第2話 発端
一九四四年五月三十日午前七時十五分
朝日が地平線に上ったばかりだが、既に気温が上がり始めている。今日も初夏の為熱くなりそうだった。
「北条少尉か」
北条 康は東京湾桟橋で声をかけられた。これからサイパン島の防衛のため、第三五三〇船団の輸送艦に乗り込む直前だった。大勢の兵がごった返す中、彼を見つけるのは簡単だったろう。ひときわ高い背。そして何より目立つ金髪と青い目。
「はい。本官です」
「小田 稔少佐がお呼びだ。車に乗れ」
北条は大柄だが、声を掛けてきた男はさらにそれを上回るくらい大きく、有無を言わせぬ迫力があった。さらに驚いたのはアフリカ系であったこと。すなわち黒人だったのだ。
「貴様の母親が米国人であることや、留学経験があるというのは調べがついている」
男は同じ帝国陸軍の軍服を身に纏い、階級は大尉。顎で指示した先には黒塗りの車があった。車のガラスは遮光されていて、外から中は見えないようになっていた。
「しかし私は任務でこれから戦地に向かうため待機中です」
訳が分からず、北条は男にそう言った。これから戦地に向かう時に一体何だというのだ。
「部隊長には事前にこちらから知らせておいた。心配するな」
北条の問いかけに男は素っ気なく答えた。
北条は言われるままに巨大な装備を抱え、男に続いて黒塗りの車に乗り込んだ。幸いその車は北条の持つ装備を丸々運び込んでも問題ないほど広かった。暫くして目が慣れると、薄暗い車内に先客がいることに北条は気が付いた。先客の男は彫像の様に身動ぎもせず、真向かいの席に悠然と座っている。北条は途端に居心地の悪さを感じたが、仕方なく荷物を傍らに下ろした。車は先ほどの男が運転し、滑るように走り出す。
「私は小田 稔少佐だ。私の副官の佐野 了助大尉が失礼した。北条 康中尉だな」
小田は低い声でそう問いただした。軍刀の鞘尻を床に置き、両手で杖のように前に構えている。目は狂気を孕んで、光を帯びていた。
「はい。北条 康中尉であります」
「ふうむ。いい。実にいい。毛唐の顔つきだ」
これまでの人生で何度も聞いた言葉だ。北条はそれに対しての定型文を返す。
「私は日本人です。国の為に命を捧げるつもりで志願しております」
「ふむ。貴官の覚悟は分かっている。まさに神国日本臣民の鏡である」
男は傍らにある分厚いファイルから、さらに一つの資料を取り出した。そして北条の顔とファイルを交互にみやり、資料を読み始めた。
「北条 康。二十五歳。東京大学工学部卒業後、都立国立高校で教員として勤務。勤務態度良好。父は北条 司。四菱工業船舶設計主任。母は米国人、バイオレット エバーグリーン。職業タイピスト。北条 司が米国の四谷工業ロサンジェルス支社在籍中に知り合い、結婚」
(母が米国人、すなわち敵性国家であることについて問題だというのか。ふざけている。そもそもサイパン島に送られれば死ぬことは間違いないではないか。国の為に命を捧げようというのに、一体どういうつもりなのか。それとも自分が戦地でスパイ行為でもするとでも思っているのか)
北条は湧きあがる怒りを押し殺し、小田を見つめた。
「サイパン島は落ちる。兵は犬死だ」
「えっ?」
「言った通りだ。米軍の戦力は圧倒的だ。制空権・制海権を失った現在、絶海の孤島を守り切れる訳はない。犬死だ」
北条は困惑した。大日本帝国陸軍将校がそのような事を口にしていいのか。
「お言葉ですが、サイパン島は絶対国防圏と聞いております。海軍も全力をもって敵軍激殺の意図を固め、機動部隊を援軍に向かわせるとのこと」
「ふふっ。かなわんよ。米軍機動部隊の前では所詮蟷螂の斧」
見知らぬ上官。その見知らぬ上官と車に乗っている。経歴は調べ上げられているらしく、どうも人違いではないようだ。しかし北条は、母親が米国人、そしてその血を引く彼自身の風貌が日本人離れしていることを除けば、至って平凡な日本人である。
(一体何の用だ)
何が何やら事情が呑み込めず、落ち着かない。北条は口を開いた。
「少佐殿。質問よろしいでしょうか」
「聞きたいことは分かっている。何の用だ。そうだろう?」
