第10話 ロサンゼルスの戦い
ロサンゼルス近郊 米国太平洋時間 一九四五年四月一日午後十一時五十分
「『猫』より入電。我上陸す。以上」
薄暗く、広大は石造りの部屋には熱気がみなぎっていた。多数の通信機に囲まれ、大勢の人員が忙しく動き回る。その中の一人が、ある男の前に進み出て、そう言うと、電報を渡した。
「アカツキだ。間違いない! 陸軍長官に打電しろ。そして要求した陸軍部隊は移動可能かということを確認してくれ」
渡された無電をみながら、ロイド フリードマンは言った。フリードマンは長身、金髪碧眼の男であった。陸軍諜報局に籍を置き、他の多くの諜報員と同じくその経歴には謎が多い。しかし近年多くの成果を上げ、まだ三十代半ばだが着々と昇進を繰り返し、現在大佐に昇進していた。
「いよいよですね」
傍らにいたジョン スミス中尉はプリンストン大学で日本語を履修。太平洋戦争が始まってからは、フリードマンと行動を共にした。背はさほど高くないが、筋肉質でがっしりとした体型をしており、金髪を短く刈り上げていた。
「ああ。我々合衆国にとって存亡をかけた戦いが始まった」
フリードマンは見えざる敵を睨みつけるように顔を上げ、呟いた。
…………………
「おらあ、掘ったぜ! どうだ、これで」
武田が叫んだ。汗で額が濡れている。北条、長尾も息が上がっていた。
「いいだろう。よし、ここに潜水具を埋めろ」
佐野は穴の大きさを確認し、その大きさが充分であることを確認した。全員分の潜水具をこれで隠しておけるだろう。
「返信あり! 埠頭B12倉庫において午前一時四十分に合流せよ」
太田が佐野にそう報告を返した。
「ふむ。ここからどの位離れているか」
今川と北条は地図を見て、場所を確認する。ここから直線距離で七キロ離れていた。
「一時間半程度で七キロか。徒歩だと急がなければならないな。急ぐぞ。深夜のマラソンだ」
武器も弾薬も持たず、軽装であるから、さほど困難ではないと思われた。
「日頃の訓練が早速役に立つという訳か」
武田はそう言いながら、走り出した。深夜であり、浜辺に近い道路には車や人通りはなかった。日本などと違い、米国の道路はきちんと舗装されており、また歩道も完備されているために走りやすかった。深夜の道を暫く走ると目的の倉庫が見えてくる。佐野が手信号で合図すると同時に隊員は散開して、それぞれ身を隠した。佐野は双眼鏡を取り出し、倉庫を観察する。それから今川、北条に双眼鏡を手渡し、確認させた。
「あの倉庫で間違いないか」
今川、北条からの「間違いない」との返答に、佐野らはそっと目的の倉庫に近づいた。怪しいところはない。佐野を先頭に更に近づく。内部に入れる場所はないかと探したところ、ドアが見つかった。鍵はかかっておらず、開く。佐野が手信号で隊員全員に合図。全員所持しているコルトM1903自動拳銃を抜き、安全装置を外した。佐野はわずかにドアを開き内部を伺った。倉庫内は暗く、人がいる気配がしない。
(おかしい。まだ草部隊は到着していないのか・・・)
佐野は不思議に思いながら、ライトを点灯する。特殊なライトで前方しか照らさない。他の隊員を入り口付近で留め、自身一人で内部を探索することにした。人差し指を指し、クルクル回す仕草をする。これは周囲の警戒を怠るなという合図だった。
北条が倉庫入り口の確保。その他の今川、武田、太田、長尾は入り口から離れて散開して、周囲の警戒に当たった。倉庫周囲の路上、他の倉庫には車や人員の気配はない。
「今拳銃しかないからね。襲われたらまずいよ~」
周囲警戒指揮をする今川が情けない声を上げた。
佐野はライトを照らして、倉庫内部を見て回っていた。もう予定時刻は過ぎている。何かがおかしい。倉庫内部にトラックがあった。ライトで照らすと、タイヤの跡は今しがたついたものだった。これは今到着したトラックだ。するとこれが補給品を積んだトラックだろうか。佐野は静かに近づく。荷台に寄り添い、後部に回った。
ピチャ ピチャ
どこかで水滴音がする。荷台から何かが滴っている。佐野は地面にライトを向けて、滴っているものを見た。真っ赤な液体が地面に滴っている。佐野は荷台の幌を跳ね上げた。荷台の中に武器や物資と共に血塗れの人間が何人も詰め込まれていた。
「うっ!」
佐野は一瞬息を呑んだが、叫びはしなかった。間違いなく、草部隊の人間だった。荷台に乗り、佐野は首筋に指をあて、脈をそれぞれ確認。脈拍はなく、全員の死亡を確認した。体温はまだ温かく、殺されてからまだ時間が経っていない。
佐野の喉は渇き、全身に鳥肌が立ち、冷汗が噴き出した。何を考える必要があるのか。考えられることはたった一つしかないではないか。佐野の戦闘に関する知識が、知見が、本能が、そう訴えていた。
(罠だ!)
