第4話 四式究極汎用戦闘術式

一九四四年七月十一日午前六時三十分

 連日、厳しい基礎訓練が続いたが、全員が脱落せず、大幅な体力向上を果たしていた。今日から次の段階に移行するという。北条らは緊張して佐野からの話を聞いた。


「傾注!」


「本日から、戦闘術をお前たちに叩き込む。空手、柔道、剣道、合気道などと違う。打撃、投げ技、関節技、絞め技のみならず、銃および剣も含め、すべてを総合的に組み合わせた近代的戦闘術だ。これは支那事変の頃に開発研究が開始され、ノモンハン事件から実戦に投入された。本戦闘術創始者は名誉の戦死を大陸で遂げられたが、その後も大日本帝国陸軍では改良が続けられている。これから貴様らに戦闘術を指南する教官達を紹介する」


 佐野が説明し終えると、三人の女性が武道場に入ってきた。



「清水 ルーシーです。皆さんと一緒に訓練をすることになりました。富永 キャシー、多米 ルース共々よろしくお願いいたします」


「ええっ」


 北条らは驚いたが、予想しなかった訳ではなかった。作戦の秘匿性から考えても、そこらで雇ったただの家政婦とは考えられず、さらに日本と外国人との混血。恐らくは作戦の関係者との予想は付いた。しかし、彼女らが戦闘に関する教官とは思いも寄らなかった。


「皆様にはこれから大日本帝国陸軍が新たに開発した、四式究極汎用戦闘術式を取得していただきます。別名大東亜決戦戦闘術。徒手格闘、剣術および銃術を極めた高度な戦闘術です。時間が無いので、実戦形式を中心に指導いたします」


 訓練着に身を包んだ清水が切り出した。



「尚現在この武道場には畳が敷かれておりますが、訓練が進み次の段階になれば、畳を撤去してその下の板張りで、最終的にはその下のコンクリートの上で訓練いたします」


(なるほど。これはスポーツではない。あくまでも実戦形式、つまりは殺人技を取得する訓練をするということか)


 北条は考えながら、これからの訓練の厳しさに身震いする。


「一番恐れているのは怪我によって、隊員が作戦に参加できない事態です。我々も適切に指導するつもりですが、皆様も是非我々の指導に従ってください」


 清水はそう言って、挨拶を締めた。


「その、清水さん達が我々の指導をするのですか」


 今川が動揺を隠さず、質問した。


「ええ。その通りです」


 簡潔に清水は答える。


「おいおい。これ本気かよ。遊びじゃないだろうに」


 武田が呆れたように言った。北条も正直あの華奢な清水らが武田のような屈強な男を指導できるとは到底思えなかった。


「試してみます?」


 殆ど口を開かなかった多米が言った。短く刈った亜麻色の髪。目鼻立ちがくっきりしており、日本人離れした長い脚、肌の白さと相まって、独特の雰囲気を醸し出していた。


「面白いじゃないか。やらせてみろ」


 佐野がそう言うと、清水の顔色が変わる。多米も女性としてはかなり背が高いが、なんといっても武田の体格は規格外だった。


「危険です」


 清水は佐野の考えに異を唱えた。


「どの道厳しい訓練になる。この際、隊員全員に四式究極汎用戦闘術式を見せて、早めに納得してもらった方がいいだろう」


 その会話を聞いた武田が大笑いした。


「ははははは。下らねえ。俺がその小さい姉ちゃんにやられるとでも思っているのか」


 佐野、清水、富永、多米は笑わなかった。それが武田の癇に障った。


「よーし。じゃあ、目玉、金玉はなしにしようや。後は何でもありでいいな。勝負はどちらかが立てなくなった時か、ギブアップするまでだ」


 佐野は二人を呼び集めて簡単なルールを説明する。といっても殆どなんでもありだ。


「おいおい。ハンデなしでいいのかよ」


 武田が佐野に聞いた。


「なんだ、付けて欲しいのか」


 佐野が武田を蔑んだように返す。武田は明らかに気分を害していた。


「冗談だろ。そっちの女に付けてやれよ」


 武田が吐き捨てるように言った。


「佐野大尉。あまりに危険です。それではせめてお互い防具を装着するようお願いします」


 清水が佐野に懇願するように言った。


「よかろう。防具を持ってこい。二人に着けさせろ」


 佐野も清水の熱に折れ、清水、富永に防具を二組持ってこさせた。一つは武田用の為大きく、もう一つは多米に合う寸法らしく小さかった。清水は武田に頭部、腹部を守る防具一式を渡す。同様に富永は多米に歩み寄り、防具を手渡した。