「はい」
「貴官に我々の部隊に入り、ある作戦に参加してもらう。参加して栄誉の戦死を遂げるか。拒否をして射殺されるかだ」
北条は軍に入った以上、国の為の戦死は覚悟していた。しかし何やら高飛車な物言いと、秘密めいた感じが癪に障った。
「ならば、本官をサイパン行の輸送船団に直ちに戻していただけないでしょうか。戦友と一緒にサイパンで栄誉の戦死を遂げたいと思います」
「ふふっ、もう貴官は原隊に戻ることはできない。我々の部隊に入って、作戦に参加するしかお前の道はないのだ」
「何故でしょうか。どの道戦死するのであれば、サイパンでも構わないのでは」
「残念だが、私と会ってしまった。私と会ってしまった以上、貴官を野放しには出来ん」
「そんな。一体どうして」
「私は死んだ人間なのだ。正確に言うと死んだことになっている。私の事を日本のどこかで喋られては困るのだ。私のことも、これから貴官が所属することになる部隊も最高度の機密だ」
そして小田は身を乗り出して、顔を北条に近づけて言った。
「いいか。貴官は我々のこれからやる作戦は気が違っていると思うかもしれん。しかしこれだけははっきり言っておく。私はこれが日本を救う唯一の道と考えている。ほんのわずかでも秘密が漏れてはいかん。絶対にだ」
小田はそう言うと、再び後部座席に深く腰を沈める。
「貴官は米国にいたとき、あのアンディ・ジョーダンと親交があったそうだな」
いきなり話題が変わり、北条は戸惑った。
「ええ。ジョーダン先生ですか。あの歴史学者の。家が隣同士だったので。少年時代に不思議な遺跡の話や海外の冒険の話をよく聞きに行きました。素晴らしい先生です」
北条は米国の考古学者と大日本帝国陸軍少佐とどのような接点があるだろうと考えを巡らせる。
「素晴らしいか。ふん」
いかにも不愉快そうに小田は吐き捨てた。北条は言ってしまってから「しまった」と思い、唇を噛む。敵性国家の人間と親しかったということは、知られたくなかった事実だ。しかし、小田はその点については気にする風ではなかった。
「忌々しい奴だ」
小田は車窓の外を眺めながら、短くそう呟いた。
「面識があるんですか?」
「奴は以前日本に侵入したが、今度はこちらが出し抜いてやる。同じ手段で今度はこちらが攻める番だ」
北条は小田が発した言葉の意味を測りかねた。
(一体何時から、どうして二人は知り合いなのか)
北条がそんな事を考えている間にも車は、都内を物凄いスピードで疾走し続け、やがてとある巨大なビルの前で停車した。ビルの前にあるシャッターが開き、車がその中入り込むと、すぐさま背後でシャッターが閉まった。車が停められた所は、広いガレージのようだったが、真っ暗で何も見えない。やがてガレージ内のライトがつき、周囲が明るくなった。
「降りるぞ」
佐野がドアを開き、小田は車から降りた。北条も嵩張る装備を抱え、後に続く。
「ここから先、貴様の荷物は不要だ。全て預かる。ここに置いていけ」
佐野大尉がいうので、北条は装備品を下ろした。ガレージには、北条らが乗り込んだ車以外にも多種多様の車や軍用車が見える。中には商用車や宣伝車、バスなどもあり、使用目的が何なのか判別のつかないものも多くあった。北条は戸惑いを覚えたが、それも一時だった。佐野に促され、奥の通路へ進む小田少佐の後に続く。長い廊下、地下に続く階段を幾度も使い、やがて巨大な鉄の扉がある部屋の前に辿り着いた。
「入る前に言っておくが、お前はもう死んでいる」
小田は扉の前で呟いた。
「どういうことでしょう?」
「言葉通りの意味だ。今日輸送船団に乗り込んでしまえば、お前は死んでいた。よってお前の死は確定している。ただ私はお前の死に幾ばくかの意味を与えてやろうというだけだ。私の計画した作戦に参加した場合、必ず死ぬ。生還はない」
「決死隊ですか・・・」
「まあ、そんなところだ」
小田は口元をわずかに歪めて笑いながら言うと、両手で扉を開けた。厚みのある鉄の扉はゆっくり、そして重々しく開いていく。
