第5話
金谷登はあのカバンを、まだ裕太に渡してはいなかった。裕太は一人になる機会を作らなかったのである。
(あのカバンの中には・・・何が入っているんだろう?)
裕太は気になって仕方がなかった。それなら、預かって、
(中を見ればいいものを・・・)
なぜかその気にはならなかった。
「コアラ、可愛かったね、叔父さん」
コアラ舎から出て来ると、早苗は余程気分が良かったのか、ニコニコしている。
「さえちゃんが喜んでくれて、とっても嬉しいよ。やっと約束果たせたんだからね」
園内には人が多かったが、ごった返すほどではなかった。やはり、子供・・・家族連れが多かった。
「お父さんと来たことは・・・あるの?」
裕太は訊いた。
「ない」
と、早苗はきっぱりと言った。
「ちょっと疲れた。叔父さん、ここへ座りましょ」
花壇が仕切ってあるレンガを、早苗は指さした。レンガに区切られた花壇の中には、たくさんの赤いコスモスが咲いていた。高さがきれいに揃えられていた。柔らかな優しい香りが二人が座っている周りに漂っていた。
「ああ・・・そうだ。少し、暑いね」
裕太は園内を見回すと、フードコートがあるのに気付いた。
「レストランのようだね。きっとソフトクリームがあるよね。少し暑いから、食べようか?」
早苗は、
「うん、食べよう。買って来るよ」
早苗は立ち上がった。
「待って。お父さんから、小遣いに・・・と渡されているんだ」
と、言って、財布から一万円を出した。
躊躇している早苗に、
「いいから」
と、一万円を握らした。
「待って」
行きかけた早苗を呼び止め、
「私も行くよ」
裕太はきりんがいる檻の前に立ち、こっちを見いている金谷登を一瞥し、ふっと苦笑した。
あの子が傍にいる限りは、近寄れないに違いない。裕太は、そう思った。
こっちに来かけた金谷の足が止まった。
やはり、早苗ちゃんが離れる時を待っているようだ。
早苗は両手にソフトクリームを持ち、そして右の手に一万円の釣り銭を握り締めている。
「叔父さん、変わった千円を見つけたよ」
まず左手に持っていたソフトクリームを裕太に渡し、もう一つのを左手に持ち替え、
釣り銭を渡した。
「はい、見て、見てよ。そんな千円・・・初めて見た」
裕太は九枚の千円の中に、一枚だけ少し大き目の札が混ざっているのに気付いた。
「これは・・・!」
「ねっ!こんな千円札って、あったの?」
早苗は釣銭を叔父さんに渡した。
「昔ね。伊藤博文さんだ」
「今も使えるの?」
「使えるさ。ただ、今はめったに見ないだけだよ」
「初めて、見たよ」
「そうかい、良かったね」
「良かったのかな?」
「もちろん、そうさ」
「そんなことより、早く食べようよ、叔父さん、ソフトクリームが解けてしまうから」
「そうだね」
五月でも昼頃になると、幾分暑くなって来ていた。そよそよと吹く風は気持ちいいのだが、
「もう一度あそこに座って、ゆっくり食べよう」
「そうだね」
裕太の返事ははっきりしない。見ると、目が・・・優しい目が、なぜか険しく光っている。
「どうしたの、叔父さん?ねえ・・・」
「えっ、何でもないよ」
裕太は顔を上げ、金谷を探した。だが、何処かに行っていなかった。まだ、大き目の千円を見ていた。
「食べよう、早く」
「うん」
(叔父さん、どうしたのかな?)
と、首を傾げたが、早苗はもうそれ以上考えないことにした。
「そろそろ帰ろうか」
昼に、フードコートに入って食事をした。その頃には、裕太の険しかった目ももと通り戻っていた。早苗は、
「さっき、どうしたの?」
と聞きたかったが、また叔父が怖い顔に戻るのが嫌で、何も聞かないことにした。
「そうだね。叔父さんは、早苗ちゃんと来て、楽しかったけど・・・」
この歳になっても独りでいる自分に、裕太は気が引けた。だから、こんな他愛もないことを聞いたのである。
「早苗も楽しかった、本当よ」
早苗はニコリと笑った。すると、
「ねえ、叔父さん、見て・・・」
早苗はレンガが埋め込まれている道の隙間に、タンポポの花を見つけた。
「タンポポ、だね。何処から、こんな所まで飛んで来たのかな。すごいね、こんな小さな隙間に種が入り込み、時期としても遅いんだけど、よくここまで咲いたね」
早苗はじっとそのタンポポを見つめている。
「どうしたの?」
「うん・・・園を清掃している人、きっと引き抜いてしまうんだよね・・・何だか、可哀そうに思えて・・・」
「そうだね」
裕太はそう答えるしかなかった。
九鬼龍作は、やはり名古屋駅の地下鉄の改札口にビビと共にいた。
今日は金曜日である。
(あの子は、休まずに学校に行っているに違いない。私の方も、しっかりと・・・)
この五日間、じっくりと名古屋の街を回った。今の名古屋の大体の様相はつかめたが、
「それでも、あの子には及ばない・・・」
だろうな、と龍作はおもうのだった。
明日は、ここで,
「あの子」
と会うことになっている。
「少しは詳しくなったと思うけど・・・多分、まだあの子には及ばないような気がするな。どう思う、ビビ?」
ビビはショルダーバッグから顔をひょいと出し、
「ニャー」
と鳴いた。
「お前も、そう思うだろ・・・」
「もう少し、地下街を回ってみるか!」
そういうことで、龍作とビビは栄の方に行ってみることにした。以前は、こんなにややっこしくなかった。これを進歩といっていいのか、それとも、やり過ぎなのか・・・だが、非常に面白い迷路には違いなかった。
栄で降り、地上に上がって行くエスカレーターに横の奥まった所に、コインロッカーがあるのに、龍作は気付いた。
この時、
「ウー・・・」
と、ビビが唸った。
「どうした?」
ビビはショルダーバックから顔を出し、怖い顔をして、コインロッカーの方を睨んでいる。
紙袋を持った、どうだろう二十歳くらいの女がうろうろしている。
どうやら、コインロッカーを使おうか迷っているように見えた。
ビビの唸り声はまだ止まない。しばらくすると、
「入れるな、決めたんだな」
コインロッカーに紙袋を抱きかかえるようにして、入れた。
(実に・・・)
不快だった、龍作は。
女がいなくなった後、コインロッカーを確かめてみたが、ちゃんと鍵が掛かっていた。
「どう思う、ビビ」
どうも・・・ビビも落ち着かいようだ。
何かが・・・変だった。
一応、
(連絡だけはしておくか)
龍作は愛知県警の九重巡査部長に、不快な光景を目にしたと知らせておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます