暁部隊

川崎 有紀 & オアシスグループ

第1話 プロローグ

一九四五年四月十二日 東部時間 午前七時四十五分


「ジャップの奴らがやったんだ!」


 誰かがそう呻いた。火薬と血の匂いが部屋に充満していた。折り重なる死体。部屋全体が埃で霞がかっていた。ジェンキンス上等兵は辺りを見回し、生存者を探した。後一か月後には船で欧州戦線に行くはずだった。ドイツは降伏寸前で、上手くいけば戦場に出ることもなく、戦争が終わるかもしれないという淡い期待があった。ところが早朝に叩き起こされ、この有り様だ。ジェンキンスらは、ヘルメットと小銃を引っ掴むと、急いでトラックに乗り込んだ。ジャップの襲撃。上官からの説明はそれだけだった。


「軍隊が攻めて来たんだろう」


 近くにいたホッジ軍曹が呟く。そう思うのも頷ける状況だった。

 部屋中の壁に弾痕が無数にあり、調度品の破損は酷く、壁と床に多くの血痕があった。爆発物によりあちこちが破壊され、黒い煤が付着していた。庭には何故か銃撃され、破壊された救急車が乗り捨てられており、建物周囲の通りには乗り付けたトラックや消防車などでごった返していた。


「攻めて来たって、一体どこから」


 ジェンキンスは呻いた。


「そんなこと、俺が知るかよ。ただわかっていることは、ジャップの糞野郎はただじゃおかねえってことさ」


 ホッジ軍曹は忌々しそうに吐き捨てると、足を速めて生存者を探しに先に進んだ。ジェンキンスも後を追う。


(しかしこんな大惨事をジャップの連中が行いえたのだろうか)


 辺りを見回し、眉を顰めながら、ジェンキンスの頭には疑問が沸き起こっていた。


(ジャップの連中は敗戦続きで、こんなところまで絶対来ることができないはずだ)


 一九四五年現在、日本軍はありとあらゆる方面で叩かれ、制空権、制海権を本土おいてすら完全に失っていたのだ。それでなくても、ここに日本軍が来るというのは絶対不可能だった。そう、何しろこの戦場のようなところはアメリカの中心、ホワイトハウスの中なのだから。


「どいてくれ! 道を空けてくれ!」


 衛生兵らが担架に負傷者を載せて外に運びだそうとしていた。

 東洋系の顔立ちをした血まみれの負傷兵の四肢は失われ、腸管が裂けた腹部の傷からはみ出ている。


「ちっ! 死体袋の方が良さそうだ」


 その光景をみたホッジ軍曹は誰に言うともなく、静かに呟いた。現場には米軍軍服を着た大量の東洋人が負傷し転がっているのが見て取れる。


(こいつら偽装して入ってきたのか)


 ジェンキンスは現状を見てそう判断したが、不思議な事に駆け付けた医師、看護師、衛生兵らが懸命に彼らを応急治療、運搬をしていた。


(ジャップ達を何でそんなに丁寧に扱うんだ! 馬鹿げているよ)


 ジェンキンスはそう心の中で思い、その光景を眺めていた。



「こっちだ! 手を貸してくれ」


 ジェンキンスとホッジが声のする方へ向かうと、衛星兵が黒い袋を顎で指し示す。


「こいつを表のトラックまで運んでくれ。表にあるタグの付けてある袋と一緒にすること」


 衛星兵が示した黒い袋の内一つを持ち上げてみる。見た目より重い。それに袋から床に赤い雫が滴り落ちていた。


「これは何です?」


 ジェンキンスは思わず訊ねた。


「カミカゼ自爆したジャップの肉片さ。何でも追い込まれて、体に巻き付けた爆薬で何人か巻き沿いにして自爆したらしい。狂った奴らさ。でかい奴だったらしく、二つあるから、お前らで一つずつ持っていけ。汚い血が付かないように気をつけろよ」


 衛生兵はさも忌々しそうに説明を終えると、胸のポケットから煙草を出して、火をつけた。


「ジャップのミートボールかよ! 何で俺たちがこんなもの運ばなきゃならねえ」

「文句をいうなよ、軍曹。お偉いさんが一応調べるんだとよ。これも仕事なんだ。さっさと行け」


 衛生兵は煙草の煙を吐き出しながら、ホッジにそう言い捨てる。


「畜生!」


 ホッジはそう吐き捨てるように呟くとその袋を持った。

 ジェンキンスもそれに倣い、袋を持って歩きだした。血の滴る黒い光沢を放つ袋を抱えながら、ジェンキンスの頭にふと恐ろしい考えが過る。


「大統領はどうしているんでしょうか」


 これは一大事ではないのか。ホワイトハウスが襲撃されたのだ。世界で一番厳重に守られているはずだったのに。一体どうなっているのだろう。そんなことはさも当然という様に、大統領の安否については誰も何も言わなかった。