扉の先は大きな白い壁からなるホールだった。床は杉の木組みが敷き詰められ、中央に大きな階段があり、吹き抜け回廊の作りになっている。天井には無数の照明が付けられ、一階には多数の通信機器があり、二階の回廊の壁には巨大な地図、海図がボードに張られ、多数の付箋がつけられていた。一階では大勢の通信兵が忙しく動き回り、電波傍受にあたり、二階の士官らに伝達、総合判断にあたっているようだった。
「おかえりなさいませ」
兵の一人が出迎えた。細身で小柄。厚い黒縁眼鏡を掛け、青白い肌をしていた。顔には薄いそばかす、軍人にしては不釣り合いなやや長い縮れた赤髪をしている。抱えた資料についた付箋を神経質そうに触っていた。
「紹介しよう。こちらは北条 康中尉。これから我が部隊に所属することになった」
小田は手招きをして、出迎えた兵を北条に紹介させた。
「本官は太田 景弘です。階級は曹長です」
直立不動の態勢で敬礼をする。北条も自身の姓名、階級を述べ、敬礼で返した。
「敵の動きに変化はないか」
小田が渡された資料に目を通しながら問う。
「サイパン島方面での平文発信が増加しています。敵揚陸部隊および機動部隊は真っすぐサイパンへ向かってくるかと」
「やはりそうか。少し前まで海軍の方ではビアクに来襲するとほざいていたがな。聞いたか、北条。貴官の命も少しは伸びたな。感謝してもらいたいものだ」
「ここは一体?」
「忍者戦隊司令部情報作戦室だ。忍者戦隊は陸軍の中でも我々の存在を知るものはごく一部だ。今回の任務について、貴官以外の隊員は既に選出され、太田以外は別室で待機している。太田はこの司令部に勤務しながら、今度の作戦にも選抜されている。他のメンバーはこれから紹介する」
小田は目を通した書類を太田に手渡し、手短に指示をすると北条に向き直った。
「それでは案内しよう。来たまえ」
小田、佐野、太田と共に部屋を出て、また長い廊下を歩く。都内地下にこれほどの施設を作るには相当の資金、時間が必要だったはずだ。長い廊下、階段、そしてある部屋の前に一行は到着した。部屋に入ると、正面には太平洋の大きな地図。黒電話が一つ置かれた大きな机を囲んで、四人の人間が座っていた。彼らは一斉に立ち上がり、小田に敬礼をする。小田は手を振ってそれを制した。
「楽にしろ。新しい隊員の紹介だ。こちらは北条 康中尉。本日入隊した」
小田はそう言って、順に部屋にいた他の隊員達を紹介し始めた。
「今川 博道中尉。爆弾設置および解除のエキスパートだ」
「今川です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
中背、ふっくら太り気味であり、目は温和で、髪と瞳はブラウンだったが、髪の方は寂しい状況になりつつあった。
「武田 英雄軍曹。射撃のエキスパートだ。空手の有段者でもあり、戦闘時にはとりわけ役に立つ」
背が恐ろしく高く、肩幅が広い。北条も背が高いが、さらに一回り大きい体格だった。がっしりとした筋骨隆々な体。漆黒の髪、瞳、しかし顔の彫が深く、まるでギリシャ彫刻から切り出したような男だった。自信たっぷりで不敵な笑みを浮かべて居る。
「武田だ。これからよろしく頼むぜ」
「よろしく」
「太田 景弘曹長。互いの自己紹介は先ほど済ませたな。彼は情報、暗合解読のエキスパートだ。現地協力員との接触に際してはなくてはならない人物だ」
「作戦の成功に全力を尽くします。よろしくお願いいたします」
太田が北条に向かって敬礼した。
「よろしくお願いします」
(神経質そうな顔だ。彼はここには長くいるのだろうか)
敬礼を返しながら北条は太田を観察する。太田は先ほども司令部で任務を遂行していた。北条が一番の新参者らしいが、他のメンバーも司令部情報作戦室では見かけなかったので、彼はここの事情に一番通じているかもしれない。
「太田曹長。今まで司令部でよくやってくれた。これからはこの部隊に参加し、君のしようとしている事をするがいい」
小田はそう言って、太田の肩を叩いた。太田は小田の言葉の意味が一部腑に落ちず、少し戸惑っているようだった。小田は次に女性を紹介した。
