第7話

村田裕太はじっと古い千円札を見つめていた。伊藤博文公がデザインされているやつだ。なぜ、

 「気になるのだろう・・・」

 と考え込んでしまっていた。あの時・・・とは、夜、叔父の慎二に世話をしてもらった仕事をやめる、と伝えに来た時である。金谷登は、

 「俺は・・・向こうに帰ろうと思っている。それまで、このカバンを預かってくれ、と言っていた。裕太には、何のことか分からず、躊躇し、カバンを突き返した。今もって話のつじつまが合っておらず・・・どう考えていいのか思案にくれていたのだ。

(向こうとは・・・?) 

 何処のことなのか・・・。


 「あっ!」

 早苗は、叫ぶ。

あの男が栄の地下街の改札口を飛び越えて行ったのである。

「行くわよ、おじさんたち」

地上に出る階段がある。

「ワンワン」

「来てますよ」

と、九重巡査部長。

「ケン・・・か」

「ピックルも・・・」

下から見上げると、確かにコリー犬がいて、ピックルも階段の手すりに見える。

「お兄ちゃんだ」

ビビがショルダーバッグからから飛び出た。ビビとケンは本当の兄妹みたいに仲が良い。

「ビビ、おいで」(ここから、ピックルもとケンとビビの会話は、人間の言葉に翻訳します)

「行くか!お前たちは、上から追い掛けてくれ。ピックルに、私かに合図を出すから」

早苗は改札口の前に立っている丸田さんに、

「丸田さん、事件よ。後から来る人たち、刑事さんたちよ。通してあげて。ごめんよ、私は・・・行くね」

早苗も、あの男のように改札口を飛び越した。

「おお、さえちゃんか。そうか。分かった」

とにかく早苗は、あの男がどの方面の地下鉄に乗るのか確認する必要があったのだ。すくに現れた二人に、

「こっち、こっちだよ、お二人さん」

丸田さんは改札口を開け、通れるようにしてくれた。

「ありがとう」

「頑張ってください」

丸田さんは声を張り上げた。この人のガラガラの声は入って来た地下鉄の車両のゴーという音にかき消された。

あの男・・・金谷は入って来た地下鉄に乗り込んだ。後ろを見向きもしない。どうやら目指すところは一つのようだ。

金谷登が乗ったのは、名城線だった。しかも、金山方面に向かっている。

 「金山の方に向かった・・・あの男の人、慌てて、間違って乗ったのかな?」

 「さえちゃん、遅かったな」

 と、九重巡査部長。

 「大丈夫よ、九重巡査部長さん。あの人、こっちに戻って来るから。伏見に、先回りしましょ」

 早苗は自信満々だ。

 名古屋地下鉄の中心地で大きな乗り換え駅は、栄、伏見、名古屋駅。乗り換えを間違った場合、この三つの駅に戻るしかない。しかも、金谷登は金山方面に乗った。上前津駅で乗り換え、伏見まで戻るしかない。

 「お二人さん、伏見で待っていましょ。あの人、きっと戻って来るから」

 伏見に着くと、早苗は高畑行きのホームに向かった。

 「あの人は、間違いなく高畑行きに乗ると決めている。

 龍作は小指を口にくわえ、指笛を鳴らした。

 「ビビちゃん、しっかり捕まっているのよ」

 ビビはケンの背中に飛び乗ると、ケンはすぐに走り出した。

 「お兄ちゃん、怖いよ」

 「大丈夫。離したら、ダメだよ」

 地上は日曜日ほどではないが、それなりに混んでいた。その人の間を、ケンは走り抜けて行く。先導役は、ピックルだ。

 「こっちだよ」

 と、ピックル。

 「何処へ行くんだろう?」

 と、ビビ。

 「そんなこと・・・分からない。誰かを追い掛けているらしいけど、その人が何処で降りるかね?みんなで力を合わして、頑張りましょ」

 と、ケン。

 「うん」

 これは、ビビ。

 地下鉄のさえちゃんは、もう一つ手を打っていた。乗った地下鉄の最後尾まで行き、車掌森川さんに、

 「お願い。事件なの。上前津で白い帽子をかぶった男の人が降りたか、いいえ、あの人、きっとそこで降りるから。そして、そこから何処行きに乗ったが教えて欲しいの。お願い。私たち、伏見で降りるから」

