第26話 恋というものは


 ピアーリナ嬢だった。


俺は固まって動けなくなる。


「こちらのお子様が見学なさりたいと」


ああ、お子ちゃま扱いは慣れてるよ。 くそっ。


「ああ、それなら私がご案内いたします。


この方はブガタリアの王族でいらっしゃいますから」


この国に来て何度目かのピアーリナ嬢の美しい礼。


受付嬢の顔が青くなる。


「し、失礼いたしました」


「いいえ、今日はただの平民のつもりで来ましたから」


この受付のおねえさんが悪いわけじゃない。


俺はきっと不審者だったんだろう。


この国じゃ雑多な人種がいて、大人も子供も見た目じゃ善悪なんて分かんないし。




 だけど、ここでピアーリナ嬢に会うとは思わなかった。


「では、こちらへ」


「えっと、感謝、します」


どうしよう。 助かるけど、いいのかな?。


ニコリと微笑まれて、俺はただ彼女の後ろに付いて行った。




「図書館にご興味が?」


昨日とは違う、他人行儀な堅い言葉。


笑顔なのに笑っていない翠の瞳。

 

「はい、ブガタリアにはここまで大きなものは無いので」


小さな国だから利用する人も少ない上に、文より武を尊ぶ国なのでね。


「そうですか。


シーラコークは交流している国が大変多いので、そのせいで色々な文字がありますのよ」


そのせいで文献が無駄に多くてれ物が巨大化した、と。


「なるほど」


ピアーリナ嬢の後ろ姿を見ながら会話をする。


俺の視線の高さだと、ちょうど彼女の首辺りを見ることになる。


あまり話の内容は頭に入って来ない。




 まずは広いロビーのような場所に案内され、区画で分けられた案内図の前に立つ。


「何かご希望はありますか?」


振り返ったピアーリナ嬢から目を逸らし、案内図を凝視。


「こ、言葉を。 違う国の言葉を勉強したいのです」


この大陸では共通の言語があるようだが、シーラコークではそれ以外の言葉も使われている。


「たくさんあると思いますが、主なものだけでも少し覚えて帰りたいと思いまして」


見ない。


彼女を見ない、見てはいけない。


「殿下は勉強熱心でいらっしゃるのですね。


ではこの辺りの本から調べるとよろしいかなと思います」


案内図を指す彼女の指が白い。


「案内をお願いします」


「承知いたしました」




 ピアーリナ嬢は時間が空いているときは、この図書館で利用者の手伝いをしているそうだ。


まあ、これだけデカいと迷子とか出そうだよな。


 シーラコーク国では、学生がこういう公共の施設で社会勉強も兼ねて無料で働いている。


色々な国の人々と交流するという授業の一環らしい。


無給なのは嫌なことがあったらその場で辞めて帰ってもいいということだそうだ。


金のためだと我慢しちゃうからなあ。


そして、自分のプライドとか国の誇りを傷付ける相手には容赦しなくていいと習う。


それは結構すごいな。


この国は舐められたら終わりだって子供にも教えるわけだ。


ふぇえ。




 ふいに彼女が立ち止まって振り返る。


「この奥になりますが」


「あ、ええ」


俺は彼女の先に立って書架の間に入って行った。


今度は後ろから彼女の気配を感じる。


 気が付くと、ほとんど周りに人がいない場所だった。


そうか、だから俺が先なのか。


女性が自ら人気ひとけの無い場所に男を連れ込んじゃ不味いよな。


そして女性はいつでも逃げられる体制をとるということか。




 思ったけど、ピアーリナ嬢は本当に十歳なんだろうか。


もしかしたら俺みたいに何らかの理由で前世の記憶持ちとか……ないか。


 俺は棚を見る振りをして、チラッと彼女を見る。


どこで聞いたのかは忘れたけど、女性っていうのは幼い頃から女なんだってね。


だからきっと俺が彼女に大人を感じてしまうのは仕方がないのかもしれない。


 俺は決してロリコンじゃない。


子供である彼女に欲情なんてしないし、俺だって子供だっていう自覚はある。


あれ?、でもこの目線自体が大人じゃね?。


俺は十四歳の前世から、こっちの世界での九歳になるまでの二十三年間の記憶がある。


うーん、やっぱりその分、同年代よりは大人なんだろうな。



 