北条はかなり遠めで倉庫内の佐野を視認していた。倉庫内は暗く、わずかに佐野の輪郭だけが確認できたが、表情までは分からなかった。
(何か見つけたのか?草部隊は一体どうしたんだろう?)
北条がそう考えていると、佐野がいきなりこちらへ走り始めた。
「罠だーっ!! 退け!!」
佐野が絶叫するのと同時に倉庫内のライトが点いた。それと同時に激しい十字砲火が佐野に加えられた。
「ぐわっ!」
短い悲鳴を上げ、佐野が転倒する。腹部、胸部の銃創から血が噴き出した。北条は銃弾音から重機関銃で撃たれたと察した。拳銃あるいは自動小銃程度なら完全な防弾性を発揮する九十二式防弾衣改だったが、重機関銃ではどうしようもない。
「大尉!!」
北条は駆け寄ろうとしたが、佐野はそれを手で制した。
「俺に構うな!! 退け!!」
佐野は撃たれながらも、拳銃で反撃を試みた。北条が躊躇いを見せると、佐野は首に掛けていた通信機器の鍵を引きちぎり、北条に放り投げる。
「何をしている!それを持って行けーっ!!」
北条は鍵を受け取ると、倉庫から走り出た。倉庫の周りに次々と車、トラックなどの車両が集まって来ていた。
(糞! そういう事か!)
明らかな待ち伏せだった。北条は走った。ここを切り抜けなければならない。
「皆、包囲を突破する!」
北条のこの一声で全員何が起こったか、認識した。
北条らの正面に乗り付けた一台の乗用車から短機関銃を持った男たちが飛び降りてきた。向こうが構える前に北条と武田が銃撃し、全員を瞬時に屠った。群がり集まる敵兵を長尾と今川が銃撃して食い止める。
「皆目を瞑れ!」
太田がそう言うと、閃光手榴弾を投げた。北条らは目を瞑る。一瞬近くが全て眩く照らされ、。一時的に敵兵士らは目つぶしをくらった。
「あの車に乗れ!」
北条がそう叫ぶと、今川、武田、太田、長尾が次から次へと車に乗った。北条が運転席に座るや否やギヤを入れ、アクセルを目一杯踏み込んだ。
ギャギャギャキキキキーッ
けたたましいエンジン音を鳴らし、車は急発進した。銃撃音が響き、後方のガラスが割れる。
「伏せてろ!」
北条はハンドルを切り、急カーブをし、大通りに出た。そして最高速度で走り去った。
……………………
フリードマンは倉庫内に入り、報告を受けていた。
「合流は阻止できたのだな?」
フリードマンは傍らにいるスミスに尋ねた。
「クサ部隊のメンバーは全員射殺。アカツキ部隊のメンバーは一名重症ですが、拘束しております。残りは逃亡しました。現在手配中です」
「よし、上出来だ。それでは捕らえたウサギの顔でもみるか」
フリードマンは上機嫌で頷いた。
倉庫内の片隅に佐野はいた。武装した兵士に囲まれていたが、佐野には衛生兵によって、輸液が施され、胸腹部の銃創に対して処置が始められており、救急車での搬送を待っている状態だった。