 先頭を歩くホッジは振り返りもせず言った。


「さあな。多分休暇でも取って不在だったんじゃねえか」

「休暇って。戦争中ですよ」


「偉い人が俺たちみたいに年がら年中働いていると思うか? 今頃ヤシの木の木陰でテキーラでも飲んでいるよ」

「病気がちだったから、酒を飲んでいるってことはないと思いますが」


「酒は百薬の長というぜ」

「酒は百毒の長ともいいますよ」


 ホッジはやれやれといった感じで、ようやくジェンキンスと向き合った。


「まあなんだ。今の俺たちの仕事はこのミートボールたちを外のトラックへ運ぶことだ。大統領のことはもっと違う誰かに任せようぜ」


 ホッジはこの話題を切上げたがっていたように見えたので、ジェンキンスもそれ以上は言うことを控えた。確かにこんなところで二人でああだこうだ言っても仕方ないのだ。


 二人は無言で抱えた袋を外のトラックへと運び出した。周りは来た時よりさらに多くの消防車や救急車、軍用の車両が所狭しと並び、多くの軍人や衛生兵らがひっきりなしに負傷者や死体を運び出していた。ジェンキンスらはホワイトハウスの中に戻り、他の仕事をやることにした。



「おい、お前たち。手を貸してくれ」


 二階のテラスから、今回の後始末の責任者であろう大佐が手招きをした。大佐は負傷しているらしく、胸部の軍服から血が滲んでいる。かなり重症のように見えたが、気丈にも表情には表していなかった。


「ほら、おいでなすった」


 ホッジはそう言うと、ジェンキンスと共に小走りで階段を駆け上がり、大佐の前に進み出た。


「三階の大統領執務室から日本兵二人の死体を丁寧に運び出せ」


 大佐は苦し気に言うと、壁にもたれかかった。


(何ということだろう。日本軍の兵士が大統領の部屋に侵入したのだろうか)


 ジェンキンスは不安を覚えた。それに目の前にいる大佐の体調も気がかりだった。額には大粒の汗がみられ、呼吸も乱れており、出血した胸の部分を手で押さえている。如何にも苦しそうだった。


「大佐殿。その前に怪我の治療を」

「煩い! 私に触るな!」


 大佐はそう言って、ジェンキンスの腕を振りほどいた。


「それより早く仕事をしろ。いいな!」

「イエッサー」


 ホッジとジェンキンスは仕方なく、大佐に敬礼をし、直ちに指示された三階の大統領執務室へ向かった。


「まったく、またジャップの死体運びかよ。ついてねえ」


 ホッジはボヤキながら、進んだ。ジェンキンスも後に続きながら、自分の悪い考えを捨てきれずにいた。



 大統領執務室のドアは打ち破られていた。部屋の中央には車椅子があった。椅子には血痕はなくきれいであり、大統領は運び出されたのか、部屋にはいなかった。打ち破られたドアと外からの侵入を防ぐためだろうか、倒された本棚でバリケードを作っていた跡がある。


「おい、ぼっとしてんじゃねえ。汚ねえジャップの死体をさっさと探せ」


 ホッジの言葉でジェンキンスは我に返り、死体を探した。醜いジャップ。ジェンキンスは自分の住んでいたサンフランシスコで東洋人の親子を見たことがあった。日本人なのか中国人なのか、全く分からなかったが、彼らは凡そ白人の居住区から隔離された、貧しいところに住んでいた。醜く、薄汚く、体は哀れなほど小さい。


「おいっ、こいつをみろ」


 ホッジの叫びが聞こえ、ジェンキンスはその声の方へ急いだ。


「うっ」


 思わずジェンキンスは声を上げる。そこにいたのは大日本帝国陸軍の軍服に身を包んだ二人の男女だった。女は透き通るような白い肌に深紅の唇が映えた。ジェンキンスはこれまで見たいかなる女性であれ、雑誌であり、映画であれ、目の前にいる女以上に美しい女を見たことがなかった。男は背が高く、女と同じく金髪だった。二人は窓際の壁に寄りかかり、女は男の逞しい胸に顔をうずめて事切れている。共に傷つき、血まみれ埃まみれだったが、まるで一幅の絵のようだった。二人の手にはシャンパングラスが握られ、近くにはシャンパンボトルが転がっている。二人とも満足しきった笑みを浮かべて死んでいた。窓から気持ちのいい風が吹き込み、女の朝日に輝く長い金髪がそよいだ。ホッジは呻く。



 「こいつら本当にジャップかよ・・・」



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