「長尾 レベッカ伍長。元々聖路加病院で医師として勤務をしていた。負傷をした際には頼りになるだろう」
「長尾です。よろしくお願いいたします」
「あ、よろしくお願いいたします」
自分と同じ長い金髪、白い肌、そして吸い込まれそうなエメラルドグリーンの瞳。まるでフランス人形のような、非現実的な美しい顔立ち。こんな女性も軍人なのかと驚いた。それと同時に北条は紹介された隊員には共通項があることに気が付いた。しかしその意味までは分からなかった。長尾の顔を見ながら、考えを巡らしていると、長尾の声で現実に引き戻された。
「何か」
不審そうな長尾の顔。
「い、いや」
北条は問いかけられて戸惑った。
(まずい、嫌われたかな)
「あまりに綺麗で、見とれたんだよな。先生!!」
武田が北条の肩に手を回し、からかう。
「い、いや。そういう訳じゃないけど」
北条がどきまぎしながら答えると、武田がまた突っ込む。
「じゃあ、なんだよ。正直になれよ!」
「え、いやどこかで会ったかなと思って」
「なんだ、北条そりゃあ。やり口が古いぞ」
武田がからかう。
「こらっ、貴様ら、私語をやめい。席に着け。これから小田が本作戦について話をされる」
佐野が雷を落とすと、隊員たちはそれぞれの席に着いた。小田は太平洋地図を背にした正面の席に座った。相変わらず、軍刀の鞘尻を床に置き、両手で杖のように前に構えていた。目の前の机には黒電話がある。
「改めて諸君!ようこそ忍者戦隊基地に! 忍者戦隊は二つの部隊およびそれを支援する非戦闘員から成っている。二つの部隊、それは『暁』および『黄昏』である。この二つの部隊はほぼ同時期、同地域において異なる任務が与えられているが、相互はそれぞれの目的を遂行することに際し、連携することはない」
小田はそこまで言うと、隊員の顔を見回した。
「諸君らはその中の「暁」だ。諸君らは暁部隊として作戦を遂行することになる」
小田は正面にある太平洋の地図に向かって、指し棒を使いながら説明を始めた。
「最後の隊員である北条少尉が揃ったところで、本作戦について概要を説明しよう。さて、我が皇国の状況については改めて説明する必要はないだろう。戦況は切迫している。我が帝国陸軍は各地で敗退、そう、転進ではないのだ。敗退を繰り返している。制空権・制海権を取られた状況では日本を守れるものではない」
そこまで言うと、隊員達に振り向き、自虐的な笑みを浮かべる。
「まあ、それ以前に我が軍の作戦が稚拙で装備自体が劣悪だということもある。しかし改善しようと言っても今更間に合わん。そもそもこの戦い自体が間違いだったのかもしれん」
傍らの佐野は目を瞑り、直立不動で傾聴していた。武田は背もたれに寄りかかり、寛いだ姿勢で聞いていたが、その他のメンバーは一様に緊張した面持ちで上官の話に耳を澄ませている。
「尋常な手段で戦況を挽回するのは不可能。よって本官は考えた」
小田は軍刀を前に杖のように両手で構え、一同を見回して言った。
「米国の大統領ルーズベルトの首を取る」
その部屋にいる誰もが凍り付いた。あまりに馬鹿げている。しかし小田も佐野も表情を崩さず、真剣な面持ちである。
「もう一度言う。究極の目的はルーズベルト大統領を討ち取り、日本にとって有利な条件で戦争を終結させることである。米国大統領は軍の総司令官も兼ねる。大統領を失えば、敵軍にも相当な混乱が起こることが予期される。本作戦は戦局を転換しうる最後の機会である! 諸君らには帝国の未来のため、超人的な責務を果たすことが求められる」
簡略な演説であったが、小田の弁には熱がこもっていた。
「くくっ、何を言い出すかと思ったら、下らねえ。俺は帰るぜ」
武田は立ち上がり、ドアに向かって歩き出した。
「貴様ぁ、上官に向かって何を言うか! 戻らんか!」
佐野が大声で怒鳴る。
「うっせいな。俺のことは知ってんだろう。上官に対する暴言・暴行により五度の営倉入り。命令違反七度。うだうだ抜かすと、てめーもミンチにしちまうぞ」
佐野はこれを受け、武田に歩み寄り掴みかかろうとしたが、それを小田が制して静かに言った。
「席に戻れ、武田軍曹」
