第7話 出立の朝
一九四五年三月九日午前六時三十分
米軍はさらに昭和二十年一月フィリピンルソン島に上陸。南方の要衝フィリピンを失い、日本は深刻な南方からの石油をはじめとする資源の枯渇、食糧難に見舞われた。もはや誰の目にも日本の敗北は明らかであった。
戦況は切迫しており、予断を許さなかった。そして到頭出撃命令が下る。佐野はいつも通り朝食に集まった隊員を前に、命令内容を緊張した面持ちで伝達した。
「本日午前四時二十分に忍者部隊本部より連絡があった。以下、その内容を読み上げる。午前中に東京忍者部隊本部へ移動。その後は別命あるまで待機すべしという指示があった」
全員に緊張が走る。作戦実行前に終戦という、楽天的な目論見は砕け散った。一同明らかに落胆した表情を浮かべていたが、長尾だけは一切表情を変えなかった。
「従って、今日は那須の訓練所で過ごす最後の朝だ。これまで我々の面倒および訓練をしてくれた清水、富永、多米に感謝したい」
佐野は重々しくそう挨拶をした。
「尚、彼女らは我々を送り出した後、別の作戦に従事する。そう、『黄昏部隊』の一員としての任務だ。大人数での移動を避けるため、清水さんらとはこの宿舎でお別れということになる。これをもって離任の挨拶としたい」
(三人は黄昏部隊の隊員だったのか。道理で)
北条は少し驚いた。清水らが四式究極汎用戦闘術を完全に会得しているということは、黄昏部隊においても幹部であろう。しかし不思議な事に気が付いた。つまり部隊としての成立は暁部隊より黄昏部隊の方が古いということになる。
暁部隊の作戦目標は途方もないものであるが、黄昏部隊の作戦目標は一体何なのか。そして暁部隊より先に作らねばならなかった理由は何なのか。
「全員、起立!」
全員起立し、清水、富永、多米の方へ向いた。
「有難うございました!」
深々と礼をする。
「こちらこそ皆さんと過ごせたことは光栄でした。我々も皆さんを送り出した後、別の作戦に参加します。今生での再会はありませんが、靖国でまたお会いしましょう」
清水がそう言って、一礼すると、富永、多米もそれに倣った。
「それでは全員装備品を確認。移動の準備をせよ。三十分後、宿舎玄関前に集合。遅れるな!」
佐野の号令下、全員すぐに散開し、出発の準備に取り掛かる。
北条らを乗せた一式半装軌装甲兵車 ホハが宿舎を出発した。それを宿舎の窓から清水らは見送った。
「かわいそうに。何も知らず」
傍らにいた富永が清水に言った。
「そうね。確かに彼らは作戦の真の目的を知らされていないわね」
清水らは北条らの乗った装甲兵車が見えなくなると、カーテンを閉めテーブルに戻った。
「しかしそれは我々も同じかもしれないわね。ただの歯車。全体の絵が見えているわけではないでしょう」
清水はテーブルに置かれた紅茶のカップをとり、それをゆっくりと飲んだ。もうすぐこのような事も出来なくなるのだ。
「ちょっと提案なんだが」
多米が口を開いた。
「その、なんだな。やはり汽車を見送りに行かないか?」
多米が口ごもりながら言う。清水と富永は驚いて顔を見合わせた。
「まあ、皆が反対するならあれだが」
多米は顔を赤くして、益々狼狽えている。
「仕方ないわねーっ。私も長尾お嬢様の顔が見たいしね。この富永お姉さんに任せなさい!」
富永が満面の笑みを浮かべて言った。
「けど、どうするの?」
清水が驚いて尋ねた。
「裏手にあるトヨダAA型で行きましょう」
富永はそう言うが、多米は宿舎までは山道で、通常の乗用車では行くことが困難な所が沢山あると聞いていた。通常の車では時間がかかるため、それ故一式半装軌装甲兵車 ホハを人員、物資の輸送に使っているのだ。
「私のドライビングテクニックなら大丈夫」
「ひっ!」
清水が引き攣った顔をしたのを多米は見逃さなかった。
北条たちは訓練地を久しぶりに出ることになり、行きと同じく一式半装軌装甲兵車 ホハで東那須野駅まで輸送された。いつもは閑散としている東那須野駅だったが、この日は珍しく出征兵の見送りでごった返していた。駅構内に移動し、多くの出征兵、送る人々と共に北条たちは汽車を待っている。
「今川と武田はどこだ!」
佐野は見当たらない二人を探していた。