「いりませんよ」


 多米は受け取った防具を傍らに放り投げる。そして武田を一瞥して、口元に笑みを浮かべた。明らかに挑発している。武田はそれを見て、自身も防具を放り捨てた。


「ちょ、ちょっと、武田さん!?」


 清水がそれを見て驚いた。あわてて止めに入ろうとするが、武田はそれを振り切った。


「みせてもらおうか。四式究極汎用戦闘術式とやらを。佐野、合図を!」

「よし、始めい!」


 佐野が大音声で合図をすると、二人は武道場中央で対峙した。武田は両腕を上げ、頭部をガードしている。ただ腹部はがら空きで、腹部への攻撃は効かないと言わんばかりの構えだった。それに対して、多米の方は軽やかなステップを踏みながら、左手を前方に伸ばし、右手を顎に付けて守っているような構えをする。


「武田さん。あなたは防具を付けた方がいいですよ」


 多米は口元に笑みを浮かべながら、武田に言う。


「あんたは付けなくていいのかい?」


 武田も構えながら答える。


「ええ。全く」

「じゃあ、俺も必要ねえ」


「後悔しますよ」

「させてくれ」


 ざっとみたところ武田の身長は百九十センチメートル、体重も九十いや百キロはあろう。しかも余分な脂肪がなく、鋼のような筋肉で覆われている。



「確か空手三段の腕前だったな。武田は」


 佐野は傍らの清水に言った。清水は心配そうに佐野に呟く。


「危険です。無論多米は手加減をしますが。しかしまともに戦えば、

「ふふふ。訓練に支障のないほどの怪我なら問題ない。四式究極汎用戦闘術式。身をもって知ってもらおう」



 一方北条らは意外な展開にあっけに取られていた。


「こ、これって。いくらなんでも大丈夫なの?」


 今川が心配そうに北条に聞いてくる。今川が心配しているのは当然武田ではない。相手の多米の方である。


「大丈夫。武田も女の子相手に本気ではやらないだろう」


 北条が今川に返答した刹那、武田が目に見えないほどの正拳突きを多米に向けて放った。武田も加減はしているのだろう。しかしその速さは北条を始め、隊員の誰も見えない程だった。だが、次の瞬間弾かれて尻もちを着いたのは武田の方だった。北条には何が起こったのか、全く分からなかった。


「四式究極汎用戦闘術式、黄第一の型。武田さんの攻撃を躱すと同時に掌底で顎に打撃を加えている」


 清水が言うと、佐野が頷いた。


「ふふ。基礎の型だがな」



 武田はすぐに飛び起きた。再び腕を高く上げ、頭部を守る構えを取る。目が本気になっていた。じりじりと多米に接近し、間合いを計る。


「しっ!」


 前蹴りを放った。それを多米は軽やかに躱す。武田はそのまま体を回転させ、後ろ回し蹴りを放つ。しかし蹴りは不発。次の瞬間。多米は武田に背中を向け、その左肘を武田の鳩尾に入れていた。


「ぐあああ」


 武田は多米に覆いかぶさるよう体を折り曲げた。苦悶の表情を浮かべている。多米は武田からすっと離れると、武田は苦痛に耐えきれないように前に突っ伏して倒れた。


(一体今度は何が起こったんだ。肘打ちを入れたように見えたが)


 今度も北条らには何が起こったのか、全く分からない。そもそも多米の華奢な体型でどうして武田が倒れるような打撃が可能なのか。打撃力はいわゆる体重に比例する。どう考えても、多米に武田を打倒する程の打撃力は持ちえない。


「ど、どうして」


 太田の思わず出たその呟きに清水が答えた。


「武田さんの後ろ回し蹴りを躱し、一気に間合いを詰め、右掌底突きを鳩尾に。そのまま腕を曲げ、右肘を鳩尾にさらに打ち込む。そしてその突きの勢いを殺さず、体を武田さんの前で水平回転させ、反対の左肘を鳩尾に打ち込んだのです」


