよ。馬鹿じゃねえのか!」
太田も泣きそうになっていた。
その時、客室の後部から敵兵が多数銃を乱射しながら、今川がいる連結器の方へ接近してきた。今川は爆薬のピンを引き抜く刹那、妻と子供らの顔が一瞬頭をよぎった。しかしそれはすぐにまばゆい光に包まれる。轟音と共に連結器を中心とした部分が吹き飛ばされた。衝撃でフリードマンらも後方へと吹き飛ばされる。
「太田! 聞いてくれ! これは今川さんが決めたことなんだ。その気持ちを・・・」
北条がそう言いかけた瞬間、凄い爆破の衝撃は機関車自体も揺らし、北条らは機関士と共に機関室に叩きつけられた。しかし連結器は見事に破壊され、機関車と客室は次第に離れていった。
「ううん。くそっ」
酷く打ち付けられて、北条らは床に這いつくばった。北条は立ち上がり、連結器の方にふらつきながら、向かった。物陰から注意して状況を確認する。成功だった。蒸気機関車と客室が離れつつあった。相手に長尾の顔が割れたが、こちらも向こうのメンバー何人かの顔を客室内で確認した。
「あれが敵。あれが我々の敵なんだ」
北条は呟いた。背が高く、精悍な顔つきのフリードマンを遠目で確認できた。何処かでまた、必ず会うに違いない。そう心の中で確信していた。
フリードマンらはよろよろと立ち上がり、吹き飛ばされた連結器の近くに歩み寄った。今川は跡形もなく消し飛んでいた。そして連結器も。つなぎ留める物は無く、離れ行く蒸気機関車を見て、フリードマンは悔しがった。フリードマンの乗った客車は動力を失い、速力が次第に低下、やがて完全に停止した。凝視すれば引き戻せるかのように、暫く遠ざかる北条らの乗った蒸気機関車を眺めていた。
「くそっ、後一歩だったのに。いずれにせよ、連中の一人は白人系の女だ。よし客車が停止次第、下車。奴らを先回りするぞ」
フリードマンがそう言うと、傍らのスミスが呟いた。
「大佐。申し上げにくいのですが、今我々のいるところは、人気の無い荒野なんですが・・・」
「うっ」
フリードマンはそう呻き、周りを見回してみた。わずかばかりの背の低い灌木や雑草がみられる一面の荒野だった。
「降りて歩きますか?」
そう言って、スミスは帽子を被り直した。
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