「お待たせ~!」
今川と武田が顔をひょっこり出す。
「貴様ら、どこへ行っていた!?」
佐野が怒鳴りつけた。しかし今川も武田も悪びれない。
「えー、我々二名は長い移動に備え、食料調達に行ってまいりました。いや、本日出征する人が結構いるらしいですね。弁当が余ったらしく、貰ってまいりました」
武田は目の前の大きな袋を持ち上げた。
「馬鹿! 遠足に行くんじゃないんだぞ! そもそもさっき食べたばかりだろう」
「いやいや、これは別腹ですよ。久しぶりに食べる和食ですよ。それに結構豪華ですよ。白米に鮭、牛肉の大和煮、卵焼き。これぞ和食です! 東京まで昼までかかりますし、如何でしょうか?」
今川がにこやかにそう言うと、佐野も苦笑した。
「まあいい。食料調達は軍隊の基本でもあるしな。よし、そろそろ出発するぞ。乗車!」
佐野は命ずると、客車に乗り込んだ。その後を北条らが続く。発車ベルの後、汽車はゆっくりと走りだした。北条の乗り込んだ車内には人は乗っておらず、自分たちだけだった。
「これ、もしかして貸し切りですか?」
太田が佐野に聞いた。
「まあ、そうだな。我々自身が機密軍事物資扱いだ。貸し切り。何を喋っても、何をしても機密が漏れる心配はまずない。そもそも、我々の任務の内容も荒唐無稽だがな。漏れていても信じるかどうか」
「それでは、列車丸ごと貸し切りにすれば良かったのでは」
「そこまでの金はない」
佐野はきっぱり言い切った。
「なんだか微妙な感じですね。我が部隊の位置づけも」
北条が苦笑しながら、そう言った。
「日本の運命が掛かっている部隊にしては・・・だよな」
武田が含み笑いをしながら言う。
「何が言いたい?」
佐野が武田を睨んだ。
「いや、別に深い意味はねえよ」
武田は佐野をいなしたが、作戦の目的に不審感があることは明白だった。六人で米国へ殴り込み。最高司令官を討ち取るのだ。いつもの事といえば、いつもの事だが、武田と佐野の間に不穏な空気が流れ始めていた。北条たちはピリつく気配から目を逸らし、窓の外を見る。気が付くと早くも汽車は那須市街を抜け、郊外の美しき農村地帯をゆっくり走っていた。
「あれは、何かしら」
長尾が窓の外を指差した。それに釣られて、全員が窓の外を見る。田んぼの畦道に黒いセダンが停まっていた。その横に大日本帝国陸軍の軍服をまとった女性達が立っている。清水、富永、多米であった。
「清水さん達だ!」
全員驚いた。こんなところまでわざわざ見送りに来たのだ。清水らは汽車を見ると、大声で叫んだ。
「暁部隊、万歳! 大日本帝国陸軍、万歳! 暁部隊、万歳! 大日本帝国陸軍、万歳!」
清水らは大きく万歳を唱えていた。佐野はその清水らの姿を確認すると、静かに敬礼した。北条らも一斉に直立不動で敬礼した。
「世話になったぜ! 皆」
武田は車窓を開け、身を乗り出して手を振った。多米の姿が見える。彼女も大きく万歳をしていた。長尾は富永の顔が見えた。富永も万歳をしている。長尾も窓を開け、手を振った。富永は分かっているという風に長尾に向かって手を大きく振り返す。
やがて清水らの姿は小さくなった。しかしそれは北条が清水、富永を見た最後であった。
………………
「よかったわね。間に合って」
富永が伸びをしながら言う。
「ああ・・・」
多米は見えなくなった汽車の方をまだ名残惜しそうに見ていた。
「多米がねえ」
富永が感慨深そうに言った。
「何だ?」
「いや、女の子だったんだね」
「だとしても・・・どうにもならない」
多米はそう言うと、俯いてしまった。富永は多米のやるせない気持ちが痛いほど分かっていた。話を逸らそうと、わざと明るく振る舞う。
「どう、皆。私の走りは」
富永が自慢げに清水に聞いた。
「走るというより、落ちると言った方がいいような気がするけど。死ぬかと思った。まあ一歩間違えれば死んでいたでしょうけど」
清水はまるで崖から落ちるような富永の山道での走りを思い出して、身震いした。
「失礼ね。私の運転は大丈夫よ~。けど帰りはのんびり走ります」
「それでお願い」
富永と清水が車に戻り、ドアを開ける。気づくと、多米はまだ見えなくなった汽車が走り去った方を見ていた。