 清水の説明では多米は突き、肘撃ちだけでなく、その勢いを利用し、反対側の肘を同じ鳩尾に打ち込んだのだった。いわゆる三段突き。


「四式究極汎用戦闘術式、黄第二の型です。肘の骨は硬く、特に鍛錬は必要ありません。女性でも非常に使いやすいです」


 富永が清水の説明を補足した。


「四式究極汎用戦闘術式は黄、赤、青、黒、白に分かれ、それぞれ十三の型がある。今多米が披露したのはその一部だ。貴様らにはこれを習得してもらう」


 佐野は傍らにいる北条らに向かって、満足げに言った。



「空手などという原始的な格闘術で四式究極汎用戦闘術式に挑もうなど、笑止千万」


 多米が倒れた武田を見下ろしながら言い放つ。清水が傍らの富永に声を掛けた。


「担架を。武田さんを医務室へ運びましょう」

「いや、待て」


 佐野が清水を制止した。


「待てよ。まだ始まったばかりだろう」


 清水が見ると、武田が立ち上がろうとしていた。


「へへっ。まあ、普通の女じゃねえとは思ったがな。もうちっと遊んでくれや」


 武田は不敵に笑うと、立ち上がった。多米が佐野の方を見る。佐野は顎で、続行を支持すると、多米は再び構えた。


「今だったら、大怪我をせず、一日寝ていれば回復しますよ。武田さん」

「そりゃどうも」


 武田は多米の不思議な動きについて頭を使っていた。彼女の放つ打撃は武田にダメージを与えている。体格の劣る女性に打ち据えられることも信じられなかったが、それ以上に多米が武田の攻撃を巧みに躱すことを理解できずにいた。


(俺はこれまで街の喧嘩でも、道場でも人に遅れを取ったことはねえ。なのに何故。こんな小さな女に手玉に取られるとは)


 武田は距離を取り、多米に突きを素早く、連打した。多米は武田の連打を頭の動きだけで躱し、逆に距離を詰めた。


(何故。何故こんなに容易く躱される!)


 武田は何が起こっているか訳が分からず、混乱した。その瞬間、多米に組み付かれ、視界の天地が逆転する。多米は武田を抱え上げ、そのまま小走りに移動し、跳躍。膝を武田の顎に入れ、頭部から武田を叩き落とした。


「ぐはっ!」


 武田はまるで柱のように逆さまに道場畳の上で屹立していたが、やがて大きな音を立てて崩れ落ちた。


「四式究極汎用戦闘術式、赤第五の型、『死柱』。こ、こんな技を素人に使うなんて」


 富永は驚愕の表情を一瞬浮かべたが、すぐに多米に歩み寄り、平手打ちにした。


「何を考えているのです!このような技を使うなどと」


 富永は真剣に起こっていた。


「これで彼もゆっくり眠れますよ」


 多米は富永の叱責に対して俯きながら答えたが、やがて顔を上げて、眼を大きく見開いた。富永がその視線を追って振り返った。


「おいおい、うるせえな。ねーちゃん、生理か?」


 驚くべきことに武田が立ち上がっていた。富永だけでなく、北条らも驚愕した。


「もう無理よ。武田さん、もう止めなさい」

「下がってな」


 武田は肩で大きく息をしていたが、富永を下がらせ、再び構える。


「下がれ、富永。武田はまだやれる」


 佐野が富永に声を掛けた。


「し、しかし」


 富永は反論しようとした。


「構わん。下がれ」


 佐野に言われ、富永は仕方なく二人から離れた。


「し、しかしあの技をまともに食らって、無事だなんて」


 清水も富永同様驚いていた。


「空手は打撃技だけではない。現在は柔術の一派とされ、投げ技、関節技も使う。武田が受け身を知っていても可笑しくはあるまい」


 佐野は二人に目を離さず、清水に言った。


 武田は大きく息をしていた。多米から受けた打撃および投げ技のダメージが酷く、辛うじて立ち上がったものの、ふらついている状態だった。


(まずい。まずいぜ。足に来てやがる)


 武田は自身の足のふらつきを感じていた。このままだと、軽快なフットワークを持つ多米には全く無防備であった。


「来な」


 一瞬武田は多米が何を言ったか分からなかった。


「かかってきな。原始人」


 多米に言われた刹那、武田の血が逆流した。武田は大きく踏み込み、正拳突きを放つ。しかし多米の頭部はわずかに横に動きその攻撃を紙一重で避け、それと同時に武田の鳩尾に再び拳を打ち込んだ。


「ぐあっ」


 武田は呻き声を上げた。すると多米が今度は掌底を武田の顎に打ち込んだ。武田の顎が跳ね上がる。武田の膝ががっくり落ちた。


「ほい」


 多米は掛け声と共に、さらに崩れ落ちた武田の顔面に右膝を強打した。武田の鼻から鮮血が吹き上がる。


「ちちっ! ぶはあっ」


 血塗れになって、ふらつく武田に多米は追い打ちをかける。


「こうやって打つんですよ。武田さん」


 多米は武田の顔面、胸部、腹部を殴打し、蹴りを叩き込んだ。武田は多米に比べ体重、身長が二回り程大きいにも関わらず、猛烈な連打攻撃で後方へと追いやられていく。


(くっ、こんなに体格差があるのに、押されている。前に全然出れねえ)


