2話 「指名と悪い依頼」
「あー来た来た。おーい、【ワタリドリ】のみなさーん」
ギルド会館に着くや否や、ショートの緑髪が特徴的なギルド職員が気怠げに僕らを呼ぶ。
彼女はカウンターに突っ伏したまま僕らに向けて手を振ると、面倒くさそうに手招きした。
「つい今さっき指名で依頼が入ったから、伝えよっと思って」
「⋯⋯指名で、ですか?」
一体だれが、どんな用件で。
それを聞こうとする前に、見るからに怠惰そうな職員は一枚の紙切れを僕らにくれた。
「はいこれ、依頼書」
どれどれ、と目を落とす。が、
——なにこれ。
危なく口をついて出そうになった言葉を、慌てて押し込める。
ミミズが這ったような字で書かれた依頼書は、所々内容が途切れていて肝心なところを読み取ることができない。
多分、書いている途中に眠気に襲われて意識が飛んでたのだろうか。
「あーーー、眠りながら書いたから、もしかしたら所々飛んでるところがあるかも」
「所々、ですか?」
「んー、もしかしたら全部⋯⋯かも?」
ふわああ、と大あくびをすると、親指でカウンター裏の部屋を差した。
「まーでも、来てくれてよかったよ。呼びに行く手間も省けたしね」
んーーー、と、職員の方は立ち上がって気持ちよさそうに伸びをする。
そして、そのままカウンターの奥へと消えていった。
「なんだったんだろ、今の」
カイネが、不思議そうに聞いてくる。
「なんだったんだろうね、まったく」
「それで、どうするの?」
さっきから握ったままの依頼書に目をやりながら、カイネが聞いてくる。
「正直、これだけじゃあ判断材料が少なすぎるかな」
「じゃあ、もう少し聞いてみる?」
「うん。そうするしかないかな」
僕は、やれやれと肩をすくませてみせた。
「そっか。悪い依頼じゃないといいね」
そう言うと、カイネはポシェットから茶色のウサギのぬいぐるみを取り出して、ぎゅっと抱きしめる。
「悪い依頼、か」
「⋯⋯⋯⋯?」
何かおかしなことを言った?
カイネは、不思議そうに首を傾げる。
「実はね、カイネ。
一番最悪なのは、悪い『依頼』じゃないんだよ」
「⋯⋯⋯⋯?」
カイネはぬいぐるみを抱きかかえたまま、ますます不思議そうに首を傾げる。
「悪い『依頼』というのは、いつでも拒否することができる。
途中で依頼が対価に釣り合わないとなれば、途中で切り上げてしまえばいい」
「じゃあ、一番は?」
「そうだね⋯⋯一番タチが悪いのは、悪い『依頼主』かな。
どんな仕事だって、依頼に嘘をつかれたら話にならないし、値下げだって限度がある。
相手が権力を盾に仕事を強要してくるときは、死を覚悟した方がいい。
ま、ただの経験則だけどね」
「ふーん」
ぬいぐるみの耳をくりくりと弄りながらも、カイネは僕の目を見て返事した。
「じゃあ、つまるところ、人を見るのは大事ってこと?」
「ま、ざっくり言うとそうなるね」
頷くと、カイネは少しだけ嬉しそうにはにかんだ。
「あーー、ちょうど盛り上がっているところ申し訳ないんですけど」
さっきのギルド職員が、カウンター越しに気怠そうに割り込んでくる。
片手には、鍵の束が握られていた。
「ちょうど裏の部屋が空いたので、そっちで依頼主の方と話します?」
「ええ、ぜひ」
カイネに話したこともあってか、僕は迷わず答えた。
*
カウンター裏の応接室に通されると、既に依頼主の方が座っていた。
「はーい、連れてきましたよー」