「多米、戻るよーっ」
清水と富永は多米に声を掛けた。多米は二人の声に気が付き、車に足を向ける。そして今一度汽車の走り去った方向を眺めた。もう線路以外は何もみえない。青い空と新緑の森が水平線でくっきり分かれている。
(武田・・・じゃあな)
多米は心の中で呟いた。
………………
「貸し切りとなれば、こんなに固まって座っている必要あるの?」
今川は唐突にそんなことを言った。確かに広い車内で自分達だけが引っ付いて座っているのも変だった。
「まあ、そう言えばそうだな。ちょっと離れて座るか?」
佐野はあっさりとその言い分を認め、離れて座ることを了承した。各自少し距離を取り、客室内それぞれに場所を取り、座る。武田は客席をベンチの様に使い、寝ていた。長尾は本を読んでいる。太田は窓の外を見ていたが、今川は早速弁当の一つを平らげ始めていた。
「なんか今川さんが弁当食べているのを見て、俺も食べたくなったよ」
太田がそう言い始めた。確かにいい匂いが今川周囲から漂っている。
「どんどん食べて。これまで、ほら美味しかったけど、洋食だったじゃないか。久しぶりに食べる米よ。旨いのなんのって」
今川がそう言うと、北条もやや空腹を覚えた。そういえばもう正午だった。結果、全員が昼食を取ることになり、長尾がお茶を汲み、それぞれに弁当を手渡していた。北条は長尾から弁当を受け取り、開けてみた。箸を取り、米を久しぶりに食べてみる。旨い。噛めば噛むほど味がでてくる。
長尾は佐野に弁当とお茶を渡しに行った。
佐野は静かに一枚の写真を見ていた。家族との写真らしく、三人の人物が写っている。
「どうぞ」
「お、すまんな」
佐野は写真を胸ポケットに仕舞、弁当とお茶を受け取った。
「ご家族の写真なんですか」
「え、まあな。写真見るか?」
佐野は恥ずかし気に言った。長尾は佐野の普段見せない一面を見たような気がした。長尾が写真を見ると、優しそうな顔立ちの日本人女性と浅黒い肌をした利発そうな少年が佐野と共に写っていた。
「息子さんは何て言う名前なんですか」
「哲夫。ミドルネームはエイブラハムだ」
「いい名前ですね」
「そうか? まあ、ありきたりかも知れんが、聡明な人間に育って欲しくて哲夫と名付けた。エイブラハムは分かるだろう?」
皆家族の写真を持ってきている。それは長尾も例外ではなかった。時折見る家族の写真、友人の写真が生きる原動力になる。長尾もそれは分かっていた。
「俺はこの通りの外見だ。黒人。そうだ。日本ではどんなに頑張ろうともこの外見のせいで、異端者扱いだ。俺の妻には迷惑をかけた。なにより俺の息子には外見はどうあれ、胸を張って、日本人として生きて欲しい。その為に俺は捨て石になっても構わない。今度の戦いで俺は栄誉の戦死を遂げ、神となり、そして日本中から称えられる。金も栄誉も与えられ、家族は救われるんだ」
お互いが殺し合い、それで認められる世界。長尾はやりきれない気持ちになった。
「長尾はどうだ。家族、親族はどうしている?」
「私の父は戦争が始まる直前に英国に帰国しているので、連絡は取れません。母は結核で私が幼い時に亡くなっています。兄弟はおりませんし、親族も疎遠で」
「そうか」
「けど友達がいます。聖心女子学院時代の友人達です」
長尾が胸のポケットから写真を取り出し、佐野に見せた。
「ほう。どれ」
「松田 知咲さん、安藤 美沙さん、ジョーン・デ・ハヴィランドさんそして私です」
そこには四人の少女と二人の男、一人の少年が写っていた。少女達はいずれも美しい。長尾、ハヴィランドの二名は西洋の血が流れており、相応の顔立ちだったが、松田、安藤も日本女性として美しかった。
二人の男はいずれも背が高かった。一方は三十代半ばだろうか。オールバックの髪型、口髭を生やし、浅黒い肌のようだった。白いスーツを着ているが、その厚い胸板は隠しようが無かった。如何にも太々しい顔立ちだった。もう一方の男は三十前後か。細身、優しそうな眼差しが印象的だ。
「この二人の男性は?」
「ええと。こちらの髭を生やした男性は狩野 剛さん。海運業を営まれて、すごく羽振りが良かった。こちらは笠原 正雄さん。確か海軍に入ったと聞きました」