小田の射すくめる様な視線に、武田は渋々席に着く。それを見て小田は再び話を始めた。
「この作戦に選ばれた時点で諸君らには拒否する権限はない。この作戦を決行するか、死ぬかだ。これから二十四時間監視付きで作戦に必要な訓練を受けてもらう。本日より家族への面会はできないが、手紙を書く、電話で話すことは可能である。ただし家族への手紙、電話が許されるのは内地にいる訓練期間中だけである。また、全て検閲、盗聴されることを前もって通達しておく」
小田はそこまで話すと、佐野に話を引き継いだ。佐野は指し棒で地図を指したり、手を単調なリズムで叩きながら説明し始める。
「これから貴様らには参戦遂行に向けて訓練してもらう。米国までは帝国海軍潜水艦に乗船。ロサンゼルス近郊浜辺に上陸した後、現地協力員から重火器など機材の補充を受ける。それ以降は佐野以下、北条、太田、武田、今川、長尾の六名は、米国民間人に扮装し、大陸を渡りワシントンへ向かう。隊員に必要な能力は戦闘のみならず、情報、爆破、医療と多岐にわたる。戦局はひっ迫しており、直ちに訓練を行う」
「質問があります」
今川がおずおずと挙手をした。
「なんだ、言ってみろ。今川」
「その、戦力が我々だけなんでしょうか。あまりに重い責務を担って任務を遂行するには戦力が乏しい気がしますが」
「貴様ぁ、それでも大日本帝国陸軍兵かぁ! 断じて行えば鬼人もこれを避く、と言うではないか。前へ出ろ! 制裁を加える」
佐野は握りこぶしを作って今川を叱責する。この近代戦争の中でこのような精神論を振りかざす上官は少なくない。と言うより、日本においては陸海軍ほぼ例外なくそうだった。
「くふふふ。おいおい、手前ら頭大丈夫かよ。たった六名でアメリカに殴り込みか。こんな馬鹿共が戦争指導をするんじゃ負けるはずだよなぁ」
武田が不敵に笑いながら言い放つ。
「黙れ!」
佐野は血相を変えて怒鳴った。確かに正気ではない。この人数で太平洋を横断し、さらに大陸を横断し、武器を受領し、ホワイトハウスに殴り込みをするなど馬鹿げている。
「質問よろしいでしょうか」
北条が挙手をした。佐野は発言を許し、視線を武田から北条に向ける。
「我々が選ばれた理由は?」
「現在米国において日系米国人は収容所に入れられている。またそれ以外の亜細亜人も差別の対象であり、人目に付きやすい。貴様らには上陸後、現地で行動するにあたり民間人に扮して行動してもらうことになる。その際東洋系の容貌は不利である。これが貴様ら『間の子』が選ばれた理由でもある」
佐野は咳払いしてから、北条の質問に答えた。なるほどと北条は納得する。選ばれた隊員達には共通項があった。隊員は恐らく日本に在住しているハーフあるいはクオーターなど欧州系あるいはアフリカ系の顔立ちを持った兵士で編成され、語学堪能なものが選ばれたのだろう。自身がそうであるように。
「上陸する日時、協力員の人数、接触する場所日時、そして上陸してからの日程、方法は?」
太田の質問で一瞬にして、部屋が静まり返った。この作戦に現実性があるのかどうか、太平洋を渡ることが可能なのかどうかも疑問符が付くが、問題は大陸に渡った後だ。どれ程の援助が受けられるのか。民間人に偽装し、見破られずに大陸を渡り切ることができるのか。
「上陸してからの日程、経路は現地での作戦遂行する隊員判断に任せる。これまでの大東亜戦争の経緯から敵に暗号が解読されている恐れがある。電波封鎖を原則とし、部隊の危機の際には独力で突破することを原則とする。尚潜水艦からは必要最小限度の機材を持ち、潜水具を付けて魚雷発射管から射出、上陸を果たす。これは隠密裏の作戦であり、我が方潜水艦への攻撃を防ぐだけでなく、こちらの上陸を秘匿する目的がある。武器、資材について、上陸時点では最小限度しか持ちえないため、現地協力員と接触して調達する」
佐野がそこまで答えると、その後を小田が引き継いだ。
「トラックで大陸間を移動することが一番良好と考えられる。武器など重機材を運ぶのにも都合がいい。後もう一つ指揮官の問題がある」
(指揮官の問題?)