「これは、これは、驚いた。実に狭い世界だな。久しぶりだ。サノ」
フリードマンが佐野を確認すると、驚いたように言った。それから満面の笑みを浮かべて、佐野の頭上を見下ろすように立った。フリードマンはトレンチコートを優雅に着こなし、帽子を取って道化た様に挨拶する。
「くっ、殺せ。この裏切り者。俺は何も喋らんぞ」
佐野もフリードマンを見ると驚き、喘ぎながら、そう言った。
「裏切り者だと? あの下劣な日本帝国陸軍が私に何をしたか、お前は知っているだろう」
フリードマンから一瞬にして笑顔が消えうせ、怒りの眼差しを佐野に向ける。
「う、ううむ」
佐野はそう言われ、押し黙った。フリードマンは屈んで、佐野の近くに顔を寄せる。
「究極汎用戦闘術は誰が作り上げたか、どのようにして出来たか、お前は全て知っている。にもかかわらず、どの口でそういうのか?」
そう佐野に言うと、佐野から流れ出る夥しい血液を見た。
「ニガーでも同じ血の色とはな」
フリードマンは冷ややかに笑みを浮かべそう言うと、傍らにいたスミス中尉を見遣る。
「大佐。失血がひどく、このままでいけば後数分で意識消失します。尋問は後程お願いします」
「ふむ、ご忠告有難う。スミス中尉」
負傷して血塗れになった佐野を見下ろし、フリードマンは静かに、しかし断固たる口調で言った。
「だが必要ない」
処置にあたっていた、衛生兵達を下がらせると、フリードマンは輸液の管を全て引き抜き、佐野の銃創部を足で踏みつけた。
「ぐああっ」
佐野は苦痛で呻いた。
「な、何をなさるのです!?大佐」
驚くスミスに構わず、フリードマンは佐野の顎を掴み上げ、そして言い放った。
「お前らの目的、作戦は全て分かっているんだ。お前に聞きだすことなど何もない」
「なっ、何だと」
佐野は驚愕した。
(作戦が漏れている!?)
フリードマンは佐野の反応をみて、微笑を浮かべながら傍らのスミスに向かって言った。
「この男にモルヒネは不要だ。せいぜい苦しんで死ぬがいい。ジャップには神の懺悔も必要ないので、従軍神父さんの出番もないぞ」
「ふふ、俺も助かろうとは思わん。このまま死なせてくれ」
佐野の脳裏に自分の妻と子供の顔が浮かぶ。
(哲夫。もう一度会いたかった・・・)
既に佐野は出血により、意識が朦朧としていた。スミスは口淀みながら、フリードマンに進言する。
「これから処置すればこの捕虜は助かる可能性があります。治療許可をお願いします!」
「助かるというのか? それは困ったな」
言うや否や、フリードマンは傍らにいた兵士の拳銃を瞬時に引き抜いた。あまりの速さに誰も反応できない程だった。
パン!
