第8話 東京大空襲

 忍者司令部 一九四五年三月九日午後十三時三十分


「ふふ。皆頼もしい顔をしているな。四式究極汎用戦闘術を身に着けたようだ」


 小田は忍者司令部で暁部隊隊員と謁見した。



「既に米国へ行く為の潜水艦が東京湾に停泊している。燃料その他の物資が補充出来次第、出航予定だ。出発の予定は三日後」


「さらに三日もかかるのですか」

「燃料の集積が上手く行っていないようだ。現在日本には航空機、艦隊を動かす燃料が殆どない」


「さて、作戦の詳細を伝える。心して聞け」


 そう断ってから、小田は作戦計画を話し始めた。



「出発は三月十二日。米国に上陸する日時は潜水艦の航行次第ではあるが、三月下旬を予定。暁部隊に対し、現地協力する部隊を草部隊という。その総勢は直接部隊だけで数百、さらに事情を知らしていない協力者を含めると数千に達する。接触する場所はロサンゼルス近郊であり、詳細な場所、日時は上陸した後、現地部隊と連絡。そこで協議の上、決定するものとする。ここまではいいか」


 そこで小田は一同を見回した。質問が無いことを確認し、さらに話を続けた。



「先日も言ったが、推奨する大陸横断ルートは正副の指揮官に持たせた。ルートは竹を予定しているが、適宜現地の状況で指揮官が選択すべき経路を判断せよ。また、これまでの大東亜戦争の経緯から敵に暗号が解読されている恐れがある。電波封鎖を原則とし、連絡には暗号機を使用することになるが、暗号表、草部隊への連絡先については佐野大尉が正を持ち、今川が副を持つこと。万が一の時は指揮権移譲を適宜行うこと。通信をする際は正副暗号表を持っている二人が承認すること。暗号機は二つの鍵を差し込まなければ、起動しないようになっている。尚潜水艦からは必要最小限度の機材を持ち、潜水具を付けて魚雷発射管から射出。上陸後はすみやかに草部隊に連絡。武器、資材の補給を受けろ。以上」


 そこまで言うと、佐野の方を見て、発現を促した。



「佐野大尉。何か補足することはあるか?」


 小田がそう言うと、佐野は後を引き継いだ。



「それでは僭越だが、本官が小田少佐からの説明を補足させていただく。改めて説明するが、武器は原則米軍のものを使用する。これは現地での調達が容易なためであり、そのためにこれまで米国製の武器で訓練をしてきた。ただし日本帝国陸軍軍服、九十二式防弾衣改については例外とする。移動中は民間人として偽装するが、突入時は日本陸軍軍服を着用。これは戦時国際法に準拠する目的である。また九十二式防弾衣改については、当該の性能を満たす同様物を現地で調達するのが困難だからである」

 佐野が説明を終える。隊員一同はこれまで訓練、説明を受けてきたこともあり、特に異議、質問を唱えなかった。


「それでは解散。作戦の成功を期待している」


 小田は敬礼すると、各隊員は起立して敬礼した。解散後、出航の準備ができるまで、隊員は宿舎で待機することとなった。


 宿舎に到着して暫くすると夕方。外に出る気にもならず、北条は爪や髪を切り取り、机に向かって父に宛てた遺書を書き始めた。検閲されるだろうし、胸の思いを全て文章にする訳にもいかなかった。暫くすると、書く作業を止めて、ベッドに倒れ込んだ。その後も色々な考え、思いが頭の中を駆け巡り、書いては止め、書いては止めを繰り返した。気が付くと日は傾き、食堂で集合して夕食。出発は三日後ということであったが、他の隊員も遺書を今日から書き始めているようだった。しかし誰もその事に触れない。無言のまま夕食を取った。灯火管制をしているためか、天井の電球は取り外されており、机の上の小さな電気スタンドの下で遺書を書き続けた。ようやく夜も更けた時に遺書が完成する。けれど、自分の心はどんな言葉を書き連ねても表現など出来はしなかった。しかし、父は自分の気持ちを遠からず察してくれるだろう。手紙と爪、髪が入った小さな紙袋を机の上に置いた。

 深夜となり少し肌寒くなってきたので、上着を羽織る。下の階から柱時計の音がした。日付が変わったのだ。北条は洗面道具を持って廊下に出た。深夜のため真っ暗で、音も無く静かだった。廊下の先、階段の所にある非常灯が小さく灯っていた。洗面所に行き、電気をつける。歯を磨き始めた時、遠くで音がする。まるで遠雷のようだった。


 ズーン、ズズーン、ズーン


(なんだ・・・あの音は?)


 北条は自身の部屋に帰り、カーテンを開けて外を伺った。音がする方向の空が明るい。


(空襲だ!)


 空襲警報は鳴っていなかった。完全な奇襲である。漸く稼働したサーチライトが敵影を映している。巨大な機影が遠くからでも見えた。敵は巨大なB29であった。手に届くくらいの低空で侵入して、精密爆撃をやろうとしていた。低空であるため、陸軍高射砲部隊が機影に向かって発砲し始めたが、まだ散発的であり、効果は殆ど無いも同然だった。どれほどの迎撃機が上がっているのか不明だったが、敵側はB29に寄り添うように飛行する護衛機P51が多数見えた。ただでさえ性能的には全くかなわないP51がこれ程沢山護衛機として付いているので、日本陸海軍機には撃墜は至難の業だろうと思われた。

 急いで身支度をして、再び廊下にでると、全ての隊員が身支度、装備を整え廊下に出ていた。東京では連日空襲があると聞いていたので、流石に空襲に備えていたようだった。


「こいつはやばいぜ。佐野、どうする?」


 武田が佐野に聞いた。


「確かにこれ程の大規模の空襲は今までとは様子が違うようだ。ここも火でやられる可能性もある。東京17番埠頭に我々の乗るべき伊号潜水艦が停泊しているはず」


 佐野がそう言っている間にも、爆撃音、高射砲の音、航空機のエンジン音、消防車のサイレンの音が入り混じり、しかもどんどん大きくなっていく。


「広大な埠頭で潜水艦の場所分かりますか?」


 今川が不安そうな顔をしている。寝ていたのか、少ない髪の毛にも関わらず、寝ぐせが付いていた。


「そもそも残存する潜水艦自体が少ない。今東京湾に停泊している潜水艦は一隻だけのはずだ」

「早く決めないと、そろそろここもヤバイ。兎に角港へ向かおうぜ」


 太田がそう言って皆を促した。宿舎の中も外の騒ぎで騒然としてきた。全員急いで宿舎を出ると、既に通りには避難民が出て、避難所に向かって歩いていた。小さな消防車が南の火災地に向かって走っていったが、避難民が多く道にでていたため、それを掻き分けるように進んでいかざるを得ず、歩くのと変わらない位遅かった。


 空から火の雨が降り注いでいる。あちこちで火災が起こっているらしく、空に火が映じて、明るい。時折爆発音や住民の悲鳴が聞こえた。防空頭巾を被った避難民が道路に出て、懸命に避難している。


 ボッ


 B29の内の一機が左側のエンジンから火を噴いた。九九式八糎高射砲の直撃を受けたのだ。巨大な機影がゆっくりと東京市街に落下し、巨大な爆発を引き起こした。ようやく陸軍第一高射砲部隊が目覚めたらしく、対空戦闘が活発化した。地を這うように飛行するB29に対して二式高射算定具が位置を予想し、そこに八八式七糎野戦高射砲と九九式八糎高射砲が砲撃を集中する。


 北条らは避難民が向かう方角とは逆の位置にある港へ走った。



「おい、兵隊さんら。こっから先は火の海だ。悪いことは言わん、引き返しなさい」


 初老の男性避難民からそう言われ、向かう先をみると確かに火の海だった。佐野は一瞬躊躇ったが、もう選択枝は無かった。

 無数の炎の矢が無慈悲に地面に降り注ぐ。北条らの目の前で子供を背負った婦人の頭部に焼夷弾が直撃、全身が一瞬で火だるまになった。彼女は苦しみ悶えた末、周りにも火をまき散らし、多くの避難民が巻き添えとなった。火災の勢いはますます激しくなり、消防車のサイレンの音が空襲発生からわずか十分で全く聞こえなくなった。熱い空気が吹き荒ぶ。燃え上がった重い建材が軽々と宙を舞った。