北条は反芻した。小田は話を続ける。
「今回指揮を執る佐野大尉は階級も上であり、中国大陸、ビルマ、マレーシア、シンガポール攻略戦などの実戦経験が豊富だ。本作戦には無くてはならない存在である。しかしアフリカ系米国人であり、日本兵とは疑われないが、差別に合いやすい。米国では現在肌の色による差別が厳しく、交通機関、食堂、全て白人と黒人とは別々になる。特に西部、中西部、南部では肌の色による差別が激しい。よって公共交通は避け、トラックを使用することとする」
(人的資源は有限。全てがこちらに都合いいようにはならないということか)
北条は佐野の言葉から日本の人的資源の乏しさを思った。軍事的才能を持ち、さらに米国に日本人と疑われない人間はそうはいない。長尾という女性が隊員として選ばれているのも、人材不足が関係しているのだろう。贅沢は言ってられないのだ。純粋な軍事的な才覚からすれば指揮官に適任なのは佐野なのだろうが、米国上陸後には他の隊員と密接な行動が出来ない可能性がある。
「なるほどな。小田の面はアメリカじゃ日本人の恥さらしよ。行かない方がいいんじゃねぇか?」
武田が嘲笑しながら言うと、佐野は激高した。
「なんだと! 貴様!」
武田は上官に対しても物怖じしない態度を取り、上下関係にも全く頓着する様子はない。階級制度が厳格な軍隊において極めて異端な存在だった。北条は珍獣をみるような目で武田をみた。すると武田も北条の視線に気が付き、目配せをする。小田は武田の侮蔑にもさして気にする風でもなく、さらに説明を加えた。
「本来なら大陸を横断するにあたり、武器などを所持したまま移動したくはないのだが、東部には我々の拠点がないため、仕方がない。ルートは竹を予定しているが、封鎖している地域があれば経路をその都度変更する。概要は以上であるが、作戦の詳細は訓練の進捗状況、戦局の変化もあり、追って知らせる」
太田はそれに応じてさらに質問した。
「襲撃時米国大統領がホワイトハウスにいるかどうか確認する手段。後ホワイトハウスの詳細な構造、見取り図については如何でしょうか?」
当然の質問だ。太田の質問はこの作戦、作戦と言えるかどうかだが、この荒唐無稽の思い付きの重要な情報を聞き出そうとしていた。
「その点については問題ない。ホワイトハウスの襲撃訓練においても充分に配慮する」
太田は色々聞きだそうとするが、肝心なことを小田は何一つ言わなかった。北条は次第にこれが意図的であるということに気が付いた。計画の詳細は後で伝えられるのか、あるいは伝えられずに行うこともあるのかもしれない。しかしどのくらいの期間か不明だが、太田は忍者戦隊司令部に勤務していたのに、詳細を知らされていない事は驚きだった。重要なことを小田が話さないのは、何か理由があるのだ。今日が初日であり、何もかも伝えることができなかったのか。それとも何か他に理由があるのか。
「質問よろしいでしょうか」
今川が挙手し、佐野を遠慮がちに見ながら、小さな声で発言した。
「今川か。なんだ」
佐野は面倒そうに答える。
「作戦が成功した場合、日本への帰還は認められるのでしょうか。その際、帰還手段についてはどのようになるのでしょうか」
確かにと全員が思う。自殺同然の作戦で、成功どころか死ぬことは間違いない。しかし万が一、成功した場合、そして生き延びることができれば、日本の地を再び踏むことはできるのか。
「ならぬ」
小田が低い声で言う。
「帰還は認められない。作戦成功したことを見届けた後は、速やかに自決するように」
一同声を失った。長尾は顔面蒼白となり、口を手で覆っていた。皆大なり小なり動揺していたが、ただ太田だけは自若泰然としている。こういった作戦だと知っていたのか。それとも、余程軍人として模範的な精神を持っているのか。佐野のように。