乾いた音が一つ。佐野は額を撃ち抜かれ、絶命した。
「な、何てことを・・・」
スミスは絶句した。
「衛生兵の手間を省いてやったのだよ」
そう言って、安全装置を掛け、フリードマンは拳銃を兵士のホルスターに戻す。
「捕虜虐待だ! フリードマン大佐、貴方を訴えます!」
「下らんことを言うな、スミス。ジャップは人間ではない。豚を一匹始末しただけだ」
「な、何を」
「君が何をしようと、何を言おうと勝手だが、誰が取り合うのか。私はこの国を守るためなら何でもやる。いいか、なんでもだ! 米国陸軍、いや全軍、いや全国民が私と同じ意見だろう。これから日本全土が我が陸軍航空部隊により焦土化する。皆殺しだ。その手始めにジャップの一人二人始末したところで何だというのだ」
「狂っていますよ。こんなこと・・・」
スミスは苦虫を嚙み潰したように吐き捨てる。
「こんな時世だ。誰も彼もが狂っているよ」
フリードマンはそう言うと、佐野の死体を一瞥した後、足早にそこを立ち去り、北条たちを追った。
ロサンゼルス近郊 米国太平洋時間 一九四五年四月二日午前四時十分
(もうすぐ夜が明ける。急がなければ)
北条は焦っていた。上陸した早々、指揮官を失い、また予定の物資を受領できなかった。何人かは捕らわれて、この計画自体が漏れる可能性は充分ある。ハンドルを握り、しばし考える。
本来階級上次期指揮官である今川の方を見遣る。予想外の展開に今川は顔面蒼白、茫然自失の状態だった。北条は仕方なく、太田に言った。
「太田、草部隊に電報を打て」
佐野が不在となった現在、当初の予定通り最上位の今川が部隊長として、暁を指揮するはずだが、太田は北条の指示を聞いた。
「了解。文面はどうする」
「暁襲撃さる。指揮官佐野了助栄誉の戦死。経路の変更を許諾されたし。経路を竹より松に変更。本日ロサンゼルス発シカゴ行きの始発列車で移動する」
「了解。今川さんもそれでいいな」
問いかけられて、今川は太田の言葉に我に返った。
「この車で米国横断できないだろうか? 列車での横断は人目に付くし、危険だと思うが」
今川が不安げに言う。
「これがアメ車か。米国製のセダンだが確かにすごく広いぜ。これだと快適にホワイトハウスにまで行けるんじゃねえか」
武田も今川に同意する。しかし北条はそれに異を唱えた。
「この車は彼らが乗ってきた車で、ナンバープレートを変えたとしても直ぐに足が付く。あまりにも危険ですよ。現在鉄道が大陸を縦断しています。高速で、車より確実に目的まで到着できる。重火器、弾薬および大型爆薬などの嵩張る物資が受領できず、我々全員が身軽な状況では、何も車で横断する必要はありません。何より佐野大尉は最早いません。意味わかりますよね。公共の交通手段が使用可能です。プランBですよ。終着駅のシカゴで補給を受けて、ホワイトハウスに向かいましょう。今川さん、ご決断を!」
今川はそれを聞き、首を縦に何度も振って了解した。それを受けて、太田は自身の持つ小型通信機で草部隊に向けて打電した。
「このまま駅に向かう。僕はこの車を目立たないところで、乗り捨ててくる。ロサンゼルス駅で合流しよう。今川さんは僕の分の切符を購入しておいてください。乗る電車は、そうだな。五時十二分始発でお願いします。もし僕が時間までに戻らなかったら、四名で出発すること。その時はシカゴで合流しましょう」
「了解した!」
今川は答えた。ロサンゼルスの地図は頭に入れてある。夜明けも近い早朝だったので、人影は殆どなかったが、北条は慎重に車を駅に向かって走らせた。駅前で残りの四名を降ろすと、車を乗り捨てる場所を探して車を出した。車を走らせながら、思いを巡らす。
(明らかに待ち伏せしていた。適切な場所、適切な時間に奴らは来た。情報が洩れていることは間違いない)
米国西海岸の到着時刻は潜水艦の潜航経路、敵船の遭遇、回避など様々な条件が重なって決まるもので、正確な日時は出発前には司令部すらわからなかった。
(潜水艦は潜航したまま、我々を魚雷発射管から放出した。発見されたはずはない)
水中にある潜水艦からいかなる通信も不可能であったし、そもそも電波封鎖のため許されていない。初めての通信はこちらから草部隊に送った上陸成功、合流を求めた一本だけだ。
(可能性は二つ。一つはこちらが上陸後発信した暗号を一時間以内に解読した。もう一つの可能性は、考えたくないが、内通者がいるということだ)
草部隊の内部通報者が最も有力だ。そう考えている内に北条に恐ろしい考えが浮かんだ。馬鹿げた考えだったが、あり得ないわけではない。
(この少人数である暁部隊に内通者がいるというのか。可能性としては低い。しかしその場合どうやって敵にその情報を知らせた?)
六人全員一緒にいた。上陸してから誰もどこにも行っておらず、第三者との接触はなかった。北条は注意深く駅から離れた場所で車を人目に付きにくい空き地に乗り捨てると、憂鬱な気持ちで隊員の待つ駅へ向かった。
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