3話 「魔女の娘」
「それでも、本当によろしいですか?」
アルザと名乗る冒険者の方は、そう強く念を推します。
その言葉には、ギルド前の通りで話した冒険者とは違う力強さがありました。
初めて【ワタリドリ】の皆さんと会った時は、失礼ながら不安感しかありませんでした。
というのも、あれだけ強いと太鼓判を押されていたギルドが、たったの『小さい子供二人組』だけだったのですから。
当然、最初はあの金髪男さんに騙されたかと少々不安になりました。
ですが、アルザさんの話を聞いているうちに、なぜかこの方達なら頼んでも大丈夫そうだと、そう思えたのです。
あとは、私がこの依頼をお願いするかどうか——。
*
幼い頃に旅先での事故で父と母を亡くした私は、魔法研究家の祖母の家で育てられました。
商人だった両親は、私が生まれてすぐに亡くなりました。
祖母から聞いた話によると、とある国に商品を売りに行く道中で魔物に襲われて帰らぬ人となったそうです。
物心ついたときには既に祖母と二人暮らしだったので、顔すらも覚えてはいませんが。
祖母曰く、私は父親似なんだそうです。
笑うと
実を言うと、子供が物心つくまえに両親のうち片方が亡くなっているのはそう珍しいことではありません。
父が兵士で栄誉の戦死を遂げたとか、母が出産後に亡くなったとか。
そういったことは、私も時々耳にしたことがあります。
ですが、両親ともに他界しているとなると話は別です。
祖母が国の外れの古めかしい家で魔法研究を行っていたせいもあってか、人々は次第に私のことを不気味がるようになっていきました。
私の父と母を生贄に使って魔術を行ったのだとか、人体を利用する新たなポーションを開発したのだとか。
そんな暗い噂話は、絶えることはありませんでした。
これは、腰を痛めた祖母の代わりにパンを買いに国の中心部まで行った時のこと——。
「出ていきな!」
バタン、と大きな音をたててパン屋の扉が閉じます。
顔を赤くして私を怒鳴り飛ばした店主のおばさんの、私を蔑むような目が頭の中に焼き付いて残ります。
しかし、もはや怖いとか悲しいとかいった感情は私の中からは消えてなくなっていました。
——これで、何軒目だろ。
死んだ目をしながら、私は別のパン屋を探してふらふらと歩き出しました。
それから十何軒と回ったところでしょうか。
私を見てかわいそうに思った親切なパン屋のおじさんが、廃棄寸前のパンをこっそりとくれたのです。
やつれたような表情で家に帰ってきた私を見た祖母は、腰が痛いはずなのにベッドから飛び起きて、ぎゅっと抱きしめてくれました。
ごめんね、ごめんね、と。
それから私は、二度と国の中心部まで行くことはありませんでした。
相変わらず腰を痛めていた祖母の研究の手伝いをしながら、十四歳になるまで祖母の家で暮らしていました。
魔法の才能こそ壊滅的だったものの、祖母の研究を手伝ううちに簡単な回復ポーションや何種類かの耐性ポーションくらいなら作れるようになっていたのです。
その後私は、両親が暮らしていたというこの国に引っ越すことにしました。
祖母は最初こそ私のことを心配して引き止めましたが、何度も説得すると「頑張れ」と送り出してくれました。
そして、それから数年が経ち——。
私は、とある魔法薬作りを専門とする工房に入り、回復系のポーションを生産する仕事をしていました。
そして今、私はこの仕事をとても気に入っています。
人がすっぽり入ってしまうほどの釜にたっぷり入った液体を二人がかりで運んだり、危険な薬草を扱うときにはとても怖いけど、それを入れても私はこの仕事が大好きです。
それは、祖母から教わった仕事だからだけではありません。
この仕事をしていると、たくさんの冒険者さんと会話ができるからです。
