一反

増田朋美

一反

今日もまた、のんびりした、穏やかな天気のパリ市内。大都会であっても、気ぜわしくないところが、日本の大都会とまた違うところだと思うのである。そんな中で杉ちゃんは、チボー君と一緒に、公園に散歩に出ていたのだった。

「それにしても。」

と、チボーくんは、はあとため息を付いた。

「僕達は、どうしたらいいんでしょうね。シズさんが、一生懸命やってくれるから、断れないんですけど、あの金の器というものは、本当に水穂さんの事を癒やしてくれるんですかね。」

「まあ、いいってことじゃないの。水穂さんの事をシズさんは一生懸命考えているんだから。」

杉ちゃんは、車椅子の車輪を掴んで、近くのベンチまで移動しながら言った。

「本当はここで、焼き芋でも焼いてくれたら、最高なんだけどねえ。まあ、日本とは違うから、焼き芋は食べれないか。」

確かに、ここでは、石焼き芋を売っている車というものは、見かけなかった。竿竹屋もなかったし、廃品回収の車も走っていない。日本では、そういうものが平気で道路をうろついているのに、ここでは、何もないので、ちょっと寂しいなと杉ちゃんは言った。

「それにしても、あの金のラーメン丼みたいな楽器は、なんだかちょっと、東洋的な感じがするよな。そういうところがいいのかな。」

と、杉ちゃんは言っている。

「ラーメンと言うものをよく知らないので、よくわかりませんが、確かに、あの音は、すごく優しい音です。それは認めます。でも、あれが、本当に癒やしになるのかが不詳だけど。」

チボーくんは、杉ちゃんの話にそういった。

「まあいいじゃないの。いずれにしてもさ。シズさんも水穂さんの事を、なんとかしようと必死なんだよ。だから、自分なりになんとかできることを、見つけようと思っているんじゃないの。」

杉ちゃんは、平気な事を言っているが、チボーくんは、まだ疑いを持っているようであった。

「あーあ、せめて焼き芋でも食べて、お茶でものみたいな。ここへ来ると、なんか、焼き芋が恋しくなるよ。」

「じゃあ、杉ちゃん、ポテトフライとか食べますか。焼き芋とは違うけれど、同じ芋ですよ。」

と、チボーくんは、杉ちゃんの車椅子を押して、公園の中にあるカフェに向かうことにした。二人がカフェに入ると、ほかの客は、一人か二人くらいしかいなかった。みんな、よく晴れた日だから、皆ほかの場所に遊びに行ってしまっているのだ。二人はマスターに連れられて、一番奥の席に座った。すると、隣のテーブルの人が杉ちゃんたちに話しかけてきた。

「そちらの方は、日本人ですか?確か、着物というものを着ていらっしゃるから。」

チボー君の通訳を通して、杉ちゃんは、そうですがというと、

「日本人は誰でも着物と言うものは作れるのですか?」

と聞かれたのでまたびっくり。

「いやあ、まあね。僕は和裁屋なので、着物は作れるけどさ。誰でも一般的に和裁をやるっていうやつは、なかなかいないよな。あ、ちなみに和裁というのは、着物を縫う技術だぜ。」

杉ちゃんがそう答えると、

「そうなのねえ。あたし、テレビで着物を見て、きれいだなと思ってね。一度でいいから、着てみたいと思ったのよね。」

と、隣のテーブルの人は、そういったのである。

「布を持ってきてくれれば、作ってやってもいいぜ。日本の単位で一反というもので、えーと、1反は3丈だから、一尺が鯨尺で約37センチ、あと、長さは、12メートル位。」

と、杉ちゃんが言うと、チボー君が紙に、幅37センチ、奥行き12メートルと書いた。すると、その婦人はわかりましたと言った。すぐに用意しますというので、チボー君がモーム家の名前と所番地を紙に書いて、彼女にわたした。その夫人は、名前をアニーと名乗った。じゃあ、布を用意してくれたら持っていきますからとにこやかに笑っていう。本当に彼女は、それをやってくれるかどうか不詳だが、とりあえず、教えておくことにした。彼女はお友達になった記念だと言って、杉ちゃんと、チボー君のハンバーガーとポテトフライを頼んでくれた。そして、二人が食べ終わると、お代まで出してくれたのである。不思議なことがあるもんだと杉ちゃんもチボー君も、顔を見合わせた。

