第5話 クリスマス

一九四四年十二月二十四日午後十七時三十分


 四式究極汎用戦闘術。別名、大東亜決戦戦闘術。過去の戦闘情報に基づき、その初動動作から敵の動きを予測、攻撃の効率的な回避、必殺の攻撃を行う。打撃技、投げ技、関節技、締め技、剣技のみならず、射撃を組み合わせ、総合的な戦闘術、すなわち個人で行いえる究極の戦闘術である。格闘戦術としては最も完成されたものであり、世界にあるいかなる格闘術と比較してもより実戦的である。また中距離、遠距離での銃撃は避けられないが、近年の市街戦の増加により、その射線を躱す、あるいは逸らすことが容易になるとされた。

 重火器の発展に伴う戦争形態の変化は中世に遡る。それまでテルシオという方陣が世界を席巻していた。この運用に長じていたのが当時のスペイン陸軍であったが、やがて火力と陣形の持つ衝撃力との組み合わせに関して研究がなされ、各国で様々な戦術スタイルが発展していった。その後マウリッツモデル、フリードリッヒモデル、ミックスドオーダーと陣形が変遷し、現在の散兵戦術に至っている。機甲師団が発足した現在の戦争であっても、歩兵の重要性は失われていないが、その戦闘技術はそれ程の進歩はなかった。これを受け、大日本帝国陸軍は歩兵個人の戦闘技術の抜本的な改善を目指し、昭和十年に陸軍技術本部に研究を依頼。昭和十二年に九七式究極汎用戦闘術として制式採用されることとなる。その骨子は過去の武術と現代の銃火器を併せて運用し、尚且つ初動動作を見極めることにより、敵の攻撃を予測、攻防において敵を圧倒、粉砕するものであった。


 清水、富永、多米そして佐野はこの四式究極汎用戦闘術をマスターしていた。北条たちは基本の型を一から学びとることから始め、連日の訓練により、次第に打撃だけでなく、投げ技、締め技、関節技という総合的な格闘術を身に付けて行った。



 いよいよ銃火器および刀剣を含めた、最終的な段階に移行する。


「本作戦は不可能といわれています。しかしその不可能な作戦を勝算の低い作戦というレベルまでもっていく。それを可能にするのがこの戦闘術です。我々の戦闘術の究極の目的は歩兵による敵の制圧、速やかな殺害であって、スポーツあるいは武道ではありません」


 そこまで言うと、清水が隊員を見回した。そしてさらに話を続ける。


「さらに、この現代において銃火器の存在を失念した格闘術など何の役にも立ちません。銃火器、刀剣も含めた格闘術が現在の戦場では必要とされています。この為に、まず重要なのは敵の銃撃を躱すことです。その為に初動動作を見る。いわゆる見切りという技術が重要になります」


 武道場に集合した隊員に清水は説明をしたが、北条たちには今一つ分からなかった。


「弾を躱すなんて不可能です」


 北条は自身の心中が思わず口から出る。清水はそれを聞いて、北条に微笑んだ。


「そうですね。遠距離では不可能です。しかし近距離では射線を外すことは充分可能なのです。最近の例ですが、ガダルカナル島のジャングルにおいて、日本刀を用いた戦闘が米軍に対して一定の成果を収めています。年々市街戦の比率も増えており、また今回の作戦も市街戦であることも考えれば、本戦闘術が有用であると確信しています」


 清水はそこで話を切り、隊員の反応を見た。


「また銃撃を躱すと言いましたが、正確ではありません。相手の攻撃意図を察知し、それを未然に防ぐ、あるいは目標を逸らすというのが実態です。さて、実際にやり方を説明していきましょう」


 清水は正座して聞いている北条の前に立った。


「北条さん。立ってみてください」


 言われて北条は戸惑った。


「どうしました。ただ立つだけです」


 北条が正座の姿勢から立とうとすると、清水は額に手を当てた。すると北条は立てなかった。


(えっ?)


「これを『抑え』と言います。動作の前には初動があります。その初動を抑えることにより、相手の動きを制する事ができます」


 清水は手を北条から離した。


「またさらにこの初動を見極めることにより、相手の攻撃意図、方法、部位なども相手が行動する前に分かります。つまり攻撃が来てから避ける、あるいは躱すのではなく、事前に攻撃を察知し、外すのです」



「よーし、本日から模擬銃およびナイフを用いた総合訓練を開始する。全員準備!」


 佐野が号令をかけた。

 各自広い武道場に散開し、指導を受ける。北条は武道場の一角でゴム弾を発射可能な模擬銃、ゴム製のナイフを持ち、清水と対峙していた。


「近接戦闘では銃撃するより、打撃あるいはナイフによって刺す行為により早く敵を制圧できることがあります。いたずらに戦いはこうあるべきと考えるのではなく、使えるもの、状況によって臨機応変に対応してください」


 清水はいつも通り笑顔を浮かべ、丁寧に説明している。


「それでは実践してみましょう」


「いつ始めますか?」

「もう始まっていますよ」


 清水から笑みが消えた。いよいよ来る。


(清水さんとの距離はざっと十メートルほど。打撃、ナイフを使った近接戦闘であれば、どんなに離れていても二メートルくらいの間合いが限度。ここは一択。銃撃だろう)


 北条は銃を構えて、清水を撃とうとした。しかしその瞬間、清水の姿が視界から消えた。気が付くと清水の顔が胸元にあり、そしてゴムのナイフが首筋に突き付けられていた。


「ふふふ。これが実戦だったら、もう北条さんは死んでいますよ」


 清水はそう言うと、静かに北条から離れ、元の場所に戻った。


(み、見えない)


 まるで手品のようだった。清水はゴムのナイフを手で持ち、両手で巧みに廻していた。


「もう一度やりますよ。私の初動動作を見逃さないで」


 北条は目を凝らした。何か変化はないか。目の動き、手、足の動き。何か変化がある。それを見逃すな。北条は清水に銃を向けた。再び清水の姿が消える。


(ど、どこだ!)


 今度は何処にもいない。真正面。右左、下。急いで視線を動かし清水を捉えようとする。しかし清水の姿は掻き消えており、武道場の他の隊員達の掛け声、訓練する音が聞こえるだけだった。

 模擬銃を構えたまま、北条は凍り付いた。何が起こっているのか分からない。武道場の外には明るい冬の日差しがあり、目の前には変わらぬ武道場の風景が広がっている。しかし北条は、異世界に迷い込んだような気分だった。汗が噴き出る。呼吸が荒い。


「ここよ」


 気が付くと清水は北条の背後に廻り、ナイフを後ろから首筋に突き付けていた。一言北条の耳に囁くと、再び清水は北条から離れた。


「大分体が暖まってきたわね」


 清水は軽く跳躍を繰り返す。一方の北条はあまりの驚きに混乱していた。自身の気持ちを落ち着かせるのに精一杯の状況だった。


「さて、そろそろ本気でやります」


 清水の目が光を帯びる。




 午後の訓練が終わり、夕方になる頃には北条達は息が上がり、立てない程になっていた。取り分け北条は清水にマンツーマンでしごかれて、へとへとだった。


「ようし。本日はこれまで。全員脈拍を記録しろ。百以下になった者から宿舎に戻れ。着替えたら、夕食の時刻に遅れるな」


 佐野が指示を出す。清水、富永、多米は夕食の支度に戻った。北条はそれを横目でみていたが、立つ気力すらなかった。肺が酸素を欲している。基礎体力訓練をやって良かったと心底思った。全員が重たい体を引きずり、宿舎に戻る。武道館からの距離がやけに遠く感じた。装備を片付け、食堂に顔を出すと武田が一人先に座っていた。


「早いな」


 北条は武田の横に座った。


「当たりめえよ。食って、強くなんなきゃな。何時までも舐められてはいられねえぜ」


 武田は元々格闘技をやっていたせいか、呑み込みが早く、四式究極汎用戦闘術を身に着けはじめていた。暫くすると佐野、今川、太田、長尾が合流し、食堂に集まった。驚くべきことは、合同で練習しているにも関わらず、清水らが食事の準備や洗濯などを遅滞なく行えていることである。混血の美人揃い、しかも家事がこなせるという超人達だった。

 佐野、清水、富永、多米の隊員は四式究極汎用戦闘術を完全にマスターしており、それに対し我々には習得する時間が少ない。佐野が言うには、食事の準備など、甘えられるところは全部甘え、戦闘力の向上に集中すべきとの事だった。


 清水らが夕食を運んでくる。本日はチキンステーキ ポテトサラタ、オニオンスープ、それとイチゴと生クリームのケーキだった。さらに甘い飴が多数配られた。


「おおっ、今日はなんだか豪華だな。今日は何かあるのか」


 佐野は食卓の上に並べられた食事に感嘆の声を上げた。日本国内では食料不足が叫ばれていたが、飢えというものはここには無い。それでもかなり豪勢な食事だった。


「今日はクリスマスイブです。西洋では最も豪華な食事で祝うものですよ」


 清水は料理を並べながら言った。


「あー、美味い。クリスマスかあ。まあ、俺は何時も平常運転だったけどな。周りに祝っている奴らっていたかなあ」


 武田はチキンステーキを食べながら考える素振りを見せる。

 北条もかすかにある母との思い出を手繰り寄せていた。


(ああ、母がまだ元気だった頃、果物が入ったパウンドケーキを作っていた。あれは、冬だったか。きっとあれはクリスマスを祝うものだったのだろう)


「日本ではクリスマスを祝う風習はありませんね。そもそもあまり認知もされていませんが、西洋では広く行われている冬の祝祭です」

「あれ、今川さん。お菓子をどうして包んでいるんですか?」


 太田は傍らの今川に声を掛けていた。


「いや、実家は駿河だけど、内地ではもうこんなお菓子は手に入らないと思って。後で子供に送ってやろうと」


 今川は自身のお菓子を取り分け、丁寧に紙袋に入れて包んでいた。


「名前はなんていうんですか?」


 北条が聞いてみた。


「上から、松子、竹子、梅子の三人だ」


(え、ええーっ。日本酒の名前みたいだ。もう少しちゃんと考えても良かったんじゃないか・・・)


 北条は笑みを崩さずに、心の中で叫んでいた。


「産まれる前は、いい名前を色々考えていたんだけど、生まれた瞬間になんだか吹き飛んでしまって。結局こういう形に・・・」


 今川は恥ずかしそうに言った。


「今川のおっさん、中々優しいじゃねえか。いい親父だよ!」


 武田が冷やかす。直後、武田は背後に気配を感じた。


「うおっ!」


 武田が背後を振り向くと、多米が立っていた。手にはチョコレートがかかったケーキを持っている。そのケーキを無言で武田の前に置く。


「びっくりした。忍者のように背後に近づくんじゃねえよ!」


 忍者部隊だから問題なし!と見ていた清水は思った。


「食え」

「はっ?」


「私が作った」


 多米はそれだけ言うと、厨房に戻って行った。


「なんだよ。ありゃ」


 武田が目の前に置かれたチョコレートケーキを見た。


「毒入りじゃねえだろうな・・・」


 武田は怪しげな目でケーキを眺める。


「多米は昨日からこのケーキを作るために準備をしていましたよ」


 清水は優しい笑顔を浮かべながらそう言った。年は北条とそう変わらないが、まるでお母さんといった風情だった。


「おい、何で武田だけなんだよ。このスペシャルサーヴィスは!」


 北条の後に続いて入った太田が忌々しそうに毒づく。


「やっぱり顔かなあ~!」


 今川がまたまた、おどけたように言った。


「今川さん、本当の事は言っちゃいけない!」


 武田も茶化して言う。


「ざけんなよ。死にやがれ、武田!」


 太田は毒づいた。


「太田。今日はクリスマスだ。お互いの罪を許す日だぞ」


 佐野までが笑ってそう言った。

 北条と長尾はそんな仲間を見ながら、釣られて笑った。皆笑っている。ここにいる誰もが、この楽しい風景がもうすぐ終わるということを知っていた。それでも笑う。北条は楽しいこの一瞬がどこまでも続いて欲しいと心から願った。


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