遠くの国で採れた珍しい植物を持ってきては、旅のお話を聞かせてくれる
それから、小動物を狩るついでに薬草を集めてきてくれる優しい狩人の方。
ときには私が作ったポーションを試してみてくれて、その感想とかを聞かせてくれました。
そんなひとときが、本当に楽しいのです。
そんなある日、一人の運び屋の方が血相を変えて飛び込んできました。
「ポーション作りのお嬢ちゃん、大変だい」
そう言って、いつもの運び屋のおじさんは私の目の前にとある手紙を突きつけてきました。
「これって、お前さんのおばあちゃんの名前じゃない?」
「⋯⋯ええ、はい、そうですが」
「やっぱりそうかい。速達だよ、悪い知らせじゃないといいんだがね」
「速達⋯⋯⋯⋯」
嫌な予感がします。
祖母はもう、結構な歳でしたから。
ペーパーナイフを取る時間も惜しくて、震える手で封筒の上の部分を引きちぎります。
そして開くと——、祖母の字ではありませんでした。
「——どうしたんだい、嬢ちゃん」
それは、祖母を看てくれているお医者様からの手紙でした。
祖母に頼れるお医者様なんていたのだろう、という今思えばもっともな疑問が頭の中からすっぽぬけるほどには、私は正気を失っていました。
もしかして、代筆を頼まないといけないくらいに悪くなってしまっていたら。
最悪の不安が頭をよぎり、文章が目に入りません。
それでもやっとのことで手紙を読みました。
「おーいサラ、大丈夫かい。
裏に上がってもいいから、お茶でも飲んでこい」
私のことを不安に思ってか、工房の中からもぞろぞろと人が出てきます。
「いえ⋯⋯大丈夫ですっ⋯⋯問題⋯⋯⋯⋯」
「バカ言え、一回、鏡見てこい」
親方に言われて、出入り口付近の壁に吊るされている鏡に目を移します。
映った私の顔は、病人も真っ青になるくらいにひどく青ざめていました。
「大丈夫かい? 一回落ち着いて、それから話してごらん」
運び屋のおじさんが、椅子に腰掛けて心配そうに私の顔を見上げます。
「話くらい聞いてやるから、さ。
ほら、知ってるだろ? 俺なんて仕事ほっぽり出していつも歩いてっから、今日くらいサボったって何も問題ないんだって」
そう言うと、ショルダーバッグ——運び屋の方だけが支給される、ほぼ無限に入る文字通り『
「それで——、キミのお祖母さんは無事なんかい?」
私は、首を振ります。
「あまり、良くないらしいです。
幸い、今は普通に会話できる状態を保っているそうですが、あと一週間が限度だ、と」
「⋯⋯そうか」
その一言で、全員黙り込んでしまいます。
すると突然、親方が私の背中を叩いてこう言います。
「わかった。⋯⋯今すぐ荷物を纏めろ」
「え、ええっ?!」
「何をぼーっとしてる。帰るんだろ、お祖母さんの元に」
「そ、それは⋯⋯」
その間、私の仕事はどうすれば。
不安を抱えたまま親方の目を見ると、なんとかする、と頷いてみせました。
「ほら、お前らも。さっさと行って、手伝ってやれ」
「「は、はいっ!」」
仲のいい同僚が、作業を中断しに走って工房の中へと戻っていきます。
きっと、私の支度を手伝ってくれるのでしょう。
「それで、どこだったっけか、お祖母さんが住んでいるのって」
「ミロニカ公国です」
「あーよ⋯⋯チッ、そう言うことか⋯⋯くそッ」
運び屋のおじさんが突然、祖母の手紙の入っていた封筒をひったくります。
そして何かを確認すると、大きくため息をつきました。
「どおりで異常なまでに時間かかって届いていると思った。
残念だけど、もう間に合わんよ」
その一言に、心がきゅっと締め付けられます。
「間に合わないって⋯⋯どういうことですか?」
「言った通りさ。ミロニカまでの直通路が封鎖されているんだ」