その時は、杉ちゃんもチボー君もアニーさんにお礼を言って、モー厶家に帰った。杉ちゃんたちが帰ると、

「おかえり、どこに行ってたのよ。」

と、トラーが出迎えた。

「いやあ、偶然入ったカフェの中でね。アニーさんという中年おばさんに出会ってね。なんでも、近いうちに布を持ってくるらしい。着物を一枚仕立ててくれって。不思議なご縁があるもんだねえ。それより、水穂さんはどうしてる?」

杉ちゃんが言うと、

「ええ、今寝てるわよ。シズさんの金の器が効いてくれたみたいで、きもちよさそうに寝てる。」

と、トラーは答えた。

「ちなみに、シズさんはどうしてる?」

と、チボー君が聞くと、

「シズさんなら、床を拭いているわよ。長く座っているのは、わたしの好きな性分じゃないからって。」

と、トラーはにこやかに言った。確かにシズさんは、非常に働き者で、じっとしているのは大嫌いな性格なのはチボー君も知っている。それは、まるで、80を超えたおばあさんには見えないほどの、働き者であった。

「ほんと、何でもしてくれるから、水穂さんも喜んでくれると思いますね。年をとっても、ああして働き者で、まるで僕達以上に働きものですよ。」

チボーくんはとりあえずトラーにあわせた。

「まあそれはいいんだけどさ。働きすぎて、からだ壊したりしないといいけどな。それはしないようにしてもらいたいものだぜ。まあ、そこらへんも、もう長く生きているから、わかってくれてるかな。」

杉ちゃんはにこやかに笑って、そういう事を言った。それと同時に、

「こんにちは。あの、モー厶さんというお宅はこちらのお宅ですよね。ここに、着てくれというお話がありましたので。ちゃんと布を12メートル買ってきましたよ。これでどんな着物が着られるのか、楽しみだわね。」

と、言う意味の内容の言葉が玄関先から聞こえてきた。先程のアニーさんだなと、チボー君は急いで玄関先に向かった。チボー君が玄関先に出ると、やっぱりいたのはアニーさんであることは間違いなかった。

「こんにちは。こちらに住んでいるんですね。ぜひ、わたしに作って頂きたいわ。よろしくおねがいします。」

杉ちゃんの草履を見て、アニーさんはにこやかに言った。そして、お邪魔しますと言って、モーム家の居間に入ってきた。居間を掃除していたのはシズさんだった。彼女の、ほかの人にはない、痩せた顔つきと、高い鼻を見て、

「まあ、ここの人たちは、ツィガーヌの老女をかばっているのかしら?」

と素っ頓狂な顔で言った。

「ツィガーヌなんて、そんな変な名前じゃないよ。この人は、シズさんだ。うちの家事を手伝ってもらっている。なんでも、重い病気のやつを抱えてると、色々やることがあって大変だからね。まあ、そういう事は、誰でもあることじゃないの?誰かを手伝い人として、雇っていること。」

と、杉ちゃんが言うと、

「まあいやねえ。ツィガーヌのおばあさんが、このお宅で働いているなんて、どうせ雇っている家の人達も、ろくなことがないわねえ。そういう家は、大した家じゃないわよ。」

と、アニーさんは、そういう事を言った。チボー君の通訳を聞いた杉ちゃんは、

「そんなこといわないでもらいたいね。ろくなことがないなんて、そんな言い方はやめてもらえないかな。シズさんは、僕達にとって大事な手伝い人だよ。僕達以上に働いてくれて、なんでもテキパキとやってくれて、僕達はこれまで以上に助かっているのさ。それをバカにするのはやめて貰えないかな。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうよ。シズさんはいくら偏見があってもうちには大事な手伝い人よ。それに、水穂さんにとっても、大事な人だわ。それが、普通の人でも、ほかの民族でも、関係ないじゃないの。」

と、トラーが、そういう意味の事を言った。

「じゃあ、着物を作るのに、寸法図るから、ちょっとこっちへ来てくれないかな。」

と、杉ちゃんが言うと、

「嫌ですわ。ツィガーヌの人を手伝い人として使っているなんて、きっとろくな家じゃないから。」

と、アニーさんが言った。

「何だよそれ!シズさんが可哀想じゃないか。それは、いわないでもらいたいものだな。シズさんだって、一生懸命やってくれているんだぜ!」

と、杉ちゃんがそう言うと、

「いいえ、ツィガーヌなんて、何をするかどうかわからない。詐欺めいたことだって、随分やってきているんじゃないの。あなたきっと、ろくなものじゃないわねえ。」

と、アニーさんは、玄関に向かって帰ろうとしてしまうのであった。それに、誰も反論しないのが不思議であった。トラーもチボー君も、シズさん本人でさえも。

「おい!そんな無責任な!そんな事言うだったら、ちゃんと客のすることをやっていない、お前さんだって、いけないことはあるぞ!お前さんの言っていることは、ツィガーヌという人を単に嫌いだから、それで僕達も嫌いだと言っているように聞こえる。それっておかしくないか?」

と、杉ちゃんは急いで言ったのであるが、誰も、反論しなかった。誰も通訳しようとしなかったので、杉ちゃんの言った言葉はアニーさんには通じなかった。

「まあ、きっとろくな家じゃないと思うから、帰らせてもらうわね。布は、なにかほかのものにするわ。」

と、アニーさんはそう言いながら、すぐに玄関先に行ってしまった。杉ちゃんがおい

ちょっと待ってくれ!というが、アニーさんは、後ろを振り向くことなく行ってしまった。

「あーあ。ひどいことになっちまったな、気にしないでくれよ。全くどこの世界にも、ああいう偏見の強いやつっているんだな。日本でも、こっちでもおんなじってことか。」

と、杉ちゃんはでかい声でそういう事を言うが、

「いいのよ杉ちゃん。わたし、そういわれるのには慣れているから。」

と、シズさんは言った。

「シズさん気にしないでよ。あんな事いわれても、あたしたちは、シズさんに手伝ってもらわないと困るんだから。」

と、トラーはそういうのであるが、

「そう言ってくれてありがとう。でも、私達は、ロマだもの。そういう事をいわれてしまうことは、仕方ないというか、当たり前のことよ。」

シズさんは、にこやかに笑っていった。それは、本当に悲しそうな事をごまかしているようなそんな笑顔だった。

「まあ、気にしないでくれ。でも、水穂さんには嬉しいだろうな。日本でも、こっちでも、バカにされちゃう人がいてくれるということは、嬉しいじゃないか。」

と、杉ちゃんはいうと、

「いいえ、水穂さんだって、悲しいと思うわ。嬉しいことは、同じ仲間に会えると嬉しいけれど、悲しい事で同じ人に会っても、嬉しくないと思うの。」

と、シズさんは言った。

「そうかなあ、日本では、悲しい事も、共有すると嬉しくなるもんだけどな。ここではそういう事はないの?」

と、杉ちゃんがいうと、シズさんは、こっちでは、そういう事は、まずないわねと言った。

「だったら、そう考え直してくれ。日本では、悲しい事も、誰かと話すと嬉しくなるもんだ。それは、誰に対してもそうだ。普通の身分の人も、そうでない人もな。だから、そう思い直してくれないかな。」

杉ちゃんは、急いでそう言った。トラーが、そうね、そういうことができれば、私達ももうちょっと楽になれるのにね、と小さくつぶやく。

奥の客室で、また水穂さんが咳き込んでいる音がする。シズさんは、ああ、急いで行かなくちゃと、すぐに客用寝室へ直行していった。



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一反 増田朋美 @masubuchi4996

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