「誰か!誰か!助けて!お母さんが中に!」


 見ると十歳にも満たない女児が泣き叫んでいる。指さす方向には燃え上がる家屋があった。

 長尾が駆け寄り、防水桶に入った水を被った。


「何をしている!」


 飛び込もうとした長尾に佐野の怒号が響いた。


「この中に人が!」


 長尾が言うより先に北条が燃えさかる家に突っ込んだ。内部は真っ赤な炎で凄い熱さだ。


「誰かっー! 居ますかーっ!」


 奥から微かな声がした。北条はそこに突進する。


「足が、足が挟まって。どうか、どうか娘をお願いします」


 母親は崩れた柱に足が挟まって動けない状態だった。


「奥さん。今助けますので」


 北条は倒れた柱を退けようとして渾身の力を込めた。しかし思い建材はびくともしない。家はもうすぐ崩れ落ちそうだった。


「うぐああああっ」


 再び力を籠める。


(糞っ、動かない!)


 北条が諦めかけた時、崩れた柱が動いた。


(う、嘘!)


「康。こういうキャンプファイアーには俺も誘えよ」

「た、武田!」


 北条と武田が力を合わせて柱を退かすと、今川と太田が母親を両方から担いだ。


「早く出ないとこちらがバーベキューだよ」


 今川が訴える。


「今川さん、太田」

「話は後だ。脱出しようぜ。今川焼を食べたいか?」


 太田が言うや否や、全員で崩れ行く家屋から脱出した。

 外へ出ると、長尾が保護していた女児と母親が抱き合った。母親と女児は北条らに礼を言うと、避難場所に急いで向かう。

 佐野は怒り心頭だった。


「貴様ら、揃いも揃って何を考えておる!? 万が一の事があったらどうする?」


 怒ってはいるが、全員無事で帰ったことで安心しているように見えた。


「天皇の赤子である国民を救っておりました!」


 北条が佐野に返答する。


「北条と武田を救いに行っておりました!」


 今川が答えた。


「キャンプファイアーに誘ってくれない北条に文句を言いにいきました!」


 武田が答えた。


「今川焼を食べそこないました!」


 太田が答えた。


「もういい! 貴様ら本来懲罰ものだが、まずは脱出が先・・・何だあれは?」


 佐野が見上げた方向に全員が視線を向けた。

 巨大な火柱がいくつか立ち上っていた。その高さは数十メートルから大きいものは百メートルあった。


「竜巻か何かは分からなねえが、ヤバイものだってのは分かるぜ」


 空襲が始まってわずかの間に帝都は地獄絵図と化していた。火柱は建物だけでなく、車両や人間までも空高く舞わせ、地面に叩きつけた。多くの者が火に巻かれていく。火に巻かれない者も、バタバタと酸欠で倒れていった。

 北条らは市街地を抜けようと藻掻いていたが、すぐ前を走る犬が、火に巻かれていないのに卒倒したのを見て方向を変えることにした。

 

「この先はまずい。多分一酸化炭素が充満している。意識をすぐ失うぞ。方向を変えよう」


 佐野が言うと、全員が賛成した。しかしどうやって、迷わずいくのか。


 「墨田川沿いに出て南下するルートはどうだろう。確実に東京湾に出れるし、水辺だから火も回らないだろう」


 北条が提案すると、佐野は了承。一旦隅田川に出てから、川沿いに南下することとなった。必死になって川や港を目指す多くの避難民と共に北条らは移動した。

 北条達は逃げ惑ったが、巨大な鉄と爆弾の嵐には全く無力だった。帝都は燃え滾る大釜の様であり、追われた人々が瓦礫の山を彷徨い、逃げ惑う。道は塞がれ、煙が覆っており、あちこちで死骸が転がっていたが、今や人はそれに注意を払わなかった。

 敵の戦力は桁外れのものだった。爆撃開始からわずか三十分だけで、五百を超える重爆撃機および護衛機が帝都を徹底的に叩き、いまや帝都の機能は麻痺状態だった。

 日本で最も消火設備、人員が整っていると考えられていたが、これだけの物量ではなすすべがない。

 迎撃機が漸くB29に向かって行った。しかし五百の大軍に対して、わずか四十機程度の迎撃機であり、防御火力によって簡単に追い払われた。このような数を無視した戦術など何の役に立つのか。飛行機の集中攻撃の原則を大本営は忘れたらしい。

 また二式戦闘機、二式複座戦闘機や一式戦闘機などはP51との空戦でも全く相手にならず、速力、火力、防御力全てに勝るP51の好餌となっていた。

 最早上空には敵のいないP51は、道路でひしめき合う避難民に低空から機銃掃射を浴びせてくる。攻撃を受けても避けようが無く、十三ミリ機銃六門の威力は絶大だった。道路は忽ち血みどろと化した。人間の贓物がぶちまけられ、あちこちに血だまりができていく。血と糞尿の臭いが凄まじい。

 老婆が中年の男を胸に抱え、「人殺し! 人殺し!」と叫んでいた。男の喉からは血の噴水。頸動脈をやられたらしく、機銃掃射により肉が大きく抉り取られていた。


「停まるな! 進め!」


 北条達は奇跡的にも誰一人欠けることもなく、墨田川まで到着した。

 ところが驚くべきことに、隅田川は焼夷弾内にあるナパーム燃料が流出し、川面が燃えてていたのだ。橋の上の避難民は火柱あるいは焼夷弾により橋ごと燃やし尽くされていた。


「も、もう駄目だ」


 太田がため息をつきながら、呟いた。

 背後の市街地には大火災。川は炎の帯。北条達は進むも地獄、退くも地獄という抜き差しならぬ状態となった。

 その時後方から轟音と共に一式半装軌装甲兵車 ホハが現れた。狭い通りを避難民がいるにも関わらず、押し通ってくる。恐らく何人か避難民を轢いたのだろう。前面、キャタピラには多量の血液、肉片が付いていた。北条らの手前で停車すると、前面のハッチが開き、中から小田少佐が現れた。


「乗れ!」


 小田が短く叫んだ。北条らは一瞬にして何が起こったのか察したが、その血塗れの装甲兵車に乗り込むことに躊躇した。佐野だけは躊躇いもなく、ハッチに手を掛け乗り込んで行く。


「貴様ら、何をしている! 乗れ!」


 佐野に言われても、誰一人乗り込もうとしなかった。


「乗らなければ貴様らが死ぬぞ!」


 佐野が叫んだ。


「そんな装甲兵車で避難民が溢れている中を進むというのですか? お断りします」


 北条が敵機の爆音、火災音、避難民の悲鳴に負けない程の大声で答えた。


「大義の為の犠牲だ。現実を見ろ、北条。我々の頭上にある無慈悲な天使を。本作戦が失敗すればさらに大勢の人間が死ぬぞ! 大きな犠牲を防ぐ為に、小さな犠牲を享受しろ」


 小田が低いが良く通る声で静かに言った。その間も狂乱状態にある避難民が北条と装甲兵車の脇を通り過ぎていく。北条らの周りにも火の雨が降りそそぎ始めた。


「我々は軍人です。軍人の本文は国民を守ることではないのですか!?」


 小田は拳銃を取り出し、北条に銃口を向けた。


「お前と青臭い議論をしている暇はない。乗れ。然もなければ、この場で射殺する」


 小田が命令した。最後通告だ。


「北条。このままここに留まっていても皆死ぬぞ!」


 傍らに居た太田が北条に言ったが、北条は動かない。


「私に引き金を引かせるなよ」


 小田がさらに言う。


「康。こいつはヤバイ奴だ。言ったろう」


 武田が呟いた。北条は傍らの長尾を見た。長尾は震えながら、突っ立っていた。顔には血の気が無く、白い肌をさらに白くしていた。「こんなものに乗るのか」とその目が告げている。