そう言うと、運び屋のおじさんは消印を見せてくれました。
「ほら、十二日はかかってる。これで速達だ」
「え、でも⋯⋯」
言われて確認すると、確かに一週間以上もかかっています。
普段なら、五日か、長くても七日あれば速達で届くのに。
「それって、どうすることもできんのか?」
親方が、暗に抜け道があるのではないかという意味を含めつつ尋ねます。
「いや、無理だろうよ。
今回のは無視して通過したら捕まるとか、そう言う次元のもんだいじゃねえ。
最悪、命に関わる問題だ」
「命に、関わる⋯⋯?」
「⋯⋯ドラゴンか」
親方が苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちします。
「ああ。⋯⋯というより、知ってたのかい?」
「まあな。そのせいでいくつか欠品が生じててな。
別ルートからの取り寄せに切り替えたから、最近じゃ話にも出なくなったが」
——言われてみれば、顔見知りの運び屋の方が最近来なくなってしまいました。
もしかすると、別の国の間の仕事に切り替えたのでしょうか。
「なあ、おっさん。それじゃあ、アンタの知り合いで護衛引き受けてくれそうな人はいるかい?」
「おっさんは止めろって、五歳ちょいしか変わらんのに」
ぽりぽりと頭をかきながら、運び屋のおじさんは考え込みます。
「おらんな。少なくとも知っている奴らは、受けんと思う。第一、リスクが大きすぎる」
「⋯⋯そうか、すまない」
「いや、こっちこそ力になれんですまん」
二人とも悔しそうな顔でため息をつきます。
「なら、依頼として出してしまうのはどうか?」
「依頼って、ギルドか?
たしかにいい案だが、時間がかかりすぎるだろ。長いときには一週間はかかるぞ?」
「でも、何もしないよりかはマシだろ」
「まあ、それもそうだが⋯⋯。
いっそのこと、手当たり次第に頼んでみるか?
そこら辺にいる冒険者をひっつかまえて」
「⋯⋯あのなあ、そんな虫取りみたいに捕まるもんか?」
「ハハハッ、ごもっともだそりゃ。
だけど、単純に言えばそれが最短かもしれんぞ?」
「う、まあそうかもしれんが⋯⋯」
「あ、あの、やってみます、それ」
「⋯⋯本当か?」
二人は、驚いた様子で私の方を見ます。
「それが、最短なんですよね?」
「ん、ああ。まあ、多分⋯⋯いや、おそらくベストだとは思うんだが」
「なら、やってみるのも手だと思うんです。
そうじゃないと⋯⋯自分を失ってしまいそうで」
「⋯⋯そうか」
親方は、小さく頷いた。
「よし、わかった。荷物をまとめて来い。手伝えるヤツは手伝ってやれ。
その間に俺は倉庫にあるポーションをかき集めてくる」
「わかった、嬢ちゃん。俺も知り合いに声をかけてみる。
万に一つでも受けてくれそうなヤツがいたら連絡するよ」
「みなさん⋯⋯ありがとうございます!」
そして色々あり、やっと引き受けてくれそうな方に出会えたのです。
だからこそ、私のために頑張ってくれているみなさんのためにもここで怖がって立ち止まるわけにはいかないんです。
「お願いします、ワタリドリのみなさん」
「わかりました。責任を持ってお受けします。
カイネ、サラさんを家まで送り届けてあげなさい。
夕食は宿の人に頼んであるので、帰ったら待たずに食べていてください」
「⋯⋯わかった」
頷くと、とてとてと私の前まで来ます。
「行こう、ごはんが待ってる」
「え、あ、えーと」
戸惑う私の手を引っ張ると、そのまま部屋の出口へと駆け出しました。
「ひぎゃああああっっっっ、ととととまってえええっ!」
カイネさんに引きずられるようにして、私はギルド会館を後にしました。
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