佐野は狩野の目つきをみた。言いようのない嫌悪感、恐れ、不気味さ、何か得体のしれない感じを受けた。そして全く根拠がなかったが、本能が告げる。
(悪党。そして恐らく人を殺している。しかも沢山)
「この狩野という男、軍人か何かということはないか?」
「いえ。全くそう言うことはないと思います。松田家や安藤家と仕事上の付き合いがあり、良く出入りしていましたが、実は周りとあまり上手く行っていませんでした。理由は口を開けば何時も軍人を軽蔑したからで、酷い時は前線で死んだ軍人の家族に向かって、やれ『犬死』だの『馬鹿』だの言っていました。それで周りの人から疎まれていましたが、安藤さんだけは庇っていました」
「なんだ。赤じゃないだろうな」
「まさか。巨万の富を築き上げ、自分で資本主義の申し子と言っていました。自分の稼ぎは自分のもので、共産主義と称する連中には一銭たりとも使わないとも言っていました」
「ふーっむ。なんだか掴みどころの無い男だな」
「私達にとっては優しい人だったと思います。戦争が始まり、両親、親族がいなくなった私にも非常に気遣ってくれて、進学した際には援助していただきました。その後戦地に行くと聞いて、罵倒されましたけど」
「何。けしからんじゃないか。国の為に貢献しようとすることは、臣民の義務であるのに」
「私は狩野さんの行動、言動には常に何か根拠があると思っています」
「ほう。何だ。君は随分と狩野の事を好いているようだが」
「あ、いえ。私は狩野さんの事をとても尊敬していますが、関係はありませんでした。狩野さんは知咲ちゃんが好きだったんです」
「はあ? し、しかしなんだ。松田は君と同い年との事ではないか。年がすごく離れているようだが」
「ええ。けど男女の関係に年は関係ありませんよね」
「ううむ。まあ、それはそうかもしれんが・・・」
佐野は長尾の正論にやり込められた。
「だけど知咲ちゃんの方は狩野さんの事があまり好きでなかったみたいでした。何かうまく行かないというか」
佐野は長尾の饒舌ぶりに驚いた。普段は無口で、感情を表に出さない女だった。しかし余程高校時代の友人達の思い出が楽しかったのだろう。話している最中も表情が常に豊かだった。彼女達の高校時代が、まだ日本が平和だった時代に重なるという背景もあるのかもしれなかった
「この少年はどういう関係なんだ」
「ああ、この子は遠山 清君。松田さんの所で働いている少年で、本当に聡明なんです」
「松田の家の使用人か。松田の家は裕福なのか?」
「ええ。そういえば埼玉県岩槻に大きな屋敷、広大な土地があるとか」
「こちらの女性は、ハヴィランドさんはどこかで聞いた名前だな」
「叔父が英国の有名な航空機会社を経営しているそうです」
「なるほど。あの航空機会社か。日本の高校に進学したということは、父親か母親が日本にいたのかな」
「お父さんと一緒に日本で暮らしていました。ただ何かお父さんともお母さんとも上手くいってないって言ってました」
「中々難しいな。俺は息子で良かった。女の子は難しいよ」
「そうですね。苦労しますよ。高校卒業した後、ジョーンさんは渡米しました。今凄い人気らしいです」
「人気?」
「米国に渡って、女優として成功しているんです。戦争が始まってからは、海外では大人気らしいですよ」
「あ、最近国内では欧米の映画は上映していないからなあ。俺が知らぬのも、仕方がないが。若い時は『モロッコ』などを観たなあ」
「マレーネ・ディードリヒとゲイリー・クーパーが共演した映画ですよね。意外です」
「なんだよ。俺だって若い時、恋愛映画くらいは観たさ」
佐野は珍しく相好を崩す。長尾は佐野とここまで話すことが出来て純粋に嬉しかった。出会う場所が違っていれば、出会う時が違っていれば、もっと違う関係であったかもしれない。しかし、意識は目前に迫る自身の運命に向かう。命の糸は直ぐに途切れ、その先の未来はない。
「長尾」
「えっ」
「本当にすまない」
佐野が俯き、小さな声でそう言った。長尾は佐野の意図を察し、何か言葉を返そうと思ったが、言葉が出なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます