安曇野から武蔵野へ 🚙

上月くるを

第1話 ふつうの家庭に育ちたかったよ、かあさん



 軽自動車は中央道を順調に飛ばし、県境を越えて葡萄の里周辺を走っている。

 

 ――まあ、あれだよね、あんたたちも残念な伯母さんを持ったってことだよね。

 

 さっきから運転席の母親の愚痴が止まらない。

 本当のところは、相槌を打つのも億劫だった。


 だが、黙っていると「どうしたの? 気分がわるい? サービスエリアで休む?」大げさに心配されて却って煩わしいので、うんうんと最低限の返事だけはしておく。


      *


 この冬、母親の姉の連れ合いが持病の悪化で急逝した。

 ひとりになった大変さを電話で訴えられ閉口している。

 

 親せきから距離を置く癖が身に付き、ある意味、他人より疎遠な感覚を抱いているスミレからすれば、急なことだったから無理もないのだろうと客観的に思うのだが、実の妹である母は、これほど冷淡な人だったのかと驚くようなことを口走っている。

 

 ――だってね、かあさん、そりゃあ冷たくされて来たんだよ、母にも姉にもね。

 やりかけの事業と家庭を放って、あんたたちのとうさんが出て行ったときだって、好きで結婚した相手だろうがって、労わりの言葉ひとつかけてもらえなかったしね。なにより応えたのは、安曇野文化賞の授賞式に、母も姉も出席してくれなかったことだったよ。かあさんとしては母と姉孝行のつもりだったから、あれは痛かったよね。


      *

 

 その件は、幼いころから、それこそ耳に胼胝たこができるほど聞かされて来た。

 母の話が事実だとしたら、祖母も伯母もちょっと、いや、相当にひどいなと思う。

 思いはするが、だからといって意趣返しというのは大人の対応としてどうだろう。

 

 ――当時のかあさんは、感情を失くしたロボットになるしかなかったんだよね。

 それがいざこういうことになったら、天地がひっくり返るような大騒ぎでしょう。

 よく言って来れるよね、公私ともひとりで乗りきるしかなかったこのわたしに。

 

 グダグダつづく着地点のない話は、聞かされる側の耳を腐らせるだけ、という単純な事実を見失っているかあさんからは、生来のユーモア気質がすっぽり抜けている。

 

 それに、事業においてはいつだって冷静沈着で的確な判断をくだせる人が、昔風に言えば女手ひとつで育てられた姉とスミレが周囲から強いられて来た屈辱や劣等感に思いを馳せられないことが不思議だ。母親も辛かっただろうが、子どもだって……。


      *


 子どものころ、母の実家へ遊びに行くと、伯母の子どもたち、姉とスミレにとっては従姉兄に当たる年長のふたりから、大人がいないところを狙い撃ちして投げられる「一族のはぐれ者」という無邪気な石つぶてに、どれだけ傷つけられて来ただろう。


 ――あのね、かあさん。(ノД`)・゜・。

   ふつうの家庭に育ちたかったよ。

   おねえちゃんも、わたしも……。

 

 それが言えないまま、3年前に姉が、今度はスミレが母の許を去ろうとしている。

 

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