緑髪の職員は依頼主と思われる女性に声をかけると、自分は書類の束の前に腰掛ける。
青いチェック柄の入った白いワンピースに、茶色がかったショートヘアーの特徴的な依頼主の女性は、ソファーから立ち上がると、
「あ、ありがとうございます」
と、少し疲れた様子で答えた。
「じゃあ、後は若い者にまかせて寝るとするかーー」
んーー、と伸びをすると、職員の方は書類の山に突っ伏して眠ってしまった。
「⋯⋯あの、ギルド職員の方って大体こんな感じなんですか?」
依頼主の女性は、不安そうに尋ねた。
「残念ですけど『国による』としか言えませんね。
例えば、運び屋(ポーター)の立ち位置とか」
そう答えたところで、カイネが僕のコートの裾をつんつんと引っ張った。
「おっと、失礼。
立ちっぱなしでしたね、座ってからにしましょうか」
依頼主の方が先に座ったのを見てから、もういいよ、とカイネの頭を優しく撫でる。
するとカイネはソファーに飛び込んだ。
「それで⋯⋯立ち位置、ですか?」
僕が座ったのを見ると、依頼主の方がおずおずと質問した。
「ええ。実は結構重要なことなんですよ。
冒険者の中にはいくつか職業があるのは、ご存知ですよね?」
「は、はい、えーと確か⋯⋯戦士、魔導士、狩人、そして——運び屋。
確かその四つでしたよね?」
「ええ、おっしゃる通りです。
あとは国によって——暗殺者(アサシン)、聖職者、盗賊、あとは騎士を冒険者に位置づけている国もありましたね」
「騎士様が⋯⋯ですか?」
「ええ。僕もそれまでは、国か有力な教会に所属するものだと考えていました」
依頼主の女性は、なるほどと頷いてみせる。
「少し話を戻しましょう。
実はこれらの職業って、対等というわけでもないんですよ。
ここからは国によって異なるのですが、例えば同じ冒険者の中でも——例えば魔獣に襲われる心配が多いなら戦闘職全般が、魔法研究の盛んな国なら魔導士が優遇されがちです。
他にも、伝統的に戦士の多い国とかもありますね」
「えーと、となると、運び屋(ポーター)の皆さんは⋯⋯?」
依頼主の方は、おずおずと手を挙げて質問する。
「大抵の場合、最低待遇ですね」
「最低待遇、ですか⋯⋯」
少しだけ、女性の顔が曇る。
不安になったというよりか、どこか思うところがあるような、そんな感じがした。
「ええ、残念ながら。
大抵は戦闘力なし、戦闘経験も微々たるものしかない、ただの運び屋集団ですからね。
他の職業に移ってやっていけるだけの金を集めて、さっさと別の職業に移る人は結構多いですよ」
そう言うと、子供の落書きのようにしか見えない依頼書を、女性が読みやすように逆向きにしてテーブルに置く。
「では、初めまして。僕がギルド【ワタリドリ】の代表、アルザです。
そして横に座っているのが、カイネ」
カイネの方を手のひらで示す。
ソファーでクマのぬいぐるみで遊びで遊んでいたカイネは、首だけでお辞儀した。
「失礼ですが、先にお名前を伺っても?」
「あ、そそそそうでした。
サラと申します。よろしくお願いします」
サラは、座ったまま背筋を伸ばすと、丁寧にペコリと頭を下げた。
「それでは、なのですが。
依頼内容を改めてお伺いしてもよろしいでしょうか?
——生憎、依頼書が
そう言ってさっきの職員を嫌味っぽく睨む。
すると、書類の束越しに職員の背中がピクリと動いた。
「あ、はいっ!
