青年との出会い
田んぼ、トンネル、森、トンネル、山、森。大人しく車に乗っているのが嫌になるほど代り映えのない景色を眺め続け、早数時間。ようやく祖父の姉の家にたどり着いた。
涼しい車内から降り、痛いほど輝く太陽に目を細めながら、山を背負った大きな日本家屋を見上げた。白い土壁は雨風で薄汚れ、黒い木の柱は日の光を浴びて色褪せている。しかし、そんな汚れなんて微塵も感じさせない堂々たる雰囲気がその屋敷にはあった。
快人は顔から吹き出る汗を乱暴に拭って、手のひらを爪の跡が付くほど強く握りしめた。
これを乗り切れば、川。暴れない。
何度も何度も自分に言い聞かせ、覚悟を決めるようにもう一度強く手を握りしめてから、屋敷の中に足を踏み入れた。
*
「あら~、久しぶり~。元気だった?」
「久しぶりだな。そっちも変わりないか?」
玄関に入った途端、うざったい湿気の代わりにつんとした線香のにおいが体に纏わり付いてきた。外も中も地獄だ。うんざりとする快人を余所に、父と見知らぬ女性が挨拶を交わしている。余程酷い顔をしていたのか、母が柔らかな光を湛えた不安そうな目で快人の背を撫でる。
「大丈夫だから」
幽霊なんていないのか、仲間外れにされないのか、それとも他の何かなのか。何が大丈夫なのか全くわからなかったが、母に触れられた瞬間、確かに『大丈夫だ』と感じた。それでも嫌なものは嫌に変わりはない。
終わったら川!
喉の奥から小さく唸り声を上げながらどうにか頷いた快人は、玄関から黒い木でできた廊下に重たい足取りで移動した。先導して歩く女性の後ろを快人たちは一列になって着いていく。女性が相槌を打つ暇もないほどずっとしゃべり続けているせいか、大きな染みの付いた襖の前にたどり着いたときには、快人はどっと疲れていた。もう逃げたくて逃げたくて仕方ない。気持ちの準備をする暇もなく、女性が、あんなにしゃべり続けていた人とは思えない丁寧な手つきで襖を静かに開けた。音もたてずに開けられた襖の奥、真っ先に目に入ったのは薄汚れた屋敷には似合わない艶やかに光る真っ黒な仏壇だった。反射的に歯をぐっと食いしばる。仏壇の前には座布団が綺麗に並べられており、その周りで大人たちが数人立っていた。禿げた陽気な叔父とおっとりとした叔母、仏頂面の大叔父、数人の見知らぬ男女。そして彼らから少し離れた部屋の隅に、快人より背の高い青年がいた。
快人以外の、子供がいた。
快人の口がぽかんと開く。
なんとも、白が眩しい青年だった。日に焼けた浅黒い肌、つんと天井を向いた短い黒髪と少しつり上がった目。黒っぽい青年自身の色とは正反対のしわ一つない真っ白なカッターシャツ。真っ黒なスラックスのポケットに手を入れ、つまらなさそうに立っている姿が心底絵になっていた。
何か挨拶らしきことをしている大人たちの声を遠くに聞きながら、快人はただ呆然と青年を見つめていた。そんな快人の視線に気が付いたのか、窓の外を見ていた青年がふいに快人の方を向いた。まさかこちらを向くと思っていなかった快人は、大げさに肩を跳ねさせ勢いよく下を向いた。額から冷や汗がにじみ出る。
どのくらい時間が経ったのだろうか? 青年と目が合った瞬間、時間の感覚が可笑しくなってしまった快人には、あれからどれだけ時間が経ったのか全く分からなかった。そのままじっと下を向いていると突然、ばん! と背中に大きな衝撃が襲った。
「ほら、坊さん来たから座れ座れ」
ネコみたいに飛び上がる快人を見て、背中を叩いた張本人である父はニヤけた笑みを浮かべた。一瞬のうちに体中が沸騰したように熱くなり、その勢いのまま父にパンチをお見舞いする。表情が全く変わらないところを見るに、効果は全くなかったらしい。舌打ちをして顔を背けると、青年とさっきより近い距離で目が合った。彼も可笑しそうな表情で快人を見ている。沸騰した体が余計熱くなり、喉の奥で言葉が暴れた。
暴れない! 川!
叫びだしそうになるのをぐっと堪え、自棄になりながら大きな音を立てて目の前の座布団に腰を下ろした。ほこりが小さく舞う。快人に続いて、左隣にはまだニヤついている父が、右隣には青年が腰を下ろす。
なんでここに座るんだよ!!
ついに頭を抱えだした快人を見て、父は笑いを堪えるように体を震わせながら快人の頭を強い力で撫で回した。おもちゃのように振り回される快人の耳に、青年の静かな笑い声が聞こえた。
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