03

「君がファンタジーだって言ったんだろう」

「ああ、そう……意外と適応力、高いんだ。でも、童話そのものじゃないんだから、そういうことだってあるのよ」


 何故か得意げに胸を張るタカナシに、本家・白雪姫の顛末てんまつを教えてやりたくなったが、さすがにそれは大人げない気がして止めた。


「でもね、マジメな話……大事なのはキスじゃなくて『ここにいてもいいんだよ』って、王子様に認めてもらうことなんだと思うんだ」

「……どういう、ことだ?」


 俺の問いを聞いて、彼女はスッと立ち上がると、踊るみたいな足取りで屋上のフェンスに近付いた。その横顔は、どこか遠くを見つめていて……黙って話を聞くのが苦手な俺も、この沈黙には自然と付き合う気になった。


「私のお母さんもね、泡になって消えちゃったの」

「なっ……」


 絶句した俺に、タカナシはこちらへクルリと向き直ると、どこか他人事ひとごとのような調子で言葉を続けた。


「お母さんは、お父さんのことが大好きで……でもきっと、その愛が重すぎたんだと思うんだよね。娘の私が引くレベルで『恋』してたから。だから、お父さんはイヤになって家を出て行っちゃって、それでもお母さんは帰りをずっと待ってた。待って待って、待ち続けて……気付いたら、消えちゃってたんだ」

「それ、は……」


 想像していたより、ずっと壮絶だったタカナシの幼少期に言葉を失う。


「ずっとさ、カワイソウだって思ってたんだよね、お母さんのこと。どれだけ想っても報われない恋で、最後には誰にも知られないで消えちゃうなんて……だから絶対、私は恋なんてしないぞーって、誓ったの」

「……でも君には、人魚姫症候群の症状が出ている」

「まさか、ツクモくんに見られちゃうとは思わなかったけどねー」


 俺だって、こんな場所に人が来るなんて思ってもみなかった。弁当を食べに来てただけの屋上で、透明人間のクラスメイトと出会う羽目になるなんてことも、もちろん。

 クスクスと笑っている彼女に、さすがの俺もこのデリカシーのない問いを口にして良いものか迷う。ただ、迷いはしても結局は訊かずにいられないのが、俺という男だった。


「つまり君は、恋をしているのか」

「そうだよ」


 溜めもせず、躊躇ためらいもせず、それを誇りとするかのように、彼女は笑った。


「屋上に来たのもね、ここからなら好きな人の姿がよく見えるかなーって」


 ホクホクと幸せそうに頬を染める彼女に、正直『それだけのために?』とは思った。ここは一応、立入禁止なのである。かく言う俺も、弁当を美味おいしく頂くためだけに、屋上へと忍び込んでる身なので強くは言えない。


「だから、短い間だとは思うけど……これからよろしくね?ツクモくん」


 差し出された手を見下ろして、思わず眉を寄せる。


「何に、よろしくするんだ」

「秘密の共有者として?屋上に入ってるのバレたら困るでしょ、お互いに」


 そこは、タカナシが透明人間になりかけている、という事態の方が秘密なんじゃないのか?まあ、そんなことをバラしたところで、俺の頭を疑われるだけなんだろうが。


「……分かった」


 握り返した彼女の手は、ひどく熱くて。これから消えてしまおうとしている人間だとは、どうしても信じられなかった。それでも、目の裏には青空に透ける、彼女の姿が焼き付いている。それだけが、現実だ。



「それで、君が泡になってしまうくらいの、恋の相手は誰なんだ?」



 彼女は俺の言葉を聞いて意外そうに目を瞬かせると、どこか意味深な笑顔を浮かべて、人差し指を桜色の唇にそっと当てた。



「ひみつ」



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