⋯⋯えーと、ミロニカ公国ってご存知ですか?」
「ええ、仕事がら少しは」
頷くとサラは、ホッとした顔をした。
「もしかして、ミロニカ公国までのお届け物の依頼でしょうか?」
「あ、いえ⋯⋯」
言い出しにくそうに、サラは首を振る。
「となると——、もしかして護衛依頼ですか?」
「あ、お、お願いできますか⋯⋯?」
サラは、不安そうに肩をこわばらせる。
膝の上に置いたままの透き通るように白い小さな手は、プルプルと静かに震えていた。
「⋯⋯そうですね」
状況を整理するため、肩掛け鞄からボロボロの地図を広げる。
「現状考えられるのは、フェザルスタンを経由してミロニカ公国へ行くルートです。
これがおそらく、一番安全で確実でしょう」
地図をなぞりながら、そう提案する。
「そのルートだと、最短でどのくらいかかりますか?」
「最短だと⋯⋯そうですね、」
頭の中で、ざっと計算してみる。
検問で引っ掛からずに通り抜けられた場合。
道中で高ランクの魔獣に遭遇せず、また戦闘も最小限に抑えられた場合。
そして、フェザルスタンでの補給を最小限に抑えられた場合——。
「大体十日、さらに二日は必要でしょう。かなり楽観的な推測ですが」
そう答えると、サラはギュッと唇を噛んだ。
「————間に合わない」
サラが、ぽつりと溢した。
「それじゃあ、間に合わないんです!」
「⋯⋯なるほど、そうですか。では、何日以内がご希望で?」
「あの⋯⋯七日以内って、お願いできますか?」
「七日以内、ですか」
——そうきたか。
これは悪い『依頼』になりそうだと、直感的に感じる。
「あ、あのっ、む、無理だったらごめんなさい!」
「⋯⋯無理だとは、まだ一言も言ってませんよ」
「え、じゃあ————」
「あくまで、仮定の話となりますが」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯っ」
言葉を詰まらせるサラを横目に、地図を指でなぞる。
「今いる国が、ココ。
そこからフェザルスタンを経てミロニカに行くルートが、大体二週間くらいです」
地図上で、ちょうど三角形の一辺だけを迂回するように指を進める。
「ちなみに、もう一つ。
ここから一直線にミロニカへ行くなら、大体五日で済みます。
普段ならそれで終わりなんですけど、今現在、このルートは通行止めでして」
「⋯⋯やっぱり、通れないんですか?」
「ええ、残念ながら。というのも道中に手負いのドラゴンが居座っているらしくて。
どうやら翼を怪我しているらしく、当分は動きそうもないそうです」
そう言うと、まだ一口も手をつけていなかった紅茶に添えられていたティースプーンを手に取り、道を塞ぐように置く。
そして、スプーンの柄の先を迂回するように地図上をなぞった。
「現状では、討伐を待つか迂回するかの二択ですね」
「⋯⋯それじゃあ、仮に討伐が終わるまで待つとして。
全て終わって、通れるようになるのはいつ頃になりますか?」
「ん、えーと、少なくとも二週間はかかるかな」
気怠げな職員が、ひょっこりと書類の山から顔を出して言う。
この短い時間で仮眠をとっていたのか、目を擦りながらの登場だった。
「大体二ヶ月前に斥候を送ったんだけど、パーティが半壊したらしくてね」
「半壊……ですか?」
「うん、まーね。
でもその時は大部分がギルドスタッフだったからね。
まーでも、その中でも戦闘経験豊富な人を選抜したつもりだったらしいけど。
そのときに、『Sランクを中心に、Aランク以上の冒険者を集めてパーティを組めば倒せる』という結論が出たらしくて、それの人集めに苦労してたーって感じ。
そんで、今仮にこの場で集まったとして準備から討伐まで早くて一週間、ギルド会館が安全を確認して『通っていですよー』って連絡を出すのに、大体五日くらい。
そんなわけで、大目に見て二週間は難しいんじゃないかな」
「二週間、ですか……」
その情報は、サラにとってよっぽどショックだったのだろう。
俯いて、黙り込んでしまった。
「⋯⋯だけど【ワタリドリ】ならなんとかできるかなーって思ってたんだけど、ムリそう?」
——【ワタリドリ】なら、か。
いつの間にか随分と期待されてしまっていたものだ。
頭を掻きながら、現状与えられた情報だけを元にざっと分析する。
カイネと目を合わせると、僕に合わせる、と頷いて返した。
「ムリかどうかで言うなら……可能性はあると思います。
ただ、快適な旅を保証することはできないでしょう。
恐らく、サラさんには今までで一番苦しい旅となることと思います」
「それは、キミたちの全力でもかい?」
「ええ、我々の全力をもってしてもです。
むしろ、全戦力を投入する覚悟で挑まない限り、到底ムリです。
……というわけで、ここからは貴方次第です、サラさん」
「⋯⋯⋯⋯っ」
「ここで貴方が『はい』と答えたら、我々は貴方を目的地まで送り届けます。
ただし、道中の安全につきましては一部保証しかねます。
それでも——、本当によろしいですか?」
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