 武田は前へ出ようにも激しい連打で後ろへ退き続けた。


「素人が! 私に諂い、媚びて、跪いて許しを請え! この糞が!」


 美しい顔立ちが歪み、髪を振り乱して武田に打撃を加える多米はまるで悪鬼の様だった。

 一方嵐の様な攻撃に晒され、武田は防戦一方となった。


(すげえよ。多米。だがよ、喧嘩・・ってのは、ここからよ)


 多米が大きく振りかぶった時、武田は多米の頭部を鷲掴みにして、頭突きを食らわせた。


「くっ!」


 多米は呻いて、素早く武田から離れる。多米は額から僅かに出血していた。多米は信じられないという顔をして、そっと指で額の出血をなぞる。自身の指に付いた血液をまじまじと見た。


「あ、やば。そろそろ止めるか」


 佐野が多米の様子を見て唐突に言った。


「えっ?」


 清水が聞き返す。再び視線を多米に戻すと、多米は一層厳しい目になっていた。


「ま、まずいわ!」


 清水も多米の異変に気付く。多米は揺らぎながら、武田に再びゆっくり近づいて行った。


「た、多米! まだまだこれからだ」


 一方の武田もよろめく足取りで多米に近づいた。


「やめい! それまで!」


 それを聞いた多米は佐野を睨みつけ、そして食って掛かった。


「何故止めるのです!」

「考え違いをするな。今日はあくまで四式究極汎用戦闘術が如何に強力無比であるかを皆に示すためだ。武田が失われては元も子もない」


「しかしこの様な中途半端な中止では、本戦闘術の神髄を披露出来ていません!」

 

 多米は佐野に食って掛かった。


「いや、もう十分だ」


 佐野は多米を見ていなかった。清水も同じくある一点を見つめていた。佐野の視線を多米も追った。佐野は武田を見ていたのだった。すると今まで立っていた武田がよろめき、そして前のめりで倒れたのである。


「た、担架を!」


 清水の指示で、富永のみならず、北条、今川、太田、長尾が一斉に武田に走り寄った。


「だ、大丈夫か!武田」


 北条が声を掛けるも、武田は完全に失神していた。


「医務室へ!」


 武田を取り急ぎ担架に乗せ、北条、今川が担架を持って、医務室へ走った。


「ああなっても神髄を見せていないと言えるか?」


 多米は悔しそうな顔をしたが、踵を返して武道場を後にした。




 武田は夢をみていた。幼いころの夢。母親は港町、場末の売春宿で働いていた。親父の顔は忘れた。自分が十二の頃、俺と妹を置いて出て行った。母親は自分たちを養うために何でもした。武田も物心つく頃から、何でもした。盗み、暴行、恐喝。世間が何をしてくれたというのか。奪われてきた。常に奪われてきた。底辺にいる人間に光など射さない。光などない。自分は奪われたものを奪い返すだけ。

 又だ。この場面。薄暗い狭い家。お袋が病気になった。ありふれた病気だった。瘡掻き。最後はのたうち回り、幻覚を見て、発狂して死んだ。汚物や出血にまみれて。お袋の薬代、妹を養うために駆けずり回った。死ぬ間際、お袋は一瞬正気に戻ったことがあった。苦しい吐息を吐きながら、お袋は言葉を紡ぎだした。一言一言が命を吐き出すようだった。武田は手を取り、その言葉を聞き逃すまいと顔を近づける。


「殺して」


 その時武田は目が覚めた。武田は泣いていた。見知らぬ天井。


(どこだ、ここは。俺は一体)


 伝った涙をなぞる指が触れた。武田が視線を向けると、そこに多米がいた。武田は驚き、体を起こそうとした。


「動かない方がいい」

「俺は、俺は」


「ここは医務室だ。皆でお前を運んだ」

「皆は?」


「武道場で訓練中だ」

「そうか」


 窓が少し開かれ、風が流れ込み、カーテンを揺らしていた。気持ちのいい、高原の風だ。空気は澄んで、森の木々の香りがした。


「お前は泣いていた」

「ああ。お前に負けて悔しくてな」


「そうか」


 多米は席を立って、医務室出口に向かった。ドアに手をかけ、暫く立ち止まる。


「すまなかったな」


 多米はそれだけ言うと、武田の方に振り返らず、医務室を出ていった。




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