「あの、殿下?」


「あ、すみません」


考え込んでしまっていたようだ。


心配そうな顔になったピアーリナ嬢に優しく微笑んで謝る。


あ、彼女の頬がほんのり赤くなった。


それに気づいたのか、顔を背けて拗ねたような顔になる。


「ひ、ひどいですわ、殿下」


「え?、何?」


突然、ピアーリナ嬢の態度が変わった。




「私は殿下にお会いしないよう気をつけていましたのに」


翠の瞳にみるみる涙が溜まっていく。


ちょ、ちょっと待って。


「いや、ここに来たのは偶然だよ。


俺だってここに君がいるとは思わなかったんだから」


「本当でございますか?」


「ああ、もちろん。 君に嘘なんてつかない」


俺はおどけたように両手を上げた。


顔を上げたピアーリナ嬢と目が合う。


お互いにニコリと笑う。


「少し話をしても大丈夫かな?」


誰か側にいるんだろうか。


「図書館の中には私個人の従者や護衛はいませんわ」


俺は頷いて「自分もだ」と伝える。


あ、ツンツンは除外で。




 書架のある奥に本を読むことが出来る机があった。


そこに並んで座り、本を一つ開く。


彼女が俺のために選んでくれた、簡単な子供用の他国の本だ。


 その机にはメモを取るための紙と筆記道具が備えられている。


誰でも使えるというので、俺はそれを手に取って、彼女に見えるように文字を書く。


『俺に会わないようにって誰に言われた?』


彼女は自分の筆記用具を持っていたようで、俺の文字の下に『父から』と書いた。


そうか、公子ではないのか。


それならこの場をもし誰かに見られたとしても、彼女を叱る相手はお父さんだ。


子供には甘そうな父親だし、きっと罰も大したことないだろう。


俺は少しホッとした。




『俺は君と仲良くなれてうれしかった』


彼女の瞳から、止まったはずの涙がポロリと零れた。


『君と友人になりたいと思ってたから』


ん-、書き方が難しいな。


『俺たちはまだ子供で、また会えるかは分からないけど』


どうやったら彼女と情報交換出来る程度の友人になれるかな。


『これからも友人のひとりとして』


これで通じるだろうか。


『君に手紙を書いてもいいかな』


色々と情報が欲しいからね。


 ポケットに突っ込んでいたハンカチを取り出して彼女に渡す。


彼女のハンカチはもうすでにビショビショだった。




 ピアーリナ嬢が少し落ち着くのを待った。


俺の周りには同年代の女の子っていないから扱い方なんて分からない。


前世の記憶でも女姉妹なんていなかったし、幼馴染で女子っていたかな?、ってくらい女っ気が無かった。


『ピアと呼んでください、友人ですから』


やっと何か書いたと思ったら、そこかい。


『ありがとう、うれしいよ』


ただ、俺は王子教育の行儀見習いの一環として、女性の扱い方みたいのを習っている。


嫌味従者を思い出すから正直嫌なんだけど。


とにかく「褒めろ」「優しく」「丁寧に」が基本だった。


これって武の国ブガタリアの教育じゃないな。


どうみてもイロエストの王族教育っぽい。


でもこれで良かった気がする。


俺は、嫌味従者の教育に感謝する日が来るとは思わなかった。




 図書館の窓から空の色が変わり始めたのが見える。


そろそろ帰らないと不味い。


『では、俺はブガタリアに戻っても手紙を書きます』


ピア嬢が頷く。


『大使館宛に送りますか?』


たぶん彼女個人宛には送れないだろう。


大使館なら事情を知っているし、協力してくれると思うんだ。


『それなら、この図書館の私宛に送っていただけますか?』


今度は俺が頷く。


出来れば俺たちのことを知っている人は少ないほうがいい。




「ツンツン」


俺はわざと声を出して弟を呼ぶ。


突然足元に現れた薄い緑のゴゴゴにピア嬢は驚く。


それでも声を出さなかったのは偉い。


「お前、昨日はピアに挨拶出来なかっただろ?」


キュルン


ピア嬢は目を細めてツンツンを撫でた。


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