 北条は躊躇った後、長尾の手を取った。


「いやっ!」


 長尾はその手を振り払う。


「乗ろう。このままでは我々全員が死ぬ!」

「だからって逃げている人たちを轢き殺していくの? このまま港まで!?いやよ、そんなの」


 その刹那、近くに焼夷弾が落ちた。避難中の女性の防空頭巾に火が燃え移り、あっという間に全身が火だるまになった。


「行こう!」


 北条は無理やり長尾の手を取り、抱えるように装甲兵車に乗った。


「よし、掴まれ!」


 轟音と共に装甲兵車は動き出した。時々異音が聞こえ、避難民の絶叫が聞こえる。装甲兵車が避難民を轢き殺しているのだ。小田はそれでもスピードを緩めない。やがて装甲兵車の上部にも焼夷弾が着弾する音がした。


「ふはははっー! 無駄無駄無駄! M69焼夷弾では一式半装軌装甲兵車の上部装甲は貫けんわ」


 ゴリッ、ゴン、ガン 


 前方は避難民を轢き殺している音、上部は敵のまき散らす焼夷弾の音。北条らはこの世の地獄に戦慄した。長尾は両耳を手で塞ぎ、小さくなって震えていた。小田の前方にはやがて巨大な炎の壁が迫ってきた。小田は涎を流しながら、大声で笑い、さらにスピードを上げる。


「完全にいかれてやがる」


 武田も小田の狂気に慄然としていた。


「いくぞーっ!」


 小田がそう叫ぶと、一式半装軌装甲兵車は炎の中に突っ込んだ。建物が崩れる音、金属のきしむ音が響き、そして装甲車の内壁が熱を持って来る。壁は次第に触れられないほど熱くなり、車内の温度が急速に上昇していた。


「あ、暑い! ど、どうなるんだろう?」


 今川が心配そうに呻く。

 益々焼夷弾が叩きつける音が激しくなっていった。


「見えた!」


 小田が小さく叫ぶ。しかし目的の潜水艦が停泊しているドックが炎に包まれていた。





 伊号潜水艦司令塔 一九四五年三月十日午前二時二十分


「艦長! もうドックが崩れそうです! 出航の許可を!」


 停泊している伊四百型潜水艦司令塔に上ってきた乗務員が笠原 正雄艦長にそう訴えた。


「忍者部隊司令部からの返事はないのか?」

「まだ何も。如何せん大規模な空爆で音信不通になっております。いかがいたしましょうか?」


「返信があるまで、通信を続けよ」


 頭上の屋根には炎が廻り、建材の一部が潜水艦周囲のあちこちで落下している。その金属製の屋根が崩れ落ちようとしていた。巨大な屋根が潜水艦に直撃した場合は無事ではすまない。しかし暁部隊を収容しなければ、そもそも作戦自体が成立しない。情報が無く、孤立した状態の笠原は決断を迫られていた。

 その時、明らかに火災音、焼夷弾の音とは異なる機械音が聞こえた。巨大な轟音と共に燃える壁を突き破って装甲兵車が現れた。装甲兵車は潜水艦近くに停車すると、ハッチから小田が顔を出す。


「笠原艦長。暁部隊を届けに来たよ」

「小田少佐!」


 すぐに近くで爆発音が続いた。


「話は後です。すぐに部隊員は乗艦してください!」

「よし、皆、飛び出したら伊四百型潜水艦に乗り込め!」


 小田が車内にいる隊員に向けて言った。


「少佐はどうなさるのです!?」


 佐野が周囲の爆発音に負けないような大声で問いただした。


「私はどうにでもなる! 急げ!」


 佐野はハッチから装甲兵車を飛び出し、降りそそぐ火に包まれた建材を避けながら、潜水艦にかかっているタラップを駆けた。太田が小田に敬礼して、外へ出る。北条、長尾、武田がそれに続く。北条と長尾は挨拶すらしなかった。避難民を轢き殺した事で、潜水艦停泊ドッグまで来られたのだが、その行いはとても納得できるものでなかったからだ。武田がハッチを出る前に、小田に声をかけた。