 森川さん、にっこりと笑い、

 「分かった。総合指令室に知らせるよ。連絡がくれば、伏見に知らせるよ」

 ケンが急に止まった。錦通りの南側には頑丈に出来た大きな建物があり、思わず見上げてしまう高さだ。

 「どうしたの?何か・・・変!」

 「何なの、お兄ちゃん・・・そう言えば・・・変!」

 ピックルもケンの頭に止まり、目の前に大きな建物をじっと見上げている。

 「だめよ」

 ピックル。

 「いけない、先生が呼んでいる・・・行くよ」

 ケンはまた走り出した。


この状況では、地下鉄のさえちゃんに任せるしかなかった。地上では、ちょっとした人だかりで混乱が起きていた。黒猫とコリー犬、そしてコーラル色の小鳥・・・この奇妙な組み合わせの動物と小鳥が、伏見の地下鉄の降り口で座って・・・一休み?をしているのである。道行く人は、変な目で見て行くし、中には立ち止まって頭を撫でていく女の子もいる。

 

 名古屋地下鉄の総合指令室では、多分こんな指令が出されたに違いない。

 「今、上前津に向かっている車両二台の内で、お客様の中に白い帽子を被った三十代の男の人が乗っていると思われる。何処で降りるか、そして、どの方面のホームに行ったかを確認次第知らせるように。さえちゃんの依頼だ。どうやら・・・事件の模様」

 すぐに総合指令室に知らせが入り、伏見駅に知らされた。

 栄から伏見まではこの時間帯は五分間隔、あの男が乗った鶴舞線は十分間隔だった。

 早苗は伏見の駅長室に呼ばれた。

 「さえちゃん、事件だって。白い帽子の男はもうすぐ伏見に着くよ。それからどっちに行くかだね」

 秋山主任はニコニコしている。さえちゃんが言うには、笑顔の可愛い人・・・なのだそうだ。

 伏見のホームで待っている間に、九重巡査部長は県警本部からの連絡で、窃盗事件の指名手配があったことを知った。

 「そうか・・・逃げるには、逃げるだけの理由があったのか」

 龍作は驚いたふうではない。龍作自身も窃盗の張本人であることもある。ただ・・・彼自身は言う、疚しさのない盗っ人だ。そして、彼は九重巡査部長を見て、苦笑する。なぜ、龍作が警察の人と懇意にしているのか・・・いずれ明かす時期が来る・・・その時まで、九鬼龍作の冒険を楽しみたい。

 そうこうするうちに、あの男、金谷登の乗った車両が伏見駅に入って来た。

 「来たよ」

 早苗が叫ぶ。

 「いた」

 扉が開いた。

早苗が走り出した。少し遅れて、九重巡査部長と龍作が後に続いた。やはり、東山線のホームに迷いなく走って行く。

金谷登が着いた車両に乗り込んだ。続いて、早苗。後の二人はどうしたかというと、龍作は滑り込みで載ることが出来たが、名城線と高畑行きのつなぎの部分は四五段の階段になっていて、九重巡査部長はその階段を降りそこない、躓いたのである。

次の瞬間、ドアが閉まった。

「しまった」

という声が出て来ない九重巡査部長。彼一人が伏見に取り残されることとなった。

それに気付いた早苗は、すぐ携帯で九重巡査部長に、

「八田・・・八田よ」

と知らせた。

龍作は携帯を出し、早苗の言った八田に上から向かってくれと指示を出した。


叔父・・・村田裕太と東山動物園で楽しんだ夜、早苗は、白い帽子の男の人が、

「ずっと私たちの後をつけていたような気がするんだけど・・・?」

と聞いてみた。

裕太は話そうか迷っていたようだが、昔を思い出すように、時々目を瞑ったりして早苗に話し出した。裕太が中学、高校まで南紀で育ったのは知っていたが、あの男・・・金谷登もそうで、高校は知らないが、中学は同じだったと言った。でも、

「ほとんど記憶にない・・・」

んだ、と裕太はいった。

早苗は、八田ではJRの八田駅と接続しているのを知っている。だから、九重巡査部長に、八田よ、と叫んだのである。

「あそこで、間違いない」

早苗はこの勘に自信があった。

龍作はケン、ビビたちに、

(そのまま、このゴーという音を追っていけ)

ピックルを通じて知らせた。ピックルは龍作の愛鳥・・・どんなに離れていても互いに意思が確認し合えるのである。

九重巡査部長は携帯を片手に、すぐに迎えに来てくれと連絡を入れた。。

「さえちゃん、大丈夫かな!」

何もなければいいが・・・九重巡査部長は心配になっていた。

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