「諸君らが想像しているように、ワシントンまでの道は遠い。辿り着けるかどうかすら不明だ。成功して帰還するということは、それをもう一度やるということだ。しかも作戦を遂行した際は米国全土に警戒網が発動することが予想されるため、帰還の難易度は倍加する。結果、捕虜となり、機密が敵に漏れる可能性が飛躍的に高まる」
小田は理路整然と今川に説明した。
「そ、そんな。帰還が認められないなんて。捕虜になっても、我が軍の機密は決して漏らしません」
今川は小田にか細い声で言い募った。
「生きて虜囚の辱めを受けずという言葉を知らんのか。潔く自決せい!」
佐野は金切り声で今川を怒鳴りつける。戦局は不利になっていたが、ここまでデスペレートな発言をする軍人も珍しかった。小田は手で佐野を制して、語り始めた。
「捕虜になった場合、諸君らは米軍より尋問を受けるだろう。薬物などを用いた尋問・拷問のプロフェッショナルがこれにあたる。意思の力などではどうにもならない」
北条らはその言葉に衝撃を受けた。比喩ではなく、決死の攻撃なのだ。無謀かつ自殺的な攻撃。これが突如北条らに与えられた作戦だった。
「けっ、気違い野郎ども。好きにしろや」
武田が吐き捨てるように言う。北条はやるせない思いだった。
(九死に一生の作戦はまだ許せる。しかし生還を許さないなど、馬鹿げている)
「我々が死ぬことは分かりました。作戦が終わった時、佐野大尉はどうされるのですか?」
北条は指揮官となる佐野に問いただした。
「腹を切る。俺もどのみち日本には帰れん。また鬼畜どもの国で生きながらえる気はせん」
佐野はあっさりと答えた。軍人に聞けば馬鹿のように返ってくる定型文でもある。
「大尉。本当にそれでいいんですか?」
「何!?北条、どういう意味だ」
「言葉通りの意味です」
あまりに常軌を逸している。北条は沸々と怒りが込み上げてきた。
「小田少佐はどうされるのですか?」
北条は次に小田に質問した。小田は軍刀を前に構え、深く腰を下ろし、身じろぎもしなかった。表情を全く崩さず、感情が読み取れない。
「どうするとは?」
「指揮を自ら取られるのでしょうか?」
「私は日本に残り、成功の是非に関わらず、引き続きこの忍者戦隊の指揮を執る。以上だ」
部屋が静まり返る。予想した答えではあったが、軍隊の理不尽さが露になった。
「おいおい、何だよ、そりゃ。あんたは安全なところから、見物かよ。ざけんな!」
武田が立ち上がって、叫んだ。
「ふふ、何を今更。軍隊というものはそういうものだろう」
小田は不敵な笑みを浮かべて、言い放つ。
「糞野郎。誰がやるかよ。俺は抜けるぜ」
武田は言い返し、小田を睨みつける。
「武田ぁ! 貴様少佐殿に何という口を利くのだ!」
佐野は大声を上げて、武田を叱責した。
「黙れ。犬っころ。てめーは尻尾を振ってな」
「何い!」
佐野は武田に歩み寄り、胸倉を掴み上げた。
「手を放せよ。犬。もし俺を殴ったら、てめーとそこにいるしたり顔の小田をぶち殺して、ここを出ていく」
「何を!」
佐野が拳を振り上げたその時、小田が立ち上がった。
「やめい。佐野。もう、よい」
「はっ、し、しかし」
「下がれ」
小田がそう言うと、仕方なく佐野は武田を離した。武田は舌打ちをしながら、服装を直す。小田はそれを見て、目の前にある黒電話を引き寄せ、電話をどこかに掛けた。暫くやり取りをすると、武田に受話器を渡す。
「君にだ」
不審げに武田は電話に出た。
「誰だ?」
『お兄ちゃん!? う、うう』
聞きなれた妹の泣き声だった。何故?武田は混乱した。
「怜奈!? どうした。何があった!?」
『う、う。いきなり家に知らない男の人達が押し入って来て・・・』
「なんだと!?」
『沢山石油缶持って来ていて、ううう、う、今、狩野という人が、私に乱暴してから、火を家につけるって。殺すって!』