「小田。妹の事、頼んだぜ。そこだけは信じるからな」

「ああ。安心して、死ねい!」


 小田は武田の目を真っすぐに見てそう言った。


「ちっ、まあ信じるぜ」


 武田はそう吐き捨てて、外に出た。次に今川がハッチから外へ出ようとする前に、小田に話しかけた。


「少佐。机の上に家族宛ての遺書があります。宿舎が燃えてなかったら、家族に間違いなく届けてください! お願いしますよ~!」

「ああ。心配するな!」


 小田は力強く言った。



「急いで! こっちです!」


 笠原が北条らを促した。巨大な潜水艦だった。北条らの想像を遥かに超える巨艦であり、北条らは笠原がいる潜水艦司令塔を上る梯子を登り切るのに時間がかかった。


「補給に後数日かかるということでしたが」


 佐野が笠原に聞いた。


「燃料補給はまだ八割程度ですが、この潜水艦なら米国まで何往復もできるほどですよ。ご安心ください」


 笠原は艦内に指示を出しながら、答えた。

 北条らは今しがたまで乗っていた装甲兵車の方を見た。既に付近は火災による煙と炎で視界が悪く、装甲兵車も見え辛くなっていた。熱気と煙で息が苦しかった。その視界の悪いドックの中、小田は装甲兵車の上部ハッチを全開にして、北条らに向かって直立不動で敬礼していた。佐野がそれに対し敬礼を返す。

 北条らはそれに倣い敬礼をする気にはなれなかった。北条にとって小田は狂気の男だった。任務の遂行とは言え、多数の避難民を躊躇いもなく、轢いていった。軍人、日本人、いや人間として相容れない部分があり、どうしても肯定できなかったのだ。北条以外の隊員も誰も佐野には倣わなかった。

 やがて屋根がとうとう崩落を始めた。巨大な資材が次から次へと潜水艦およびその周囲に落下した。


「出航!」


 笠原は乗組員に命じた。埠頭を離れ、ゆっくりと進みだす伊号潜水艦。離れ行く潜水艦を見送り、小田は火災の中、直立不動で敬礼を続けていた。やがてその姿は崩れ行くドックの中に消えた。


 潜水艦は無事東京湾を出航し、北条らは潜水艦司令塔から帝都を見た。後方に巨大な火災が見え、帝都が燃え上がっていた。B29の機影がサーチライトに照らされているのが見える。


「帝都が燃えている」


 今川が低く呻いた。


「くそっ! アメ公め。ひでえことしやがる」


 武田が忌々し気に言い捨てた。


「あれだけ低い高度で飛んでいるのに、高射砲も当たらないし、迎撃機もP51の前には無力だ」


 太田が感嘆して呟いた。


(これが我々の敵なのだ。巨大な爆撃機を大量生産可能な技術力。高性能な戦闘機。いずれも日本とは隔絶した技術力の差がある。正攻法ではとても敵わない。奇策、それしかない。)


 帝都の崩壊を目の当たりにして、北条は部隊および自身にかけられた責任の重さに身震いした。


「どうにかして止めないと。このままだと多くの人が死んでしまう」


 北条の呟きに、長尾も頷いた。


「貴様ら、良く見ておけ。この悲劇を再び起こしてはいけない。ほんのわずかの可能性でもいい。本作戦が成功すれば、国の危機を遠ざけられよう。天皇陛下の為にとか、国の為にとか、忍者部隊の為とか言わん。ただ一人でも多くの日本人を救うんだ。親の為、妻の為、兄弟姉妹の為、子供の為、誰でもいい。大切に思う人は一人くらいいるはずだ。その心の中にある人の為に戦え」


 佐野はそう言って、燃える帝都を何時までも眺めていた。


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