武田は小田を見る。小田はニヤニヤとしながら、楽しそうに武田を眺めていた。小田はゆっくりと立ち上がると武田の傍に行き、受話器を武田から取り上げて、そっと黒電話に置いた。
「怜奈と言ったな。可愛い妹らしいな。お前の様な男にあのような可愛らしい妹がいるなど、なんとも不思議なものだ」
「こ、この外道!」
武田は拳を握りしめ、怒りに体を震わせる。
「お前の妹は複数の見知らぬ男から性的暴行を受けたあげく、火あぶりで死ぬ。何と悲劇的な人生だろうか。いやはや、武田は妹思いの素敵な兄貴。まさかまさか、私にそのような残酷な事はさせないよなあ」
小田は顔を振りつつ笑みを浮かべて武田に言った。
「妹に何かしたら、貴様をずたずたにして殺してやるぞ」
武田が凄む。しかし小田は一向に気にするようではなかった。
「陳腐だ。実に陳腐な脅し文句だ。その前にお前の妹は三枚おろしになるぞ」
小田は鼻歌でも歌いそうな表情で、益々上機嫌で返す。どんな電話のやり取りがあったのか詳細は不明であったが、北条をはじめ、部屋にいた全員が会話からおおよその検討がついた。武田だけでなく、皆小田の狂気に戦慄していた。
「座れ。武田軍曹」
小田は椅子の背もたれを持って、武田に着座を勧める。武田は拳を握りしめたまま、立ち竦んでいた。
「た、武田君」
今川が声を掛ける。武田は小田を睨んで動かない。
「もう一度言うぞ。座れ」
脅しではない。小田は何でもやるだろう。武田は席に再び着いた。小田はそのまま背後からそっと近づき、武田の耳元に囁いてくる。
「ゲイリー ヒュースケン。お前の親父の名前だ。船乗りだったお前の親父が失踪、お前の母親は場末の売春宿で体を売って、女手一つでお前達を育て上げた。最後にはありがちな病で母親も死んだ。苦労も色々あったろう。お前自身もその容貌から様々な差別にあいながらも、色んな仕事を幼少時から行い、懸命に家計を支えた。その為学校にも満足に行けなかった。そしてお前は軍隊に入った。一つは教育を受けるため。もう一つは妹に仕送りをするため。泣かせる話じゃないか。彼女は無事で、幸せであって欲しいと思っているよなあ」
そして小田はさらに武田の耳元に顔を近づけて言った。
「お互い妥協できる事はないかね。武田軍曹。君が妥協すれば、有難いのだがね。」
小田は満面の笑みを浮かべ、武田の耳に囁いた。
「俺が作戦に参加すれば、妹は大丈夫なんだろうな」
武田は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべ、絞り出すように言う。
「ああ。それどころか、君が戦死した場合、いや、もちろん必ず戦死するのだが、軍人年金を保証するし、機密費で妹の学費を捻出してやろう。私は自分でいうのもなんだが、約束は守る男だ。私の言葉はその点では信用してくれていいよ」
「この野郎。てめーの腹は痛まないだろうに。約束は守れよ」
武田の答えを聞き、小田は破顔一笑。相好を崩した。
「諸君! 武田軍曹は靖国神社で軍神になることに納得してくれた。実に目出度い。ふふふ、諸君らも、本作戦について納得してくれていると思うが、何か不平不服があれば、日本にいる間は是非私に直接申し出てくれ。話し合おうではないか」
北条は戦慄する。いや、誰も彼もが考えているはずだ。自分の家族は大丈夫だろうかと。
「貴方は狂っています」
北条は嫌悪感を隠さず言い放った。
「ふふふ、何をいまさら。狂った男だと? 私は大日本帝国陸軍の人間だぞ。そんな認識は周回遅れだ」
小田は武田から離れ、自席に戻る。そして改めて全員を見直して言った。
「戦況は切迫しており、時間がない。本日これより直ちに訓練地に向かえ。地獄の訓練が始まる。精々耐えてみせろ」
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